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資料

立岩 真也 2009/02/14 第8回近畿介護支援専門員研究大会和歌山大会
https://apollon.nta.co.jp/kinki-kaigo_09 14:45〜17:15
於:紀南文化会館 和歌山県田辺市新屋敷町1番地 http://www.kinanbunkakaikan.jp/,


■立岩 真也 2008/01/15 「自立支援」,加藤尚武他編『応用倫理学事典』,丸善

 【3つの自立】障害者運動の展開を受けて社会福祉学が整理したところでは、自立に少なくとも3つの意味があるとされる。複数の意味をもつこの言葉が、そのいずれを意味するのかがよくわからないように、あるいは複数の意味を同時にもつ曖昧な語として使われていることの意味が重要である。
 まず、自立は安定した職業に就くこと、経済的に他人に依存せずに暮らすこととして、すなわち「職業自立」「経済的自立」としてある。そして、公的扶助や福祉サービスの目標は、この意味での自立が達成され、社会的支援自体が不要になることとされる。例えば生活保護の目的は「自立助長」にあると言われる。この時、この語は古典的な意味での「自助」(self-help) と互換的である。この意味の自立・自助自体に第一次的な価値を付与し、他をそれに従属させることがなされてきた。近代とその時代の社会事業の底流にそれは存在し続けてきた。
 次に自立とは「身辺自立」、「日常生活動作」の自立(「ADL自立」)を意味する。日常語としてのリハビリテーションで目指されるのがこれである。それは職業自立の前提ともされるが、経済的自立はもはや不可能だが日常生活動作において自立できる範囲があるとされる時もある。この場合にはしばしば、日常生活動作における自立が経済的自立の不可能を代補する価値とされることになる。
 これらの自立が他に優先する目標とされる時、そのいずれもが容易でない人は自立困難な人とされ、社会的支援の外側に置かれることにもなる。これらのいずれでもない自立が、1970年代に始まる障害者の「自立生活運動」で主張される。それは自己決定権の行使として一般に捉えられる。すなわち、介助など種々の手助けが必要であればそれを利用しながら、自らの人生や生活のあり方を自らによって決定し、自らが望む生活目標や生活様式を選択して生きることを自立とする。
 ただ、事実に即するなら、「自立生活」とは、親元や施設から離れ、ひとまずは一人で暮らすこと自体を指した。そのために「自立生活センター」を設立し、「自立生活プログラム」を提供し、生活を実際に可能にする介助・介護システムの確立を目指した。それを自己決定する生活への移行と言うことはできる。しかし、彼らが具体的な生活の仕方をもって自立(生活)と呼び、自己決定、自律(autonomy)、(としての自立)を最初の唯一の原則とすることに必ずしも同意しなかったことは示唆的である。従属と保護から逃れて暮らすことと、自己決定を達成すべき目標とする生活を送ること、この微妙な差異は重要である。彼らはその意義を積極的に規定せず、「正しい」生活を示そうとはしない。普通の状態を普通に実現することをあくまで要求し、同時に、普通が普通とされないことの意味を問うた。たいていの生活に確たる目標などないことを脇におき、ことが「福祉」となると、好ましく正しい状態として例えば「自立」を語ってしまうことの奇妙さの自覚がここにはある。その運動は、施設を増やすのが福祉であり、家族による保護を基本的に望ましいものとする社会にあって、それと異なることを実現しようとした点で画期的だったが、もう一つ受け取るべきは、自立だの自己決定だのをなにかたいそうなものにまつりあげないその姿勢の意味である。
 【自立支援?】このような経路を経て、自立は当の本人たちにおいても、看板として使われる肯定的な語になった。ただ、社会全般が、この3つを経て、一つ目と二つ目の重みを軽くし、三つ目についても大切にしつつ一定の距離を置くようになった、わけではまったくなかった。
 まず、高齢者の「自立支援」とは、さすがに職に就くことは求められないとして、つまりは身辺自立であり、早期リハビリテーションであり、介護予防であり、筋力トレーニングである。機能回復のない障害と異なって、脳血管障害等の場合に早期のリハビリテーションが有効なことはたしかにある。それにしても、自分の身体をなおして使えるようにすることと別の方法を用いることの損得を、本人において、きちんと測るべきだという提起はここで踏まえられているだろうか。
 そして依然として自立の主流は第一の意味での自立であり、むしろこの自立の強調は強まりもする。福祉国家を批判しそれを超えると称する主張の中で、福祉政策を切り詰め「自己責任」の原則を採ることで、福祉政策によって衰退しつつある自立・自助の精神を再建し、財政危機を解消し経済を活性化できるなどと語られる時にも、同じ意味で自立の語は用いられている。若年者、公的扶助の受給者に対する「自立支援」とは、まず、その人たちを職に就かせることを目指す行いである。むろん、現場では、政治的・財政的な目論見によってではなく、支援者の使命感や善意から、その支援は行なわれているのではあろうし、少なからず効果のあることもたしかにあろう。しかし、障害が関係する場合とそうではない場合と事情に違いはあるとしても、そんな支援をされたところで仕事はやはりない、すくなくともよい仕事がない場合がある。そしてその場合の「責任」はやはり、そして目に見える障害がある場合よりさらに、自らが負わされることになる。
 そして「障害者自立支援法」(2006年施行)である。当人たちに肯定的な語となった語を冠しているが、それは同時に、第一・第二の、より普通に受けのよい意味での自立をも指しているだろう。しかし、つまりは財政的な要請に発して作られたこの法は、すべての意味での自立をむしろ妨げることになると、多くの人に受け止められた。どんな生活が、そのための支援が、基本的に求められるのかを確認しと、なぜそれが困難なこととされてしまうのかを見定め、困難(とされるもの)を排することが、まっとうな自立支援であるはずである。

