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この時代を見立てること

立岩 真也 2010/03/31 『福祉社会学研究』7:7-23
福祉社会学会,発売:東信堂



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■ 趣旨

 本学会のために、何かしらの役職を与えられたこともありながら、これまでまったく何も貢献することができなかったということもあり、2009年の大会のシンポジウムの企画をおおせつかることになり、いくつか考えたすえ、「〈共助〉の時代再考」という題を思いついた。そして次のように「趣旨」を記した。<0007<

 「例えば2000年の公的介護保険の開始までの間に、そしてその後に、何が日本の社会に起こってきたのか。「明日の我が身」が、そしてそのために、またそれに加えて、「共助」が語られてきた。語られてきただけでなく、そのような仕組みができて、社会福祉とはそのようなものであるということになった。そしてその時皆が、有限性の認識を、「程々に」という良識を、分け持っていた。そのようにも見えるのだが[…]、その見立ては外れているのかもしれない。すくなくとももっと様々があったし、あるのだろう。そしてその経緯、現況をどう評定し、そして今後を展望するか。報告者、討論者の方々に話していただき、そして考えてみたい。」

 そして報告者として後藤玲子氏と天田城介氏の二人を呼ぶことを提案し、了承してもらった。またコメンテーターとして武川正吾氏についてもらうことになった。武川氏自身の論についても考えてみたいところはあるのだが――下記する『良い死』の注ですこし言及させていただいている――今回はコメントする役を引き受けていただいので、コメントにコメントを重ねる要はないだろう。以下おもに報告者たちについて。(以下敬称略)
 その2人は同じ職場の同僚でもあり、よって声をかけやすいということはたしかにあって、まずそれはたいへんに安直なことではあった。そして同じ職場の人間が3人もというのはたしかに妙な人の配置でもあって、よろしからぬことであるようにも思ったのだが、そうさせていただいた。すこし説明を足そうと思う。
 社会福祉に関わる社会科学・人文科学の領域の研究者たちが何を考え、どのような主張をしているか、ごくおおまかにはではあるとしても、だいたいわかるように思う。そのことはまた、他の会員諸氏におかれてもそうだと思う。もちろん、より細かな具体的な論がなおいっそう重要なのではあるが、そしてそれを知りたくまた聞きたくもあるのだが、それを展開してもらうには、時間の限られているシンポジウムといった場はあまりふさわしくない。やはり調査報告や著書などを読むのがよいだろう。そんな具合で、優れた研究者は多いのではあるが、とくに「新たに」話を聞きたいという人をそうたくさんは思いつか<0008<なかった。
 もちろんこの二人にしても、多くの著作があり、繰り返し自らの考えを語っている方々ではあって、それもまた読めばわかるというところはある。ただ、近いところにいるために、必ずしもその文章で明示されてはいないのだが、一つ(一人)には、その「根」にあるものをどう捉えているのだろうかと、気になるところがあるというところはあって、また、一つ(一人)には、この人はどこに行くのだろうという気持ちがすることがあり、またその予兆のようなものを感じることもある。そして、二人はいずれも狭義の歴史分析をこれまで行なってきた人たちではないが、それぞれの仕事は、この社会、またこの社会の変化をどのように見立てるのかを考える時に、参照してよいものであるのではないかとも思った。それで、あえてこの方々にお願いした。
 結果はどうであったかについては、そうそううまく行くシンポジウムというものはこの世にはない、ということになるのかもしれない。ただ、その報告の後、二人から原稿をもらい、それを読みながら考えることがいくつかあった。ここではそのことを記そうと思う。
 ところで、私の社会の推移についての、「史観」というほどたいそうなものでなく、見え方というぐらいのものは――さしあたりこの国のことに限られた、このシンポジウムの表題に関わる時期を取り出せば――上の「趣旨」にごく簡単に述べたようなものであり、わりあい単純なものである。より詳しくは、「安楽死」「尊厳死」といったなにやら「きわもの」めいた主題について書かれた2冊の本(立岩 2008a, 2009) の中にあることもあって、読まれることが少ないだろうと思うのだが、上記の文章で略した部分に「この企画の発案者の一人が書いた文章として、立岩「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」(『唯の生』、2009、筑摩書房、第3章)」と記した、その章に書かれてもいる。また、やはり昨年出された税制についての本(立岩・村上・橋口 2009)で私が担当した部分にも記した。
 シンポジウムの冒頭ですこし話したことでもあるのだが、例えば、税の機能のすくなくとも重要な一つは再分配であるといったごくごく穏当な話が、そのように受け止められず、あるいはそもそもそのような話を聞いたことがないかのようで、そのようなことを言うと、なにやら新奇で、さらに「ラディカル」<0009<なもの言いのように受け止められてしまう。どのようにしてこんなことなってしまったのか。「新自由主義」のせいか。そう単純でもないだろう、むしろ社会福祉の「側」にいた(今もいる)まじめで良心的な人たちもまた、このことに関わっていたのではないか。そのようなことはずいぶん前から思っており、幾度か書いたことではあるのだが、このたびは(2009年には)「終末期医療」およびその周辺(とされたもの)を巡る言説と、そして税制・税制改革を巡る言説――そしてたんに語られたのではなく、様々に行われたこと――に即して、いくらかは「実証的」に見てみたのである。そのある部分は、天田論文の終わりの方で、要領よくまとめてられてもいるからから、ご覧いただければと思う。そして私の関心は、その私の見立てと両人が考えていることがどこでどのように関わるのだろうかというところにもあった。

