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ベーシックインカムは答になるか?

立岩 真也


 障害学会第4回大会  シンポジウム1 於:立命館大学 20007年9月17日 14:45〜17:15
 「障害と分配的正義――ベーシックインカムは答になるか?」(仮題)cf.ベーシック・インカム

■開催趣旨(『障害学研究』5へのシンポジウム記録掲載にあたって執筆)

  誰もが大切なことはわかっているのだが、しかし、というかゆえに、つまりあまりに基本的で大きな、ゆえに大きな変更が困難なことのように思われるから、所得保障についてどうしたものか、困ってしまう。そんなことが続いてきた。そのままでいるのも悔しくはある。比して、「べーシック・インカム」の主張は、なにやら堂々と大胆なことを言っているようでもある。ではそれはどのぐらいよいアイディアか。よいアイディアだとして、やはり「実現可能性」の問題があるのではないか。結局難しくないか。運動を率いてきた人、研究に関わる人たちの話を聞いて、考えてみたいと思って、このシンポジウムを企画した。

山森 亮(同志社大学) 「「生きていることは労働だ」――運動の中のベーシック・インカムと「青い芝」」
岡部 耕典(早稲田大学) 「「すべての人に対する基礎年金」としてのベーシックインカム」
野崎 泰伸(大阪府立大学OD) 「価値判断と政策――倫理と経済のダイアローグ」
 cf.「生活保護とベーシック・インカム」
三澤 了(DPI日本会議) 「障害者の地域生活と所得保障のあり方」
 +◆立岩 真也(立命館大学)cf.「ベーシックインカムは答になるか?」

 *以下は立岩の発言部分のみ。(『障害学研究』に掲載されるものと同じではありません。)このシンポジウムの記録は『障害学研究』5号(発売:明石書店)に収録されます。発売されたらお知らせします。お買い求めください。発売されました(20090710刊行)。
  →『障害学研究』1『障害学研究』2

■<立岩>
 途中遅くなって、開始が15時に延び、その時間がさらに過ぎましたので、始めさせていただきます。今回シンポジウムが2つあるんですけれども、その1つめです。いつまでも仮題のままだったんですが、「障害と分配的正義――ベーシックインカムは答になるか?」という仮題が、仮題のまま題になりました。時間は全部で2時間半ぐらいあります。今日ご登壇願った方々は4人です。
 最初に山森さん。同志社大学にお勤めですけれども、彼は今樫田香緒里さんと共著でベーシック・インカムに関する著書を準備中です。そうしてこれまで調べたり考えて来られた方ということで、まず山森さんに30分プラスの時間、解説みたいな部分を含めて、お話いただくということにいたします。
 そしてその後、早稲田大学の岡部さん、それから大阪府立大学のODである野崎さん、それからはるばる、はるばるといえば岡部さんも東京からなんですが、東京からDPI日本会議の三澤さんに来ていただき、そしてそのお三方には約15分ぐらいの配分でお話いただきたいと思います。そうして、総時間の2時間半のうち1時間半ぐらいで一回り、お話をしていただきます。
 それで私が、その間せいぜい頭働かせてというか、その中に現れる論点というか、あるいは疑問点など、そういったものを、話していただいた4人の方に提起し、それに対してさらに答えていただくというかたちで進めていければいいかなというふうに思っています。あとはフロアの方にも、総時間が限られているので、どこまで可能かわかりませんが、質問していただき、お答えもいただきたいと思います。
 さて、なぜこのテーマかという話をしだすと長くなるのですがすこし。これまで、生活保護があり、それから障害基礎年金があり、それらに関わる社会運動があり、所得保障の問題は、一貫して、たしかに重要な問題であってきました。しかしあまりに重要で大きな問題であるがゆえに、なかなか政策を動かしにくいということもあった。要求は明確であっても、なかなか前に進まない。1986年に障害基礎年金が始まって以来、大きな変化はない状態が続いてきたと思います。さてどうしましょうかということを、そう簡単にすぐに事態は動かないにしても、考えておいてよいだろうと。これが一つです。
 もう一つ、障害者に限らず、様々な社会層、社会的なグループにおいて貧困という問題が、以前からあったというのはその通りなんですけど、着目される、注目されるようになっているということも含めて、せり上がってきているということがあります。
 そういった状況の中で、所得保障、分配、再分配に対する関心は大きくなっているのだろうと思います。そしてその中に、ベーシックインカムという言葉、アイディア、プランもあるのだろうと。とすると、それはなんだと、どういうことが考えられているのか、どういうことを考えられるのか、それを知り、それについて既に出されている批判も知り、また我々が持つであろう疑問について登壇者の方に答えてもらえたらよいと思いました。そこそこまで知り、考えるということを、二時間半という短い時間ではあるけれども進めていきたいと考えています。
 短いつもりの前置きが長くなりましたが、それではさっそく山森さんのほうにお話をしていただきたいと思います。山森さんよろしくお願い致します。山森さんは、前も京都に住んでいたのですが、しばらく東京におられて、今年の四月から同志社に来てまた京都在住ということになっています。