■白石 嘉治・立岩 真也 2006/12/01 「自立のために」,『現代思想』34-14(2006-12):34-57

 「「障害者自立支援法」という名前の法律になっていますけど、さまざまに心地わるいところがあります。あとで言うように今起こっていることは単純なんですが、自立って言葉を説明しだすと長くなります。
 自立 independence という言葉は、一九八〇〜九〇年代、もっと遡れば七〇年代から、運動のスローガンとしてありました。教科書的に言うと、それ以前、稼げて一人前という自立があり(経済的・職業的自立)、次に稼げなくても身の回りのことができるようになって一人前という自立があり(身辺自立・日常生活動作=ADLの自立)、そのいずれでもないものとして、自分の暮らしを自分で決めて他人の手を借りてやっていくという自立が出てきたということになっています。
 「自立生活運動」とか言われる時の自立はこっちです。これはよいです。最初の二つに比べるとよほどよい。けれど、自立・自律・独立をどの程度のものと見積もるかという問題は残る。そんなことがあって、その「自立生活」のことを書いた私たちの本(『生の技法』、安積純子他、藤原書店)では「自立」という言葉は題に使ってないんです。「家と施設を出て暮らす障害者の社会学」が副題です。その方が現実に即していたとも思っています。つまりその人たちにとって「自立」って、家出して、施設からも逃げてきて、とにかく暮らすっていうもので、施設ではない、親がかりではない、というふうに、消極的に規定されるもので、それが重要なところだったと思っています。生きるための技は様々ありますが、生自体はなにかに規定されるようなものではないということです。この辺りについては『弱くある自由へ』(青土社)所収のいくつかの文章にも書きました。
 ただ、自己決定としての自立、というのはとりあえず通りがよいし、もっともでもある。さらに、それ以前の、相対化され批判されもした、金を稼ぐ、機能を回復・獲得するという意味での自立と実際にはないまぜになって、なんかよい意味の言葉として流通し続けるわけです。ですからそれが法律の名前にかぶっているということは、不思議ではないといえば不思議ではない。
 ただ、このたびの法が、強い反対に会いつつ、提案され通されたのは、非常に単純にお金絡みの事情からです。稼いで一人前、という「古い」自立に戻っているという捉え方もあるかもしれないけれども、まともに就労を支援しようということもない。曖昧によいものとされる「自立」という語がとにかく冠してあるということでしかないと思います。
 そしてこれは、二〇〜三〇年やってきた運動の、ポジティブな結果に対する反動という部分があると思うんです。七〇年代から九〇年代にかけて、いろんなところでいろんなものを、「取れるものは取ろう」という形でゲリラ的に獲得し、それがだんだん広がり、量的にも拡大していった。それに対して枠をかけて基準を作って、総枠としてお金のかけ方を減らしましょうという、言ってみればただそれだけの動きであるという気がするんですよね。今まであった様々なサービスに対して一定の自己負担を求めるというような形で、お金の増え方を抑制しましょうという。
 今出ている流れというのはそれだけだし、そしてそれだけになかなかしんどいということだと思います。一本しか筋がない中で、そこをどのように抜けるか。かなりしんどい状況にはなっていると思うんですよ。
 だから、七〇年代八〇年代というのは、いろいろなものが足りなくて、僕の知っている人たちはみんな苦労をして大変だったんだけれども、やっていることに間違いはないし、それをどんどん広げていこうとしていた。それは中央官庁から見れば、なんだかよくわからない動きでもあって、いろんなところから五月雨式に出てきて、それが広がっていくという、ある意味では幸せな時代というか、自分たちが動いた分だけ、今日より明日が少しはまともになるということだったと思います。この地域ではここまで進んだから、他の地域ではまだ進んでいなければ、交渉のやり方を教えに行って、その通りにやると今までなかったものができて、というようなことが全国にだんだんと起こっていった。その意味では明るいというか、ポジティブというか、そういう動きだったと思います。
 それが部分的にかなりいいところまで行ったんですよ。介助・介護の制度について、結果として獲得された水準は、福祉の先進国とされる国も含め他の多くの国々よりまともなものです。これは確認しておく必要がある。それゆえに、それだけが理由でないとしても、例えばALS(筋萎縮性側索硬化症)といった重い障害の人が死なずにすむ割合が他の国に比べたら高いんです。いいところまで行ったために、それに対して枠をはめましょうというのが、医療を含めた福祉サービスで起こっている。そういう意味では非常に古典的な、金をかけるのが嫌な領域にかかる金をどうやって減らすかという時に、野蛮な、利用料をとるであるとか、誰でも考えつくような策を弄して、それに自立支援法という名前を冠しているということなんじゃないかなと思っているんですけれどもね。」(立岩の発言部分)