■ 理屈の位置について

 今回の論文でも繰り返されている後藤の基本的な理解の一つは、日本国憲法は、その種のものをもたない米国などと比べて(cf.後藤 2009)、立派な条文をもっているというものである。そして生活保護法もまた流れを汲むものであると捉えられる。
 後藤を呼び立てることを思いついたのも、一つには生活保護制度の後退が現実的に懸念される場(政府関係の委員会)において、それに反対する立場から――具体的なその内容をよく知っているわけではないが――発言を行なってきたことを聞いていたことが関わってはいる。そのことに関する記述は、今回の後藤論文では2「日本の生活保護制度の特性」にある。ただ後藤の仕事の中心は実証的な歴史的な研究にあるわけではなく、その本領はあくまで、後藤が正しいと思うものを、どのように言うか、どのように正しいと言うかというところにある。そして、今度の論文では、その「さわり」の部分が示されているのでもある。その論の導出について、あるいは導出するというその営みの位置づけについて、いくらか言いたいし言えることもあるだろうと思うのだが、ここではその「中身」というより、後藤が参与し介入しているその営みの位置について、そしてそれとさきに私が述べた「状況」「経緯」との関係について、思<0010<うことを記す。
 私は、政治哲学や経済学の中のある部分――全体の中では圧倒的な少数派であることを後藤はよくこぼすのでもあり、また同時に少数派であることに誇りをもっているのでもあるのだが――について、さらに後藤の言葉では「経済哲学」(cf.後藤 2002)において、諸論者が、苦労して分配や平等を論じることについて、様々に興味深い議論もなされており、議論を構築していくその手並みその他にいろいろと感心するところはあるものの、一つに、当たり前のことを苦労して言おうとしているなと、一つに、しかもそれぞれの思想の基本的な発想・流儀に制約されているものだから、もっと言えばよいのに途中で止まっているなと、さらに言えばそれでは困ると、思うことがあった。
 そうした中で、後藤が尊敬するセン(cf.Gotoh & Dumouchel 2009)は――言うことにいくつか曖昧なところもあり、それもまたその人の特質でもあり、人によっては中庸の美徳と思うものであるのかもしれないと感じるところもありつつ――最も素直に、まったくもっともなことを言っていると思う。ただそのもっともなことを初めて聞いたとはまったく思わなかった。たくさんの人たちが、ずっと前から、いくらでも思い、そしていくらでも言ってきたことだと思った。その(初期の)業績としてあげられる、経済学的前提をいったん受け入れた上で、そこから始めて「逆説」を導くというその手並みは見事なものであったとして、そもそもその前提を信用する気にならない者にとっては、ご苦労様とは思い、また論証が鮮やかであることは称賛に値するものと認めたとして、それ以上のものであるとは思えないところがある。それは、普通はロールズの名があげられる政治哲学の転換、あるいは再生・興隆という把握についても同様のことだった。
 例えば、今回の論文で簡潔に言及され引用されているロールズの論について。疑似的に契約論的な――と言うしかないのだろうと思う――論の構成については、私も既に思うことを書いているので(立岩 1997 他)、ここでは略そう。今回の後藤論文では、「反転」によって、くだいてしまえば、「あなたが本当に作ったものはあなたのものだけど、あなたの作ったものがいったいどれだけあると思ってるの」という話が分配を正当化するのだという。しかしこの論も新しいものだと思えない。ベーシックインカムを正当化するヴァン・パリースの論<0011<にも同様の論じ方があるので、その著作(Van Parijs 1995=2009)について考えてみた『現代思想』の連載の数回――それはいくらかの増補・修正の上で今度の本(立岩・齊藤 2010)に収録される――で言及し、いくらかのことを述べた。「のおかげです」と私たちが頻繁に――どれほどの真面目さとともにであるかは別として――言う時、そこでは――具体的にその「おかげ」の相手に財を提供する(戻す)ということは実際にはあまりないにしても――同じことが言われていると言ってよい。
