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良い死?唯の生
立岩 真也
2009/02/26
第36回日本集中治療医学会学術集会合同シンポジウム1
於:大阪国際会議場
http://icm2009.umin.jp/
拙著
『良い死』
『唯の生』
(ともに筑摩書房、2008・2009)で考えた。また
『ALS――不動の身体と息する機械』
(医学書院、2004)でもいくらか述べた。その中からいくつかを取り出しお話しすることになるだろう。例えば一つ、「無駄な延命」「機械による延命」「スパゲッティ症候群」といった言葉のこと。集中治療室という語も病院が否定的に語られる時にその象徴として持ち出される。もっともである。たしかに居づらい病院の中でも集中治療室は居づらい。しかし、それにただ「自然な死」や「畳の上での大往生」を対置するというのも、ずいぶんと乱暴ではないか。あらかじめ否定的なあるいは肯定的な価値の与えられた言葉がいくつもあるのだが、その何がよく何がよくないのか。一つ、「事前指示」について。自分のことをよく知っているから自分が決めるのはよいとして、自分の知らない状態を決めることはどうか。そしてもう一つ、またそれを言うかと言われるのではあろうが、それでも挙げる。たしかに居づらい病院に、それでも仕方なく人は行くしかないのだが、行けなかったり、辿り着いてもすぐ追い払われる。やはり順序としてはこのことが先に考えられるべきではないか。
◇立岩 真也 2008/09/05
『良い死』
,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 2940
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[kinokuniya]
※ d01. et.,
◇立岩 真也 2009/03/25
『唯の生』
,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209
[amazon]
/
[kinokuniya]
※ et.
■『Medical Tribune』掲載記事案(いただいたもの)
http://www.medical-tribune.co.jp/
「今やるべきこと」を整理すべき
終末期医療における「延命行為」や「治療中止」の議論では、理解や解釈がなかなか定まらない。立命館大学大学院総合学術研究科の立岩真也教授は、基調講演「良い死?唯の死」で、正しい医療が行われていることの社会へのアピールが足りないと指摘。医療教育でも患者が望む死の受け入れ方が決まっていないために社会不安が掻き立てられていると分析し、「いま何をすべきかを整理しなければならない」と訴えた。
鵜呑みできない本人と家族の意思
立岩教授は「医療側は社会に対し、何を最初に言わなければいけないのか」と切り出した。続いて保険点数などを稼ぐために患者を薬漬け、チューブだらけにしていたことが問題となった過去のイメージや医療費削減策などで、医療の有効性が損なわれていると分析。「医療現場の生と死に対する処置が間違っていないか、今どういうポジションにあるのかを考えるべき」として問題を提起した。
1点目は、治療中止や尊厳死の話から始める前に「救命救急や延命、治療などがきちんと取り組まれていることをアピールしなければ、議論は進まない」と述べ、医療の信頼を得ることが先決とした。
2点目では教育に言及。治療中止を判断する場合、「本人が事前に望んでいたとしても、その時の心理状態が適切と言えるのか。また、『死にたい』という考えを鵜呑みにできるのか」と会場に問いかけた。一方、家族の意見についても「家族は確かに患者の一番の代理者ではあるが、経済、心理、身体的な負担が少なくない状態に置かれているため、必ずしも常に正解とは言えないのではないか」と慎重な判断を求めた。
最後には「何をアピールし、何を教えるかという議論が未解決のため社会不安があおられ、医療行為の範囲が狭められている」と警鐘を鳴らした。
↓
■『Medical Tribune』掲載記事案(立岩が手を入れたもの)
http://www.medical-tribune.co.jp/
なにを基本に置くかが問題
立命館大学大学院総合学術研究科の立岩真也教授は、基調講演「良い死?唯の死」で、原則が確認されていればそれを現場に応用するだけでよいが、そうでないのが現状だと述べ、まず医療をきちんと行い、そのことを社会に向けて示すことの方が先決だと指摘した。
医療する意志の表明が先決
立岩教授は、治療停止・尊厳死といったやっかいな面にどう対処するか、現場への応用や教育が大切であることを認めるが、教える原則がはっきりしていないなら、応用のしようもないはずだと述べた。趨勢としては治療の停止を様々に認める方向になっているが、論理的・倫理的に議論の終わっていないところが様々にあると指摘した。
例えば、「死にたい」と本人がたしかに言っているとして、それをそのままに受けとることがよいことなのか。自分はそうは思えないし、そのように社会も医療も対応してこなかったはずではないか、それは間違っていたのか、と問いかけた。