■立岩 真也 1999/05/15 「自立」,『福祉社会事典』,弘文堂

 自分に関わることを自分で決めること。思想史的な説明としては、19世紀後半、宗教的、政治的干渉を否定して個人の自由を主張したJ.S.ミル等の論から紹介が始められることが多い。社会の中で自らの存在と決定を認められてこなかった人々の権利としてこれが強く主張されるようになり、スローガンとして使用されるようになるのは第二次世界大戦以後である。医療の領域では、大戦の反省もふまえ医療行為や人体実験について本人の同意が必須とされるようになり、さらに医療の消費者運動としてこれが主張されるようになる。日本では、法学説としては1960年代、判例が1970年代以降見られるが、利用者の運動の中に自己決定の語が大きな位置を占めるのはそれより後になる。社会福祉の領域でも、クライエントが自分の判断で自らの方針を決めるというケースワーク上の原則としては以前からあったが、決定の主体たるべき人々自身が主張し出すのは1970年代、言葉として多用され出すのは1980年代に入ってからになる。社会運動の領域においては、女性の運動、例えば1970年代、1980年代の優生保護法改定への反対運動で自己決定を一つの中心に据えたのが、日本では先駆的だった。こうしてこの語は次第に様々な主張の中核に入ってきたのだが、同時に、何を自らが決定できる自らに関わることとするのか、自己決定を主張総体のどこに位置づけるのかといった問いも繰り返し問われ、議論はまだ終わっていない。

