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あらゆる生を否定しない立場とは b

立岩 真也 2009/12/15 石谷編[2009:18-28]


 *題はつけられた題
 *2008/09/07 日本臨床死生学会大会(於:札幌)シンポジウムの記録
  http://jsct.umin.ac.jp/,
 *編集の方で私の原稿に手を入れたため、以下は、実際に掲載されたものと少し異なります。

◆石谷 邦彦 編/日本臨床心理学会 監修 20091215 『安楽死問題と臨床倫理――日本の医療文化よりみる安らかな生と死の選択』,青海社,152p. ISBN-10: 4902249456 ISBN-13: 978-4902249453 2520 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-t. d01.

関わりの始まり

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)のことについて話すようにという指示ですので、すこし話させていだきたます。他方、この学会の名にある死生のことあるいは生死のこと、その決定のことについては、拙著『良い死』『唯の生』(いずれも筑摩書房)に書きましたので、ご覧いただければと思います。ただ実際には、こうした所謂難病と、死、死の決定という主題とは、残念ながらという部分がおおいにありつつ、関係もしています。ですからこの主題でこの学会の大会で話せということであるのかもしれません。
 私は1995年から2002年まで信州大学医療技術短期大学部(現医学部保健学科)に勤めていました。社会学者である私がALSの研究をするようになったきっかけは定かではありません。カナダのスー・ロドリゲスの安楽死をめぐる裁判がNHKで放映されたこともあり、いくらか気にはなっていたのだろうとは思います。そして信州大学の看護学の教員、助手の人たちと小さな研究会をしばらくしていたことがあります。その研究会の後の雑談で、病院の看護に関わっている人から、神経内科の主治医が変わって、呼吸器装着についての方針が変わったという話を聞きました。付ける方向に変わっという話だったのか、逆だったのか、多分付けないことになったという話だったと思います。医師の交代ぐらいで人の生き死にが変わる、それはないだろうと思いました。
 その頃、中信松本病院に、植竹さんという、私と同じ年くらいの医療ソーシャルワーカー(以下、MSW)がいました。その病院にはALSの人が多く入院していましたが、病院ではかなりきびしい状態に置かれていて、植竹さんは何かできないかと考えていました。1999年に金沢でMSWの学会があり、私は講演に呼ばれました。その帰りに植竹さんと話をして、調査を提案されました。まず聞き取り調査から始めようということになりました。参加しようという人が何人か集まってくれました。
 その前年には日本ALS協会の山梨県支部で話をさせてもらうなど、ALSの人たちとの関わりがいくらかはあるようになりました。また、国際高等研究所で「臨床哲学の可能性」という共同研究があって、私は途中から参加したのですが、そこに清水哲郎さんがいらっしゃって、厚労省の特定疾患に関わる研究プロジェクトに入っているから、もしALSの調査をするのだったら予算を使えるように采配できると言ってくださいました。
 ただ、その頃から私は非常に忙しくなってしまい、聞き取り調査をするだけの時間的・身体的な余裕がありませんでした。結局、私はほとんど参加できませんでしたが、植竹さんと社会学・心理学の研究者が聞き取り調査をして、その結果は、植竹日奈他『「人工呼吸器をつけますか?」――ALS・告知・選択』(メディカ出版)という本になっています。他方、私は、聞き取りなどに参加できなかったので、本を読んで、そこから言えることを書こうと思ったのですが、すぐに本の1章という分量では収まらないことがわかって、一人で本を書くことにしました。

本との出合い

 ALSを発症すると、多くの人はかなり早く、身体のほとんどが動かなくなっていきます。ただ、多くの場合、どこかはわずかに動く。すると、手足、あるいは顔の筋肉のわずかな動きを伝えコンピュータを使うなどしてものを書き、本もたくさん出しています。昨今はホームページをつくる人もたくさんいます。
 ALSの人が書いた本は1975年に初めて発行され、以来30数年の間にさまざまな本が出ました。みなさんの書いた本を読んでいくと、病名をどう知らされたのか、あるいは知らされなかったのかといったこと、その時どんなことを思ったのかといったことが書かれています。たとえば『家庭の医学』の類いの本を読むと、3年で死ぬ、などと書いてあります。そういったものを読んでたいへんショックを受けたといったことも書いてあります。。また、この病気は進行が早く、次第に呼吸が困難になるので、呼吸器をつけるか否かについての逡巡や葛藤についても書き残されています。著者の中には、呼吸器をつけて、20何年生きている人も、すでに亡くなった人もいます。私は本人が書いた本から、病気のこと、入院したこと、また在宅に戻ったあとのことを、どのように考えたのかを知ることができました。
 それで私は2004年に『ALS』という本を出してもらいました(医学書院刊)。この本の後半には、死の決定をめぐって、患者さんたちが何を考え、迷って決めてきたのか、そしてそれを受けて私が考えたことをまとめています。「治療の停止」だとか「不開始」といったことが気になっている方々には、さきの二冊といっしょに読んでいただければと思います。