■<立岩> 
 山森さんどうもありがとうございました。どういう話だったか話すと時間がなくなるので次にいきたいと思います。では岡部さん、よろしくお願い致します。

■<立岩>
 岡部さんありがとうございました。さっさといきます。それでは野崎さん、よろしくお願いいたします。

■<立岩>
 野崎さん、どうもありがとうございました。始まってから1時間25分、だいたい予定通りです。それでは最後に、東京からわざわざお越しいただきました、DPI日本会議、他様々な障害者運動に関わり、率いてこられた三澤了さんにお話をしていただきます。よろしくお願いいたします。

■<立岩>
 ありがとうございました。始まって1時間50分。残りの時間があと40分となりました。今から質問をとれる時間がどれぐらいあるのか、あるいはとれるかどうかわかりませんけれども、あと40分ということにしたいと思います。
 なぜこの企画なのか。半分は最初の時にお話したんですけれども、少し加えます。すくなくともこれまで、制度・政策に関わる部分についての研究が薄いと感じてきました。政策や社会運動についての研究がもっとなされてよい。それは、岡部さんもシンポジストの一人だったのですが、関西大学で開催されたこの学会の第2回の大会のシンポジウム「障害者運動と障害学の接点――障害者自立支援法をめぐって」でも提起されたことです(『障害学研究』2に収録)。今回の大会に関して言えば、政策に関わる報告が若干増えたかなという気もしますが、まだなされるべきことがいくらもある。だからということがあり、中でも、これは冒頭でも申し上げましたが、所得保障や労働の問題は大切であるのに、あるいは大きな問題であるから、言葉が足りていない、研究が薄い、だからやってみようというのが一つでした。
 ですから、この領域は未開拓なわけです。世の中にはいろんなテーマがあって、なかにはそこそこみんながわかっていて、知っていて、煮詰まっていて、取り上げるならその先に行かなければならないというテーマもあります。なのに、ただシンポジウムをやって、代わりりばんこに人がそれぞれしゃべって、何だかわからなくて終わる。これは、批判というか、非難されるべきことではないかと思います。例えば来週、社会福祉学会の大会があって、自己決定なんとかというシンポジウムがあって(2007年9月22日、日本社会福祉学会第55回大会シンポジウム、於:大阪市立大学)、私も出ますけれども、どうなりますか、という感じです。
 ただ、この所得保障の問題、これに関して言えば、まだ我々は、議論の入口、あるいはその手前にいるというのが現状なのかなと思います。そういった意味では、今回、みなさん今4人並べて聞いて、正直いって頭にすっきり何かが入ったか、よく分かった、分かればいいんですけれども、納得っていうことはないかもしれない。しかし、我々が、そういう状況にいるんだとすれば、それがどういうアイディアなのか、あるいは日本の現状はどうであるのか、それを見た時にどういう可能性があるのか、考えていく、まずはそのための情報を仕入れる。我々としては、そういうことをする意義はあるのではないか。そういう位置づけでシンポジウムは企画されたし、今までの1時間40分はあったと思います。
 とはいえですね、そんなに簡単に頭に入るはずがない。先程からいただいた原稿をスクリーンで映し出していますけれども、今回山森さんの、長大な、中身がいっぱい詰まった原稿をはじめ、すべて大会資料に入れました。総量としては、他の部分を含め、200ページは超えたものになっています。まず、それをじっくり読むことはできますし、そうしていただければと願うしだいです。
 それからもう一つ、出版物がぼつぼつ出てきています。『VOL』という以文社から出ている雑誌の第2号の特集が「ベーシックインカム――ポスト福祉国家における労働と保障」です。それから『フリーターズ・フリー』という雑誌、発売は人文書院ですが、その1号にさっき野崎さんが紹介した野崎さんの文章「生活保護とベーシックインカム」が載ってます。会場内で販売されています。それから、青土社の『現代思想』、その(2007年)9月号の特集が「社会の貧困/貧困の社会」です。牧野久美子さんの「「南」のベーシックインカム論の可能性」が載っています。これも青土社の方が来て販売しています。議論の緒に就いたばかりなのかもしれないこういった主題について、いくつか書き物というか、雑誌の特集なんかがぼつぼつ出始めていて、それで今この会場で売られているということ、それは知っておいていただきたいと思います。
 さらに、山森さんが話のなかで出された青い芝の会で活動した横塚晃一さんの本『母よ!殺すな』が、この(2007年の)9月に生活書院から再刊されました。そういったものが、我々の前に、すくなくとも素材として存在しているということでありますので、今日の話で頭がはっきりしたとか、そうじゃなくても、これを出発点として考えていただくということはできるんじゃないかなと、それは今聞いても思ったことです。
