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「反」はどこに行ったのか

立岩 真也 2009/10/30
『環』 39(Autumm 2009):(特集・「医」とは何か)
http://www.fujiwara-shoten.co.jp


 *『環』39(Autumm 2009):138-142(特集・「医」とは何か)掲載用原稿。『環』、お買い求め下さい。

  医療がだんだんと進歩し発展していく、それはよいことだという普通の理解・評価に対して、「脱」とか「反」といった言葉を冠して何ごとかを言おう、そして行なおうという流れがあった。あまり流行らなくもなったのだが、その経緯も含めて、調べたり考えたりすることがあってよいと思う。私は、たしかにいくらか単純すぎるところもあったそれらに、それでも大切なところもあると思ってきた。そして、そのままに受けとることも、捨ててしまうこともよくないと思った。
  一つにそんな思いもあって、すこし調べたり、いろいろと書いたりしている。それで以下、書いたもの、書いているものを列挙していくような文章になってしまう。御容赦願いたい。

反するかに見えるものがくっついてしまう

  一つ、「近代医学」と別のものが提示され、それがよいものだとされた。それは近代・現代社会への批判であり、また代替案の提示でもあるとされた。そうした流れは続いているようでもあり、同時に、あまり目立たなくもなったように思う。どんな事情があったのか。批判された側は、自らに染みついた発想や固定された枠組みや業界の縄張り意識があるから、他を拒絶しようとするかもしれない。しかし、医療・医学は実践的な術であり知でもある。ようするに効果がある限りは採り入れられる。となれば、次第に、使えるものは使うようになり、組み合わせられるものは組み合わされたりもするだろう。実際そうなった。こうして古今のあるいは東西のよいところを組み合わせてよりよい医療が実現できるといったことになる。実際にそんな具合になっている。それでよいではないかとも思う。
  ではそれで終わりか。近代批判なるものは中和され、その時代に解けていったのか。いや違う、やはり独自のものがあると言われるかもしれない。例えば、一方は局在論であるが、他方は身体を全体として捉えると言われる。そうかもしれない。そして後者がよしとされ、基本的なところから身体を養生していくのがよいとされる。おおむねそうだろうとも思う。しかし同時に、もとからよくすることは常によいのだろうかとも思う。その場しのぎではなぜいけないのかという気持ちがする人もいるかもしれない。また、健康に向かう方法の違いだとしたら、やはり違いより共通性の方が大きいのではないかとも思える。
  となると、いったい何と何が対立し、何が何より、どんなわけでよいのか、整理しておく必要もあるように思える。

「医療化」批判は何を批判したのか

  「反」という要素は人文社会科学にもある。私は社会学をしているが、その社会学の中に医療社会学と呼ばれる領域がある。その中身と態度は一様ではないが、その比較的に大きい一つは、この社会・時代を「医療化」された社会・時代と捉えるものである。そして、明示的にあるいは暗示的に、それに批判的である。それは、さきの「代替案」を出そうという流れに近いところもあるが、医療や、医療によって与えられる「健康」といったもの全般に懐疑的なところもある。身体、生活、生活世界への「介入」という捉え方をする。そして「過剰」を言う。「生−権力」といった言葉もそうした流れの中で用いられた。
  これらも間違っているとは思わない。依然としてそのことを言ってよいと考えている。私自身もそのことを述べてきた。余計なことをされて迷惑を被ったという人たちが私のまわりにもいる。骨形成不全という遺伝性の障害があり、直らないのに直ると言われて、いろいろとされて、すっかり医者嫌いになった安積純子(遊歩)も、藤原書店から一九年前にだしてもらった最初の共著の本『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(一九九〇年、増補改訂版一九九五年)でそのことを述べている。
  すると何が肯定されるのか。「自然(な身体)」だろうか。けれど私は『ALS――不動の身体と息する機械』(医学書院、二〇〇四年)という本を書いてもいる。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の人たちもまた今のところ直るわけではない。しかし、肺を動かす筋肉も弱るその人たちが息をして生きていくためには、人工呼吸器を必要とする。「自然」を肯定すると、「自然な死」が肯定され、人が死ぬ。それはよくないことのように思う。
  するとここでも、何が肯定され否定されることになるのか。病/障害/健康/死/自然/人工の何がどのように肯定、否定されることになるのか。障害のことについては「ないにこしたことはない、か・1」(石川准・倉本智明編『障害学の主張』、明石書店、二〇〇二年)にいくらかを書いた。そして、『良い死』(筑摩書房、二〇〇八年)の第2章として「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」を書いた。「人工/自然」という節があり、「サイボーグは肯定される」といった項もある。