「生存学」

 そして今、その続きの仕事を、大学院で大学院生たちとしています。
 文科省が研究拠点を選定して補助金を出す「グローバルCOE」というものに採択されて、その研究プログラムが昨年から始まっていて、今、私はそのプログラムロジェクトリーダーということになっています。名前は「生存学創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」」と言います。「生存学」という言葉は日本語としても座りが悪いのですが、英語に直しようがありません。それで、結局ラテン語で「ars vivendi」が訳ということになります。「ars」は「技法」、「vivendi」は「生きる」という意味です。
 このプロジェクトを始める前から、さまざまな人たちが私の所属する立命館大学大学院に来るようになりました。病の当事者、障害のある人、医師、看護師、作業療法士、精神保健福祉士などもいます。
 そのなかにALS協会の理事もしている川口さんという人がいます。お母さんがALSで、つい最近亡くなられました。お姉さんをALSで亡くされた60歳を超えて大学院に入ってきた院生もいます。お姉さんは呼吸器をつけずに亡くなられたそうです。呼吸器をつければ生きることはできますが、生き延びればそれが何をもたらすかという問題が出てきます。家族の負担は大きくなります。実のお姉さんのことであっても、その家族に強いことは言えない、しかしそれでよかったのだろうか。そんな思いをもって、その人は大学院に学びにきました。

支援・研究

 2007〜2008年にALSで入院した2人の人と知り合いになりました。2人とも、離婚したりして独身でした。現在、日本ALS協会会長の橋本操さんは基本的に一人暮らしで、使える制度をめいっぱい使って生活しています。ただ彼女には、実際にケアには関わらない家族がいます。家族のケアからだんだん移行して、福祉、医療、看護を使うようになったのです。しかし、私が知り合ったその2人は、スタートから家族のない独り身です。
 彼らは病院にいる時に「呼吸器はどうしますか?」などと聞かれます。昨今は、さすがに呼吸器の存在を知らされないことは少なくなりました。医師も「○○というオプションもあるけれども、どうしますか?」と聞きます。しかし、どうしますかと言われても、どうしようありません。
 ただ、2人のうちの1人は身体の調整と言いますか、そういうことに関わる仕事にしていた人で、舞踏など身体表現をするアーティストの友だちがたくさんいました。その友だちがボランティアという形で関わるようになりました。でもそれには限界がありました。だんだんと状態が重くなっていく人を、ずっとボランティアで支えていくことはできません。ただ、その人たちにヘルパーの登録をしてもらえば、仕事としてそれをしてもらうことができます。そのことはさきに紹介した私の本にも書いてあります。また、さきに紹介した院生の川口さんは、東京で実際に制度を使いこなし、自分たちで事業所を立ち上げるなどして介護・介助を提供しています。そんなこんなの、こちらが知っていることをお知らせするといったことがありました。
 そして、障害者自立支援法や生活保護の制度をどこまで使えるか、京都市の担当の部署に聞きに行ったりもしました。お伺いというより、お願い、交渉に行ったといってもよいでしょう。その時点で、京都市は、在宅介護、特に医療的ケアが関わる支援はあまり進んでいませんでした。ただこれは、自治体が理解して、やる気になければ変わります。実際、ずいぶん変わりました。介護派遣の時間数が増えたのです。それで支援を受けながら自立して生きていくことができるようになったのです。
 今、その人はいろいろな人からの支援を受けています。最初ボランティアとして関わってきたアーティストの友人も、医療的ケアの講習を受けて、有償の介護者として彼に関わっています。彼には友人がたくさんいたことがラッキーでした。今彼に大きく関わっている一人は、大阪大学の臨床哲学にも関係している、アーティストのプロデュースをする志賀玲子さんです。
 もう1人の男性は、六〇歳ぐらい、最後の仕事が運転手の仕事で、手伝ってくれるといった人たちはいませんでした。もちろんそういう人の方が普通なのです。そしてALSだと診断されて、呼吸器は付けないという事前指示をしたことになっていましたが、生き続けたくはあって、途方にくれていました。その人にデイケアの場でたまたま関わった看護師がこちらの大学院生でもあって、それで、他の幾人かの院生も加わって、支援と言いますか、関わりが始まることになりました。前の年の最初の一人暮らしの人が制度を獲得してくれていましたら、その後を追うことができました。その人の在宅への移行をすこし手伝ったという経験もありました。院生や学生がアルバイトとして介護に関わることになりました。こちらの幾人かの大学院生も、医療的ケアの講習を受け、痰の吸引の仕方を覚え、実際に夜間の介護に関わったりしながら、在宅への移行あるいは在宅での生活、それを取り巻く制度的な諸問題、医療、福祉、看護といった専門職の連携の現状、問題点を調査し、学会で発表するなどしています。最近では日本難病看護学会、保健医療社会学会、地域福祉学会などで報告しています。