 そのためにも過去の議論を集めて整理しておく必要があります。三澤さんは、おおまかには、過去と現在と、厳しい状況の2通りを話されました。その過去の方ですが、例えばですね、1986年に障害基礎年金が始まった。それに関していろんなすったもんだがあったわけです。例えば「所保連(全国所得保障確立連絡会)」という団体を三澤さんは口にされた。そこに例えば「東京青い芝の会」という組織が関わっています。ただこの東京の組織と、山森さんが名前を出された横田弘さんたちとは対立もしている。ごちゃごちゃとしたした見解の相違、意見の対立があったわけです。あれはいったい何だったんだろう。たいして意味のない対立であったのかもしれないし、そうでもないかもしれない。そんなことも含めて、制度・政策に関わる歴史というものを、障害学がやるなら障害学でよいのですが、どれほど対象にしてきたのか、そこから汲み上げられるものを汲み上げてきたか。もっとやっておくべきではないか。私は、三澤さんの話をそういう提起でもあると聞きました。
 それで山森さんの話は、一つはですね、基本的に社会福祉の制度、社会保障の制度はこういうものだよという話にはなっていて、そして、それをよくやっている国もあればあまりちゃんとやっていない国もある、という話が普通なんだけれども、そういうのでよいでしょうかと、もうちょっと基本的なところから違う話をしたほうがよいのではないか、そういう話が前半にあったと思います。それにつなげて、このベーシックインカムという言葉自体は、ここ数年、どっちかっていうとアカデミックな領域のなかでふっッと出てきたというイメージが、ある人たちにはあるんだけれども、そういうもののように受けとられていくんだけれども、それは違うと。
 これは先程の歴史の話にも関係するんだけれども、イギリスにしても、あるいはイタリアにしても、日本にしても、そこで言われたことの中身がどこまでどういうふうに合致しているのか、これは議論の対象かとは思いますが、少なくとも、何かしら相通じるような、共通の基盤を持つような、そういった主張というものが、同時期に提起されたという、その重要性というものがある、面白みというものがある。そこから考えていくことができる。そういうお話だったと思います。これは先程の話を繰り返しで言えば、そうやってものを考え、ものを言ってきた人たちが既にいた、それをどういうふうに先に活かしていくのかが課題だということです。
 岡部さんの報告にはいろんな論点がありましたか。しかし時間がないので、一つだけ。三澤さんからその経緯について話があった障害基礎年金が、いろんな評価の仕方はあるけれども、他のものに比べればそこそこの制度として成立し、継続しているという現状というものは、それを一つの手がかり、足がかりというふうにして、それを普遍化するという道もあるのではないかと。そういう話がたくさんあった中の一つとしてあったと思います。
 で、次に、野崎さんの話は、彼の話もいろんな論点がありましたが、やはり繰り返すことはいたしません。3人の報告を少しでも整理しつつ、少し戻りながら一つのポイントを。
 ちょっとかじったことがある人が知っている話でいうと、ベーシックインカムといえば、すべての人に一律の、例えば8万円なのか、10万円なのか、15万円なのか、20万円なのかわかりませんけれども、そういった定額を支給するというものであるというのが一般的な了解ですが、おそらく山森さんの頭の中は必ずしもそうではなくて、様々に事情の異なる人が暮らしていけるに足る給付があることをもって、基本所得というふうに、ベーシックインカムというふうに山森さんは思われているんではないかというふうに思います。ここは確認してもよいと思います。
 障害学会であるからには当然とも言えましょうが、介護だとか所謂社会サービスも加わらないとベーシックな生活なんかできないというのは共通の了解だと思います。その上で、岡部さんのお話は、現実の障害基礎年金は二通りの金額があり、プラスアルファがまたあったりするのですが、それでもおおむね定額の部分を、障害者に対して、障害者のなかの限られた人に対して給付されているものを、それを拡大していくというやり方、つまり障害者が獲得してきたものを、それをさらに普遍化していくというやり方、そういうやり方がある、そういうお話だったと思います。とりあえず定額で一律。でもそれで足りるわけではない。ではそこのところをどうするのかという話が一つありました。
 野崎さんの話もそこを問題にしました。一定の給付、一律の給付というものは、とりあえず一つあっていいだろう、無条件の一律の給付はとりあえずあってもいい、ないよりはあったほうがいいということを一方で言いつつ、しかし、それで人の暮らしが足りるわけではない。そうするとプラスアルファの部分は必ず必要である、そういう提起でした。そうすると、ではどの人にどれだけ必要なのかという、条件、給付の条件の設定というのが、やはり出てこざるをえないと。そういう指摘が最後にありました。
 これは、我々が、例えばベーシックインカムという言葉を聞いた時に、それで行けるんだろうかと感じる、その一つの場所であると思います。とにかくどうのこうの言わないでという無条件性をどこまで実際に言うことができるんだろうか、あるいは言うべきなんだろうかという問題が最後のほうで一つ提起されたのではないかと思います。各々の話を全部まとめることは、とうてい私にできることでもありませんし、時間もありませんので、その一つをここであげさせてもらったという次第です。
