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『生存権』

医療と社会ブックガイド・97)

立岩 真也 2009/08/25 『看護教育』50-8(2009-8):
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http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


  生存権、もっと具体的には憲法25条を巡る3人へのインタビューからなる本。最初に引用されているが、憲法25条はこうなっている。
  「1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
  話をした3人の一人は私。付けたもらった題は「「目指すは最低限度」じゃないでしょう?」。
  一人は尾藤廣喜さん。1947年生まれの弁護士。京都弁護士会高齢者・障害者支援センター運営委員会委員長などを務める。題は「じゃ、社会っていうのはなんのためにあるのか」。
  一人は岡本厚さん。1954年生まれ。岩波書店『世界』編集長。題は「弱者に冷酷な世の中(それは自分に返ってくる)」。
◇◇◇
  まず、前書きも後書きもないこの本をいったいこれはなんだと思う人もいるだろう。私の感じではいつのまにか出た本でもある。細かくなるが経緯を記す。
  目次のところに「聞き手 堀切和雅(ユビキタ・スタジオ)」とさりげなくあるだけだが――私はさっき気がついた――これはその堀切さんが仕掛けた本だ。
  堀切さんは私と同じ年で、以前は岩波書店で編集の仕事をしていた。その後大学教員なども務めた後、ユビキタ・スタジオという出版社を一人で立ち上げた。自身の著作もたくさんある。アマゾンで検索すると8冊出てくる。
  その堀切さんから何年か前のある日、連絡をもらった。メモを調べてみたら2006年の夏に会ったようだ。その6月に堀切さんは『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい――ミトコンドリア病の子と生きる』(集英社文庫)を出している。その本も送っていただいた。題の通りのことが書いてある本で、新聞の連載がもとになっている。私はその時までミトコンドリア病の人を知らず、その本で知った。
  さて、その堀切さんの話は、私にインタビューをして、それで本を作ろうという提案だった。
  インタビューを記事にしてもらうことはよくあるのだが、とくに長く話した話を短くして記事にするといった場合、原稿になって送られてくるものがかなり壊滅的なものであることがある。こんなことは言ってないよと思い、全面的に書きなおしたりすることがある。最初から決められた字数でしゃべったように書いた方が早かったということがある。私の話が下手なのか。居直るのだが、そうとばかりは言えないと思う。聞いてまとめる側の力量は関係する。
  だが、堀切さんは腕はよさそうで、長い話を短く詰めるということではないということなので、お受けすることにした。たしか京都と東京で各2日、計4日話をした。これはそのままになっている。
  さて、そのインタビューがどうなるか、よくはわからないままの時期、また連絡をもらった。それは、堀切さんが生存権、憲法25条のことが気になっていて、それで何人かの人にインタビューして本にしたい、つきましてはお願い、ということだった。やはりわかりましたと返事した。それで、いつのことかわからないのだが、話をした。その後、忘れていたのだが、たぶん話したこととそう違わない原稿が戻ってきて、それに手を入れたものを昨年の7月の初めに返した。そしてやはり忘れていたら、今年になって連絡をいただいた。昨今の出版事情はなかなかに厳しく、堀切さんのユビキタ・スタジオも仕事を続けていくのが難しい状況であると、しかしこの本は出したいので、別の出版社にお願いすることになりました、印税はありませんすみませんとのことだった。へーそんなこともあるんだと思っていたら、本当に出た。
  そんなわけでこの本は、今まで出してきたものと比べたら、数百分の一の労力でできた本である。なにか不思議な感がする。それでも、高くなく、すらすら読めて、そして正しく、今言われるべきことが言われている本であるから、出てよかったと思う。
◇◇◇
  だからその全体は読んでもらえばよい。なかで私がおもしろいと思ったのは、尾藤廣喜「じゃ、社会っていうのはなんのためにあるのか」の中の「高額医療の公費負担制度は、生活保護の現場から生まれた」というところだった。