■立岩 真也 2003/01/20 「自己決定」,石塚正英・柴田隆行編『哲学・思想翻訳語辞典』,論創社,p.120

 自己決定(英)self-determination, autonomy
 単一の原語があり単一の経路を通って日本語として定着したとは考えにくい。この語は、輸入されたというより必然的に採用され、同時に、特に欧米の思想上の規定、近代社会の構成原理としての位置づけが懐疑されている語である。
 【原語の意味】「自律」autonomy, Autonomie のカント等における意味、J.S.ミルの『自由論』における記述(「自由」の語の他、彼は「独立」independence、自分の身体と精神「に対して主権者である」sovereign overといった表現を用いている)等については既に多く論じられている。近代社会での人間のあり方の基本にある原理とされ、例えば英米のバイオエシックスの議論でも(patient) autonomyは中心的な概念であり、多くは「自律」と訳される。同時に、その社会にあってそれが獲得されない部分にこの言葉は現われる。社会の中で自らの存在と決定を認められてこなかった人々の権利として主張されるのである。このことは、近代社会とこの概念とを直線的に結びつけるべきでないことも示している。self-determinationの語はそれほど頻用されないが、まず「民族自決権」と訳されるright of peoples to self-determinationの語が特に第二次世界大戦後の非植民地化を唱導する語として用いられた。他に、1991年に米国で制定されたThe Patient Self-Determination Act等にこの語は見える。
 【翻訳語の意味】医事法学の先駆者・第一人者である唄孝一の1965年の論文(「治療行為における患者の承諾と医師の説明」『契約法大系』補巻、1965年2月、有斐閣→唄『医事法学への歩み』、1970年3月、岩波書店、第1章「医事法の底にあるもの」に再録)の中で、医療行為についての患者のpersonale Selbstbestimmungの訳語として「個人の自己決定権」が使われている。松田道雄の1969年の文章の中には「生き方について、とやかく人から指図してもらいたくない、自分のことは自分できめるというのを、法律のことばで自己決定権というのだそうです」(「基本的人権と医学」『世界』1969年7月号)という文言が見当たる。この原則は法学や判例の中で次第に定着していく。日本語としてわかりやすくもあったのだろう、言葉としてもよく使われるようになる。同時期、米国等では患者の権利のための運動が盛んになり、そこで主張されたpatient autonomyが「患者の自己決定権」と訳されたのだともされるが、この経路だけがあったのではないようだ。
 また社会福祉の領域では以前から、クライエントが自分の判断で自らの方針を決めるというケースワーク上の原則として自己決定self-determinationの原則は唱えられていた。ただ、サービス提供者側の倫理原則としてではなく生活する自らのあり方に関わる原則として、とくに障害者の社会運動の中で、決定の主体たるべき人々自身によって主張され出すのは、内容としては1970年代、言葉として多用されるのは1980年代に入ってからになる。また女性の運動でも、例えば1970年代、1980年代の優生保護法改定に対する反対運動で「産む産まないは女が決める」といったスローガンが掲げられるのだが、少なくとも当初、「自己決定(権)」という語自体は見えない。この熟語は少し遅れてやってきて定着する。そして、これらの主張・運動はみな、ある程度相互に独立に世界の各地でほぼ同時に起こっていて、その意味でもこの語を翻訳語とのみ解せるかどうか微妙である。
 そしてこの語の日本における位置について注意すべきは、この言葉が旗印として掲げられるのと同時に、時には旗印として掲げ強く主張するその同じ人によって、ためらいや懐疑が表明されていることである。それは、基本的には、自ら決定すること、自らを自らで律すること、律することができることを第一の価値としてよいのかという、カント的な自律概念に投げかけられる問いかけである。具体的な問いとしては、例えば、「死の自己決定」と言って言えなくはない「安楽死」はそのまま肯定されるべきものなのか、自己決定能力が十分でない人の位置はどうなるのか、等。