 さて、この話を、あと30分きっていますけど、どこにつなげていくのかということなんだけれども、もちろん一つには生活保護、年金、また新たに想定される制度、そしてそれぞれの現実的な拡大の可能性、そういったものを一つ一つ洗っていく必要があると思います。けれども、これは先程も申し上げたように、これからの課題ということにせざるを得ないだろうと思います。4人のお話のなかに、各々の微妙な差異というんですか、あるいは微妙というのではすまされない、もう少し大きな思想の違いというのがあったかもしれませんが、それは今回詰めるというところには至らないだろうと。
 私は、その中から一つだけ取り出して、質問というかたちで提起させてもらって、私の話を終わりたいと思います。先程もあげた無条件性についてです。そして先程のは、生活する人々の必要がその身体の差異にも関わって多様であることにどう対応するかという問題でしたが、以下は、ベーシックインカムとして給付されるお金の徴収に関わってきます。じつはこれはとても大切なポイントだと私は思っていて、これをどう考えるか、例えば累進的な負担とするのか、そうでないのかによって話はまったく変わってくるはずなのですが、ここではそのうちの一つだけについてです。
 この会場におられる方、いろんなお考えの方がおられると思うんですけれども、少なくとも今の生活保障・所得保障の制度が非常に気詰まりな抑圧的なものであり、なんとかならないのかという実感を持っているということについては、かなり共通性があるんじゃないかなと私は思う。その時に、あなたはどうか、この人はどうかということをとやかく言わず、とにかく出しましょうという話は、今の気詰まりな、うっとうしいものとの対比において、なんか開放感があるんですね。
 ただその無条件性をどういうふうに言えるのかという話は、理論的な、どっちかっていうと考えるために考えるみたいなテーマでもあるかもしれないけれども、やっぱり一つあるんじゃないかなと。例えば野崎さんが生の無条件の肯定と言う。それはよしとしましょう。すると、人の生存、人の生きる暮らしというのは、とにかく無条件に支えられるべきであるとなる。すると、それは同時に強い義務でもあるんですね。人が生きていくために必要なものを全ての人が受け取る権利があるということは、返して言えば、その権利を実現するためのことをなすことが可能な人間にとっては強い義務でもあると。そうするとこれは、労働の義務、勤労の義務を、必然的に肯定せざるを得ないんではないかと思うのです。
 そうすると、無条件性、つまり働かない人間にも働く人間にも、全て給付されるというすがすがしい感じと、それを実現するためには、でも人は働かなきゃいけないという話の、兼ね合いというのが実はけっこう面白い。これについて欧米のベーシックインカムの論者の議論にきちんとした議論があるかというと、私が思うに、どうもあまりない。そこでつまずいている、あるいは失敗している。そう言ってよいのではないか。そこのところをどう考えるか。
 二つの考え方があります。あくまでも義務はないとする。働かない権利ということを字義通りにとって、そこから何かしらを言っていくというやり方が一つある。ただこれはおそらく非常に困難であると、おそらく無理だと私は思うんですね。
 もう一つは、一歩後退した上で、しかし今現実に働く義務を強く言わないという方向です。働きたいが働けないのか、働きたくないのかとかいった線引きをすることの現実的な効果がどんなものであるのかを考える。すると、例えば精神障害の人で、はたから見て働けるのか働きたくないのか働けないのかよくわからない。でもはたから見てあなた働けるんでしょって言われて、鬱がひどくなって死んじゃったっていう、そんな人はいくらでもいるわけです。そんなことを考えた時、働けるか働けないか選別して、働ける人は働きなさいというのはあまりよくないと思うんです。すると、そうしたら働かない人が出てきて、それで困るんじゃないかと言われる。でも今どれだけこれ以上働かなきゃいけないんだろうかといったことを、合わせ技で考えていくとですね、ベーシックなところでは義務があるけれども、現実的な制度運用においては、働きたいとか働けるとか働けないとかいうところで細々したことを考えない制度が運用できるんだと。そういう方向で私は考えています。(『現代思想』の連載でこのことを述べた。青土社刊の本に収録予定。)
 すると問題は労働の問題になります。労働と切り離した所得保障を考えるというのがベーシックインカムの一つのコンセプトですが、しかしだからこそというか、労働のことを考えざるをえなくなる。すると、人が働くということ、働くことを社会が求めるということをどう考えるのかということについて、例えば30年より前に提起された、「糞をするのに尻をあげるのも労働だ」とか、「生きているのが労働だ」とか言った、また同時に「働かない権利を」と言った、それをどう考えるかという問題について、未だ我々が確たることを言っていないということにも思いが至ることになります。
 さて、これぐらいにして、今日は、今言った、働く働かない働けない、あるいは働く働かない権利、あるいは働く義務ということと、基本的な所得保障、ベーシックインカムに関して、主に山森さんから概説的な、そしてそれと障害者運動のつながりも含めた少し長い話をしていただいたので、本来ならば4人ともにお話を伺いたいんですけれども、さしあたり山森さんに、今の私がしゃべった最後ことについてどうお考えなのかということをお伺いしたいと述べて、私の話を終わります。