制度を知らない専門職

 こうして、使える社会資源はまったくないわけではありません。ただ、あることを知らない、それも知っておくべき人が知らないのです。
 私は、さきに紹介した人が入院した病院の倫理委員会の委員を務めています。ですからすこし知っているのですが、熱心で良心的な病院だと思います。そこのMSWも熱心な方だったと思います。ただ、制度のことなどについてはあまり詳しくありませんでした。また、在宅での生活や生活への移行には介護保険のケアマネジャーも関わりました。私は直接お会いしたことはないのですが、やはり熱心な人なのでしょう。しかし、やはりALSの人が使える制度のことはあまり御存知でないようでした。
 介護保険の場合は、現在その対象者のほとんどは高齢者です。そして在宅の人の多くは、他に家族がいて、家族の介護の足りない部分を介護保険を使っていくというかたちです。ケアマネジャーなどはそういう大多数の人たちに対する定型化された仕事についての知識はもっていますが、例えば障害者自立支援法という複雑で今も変わり続けている制度についてはほとんど知りませんでした。この人たちは責任感はもっているのです。自分は無知でこの仕事はできないから、他の人にあたってくださいと言ってくれればまだよかったのですが、抱え込んでしまったのです。
 それは責任感や専門職としての自負からかもしれません。ただそれは、結果として、事態を非常に複雑にする、あるいは事態の進行を遅らせることになりました。支援に関わることになった人が、本人とMSWやケアマネジャーの間に入り、実際に存在する制度をなんとかうまく使えるように、いろいろと調整することになりました。MSWやケアマネジャーを怒らせないように、しなくてもよい気遣いを経験することにもなりました。

中立はよいことなのか?

 現実はそんなものです。生き死にを決めるとか決めないとかいうことの手前に様々なことが起こってしまいます。しかしそんな中で決めなさいと言われるのです。
 考えてみると、死は自ら決定できるのかという疑問が出てきます。私は、基本的には、その決定を認めないという立場ではありません。しかし、自ら決定できるとするのであれば、大きく制約すべきことはあるとも考えています。これは理論的な課題として、考え詰められるべきテーマだと思います。
 私は社会学をやっているのですが、哲学や倫理学という、考えることの本家本元であるはずの学問が、まだ考えることがあるのに考えるのをやめてしまっているのではないかという不満を私はもっています。これらの学問は何度でも立ち返らなければいけない大切なものです。それを立ち返らずに、もうわかっていることなのだから、必要なのは手続き論であるとして、事態が、ある意味で、前向きに動いていくこと流れていくことに、私はいささかの懸念を抱いています。もっと考え詰めるべきことだと思うのです。
 ALSに関わった体験談をこれまで述べてきましたが、そのなかで思うことをいくつか述べたいと思います。
 まず、現在は、あらゆる情報を秘匿し、知らされるべき人が知らされないまま亡くなるのを待つというご時世ではないということになっています。その代わりに、情報を提供し、現に存在すると彼らが思っている(ときにそれが間違っていることがあるのですが)社会資源を提示し、「現実はこうだけれども、あなたはどちらにしますか?」という対応がなされています。それが態度として正しいのかを考える必要があります。
 結論を言えば、私はそれは正しくないと考えています。日常で、「あなたは死にたいのか? 生きたいのか?」と人に聞くことがあるでしょうか。あるいはそれは正しいことだと言えるでしょうか。私は言えるとは思いません。
 ある人の生を支えるための仕事をしている人なら、その仕事を私はしますと言う。また私のようになにも手伝いしない人も、手伝いはできないけれども、そうしたほうがよいと思えばそのことを言う。それらのことによって、多くの人たちが今まで生きてきたのはたしかな事実だと思います。その時に、専門職は、自分は中立だと称して十分な情報を提供することに自らを限定するべきではないと私は考えます。