  HPのこの本の紹介にそこだけ引用しているので不思議に思われる人もいるだろう。私が働いている大学院の院生であり、また人工透析のクリニックで長いこと働いている看護師の有吉玲子さんが、人工透析の歴史を調べていて、それでいろいろと教わることがあり、その関連で興味深かったのだ。
  人工透析には非常に費用がかかって、その費用を払えないばかりに亡くなる人が多かった。それが公費負担になり、本人や家族の負担が少なくなった。まがりなりにもそれは維持されている。どんな経緯でそうなったのか。
  それは古い話としての意味があるだけでない。年をとったり、ある状態になったら、透析に国の予算を使わなくてよいといったことが言われたりもする。そんなことにどう対するかを考える上でも、知っておいた方がよいことは知っておいてよい。
  一つに私も聞いたことがあって、有吉さんが調べてHPに情報を掲載しているのは、大阪の『読売新聞』によるキャンペーンである。一九七一年に集中的な連載があって、世論を喚起した。
  そしてこの本には、一九七〇年から七三年まで厚生省で働いた尾藤さんの話が出てくる。
  「尾藤 私が厚生省にいた当時、東京都のある係長が案件を持ってきたんです。それは、当時で月収が三〇万〜四〇万円ぐらいの自営業の世帯で、保護を受けたいっていう人がいるというのです。当時の私の給料が二万から三万ぐらいだったと思います。だから、それは当然ダメでしょうと言ったのですが、いや実はこの世帯には、人工透析を受けている人がいるんだと。当時人工透析は非常に高い自己負担だったんですね。月に三〇万〜四〇万円の自己負担で、人工透析を受けている患者さんがたくさんおられたわけです。[…]
  透析を受けなければ死んでしまうと。だけど当時、人工透析の公費負担制度がなかった。それで[…]やっぱりこれは、保護費で負担しなけきゃいけないだろうということで、保護費で負担することになったわけです。
  それで、その東京都の係長は、私に対して[…]東京都ではたまたま協議したから認められるってことであってはならないと思いますと。制度というのは、全国津々浦々までも平等に運用しなければ、公平な運用とは言えんのではないかというふうに言ってきましてね、それは私もごもっともですと言った。すると、ついては、今日認めていただいのは結構ですけれども、これを通達で流していただきたいと。」(pp.57-58)
  そこで通達を出す。すると、直属の係長に、やはり医療保険を変える必要があるのでは言われる。そんなことは無理だと思うがそれでも「保険局に[…]行って保健課の係員と話したら、予想通り、それは無理だよって言われたんですけど、だけどこれは健康保険の問題と違いますかと。保険適用の医療では、国民健康保険は七割給付になってると。三割の自己負担があって、それで自己負担が金額的に高すぎる場合がある、定率負担になってることが問題なんだから、定額負担になりませんかっていったら、お前アホかって言われまして。」
  けれどその人が「例えば一ヵ月に出したお金が一定額超えた場合に、あとで補填するっていう制度はどうかなって言って。それが、後でできた高額療養費払い制度っていう制度なんですよ。」(p.60)
  こうしてこの制度は、健康保険「改悪」の取引材料としてではあるのだが、1973年に始まった。こんなことが書いてあったと有吉さんに知らせたら、連絡を取り、京都の法律事務所に勤めている尾藤さんに会いに行って、お話をうかがうことになったのだという。
◇◇◇
  さて私のパートだが、つけてもらった題「「目指すは最低限度」じゃないでしょう?」の通りのことを(ことも)話している。
  どこの憲法にも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が書いてあるわけではない。比べればずいぶんよい。しかし同時に、以前から、「最低限」と言わなければならないというのもすこしつらいことだと思ってきた。例えば一つ、最低限と言ってしまうと、どれだけが最低限なのかを言わねばならないはめになり、これは最低限だ、いや贅沢だといった争いにまきこまれてしまう。それでよいか。私は別のところでも最低限と言わなければならないことはないと述べ、ここでも繰り返している。むろん他のことも話している。読んでください。

◆立岩 真也・岡本 厚・尾藤 廣喜 2009/03/10 『生存権――いまを生きるあなたに』,同成社,141p. ISBN-10: 4886214789 ISBN-13: 978-4886214782 1470 [amazon]d/[kinokuniya] ※,


UP:20090628 REV:20090701(校正)
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