 だから、いろいろと感心することはあるけれども、びっくりはしない、なのになぜ驚く人がいたり、感心したりする人がいたりするのだろうと思う。そんなことを思わず口にすることもある。このことについて、後藤に面と向かって叱られたことはないが、たぶん本人は怒っていると思う。ただ、当たり前のことが当たり前のことして通用しない業界では目立ったことだったのだと言われればそうだろうと思うし、そういう業界の中でがんばっているのにということであるなら、理解(同情)はするけれども、やはりその感慨は変わらない。
 にもかかわらず、私も、ときにそうした議論をなまはんかにかじってみて、なにごとかを言ってしまう(立岩[2004]等)のはなぜか。一つには、使わなくてもよい道具を使っていること等によって、多くの論が中途で終わっているように思うからでもある。ここでその一つひとつの中身を紹介することはないが、そう思ってものを書いてきたし(立岩 2004 等)、基本的には同じことを今度の本(立岩・齊藤 2010)でもまた述べることになる。
 それらで、私自身は、辻褄のあった話をしていると思っている。ただこれは「信仰」の違う人たちには、論理以前の問題として、なかなか伝わらないとも感じる。つまり、後藤が「メリットの考え方」と呼ぶものが発想のまた生活の根にあって、それを信じることはないというきわめて単純な文が有意味な文として通らないようなのだ。(そんなことはないだろうと言われるかもしれない。だが、わずかな経験からではあるが、そうでもないように思う。)それで、聞いてもらうのはなかなか難儀なことであると思うのだが、それでも仕方がないと思い、言えることは――これからの仕事と、ということになるが――言っていくことにしようと私は思っている。私の場合にはそんな距離感になる。対して後藤はどうなのか。これからどうしていくのか。それは本人が考えることなので措く。<0012<
 こうしたことと「歴史」は、さきにすこしだけあげた「推移」は、どのように関係しているのか。まず、ここで念頭に置かれているような「リベラルな分配派」が、すくなくともある世界においては、「先端」あるいは「左端」にいるという思想的・政治的な布置が世界の相当に広い範囲にあるということである。このことを単純に言祝ぐわけにはいかないと思う。
 次に、この国に即したとき、どのように理解することができるかである。私はそのことと「日本国憲法」とが、そしてその扱われ方が関係しているのではないかと思う。もちろん憲法の制定にあたって、米国のどのような背景と思想をもった人物たちが関与し云々といったことは重要であり、実際、そのようなことがあったからこそ、ということはあるのだろう。ただ、まがりなりにもこの憲法ができてしまったことについて、日本における当時の政治状況云々云々といったやはり現実的歴史的諸条件をいったん措いても、言えることがないではないように思える。
 つまり、さきの「メリットの考え方」が、彼の地では、それに対抗しているようでもありながら、基本的なところで深く信仰されてしまっているのに対して、この地では、さほど強く信じられることがなかったというところがあるのかもしれない。それは、私の考えでは、基本的にはよいことである。ただ、では、「メリットの考え方」でない考え方を、現実において実現されてよいものとして支持し、実現を図ってきたかといえばそうではない。さきの「おかげ」といった言葉もまた、「メリットの考え方」ではない方向に向いた言葉の一つではあるかもしれないのだが、現実の社会の運営はそれと違ってかまわない、あるいはそれでも仕方がないということにされてきた。
 例えば日本国憲法に第25条はたしかに存在するのではあるが、後藤も記すように、所謂「プログラム規定説」が主流ということにされ、この条文を根拠に実際の裁判は戦えないというようなことにされてきた。その程度のことであれば憲法の条文に書いてあっても差し支えないという具合に存在してきたのである。言葉や理念や原則というものが社会に位置づくその位置は、社会によってだいぶ異なるはずだが、この国はそんなであった。さらにそれに加え、政治的状況その他が変わっていく中で、「(戦後)民主主義」に対して高踏的な態度をとっていたはずの人たちでさえ、いったい自分たちはどんな「主義」を正し<0013<いとし、そして主張していたのかも自らに対してはっきりしないといった具合になっていく。ただもちろん、このままの社会でよいとは思わない人たちも常に一定の数はいる。その人たちのある部分が、こんどは新規に「規範理論」というものを知り、それを援用しようとする。ごく簡単にはそんな具合になっているのだろうと思う。