■立岩 真也 2006/12/15 「自己決定」,『現代倫理学事典』,弘文堂

 自らに固有に関わることを自分で決めること。むろん、これだけで権利の範囲が決まるかといった問題と込みになってこの言葉はある。そのことを確認するためにもこの語の使用歴を概観する。
  「民族自決権」と訳されるright of peoples to self-determinationの語は特に第二次世界大戦後の非植民地化を唱導する語として用いられた。また社会福祉の領域では以前から、クライエントが自分の判断で自らの方針を決めるというケースワーク上の原則として自己決定self-determinationの原則は唱えられていた。他に、1991年に米国で制定されたThe Patient Self-Determination Act等にこの語は見える。ただ英語でself-determinationの語はそれほど使われない。むしろ、多く「自律」と訳されるautonomyが自己決定に対応する語として頻用される。例えば英米のバイオエシックスの議論でも(patient) autonomyは中心的な概念とされる。思想史的な説明としては、19世紀後半、宗教的、政治的干渉を否定して個人の自由を主張したJ.S.ミルの『自由論』から紹介が始められることが多いが、自律はさらに遡り、近代社会での人間・社会のあり方の基本にある原理である。
 同時に、この社会の中で自らの存在と決定を認められてこなかった人々の権利としてそれは主張される。医療の領域では、人体実験への批判の中で、また医療の消費者運動から、これが主張されるようになる。そこで主張されたpatient autonomyが「患者の自己決定権」と訳されたのだともされるが、この経路だけがあったのではないようだ。これらの主張・運動はみな、ある程度相互に独立に、世界の各地でほぼ同時に起こっている。日本では、法学説としては1960年代、判例が1970年代以降見られるが、利用者の運動の中に自己決定の語が大きな位置を占めるのはそれより後になる。女性の運動、例えば1970年代、1980年代の優生保護法改定への反対運動で「産む産まないは女が決める」といったスローガンが掲げられる。ここでは少なくとも当初、自己決定(権)という語自体は見えない。この熟語は少し遅れてやってきて定着する。サービス提供者側の倫理原則としてではなく、生活する自らのあり方に関わる原則として決定の主体たるべき人々自身が主張し出すのは1970年代、言葉として多用され出すのは1980年代に入ってからになる。この語は、翻訳語というより日本語としてわかりやすくもあったのだろう、よく使われるようになり、様々な主張の中に入ってきた。
 こうして、近代のまったく正統的な主張でありながら、二〇世紀の後半になって、それは、新しく、周辺から言われたことでもある。まず、このことをどう理解するかが大切である。
 これまで取り残され、決定することが認められていなかったから主張される。その理由は幾つかあるが、一つには、自分の持ち分で買えるだけが決められる分だという規則・価値のもとで、決めることができなかった人たちが主張し出したということである。とすれば、その権利はいわゆる自由権にとどまるものでないことが確認されるべきである。つまり、決めるためには、決めたことを実現するには資源がいる、それを得る権利があると言われているのである。とすれば、この限りでは社会権、生存権と呼ばれる系列に属する権利でもある。
 もう一つ、この語の、とくに日本での議論について注目すべきは、この言葉が旗印として掲げられるのと同時に、時には旗印として掲げ強く主張するその同じ人によって、ためらいや懐疑が表明されていることである。何を自らが決定できる自らに関わることとするのか、自己決定を主張総体のどこに位置づけるのかといった、まったく倫理的な問いが繰り返し問われてきた。
 それは、一つに、自ら決定すること、自らを自らで律すること、律することができることを第一の価値としてよいのかという問いかけである。律することができること、あるいは身体は動かせなくとも、知的に統御することができることを一番目に置いてよいのかが問われ、それを否定する主張があった。
 また一つに、何が自分が決める範囲であるのかである。生まれる子のあり方を決めることはどうか。普通に考えれば自分のことを決めているとは言えないはずだ。しかしそのような場面でもこの言葉が用いられる。それは間違っていないか。そしてそのことと生殖に関わる女性の決定権とはどう関係するのかといった問題系がある。
 さらに一つ、たしかにあることがその人固有のことであるとして、そのことについていつもその人の言うとおりに決めることを認めてよいかという問題がある。この社会での暮らし方を決められない人たちの主張というより、その社会の中での「尊厳」を維持し保守するために、自らの生命を終わらせる決定、「死の自己決定」としての「安楽死」はそのまま肯定されるべきなのか。このような問題群がこの語を巡ってある。