現場と学問の連携の具現化

 あるいは、たとえば「たんなる延命」という言葉があります。しかし「たんなる延命」とはいったいなんでしょうか。「延命」はわかるとしても、「たんなる」というのは何を指しているのか。もうなおらない、生きているだけ、ということでしょうか。しかし、例えば障害は、普通なおりません。すると障害者は、生きているだけで、「延命措置」をしなくてよいということになるでしょうか。ならないはずです。では「たんなる」は何を指しているのか。そういう、臨床の場で使われメディアで使われ、多くの人もなんだか知っているような気になってる言葉、そしてわかるようでわからない言葉がたくさんあります。それを点検し、考える。学問とはそういうことをするものだと思います。そのことをさきに申し上げました。死生学というものも、臨床死生学というものも、本来はそういうものだと思います。
 しかし、そんな悠長なことをしている間にも時間は過ぎていきます。そのときどきに、さしあたりということであっても、するべきことは、せざるをえないことも多々あります。研究者はたいしたことはできませんが、それでもできることもあります。私が知り合った中信松本病院のMSWは、病院の内にいるからわかることも、内にいるから伝えられないこともあると言っていました。反対に、外にいるから知らないことも、外にいるからこそ公にできたり提起できることもあります。だから内外の人がうまく連携し一緒に仕事をしていけば、そこにはいろいろな可能性が生まれると思います。「現場と学問の連携」とは、口では誰もが言えます。しかし、さまざまな手立てを使ってそれを具体化していかなければならないのです。

無知についての無知を認める

 今、学問と現場のことを述べましたが、現場の人はよく「私は知っている」とおっしゃいます。でも、難病の人の在宅移行や在宅の生活、その他さまざまなことに関して自分は知らないということを、多くの人はわかっていません。無知について無知なのです。「医療、福祉、看護の連携」は正しいスローガンには違いありません。しかし連携はしているのかもしれないけれど、その各々が知らないことが多いのです。だから少なくとも、自分は知らないという事実は認めてほしいと思います。そのうえで自分自身が勉強するか、あるいはできなければ別の人にお願いすることまではしてほしいのです。たとえば、自分は介護保険のことは知っているけれども、それ以外のことはわからないから詳しい人につなぐというようにです。けっして現場の人を責めているわけではありません。しかし、よくやっている人が、知らないがゆえに困難な事態を生じさせているのです。
 生きたい人たちはたくさんいます。その生きたいという人を支えることは難しくはありますが、それでも使える制度などはあります。その仕組みが作り出されるまでに30、40年の歴史がありました。その歴史を調べることが私の20歳代後半の1つの仕事でした。これまでさまざまな人たちの活動や貢献があったから、現在の日本は、難病者を含めて重度障害者がなんとか生きていける国になったのです。そうしてまがりなりにもの今があること、今は難しい地域でもなんとかならないではないこと、そうしたことを知らずに、「こちらでは何もできません、そのことが前提になりますが、あとはあなたが決めてください」と言うのはよくない。それは確実によくない、そのことははっきりしていると思います。
 哲学・倫理学の主題として考えるべきことはすこしもなくなっていません。そして経済・社会について厳しいことばかりが言われます。私はその類の話を信用していませんし、その理由は最初に紹介した『良い死』『唯の生』に書きましたが、それは私の考えです。社会科学がなすべきことも多々あります。そして、これまで生きてきた人の歴史があり、その人たちを取り巻く人たちの歴史があり、現在があります。それらももっと知られてよいことです。臨床の現場が大切であることはもちろん疑いのないことですが、しかしその場に従来の所謂死生学で語られてこなかった様々がありますし、その場の外側にさらに様々があります。今日のお話は、その一端をお伝えすることでもあったのかもしれません。
◆石谷 邦彦 編/日本臨床死生学会 監修 20091215 『安楽死問題と臨床倫理――日本の医療文化よりみる安らかな生と死の選択』,青海社,152p. ISBN-10: 4902249456 ISBN-13: 978-4902249453 2520 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-t. d01.

『良い死』   唯の生

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2015 『死生の語り・2』(仮),文献表


UP:20100101 REV:20100221, 20150202
安楽死/尊厳死  ◇安楽死/尊厳死 2009  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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