 ただこのように、ずいぶんとさえないかたちであったとしても、信じる必要のないものを疑われないものとして身につけてしまっているわけではないことは、基本的に、肯定的に受け止めてしまってもよいように私は思う。そしてそのことが、実体・実態としてはまったく細々としたものではあっても、「メリットという考え方」からは評価されない存在を、とくに評価するわけでもないが、しかし切り捨てることはできない、しないでおこうという流れを途切れなく存在させてきたのでもあるのだと思う。誤解のないように言えば、この社会にそうしてあったきたものはどんな社会にも存在するものだと思う。ただ、「メリットという考え方」が強い場ではそれは公言されにくかったり、あるいは公言する場合には、「メリットという考え方」によって許容されうるような言葉に変換されてしまうことが多いということなのだろうと思う。
 とした場合に、この社会は、またそこでの「正当化」という営みはどうなるのか。一方では、このような場所から、メリットに対する「信仰」のある中で語られる言葉をどのように受け止めるのか、どのようにそれに関係しているのかがが問題になると思う。それは信じられ、言葉の通りに、それ以上遡れないようなものとして信じられているから、対していくのは厄介ではあるが、なさねばならないことではあるのだろうと思う。
 他方、ひるがえって、このはっきりしない社会についてはどうか。人々は、「能力主義」という――乱暴だが基本的には当たっている――言葉で括られるものをそう心底信じているわけでもないが、しかし世間というものはそういうものであるというぐらいには思っている。よくわかっているわけでないが、それを外すと世の中がうまくまわらないそうだ、と――ここに限らず、よその社会でも、経済学でもそういうことになっているのだが――思っていたりはする。となると別の仕事も必要になる。様々な理屈や言い訳とつきあい、糾せる誤解は糾すという仕事を続けていくことにもなる。私(たち)が税に関わる本を出し<0014<たのも一つにはそういうことである。
 しかしそれだけではない、それだけでは足りないように思う人もいる。たしかにそうかもしれない。人々の共感を得ること、同意を得ること、それらが大切ではないかとなる。そしてそれは、事実、政治その他に人々の意識・感情が関わっているからというだけでなく、依拠できるものとしていくらかの人々からは期待されるものとしての「規範理論」自体のかなり基本的なところに存在する大きな部品でもある。事実としてこの契機を否定することができないことは認めよう。取れるものが取れるのであれば「お涙ちょうだい」でかまわないとも言える。ただそのにように居直るにしても、「民主主義」をどの程度のものと位置づけるのかである。そしてここでこそ、「原則」をどこに置くかが問題になるはずだと思う。そしてまた、話を差し戻せば、「ベーシック(インカム)」などと言われる時、「最低限度(の健康で文化的な生活)」などとと言う時に、なぜそう言うのかである(cf.立岩・岡本・尾藤 2009)。最低限のラインにさえ達していないその悲惨が言われる。後藤の論には幾多の数式が登場するとともに、同時に、人情に訴える話が差し挟まれる。それは、受けとる人にもよるのだろうが、訴える力をもつこともあるだろう。そしてもちろん、悲惨であるときに悲惨でないなどと言い張る必要はまるでない。ただ、同時に、考えておく必要はある。そしてそれは――いくらかその論調に変化があるようにも思われるのだが――民主主義者であり人情家である後藤がこの論文で「無条件性」で強調していることをどう見るのか、その論の道行きのその内部が検証されるべき地点でもあるように思われる。
 そして、この場所が、天田が苛立っている場所であるのかもしれない。