他方、家族の意思についても、家族は確かに患者の一番の代理者ではあろうが、経済、心理、身体的な負担が少なくない状態に置かれてもいる。停止への同意に負担軽減という要因が働くことは否定できず、家族の意向をそのままに受け入れるべきだとならないはずだとした。
その上で、「医療側は社会に対し、何を最初に言わなければいけないのか」と提起した。過剰な医療ゆえの被害を避けるための患者側からの意義申し立てという図式があり、それは医療をより多く行うことが利益に結びついた時期には妥当したが、医療が過剰であるより過少な現在の状況では、むしろ救命・延命のためにするべきことをするという医療の基本を確認し、それを遵守し、そのことを社会にアピールすることの方が大切だろうと述べた。そうして医療の信頼を得ることが先決とした。
↓
■『Medical Tribune』掲載記事案(再度送られてきたもの)
http://www.medical-tribune.co.jp/
医療の信頼を得ることが先決
立命館大学大学院総合学術研究科の立岩真也教授は、基調講演「良い死?唯の死」で、死の原則が確認されていればそれを現場に応用するだけでよいが、「そうでないのが現状だと」述べ、「まず医療をきちんと行い、そのことを社会に向けて示すことの方が先決だ」と指摘した。
「医療する」意志の表明が先決
立岩教授は「治療停止・尊厳死といった厄介な面にどう対処するか、現場への応用や教育が大切であることは認めるが、教える原則がはっきりしていないなら、応用のしようもないはずだ」と述べた。さらに趨勢としては治療の停止を様々に認める方向になってはいるが、論理的・倫理的に議論の終わっていないところが少なくないと指摘した。
例えば、「死にたい」と終末期の患者本人が言っているとして「それをそのまま受けとることがよいことなのか。自分はそうは思えないし、そのように社会も医療も対応してこなかったはずではないか、それは間違っていたのだろうか」と問いかけた。
他方、家族の意思についても、「家族は確かに患者の一番の代理者ではあろうが、経済、心理、身体的な負担が少なくない状態に置かれてもいる」と分析。停止の同意に負担軽減という要因が働くことは否定できず、「家族の意向をそのままに受け入れるべきだとならないはずだ」とした。
その上で、「医療側は社会に対し、何を最初に言わなければいけないのか」と提起した。過剰な医療による被害を避けるための患者側からの異議申し立てという図式があり、それは医療をより多く行うことが利益に結びついた時期には問題とならなかったが「医療が過剰より過少である現状では、むしろ救命・延命のためにするべきことをするという医療の基本を確認し、それを遵守し、そのことを社会にアピールすることの方が大切だろう」と述べた。そうして医療の信頼を得ることが先決とした。
↓
■『Medical Tribune』掲載記事案(再度直しをいれたもの)
http://www.medical-tribune.co.jp/
医療の信頼を得ることが先決
立命館大学大学院総合学術研究科の立岩真也教授は、基調講演「良い死?唯の死」で、倫理原則が確認されていればそれを現場に応用するだけでよいが、「そうでないのが現状だと」述べ、「まず医療をきちんと行い、そのことを社会に向けて示すことの方が先決だ」と指摘した。
「医療する」意志の表明が先決
立岩教授は「治療停止・尊厳死といった厄介な面にどう対処するか、現場への応用や教育が大切であることは認めるが、教える原則がはっきりしていないなら、応用のしようもないはずだ」と述べた。さらに趨勢としては治療の停止を様々に認める方向になってはいるが、論理的・倫理的に議論の終わっていないところが少なくないと指摘した。
例えば、「死にたい」と本人が言っているとして「それをそのまま受けとることがよいことなのか。自分はそうは思えないし、そのように社会も医療も対応してこなかったはずではないか、それは間違っていたのだろうか」と問いかけた。
他方、家族の意思についても、「家族は確かに患者の一番の代理者ではあろうが、経済、心理、身体的な負担が少なくない状態に置かれてもいる」と分析。停止の同意に負担軽減という要因が働くことは否定できず、「家族の意向をそのままに受け入れるべきだとならないはずだ」とした。
その上で、「医療側は社会に対し、何を最初に言わなければいけないのか」と提起した。過剰な医療による被害を避けるための患者側からの異議申し立てという図式があり、それは医療をより多く行うことが利益に結びついた時期には問題とならなかったが「医療が過剰より過少である現状では、むしろ救命・延命のためにするべきことをするという医療の基本を確認し、それを遵守し、そのことを社会にアピールすることの方が大切だろう」と述べた。そうして医療の信頼を得ることが先決とした。
*「死の原則が」を「倫理原則が」にした。
*「終末期の患者本人が」を「本人が」に戻した。
■言及
◆立岩 真也 2009/06/25
「『良い死』」
(医療と社会ブックガイド・95),『看護教育』49-5(2009-5):-(医学書院),
UP:20090211 REV:20090401
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