■立岩 真也 2008/01/15 「自己決定」,『応用倫理学事典』,丸善

 英語でself-determinationの語はそれほど使われず、多く「自律」と訳されるautonomyが頻用される。それは、A:近代社会の人間のあり方の基本にある原理である。だが同時に、B:この社会の中で自らの存在と決定を認められてこなかった人々の権利として、新たに主張された。日本で、医療や福祉の提供者側の倫理原則としてではなく、生活する自らのあり方に関わる原則として主張され出すのは1970年代、言葉として多用され出すのは1980年代に入ってからになる。そしてこの語は、翻訳語というより日本語としてわかりやすくもあったのだろう、よく使われるようになり、様々な主張の中に入ってきた。
 【二つの自己決定】こうして、自己決定は近代の正統の主張でありながら、20世紀の後半になって、あらためて強く、社会で周辺化された部分から主張された。このことからもうかがわれるが、この言葉は単一のものを指していない。
  自己決定とは、自らに固有に関わることを自分で決めること、ということになろう。だが、これだけで権利の範囲が決まるか、何が自分が決める範囲なのかといった問題がむろんここにはある。この問いは社会規範の総体を問うことに近い。その中で、それがどのように実現されてよいのかという問いにも関わる一つの論点を確認する。Bは、自力でできる分が自分で決められる分だという規則・価値のもとでは決めることができなかった人たちが主張し出した。とすれば、その権利はいわゆる自由権にとどまるものでない。つまり、決めるため、そして決めたことを実現するには、資源がいる、それを得る権利があると言われているのである。とすれば、Bにおける自己決定の権利は、社会権、生存権と呼ばれる系列に属する権利でもある。このことを認めるか認めないかで、この権利が近代的な所有権の系列に属する(A)のか、それを超えたものであるか、違ってくる。
 次に、なぜそれは大切なのか。一つに、自分のことを決められること、自分の生き方を自らが統御できることこそが人の人である価値であるという考え方がある。これが近代の正統的な把握である(A)。それは、未だ/既に/常に決められない人を正規の人の範疇から除外することにもなる。また、その人たちについての正規の人たちによる決定は当然のことともされる。例えば生まれる子のあり方を親が決めることは自分のことを決めているとは当然言えないのだが、しかしそんな場面でもこの言葉が用いられてしまうのには、このことが関わっている。
 それとは別の位置づけもある。とくに日本での議論について注目すべきは、この言葉が新しく現れた時(B)、それが旗印として掲げられたと同時に、時には旗印として掲げ強く主張するその同じ人によって、ためらいや懐疑が表明されていることである。自己決定は強く主張されるが、同時にそれは人が生きて暮らすことの一部として主張される。また、生きて暮らすための有効な手段として主張される。つまり、多くの場合、自分にとってよいことは他人より自分の方が知っている。他方、他人に委ねるなら他人の都合で決められてしまう。だから自分で決めようというのである。ここでは、決定・決定能力は、人の価値を規定するために人より上位にあるものでなく、人の存在の価値の一部に位置づけられる。
 そして、AとBの二者の差異は、たしかにあることがその人固有のことであるとして、そのことについていつもその人の言うとおりに決めることをそのままに受け入れてよいかという問題、パターナリズムを巡る問題に別の答を示すことになる。前者であれば、それをそのままに受け入れるものとされる。もちろんそこでも、決定に関わる、あるいは決定そのものに内在する社会状況・社会的価値を不問にできるのかという疑問は示されるのだが、その答は、状況に左右されない純粋に個人的な決定という現実にはまず存在しない決定をあるとするか、あるいは、どんな決定でもその人の決定だから認めるとするか、いずれかになる。
 他方、この社会での暮らし方を決められないことに抗議して自己決定を主張した人たち(B)は、例えば、「死の自己決定」としての「安楽死」をそのままに認めることを躊躇した、あるいは否定した。これを主張の一貫性のなさと捉えるか、逆に見るかである。一貫している、と解することができる。その人たちは、自己統御を優位に置き、さらに能動的な生産者であることを優位に置く社会において、そして、そこから外れる人たちが現実の資源の配分においても不利な位置に置かれる中で、その社会の中で「尊厳」を維持し保守するために死のうとする決定、また自らの生き難さや身近な者たちの負担を思ってなされる決定を受け入れることはできないと考えた。なぜなら、その決定は、自己決定が尊重されるべきその根拠であるその自己の存在を毀損する社会の価値と現実の中でなされる、その存在を毀損することになってしまう決定であるからである。
 【現在のために】こうして、ただ自己決定を言えばなにごとかに片が付くわけではない。この言葉自体が争点を形成している。そしてこの認識は現在ではより重要である。というのも、この言葉が次第に一般化しどこでも使われるようになる中で、それは、生き難い人が生き易くあろうとして使う言葉であるより、自分でなくこれから現われる他人のことを決めることを正当化する言葉として使われたり、この社会にいるゆえに自らの存在を否定することを、社会がそのままに受け入れ、負担を回避することに痛痒を感じなくさせる言葉として広く流通するようになっているからである。自己決定を大切なものとして主張してきた人たちが、同じ言葉によって、かえって自らが簒奪されてしまっているように感じている。そのことの意味を踏まえることが、この言葉を使う時、必要である。

■立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. \2940

第1章 私の死
1 私のことである、しかし
 1 論を積んでみることについて
 2 決めることが大切であること
 3 至上のものではないこと
 4 そのまま受け入れないことを言う不正確な言い方
 5 受け入れられないことがある理由
2 困難
 1 介入という危険
 2 より大きな困難
 3 再び選択について
3 他を害さない私のことか
 1 いくらか内在して考えてみる
 2 自分のために自分を決めているという説について
 3 他を害してはいないという説について


UP:20090211 REV:
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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