■<立岩>
 どうもありがとうございました。あとの3人にも話はしていただきたいので、うまいことそれと絡むかどうかわかりませんけれども、あと15分ほど時間がありますので、質問のある方は、私が言うのもなんですが、手短に、よろしくお願いします。

■<立岩>
 一つ目の、きめ細かに見ていった方がという山森さんに対するお話は、山森さん同意されると思うので、ちょっとパスさせてもらって、岡部さんに対する質問ですね。障害基礎年金の拡張というのはありだと思うけれど、どのぐらい見込があるのかという。この問題は、障害基礎年金については違うとしても、年金が基本的には保険という発想・制度のもとで運用されているということを踏まえた場合に、それをどこまで拡張していけるのかという問題でもあろうかと思います。

■<立岩>
 この大会の参加費等について、時間がありませんので、このシンポジウム後、今の方とお話することにします。ただ細かいことを幾つか。この会場に関してはお金はかかっていません。次に、参加費からの収入は全体の一部です。そしてこの大会については情報保障に関わる経費がかなりを占めていますが、それを含めても他よりだいぶ安くはしました。それ以上の学会運営のあり方については、私が後で、個人的にも含めて、お答えしますし、議論しましょう。ここではここまでということで。

■<立岩>
それは誰ができるということをおっしゃりたいんですか。(この人とは終了の後、四〇分程話をすることになった。)

■<立岩>
それについては後ほど。分かりました。あと4分ぐらいですが、よろしいですか。

■<立岩>
三澤さんお願いします。

■<立岩>
ちょうど始まって2時間半たってしまいました。あとがつかえてしまうので、終わらなければなりません。終わらせていただきます。どうもありがとうございました。


UP:20090115 REV:20090702
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