■ 現在の見立てについて

 天田には知られておりそして読まれている大著『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(天田 2003、2007年に「普及版」)他、多くの著作・論文がある。そして現在、その研究の方向は、一つに、歴史・制度に向かおうとしているように見える。だから声をかけたのでもある。
 当日に報告された、また今回の論文に記されている歴史上の様々を繰り返し<0015<て紹介する必要はここではないだろう。そこには一つ、ある世代以降であれば誰もが読んできたはずのフーコーの著作への言及がある。加えると――論文の文献表の中には座談会(天田他 2009)の司会としてしか出てこないのだが――我々のもう一人の同僚でもある小泉義之がいて、その座談会での小泉の挑発に応じているところがあるようにも思える(cf.小泉 2009)――この論文の主題にひとまず対応する拙稿として立岩(2003)。
 「世話」だとか「ケア」だとかが作り出されている、もっと言えば捏造されている、もちろん同時に、その「対象」となる人たちが、その人たちの性質・性格が作り出されているという直感のようなものがある。そうした自らにもある感覚をどのように評定したらよいのか、どのようにしてそれはこの社会と関わっているのか、それをどう考えるのか。天田はそうした作業に着手しているのだろうと思う。(もちろん、ここで既に、基本的に「過少」を言う後藤と、その方向が分かれているように見える。そしてこれもまた、私が、今回、この二人に依頼した理由でもある。)
 「過剰」という把握は、「福祉社会学」にはあまりないにしても例えば「医療社会学」にはよくある。なぜその「傾向」が分かれるのか。まず、医療が身体に直接的に介入し、ときに侵害するのに対して、「福祉サービス」のすくなくともある部分かはさほどの直接的な害が少ないということもあるかもしれない。また、誰が担っているのかということがある。医療は医者や看護師など医療関係者がやっていて、社会学者はその仕事は普通はできないし、しない。学会の実態としては、医療等のや実務家や研究者も相当数いるのだが、免許を持たない人は外側にいざるをえず、その分、外側から好きなことを言う。「批判」に精を出そうとする。あるいは最初からそういう「問題意識」でやってくる。それに対して、福祉社会学者は、政策を主題にする人であれ、より現場に近いところを調査研究するであれ――私もそうだが――福祉が大切だと思ってそこにいる。基本的には福祉に対する共感があって研究をしているのだと思う。
 ただこの「福祉」の世界でも、やはり余計なことは多々なされるのであり、それはそれとして問題にされるべきであり、また問題とされてきた。私たちの最初の共著書である安積他(1990, 1995)にある基本的な音調もそんなものである。ただ、では例えば介助がいらないかと言えばそんなことはない。むしろ<0016<それを全力を傾けて求めてきた歴史・現実がその本に描かれている。必要を否定しているのではなく、その場合の不要な干渉等々を否定し批判しているということになる。そして、(医療に批判的な)医療社会学者も、よほどの人でない限りは、医療全般を否定しているのでないと言うだろう。
 それでいったん落着するようには思える。しかし実際の問題はむしろそこから始まる。何が過剰であり、何が過少であるのか、それはどうしてか、どのような機制のもとにあるのか。それを私は、ごく平凡に社会(科)学的に事態を見たらよいと思った。それでどう見えたかは、天田が要領よくまとめてくれた本の一部にも記してある。またまだ本にはなっていない幾つかの文章で述べたことでもある。次のようなことを言ってきた。
 一つは、(直接の)供給側である。供給側としては、(それが収入等をもたらす限り)需要があることが望ましい。過剰供給が起こりうる。実際にそうした歴史的現実はあり、このことが問題にされてもきた。ただ同時に、自分たちの仕事に支払いがないなら、受け取りが少なくなるのであれば、やろうとしない。やりたくてもやれない。撤退、過少が生ずる。これもまた実際に起こることだ。そして両方はときに同時に起こる。(にもかかわらず、過剰の方がもっぱら言われているとしたらそのことに注意を払わねばならないということになる。)
 一つは、受けとる側である。受け取り手はもちろん余計なさらに加害的なものを与えられたらまず最初に困る存在ではある。同時に、必要と思うものを必要としている存在である。ここでも過剰と過少とは同時に起こっていることがある。