「過剰」と「過少」はどのように配置されているのか

  もちろん技術の全部を否定する人はめったにいない。「ちょうどよい」ぐらいがよいと言うだろう。そして「過剰」という言葉は、そのちょうどよいぐらいを超えているという理解があった時に使われるのだろう。ならどれだけがよいのかという問いもある。その上で、余計なことがたしかにあるだろう。しかし、そんな事態と同時に、「過少」とか「撤退」とか「放棄」といった現実もまた現に存在しているように思われる。そのことも、産科であるとか、小児科であるとか、救急医療であるとか、あるいは医療全般について、言われることもある。その認識も広く存在している。
  ではその「過少」と「過剰」の関係はどうなっているのだろう。余計なこともしており、足りないところもある。これが正解なのだが、ではそれはどのように、またどのような要因が働いて、配置されているのだろう。このことについても考えて言うべきだろう。
  加えて私が思うのは、過剰であるとは捉えられない場面についても、依然としてその言葉が決まり文句として使われているということだ。『良い死』と次の『唯の生』(筑摩書房、二〇〇九年)は、終末期医療と呼ばれる場面に関わる本なのだが、その場面では、今でも「過剰」が言われている。医療者や家族が生かそうと強いる(それで死にたい本人は困っている)というのである。このように言う人々と逆の場面、つまり周囲が死んでもらいたがっている場面をよく見聞きする私と、見ている場所が違うのか、どこが違うのか、不思議でもある。
  そしてまた、当人にとっての「過剰」と、金がかかる(かかり過ぎる)ことの心配とは、すくなくともいったんは別のことだか、重ねて語られる。私はそう深刻になる必要はないと思うのだが、世間はそうなっていない。そこで、『唯の生』第3章「有限でもあるから控えることについて――その時代に起こったこと」でこの社会の推移を追い、『良い死』第3章「犠牲と不足について」で考えたことを述べた。
  こうして、かつて批判の言葉であったものが、全体の流れの中に組み込まれているように思える。つまり、「医療化」を批判していたら、「わかりました、ではいりませんね」ということになってしまう。こんなふうに別の人に揚げ足を取られるというだけでない。社会に批判的でもあるその人自身が、今の社会の流れを追認したり教導したりする場にいてしまっている。だから、もっと先まで言わなければならない。あるいはもっともとのところから考えなければならないと思う。

たんなる病気だと言うことと「社会」を問うこと

  もう一つあったのは、問題を「社会」の中に捉えるという構えだった。それも間違っていないと私は思う。ただ、かつて自閉症について家族関係がその原因とされたことがあったが、それが否定され、脳の機能障害であるとされる。それが家族と本人たちから歓迎されるという現実がある。また、そのことを理解しつつも、それでよいのだろうかと思う人もいる。このことをどのように解すればよいのか。
  「身体の現代」という連載をみすず書房の月刊誌『みすず』でさせてもらっている。この十一月号でもう十五回になる。また長い話になってしまっているが、仕方がない。まず二〇一〇年には一つの本にしてもらう。そこでこのことについて書いている。
  関連して、「反精神医学」といったものがほんの一時期あって、そして後で否定されたことになっている。そしてこれは日本では大学や学会での紛争・闘争と組になっていたところがあった。たしかに「造反組」が、一九七五年にその頭目とされていたデビッド・クーパーとトーマス・サズを呼んで講演させるといったことがあった。それに対して当時糾弾の対象になっていた、しかし当時も元気で、すぐに主流に復帰する、しかも保守派というわけではなく改革を主張する人たちが、精神病はれっきとした病気だと、それを実在しないなどと言っている馬鹿どもがいて、とんでもないと批判する。例えば秋元波留夫(二〇〇七年没)がそう言う。やがて当時の運動は退潮に向かう。そして、薬の効果も以前より高いとされるものが出てくる。やはり脳の病気だということになる。
  また「反」を主張するとして、では代わりに実際に何をするのかとなれば、そう変わったことも思いつかないし、できない。そんなこともあり、造反に関わった人自身が、過去を否定するようなことも言う。例えば小澤勲(二〇〇八年没)がそんなことを語る(小澤編『ケアってなんだろう』、医学書院、二〇〇六年)。ではそれは終わった話なのか。これも違うと私は考える。まず造反派は、少なくとも小澤は、当時も、精神病が幻であるとも、「社会」が直接の病因だとも言っていない(小澤『反精神医学への道標』、めるくまーる社、一九七四年)。そしてその上で、社会を問題にし「体制」を問題にした。それは基本的に正しいと私は考える。そしてその姿勢は、のちの小澤の認知症の人たちに関わる臨床や著作にも引き継がれていると思う。こうしたこともまた調べられ、書かれていない。

現代を辿ろうとすること

  例えばこれらのことごとについて、調べたり考えるのがよいと思う。そしてそれは一人でできる仕事ではない。いま私は文部科学省が資金を提供する研究拠点(グローバルCOE)の一つ「〈生存学〉創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」に関わっている。その研究の一つの柱が「集積と考究」である。例えば精神医学・医療に関わるものだけに限っても、抗精神薬の栄枯盛衰について脱施設化を巡る言説について学会改革・反精神医学騒動について、それぞれ調べている大学院生がいる。その人たちと仕事をしていこうと思う。また、雑誌『生存学』創刊号(生活書院、二〇〇九年)を発刊した。また、『流儀――アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』(生活書院、二〇〇八年)を出版した。アフリカ日本協議会稲場雅紀アフリカの今について、そこでのHIV/エイズのこと等について聞いたインタビューが前半に置かれる。小児科医の山田真に東大医学部闘争以来の様々について聞いたインタビューを後半に置いた。そして山田へのインタビューには、この国の四〇年ほどの医療・障害と社会運動の歴史に関わる長い注をつけた。これらについての情報も、これから公刊されていくだろう研究のための資料も、ホームページ(http://www.arsvi.com)に掲載・公開している。ご覧いただきたい。


UP:20090923 REV:20091023
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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