 そしてもう一つに、この二者の周りの社会――というたいへん乱暴な言い方をしておく――がある。まず、それが生産を志向する中に様々を位置づけることがある。このこともまたいくらでも言われてきた。保育所は女性を働かせるためにある。育児に金を出すのは、人口政策の一環である。高齢者・重度障害者は違うとされるかもしれないが、それでも面倒をみることをしぶしぶにでも受け入れるのであれば、あとはそれをどのように効率的にということになる。家族より「社会化」の方が効率的という理解・実践はここにもある。ただこれは「受け入れるのであれば」ということだった。同時に、切り詰めようという力もまた存在する。やはり両者が同時にある。フーコーの著作の愚かな読み方<0017<――しかしそれが完全な誤読であると言えるかというと微妙なところもある――では「生かす」ことだけが取り出されたきたが、実際はむろんそうではない。このことは市野川容孝も私も私も幾度となく言ってきた。これも新規な捉え方ではない。「優生思想」はときに人を殺し、ときに人を生かすという、やはりずっと言われたきたことである。
 こうして両方のことが同時に進行している。それぞれについて、普通の意味で実証的である必要があると考えてきた。この三つに双方があって、その時々に入れ替わったり、同時に存在していたりする。片方だけを見るのはよくない、両方を見て考えていくべきだ。両方があるときに片方だけを言うことの効果を考える必要がある。このような平凡な教訓が導かれる。
 まずは、一般論として、このように言えるとしよう。ただ、天田は、もっとなにかあると感じているし、言いたいのではないかと思う。それはまだ私にはわからないし、また天田当人にとってもこれからということなのかもしれない。
 一つに、もっと長い時間の中に事態とその推移を見ようとしているように思える。するとたしかにすくなくとも私に欠落している部分が多々あることに思い至る。私が、歴史的な経緯をいくらかでも追ってきたのは1970年前後からのことであり、それ以前のことは、端的にまったく知らないというのが実際のところだ。とすると、それ以前はどうであったのか、いくらか気にはなる。今回のシンポジウムでも、もっと長い時間について、例えば戦前からの歴史について造詣の深い研究者をという思いがあり、候補をあげてみるところまではいったのもそんなところがある。ただその時にも思ったのだが、では、戦前戦後のある種の連続性があるといった理解がその通りであるとして、そのことについて私たちが知るようになったことは大切なことであるとして、その時にわかった以上・以外の何が導き出せるのだろうかと考えるとよくわからなくもあった。
 調べていくと見えてくるかもしれないもの、それは、天田がその勤務先の大学院生たちを指導しつつ進めていく研究において、明らかになるのかもしれないし、ならないのかもしれない。そこでまず注目されるのは私が何も知らない時期、まず1960年代、そして1950年代となっていくのだろうか。いずれにせよ、私自身には調べる力はなく、手をつけることがないだろうと思う。期待す<0018<るしかないということになる。
 ただ一つ、「過剰」「捏造」が比較的に新しいこの時代に生じている、増幅されているという直感が天田に(も)あるようにも思われる。だとしたら、それは何なのか。そして天田論文の最後には「選別主義から普遍主義へ」という標語への言及がある。それは私にとっても気になる言葉、たんに言葉でなく動きである。最初にあげた趣旨の中にもある「明日の我が身」「共助」とはそれらとともに現れてきた言葉である。ここに何が起こってきたのか。
 もちろん、福祉サービスの総生産・総需要の伸びという現象はある。そこで大々的に事業を展開する事業体もある。何かが「食い物」にされているという感覚もそんなところに一つは発するのかもしれない。ただここで見ておきたいのはそのことではない。
 かつての「救貧」という枠組みで「烙印」を押されつつ少数者が処遇されてきた時代がよくないとされ、「普遍化」がよいこととして進められる。するとまず一つに、人々は「普通」であり、起こることは「誰でも」のことであると言わねばならないということになる。そこで――言葉の正しくない意味における――「ノーマライゼーション」が起こる。老いも普通のことであり、それに伴って起きる様々なこともまた普通なことである。そしてその普通のことは、人口構造の変化に伴って――とされて――増大していく。そうして普通であるために、普通に起こりうることに対処するために、その一人ひとりに起こるできごとにそなえて、一人ひとりのことであり、またみな同じその同じみなのためのことであるのだから、年金保険であれ、医療保険であれ、介護保険であれ――基本的には――同じだけの掛け金をかけて同じ事態には同じを受けとろうという。あるいは、所得比例の拠出をして、それに応じて受けとろうという。すると、私はここに、大きな――そして社会福祉を推進する側も、事実上、それを掘り進めることに関わった――陥穽があると考えるのだが、使える全体は当然のこと、限られる。例えば介護であれば、誰もが払えるだけの積み立てで全体を運営しようというのである。それを(も)受けて社会は抑制的になる。もちろんそれは同時により生産的になろうとするということでもあり、そのためのことであったりもする。しかし同時に、もちろん、福祉は必須であり大切であると称し、そして実際に行う。だがしかし、それは同時に、抑制的なものになり、<0019<自制的なものになり、良識的なものになる。かつてお上が少数者を管理しつつなにがしかを与えていたものが、地域のような小さな単位でまた国家のような大きな単位において、それができること/できないことを自ら知りつつ、運営していこうとする。
 しかし、もちろん、人はたいへんに様々なのであり、生きていくためには、相対的に、ずいぶん多くを必要とする人もいる。
 ただ、先に見たように過剰な供給に傾くこともあり撤退に傾くこともある直接の供給側は、適切に規制され、抑制されることになると、その管理のもとで得られるだけを得てやっていこうとする方向に行くことになる。自分たちが儲ける代わりに、ともかくもその人を生かしてはおくという方向には行かない。大盤振る舞いはできないということになる。わるいが味方になれないということになる。
 この時なお生きていこうとするなら、その人たちは、あるいはその人たちの側に立とうとする人たちは、なにか特別に肯定的ななにかを有していることを言わねばならなくなったり、あるいは逆に、そして同時に、悲惨を言わねばならないことになる。もちろん、福祉は、慈悲や慈善ではなく権利なのであると言われるし、すくなくとも福祉社会学をしている人であればそのことを否定することはないだろう。しかし、それが本筋でないことをわかっているが使う。言説において露出されるのはその部分である。それをゲームのようなものとして楽しめているならそれもまたよいのではあろう。けれどもなかなかそうはならない。
 これはすこしも逆説的なことではない。公的扶助を巡って、「せめてこれだけは」と言わねばならない時にも、こんなに苦しいのだからと言わねばならない苦しさがあった。ここでは、誰もが同じに「普通に」払って――たしかにここでは(スティグマにつながるとされる)資力調査は行われない――、あるいはせいぜい所得に比例して払って、すべてをまなかおうという「普遍主義」の枠組みのもとで、多くを必要とする人は「特別」でなけれはならないのだ。そこで苦しいことを、そして/あるいは、明るいことを言わねばならなくなる。いかに必要なのかを言わねばならなくなる。問題は「格差」であるより「貧困」であると――まったく正しいことが今また――言われる時にも、このことが起<0020<こっている。
 受けとるために悲惨を言わねばならない。するとそんな意図があってその人は苦痛を表出しているのだと思われる。そのように人々に思われていると自分が思う。そこにもともとの悲惨がないのではない。もちろんあるのだ。しかしそれは演じられ偽られていると思われることもある。悲惨を表出したくはないが表出せざるをえず、そしてそのことの虚偽が双方に感じられる1)。こんな古典的なできごと、古典的な気持ちの悪さは、しかるべき理由があって、この社会・時代において増幅している。私には、この時代に存在する苦しさは一つにこんなところにあるように思える。
 とすると、今回の報告者の両者に見えているものは同じものであるのかもしれない。差異があるのに差異を見えないようにしてそして苦しくなるのも間違っているし、その苦しさの中で差異を表象せねばならなくなるのも間違っている、ではどうするか。そんな問いに向き合っているように思われる。とするとどうするか。当たり前のことではあるが、一つに、過たない理屈を作っていくこと、一つに、私たちの時代についての系譜学を遂行することである。それらが行われているのだろうと思う。

■ 

1) 「思いを超えてあるとよいという思い」という題の節につながる、そして注である胎児性水俣病患者の写真を使わないことにした経緯を紹介している箇所で次のように述べた(cf.立岩 2008b)。
 「死や苦痛や不便をもたらした者たちは、それだけで十分に糾弾されるに値する。その者たちを追及するのはよい。ただ、第一に、そのことを言うために、その不幸をつりあげる必要が出てくることがあるとしたら、それはなにかその人たちに対して失礼なことであるように思えるということだ。」(立岩 2008a:177)

■ 文献

天田 城介,2003,『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
天田 城介・大谷 いづみ・立岩 真也+小泉 義之・堀田 義太郎.2009.「生存の臨界 T〜V」(座談会),『生存学』1,pp.6-22, 112-130, 236-264(立命館大学生存学研究センター編,生活書院刊).
安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』藤原書店.→1995 増補改訂版,藤原書店.
後藤 玲子,2002,『正義の経済哲学――ロールズとセン』東洋経済新報社.
―――――,2009,「アメリカン・リベラリズム――福祉的自由への権利の不在」、下平好博・三重野卓編『グローバル化のなかの福祉社会――21世紀の社会像』講座・<0021<福祉社会、ミネルヴァ書房,pp.157-176.
Gotoh, Reiko & Dumouchel, Paul,2009,Against Injustice: The New Economics of Amartya Sen, Cambridge University Press
小泉 義之,2009,「余剰と余白の生政治」,『思想』1024(2009-8):20-37.
立岩 真也,1997,『私的所有論』勁草書房.
―――――,2003,「家族・性・資本――素描」,『思想』955(2003-11):196-215.
―――――,2004,『自由の平等――簡単で別な姿の世界』岩波書店.
―――――,2008a,『良い死』筑摩書房.
―――――,2008b,「争いと争いの研究について」,山本 崇記・北村 健太郎編『不和に就て――医療裁判×性同一性障害/身体×社会』,生存学研究センター報告3,pp.163-177.
―――――,2009,『唯の生』筑摩書房.
立岩 真也・村上 慎司・橋口 昌治,2009,『税を直す』青土社.
立岩 真也・岡本 厚・尾藤 廣喜 2009,『生存権――いまを生きるあなたに』同成社.
立岩 真也・齊藤 拓,2010,『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』青土社.
Van Parijs, Philippe 1995,Real Freedom for All-What (if Anything) Can Justify Capitalism?, Oxford University Press.(=後藤 玲子・齊藤 拓 訳,2009 『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』勁草書房.)


■邦文要約(600字)
2009年の福祉社会学会大会でシンポジウム「〈共助の時代〉再考」が開催され、筆者はその企画を担当した。その趣意文は以下である。「例えば2000年の公的介護保険の開始までの間に、そしてその後に、何が日本の社会に起こってきたのか。「明日の我が身」が、そしてそのために、またそれに加えて、「共助」が語られてきた。語られてきただけでなく、そのような仕組みができて、社会福祉とはそのようなものであるということになった。そしてその時皆が、有限性の認識を、「程々に」という良識を、分け持っていた。そのようにも見えるのだが、その見立ては外れているのかもしれない。すくなくとももっと様々があったし、あるのだろう。そしてその経緯、現況をどう評定し、そして今後を展望するか。報告者、討論者の方々に話していただき、そして考えてみたい。」本稿では、このシンホジウムの報告者であった後藤玲子と天田城介が本誌に寄せた論文から私たちが何を受けとることができるのか、それをどのようにこれからの我々の考察・研究につなげていくことができるのか、私の考える何点かを記すものである。

■キーワード(日本語5語以内)
社会的分配・日本の社会福祉の歴史・共助・政治哲学・系譜学

■英文題目
For Diagnosis of This Age(仮)

■所属の英語表記
Ritsumeikan University, Graduate School of Core Ethics and Frontier Sciences

■執筆者名の英語表記
TATEIWA, Shin'ya

■Keywords(英語5語以内)
Social Distrubution, History of Social Welfare in Japan, Mutual Help,
Political Philosophy, Genealogy

■英文要約(300語以内)
 The author was responsible for organizing a symposium on "Rethinking the era of mutual help" held at the 2009 conference of the Japan Welfare Sociology Association. The intention behind holding this symposium was stated as follows. "What occurred in Japanese society in the period before public long-term-care insurance was introduced in 2000, for example, and in the period following this introduction? There was talk of "tomorrow's self", and, in order to attain this or in addition to it, "mutual help". This was not only talk: this sort of system was actually created, and this is what social welfare came to be seen as. At this time everyone began to share an awareness of limitations and of the need for doing things to an "appropriate extent". While this might be how things have appeared, this appraisal may not be accurate. There at least must have been a wider range of opinions and approaches, both in the past and today, then are included in this account. How should the current state of affairs and its development be viewed, and what is the outlook for the future? I would like to talk about and consider these questions with the various presenters and panelists taking part". In this article I give my own thoughts on what we can take from the papers published in this journal by Geiko Gotoh and Josuke Amada, both of whom gave presentations at the symposium, and raise several points concerning how going forward this can be connected to our thinking and research on these issues.

cf.
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jwsa/shippitsuyoryo.html
自由投稿論文には,その他に,邦文要約(600字),キーワード(日本語5語以内)をA4版の用紙1枚にまとめ,添付する.さらに,英文題目,所属の英語表記,執筆者名の英語表記(例,YAMADA, Taro),英文要約(300語以内),Keywords(英語5語以内)を同じくA4版の用紙にまとめ,添付することとする.

 *校正済


UP:20100406 REV:
天田 城介  ◇後藤 玲子  ◇立岩 真也  ◇病者障害者運動史研究 
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