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『生存学』創刊号

医療と社会ブックガイド・93)

立岩 真也 2009/04/25 『看護教育』50-4(2009-4):
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http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


  本年いっぱいでこの連載は終了ということで、「手前味噌」で終始させてもらうことにした。つまり、私(たち)が関係して出された本を紹介していく。じつは既にそうなっている。1月号2月号では『ニーズ中心の福祉社会へ』(医学書院)を紹介した。3月号では『現代思想』(青土社)2月号、特集「ケアの未来――介護・労働・市場」を紹介した。いずれもいっしょに仕事してきた人たちが作ったり書いたりしている本であり、私の原稿も入っている。そして今回は、『生存学』という今年創刊された雑誌を紹介する。
  大学業界の人は知っているかと思うが、グローバルCOEプログラムというものがあり、選ばれると文科省から研究資金が来る。5年もの。私たちは「学際複合領域」というジャンルで、「生存学」創成拠点という名前のものを2007年度から始めている。この雑誌はその拠点の発信媒体の一つであり、その「成果」ということになる。
  他に報告書も出している。既に7冊、年度内にさらに増える。これらには値段はついてない。送料実費でお送りできる。今回の雑誌は、これらと異なり、書店で買える、値段の付いた本にした。出版社は生活書院。税込2310円。
  それは一つに、単純にお金がないからである。COEはたくさんお金が出るものと思われているが、必ずしもそうではない。私たちは、まず少なめの金額で応募書類を出した。次に、その額がそのまま認められたなら、それでやれたはずだが、他の拠点の多くと同様、半分ぐらいに減額された。上記した冊子についても1つ60万円程かかっているのだが、雑誌となればもっとずっとかかる。そこで雑誌には予算を使わないことになった。
  ただそれだけでもない。無料なら多くの人に読まれるというものでもないということがある。上記した冊子についても、人に知られるよう工夫はしているが、それでも、多くの人はやはり知らない。比べて、一般書籍・雑誌として刊行されると、それなりの規模の本屋なら、そこで見かける人もいる。オンラインの書店でたまたま見つける人もいるかもしれない。
  そんなことで私たちとしては、値段のついた雑誌にすることにした。グローバルCOEの前の21世紀COEに採用された関西学院大学の拠点が出していた『先端社会研究』が有料の雑誌としてはあったが、それ以外にはないように思う。そしてその雑誌も、関西学院大学出版会が発行元だから、私たちのように大学とは独立した出版社からというのは初めてということになるかもしれない。
◇◇◇
  いつものように目次をご覧になることができるから、個々の紹介はしない。これはまずは、大学院生、ポストドクトラル・フェローとして働いてもらっている人たちが原稿を出し、審査に通ったものが載る、審査(査読)付きの学術誌である。今度のCOEは、教員というより、大学院生他の研究成果を出すことに重きをおいていることにもよる。
  一般からの公募という手もあるが、一つに、それではもっと手間がかかってしまうので、一つに、今回もこれからも今のメンバーだけで十分な質・量の文章が集まるから、このプロジェクトのメンバーを応募者、書き手とした。
  それらの人たちの様々な論文が並んでいるのだが、加えて、座談会の記録3つを配した。同じ日に、長々と一度にやったものを、三つに分けて掲載したものだ。「生存の臨界」T・U・Vという題になっていて、私と大谷いづみとそして天田城介の「近業」の報告から入って、小泉義之堀田義太郎が加わり、5人で議論している。
  対談だとか座談会だとか、その記録を読むのが好きな人もいるが、私はそうでもない。それは、話が行ったり来たりするのを追いかけるのが面倒だというのと、相づちを打ち合っているさまを見てもおもしろくはないというのとある。しかし今回のは、なかなか素直でない人たちが会して話をしたために、互いにうなずきあい、肯定しあう、ということにはならなかった。人々がやりあっているのを見るのが楽しみという人には、楽しんでもらえるものになったと思う。
  そして、話す話には文章に書かないことが出てくることがある。文章は、基本的には仕事が終わってから発表される。自分が何をしているつもりで、何をしていくつもりなのか、文章に記すことはあるけれど、そう多くはない。また、学問やら教育について、それを日々行なってはいても、主題的に書いたりすることもあまりない。
  そんなことを話すはめになる。それはただの「裏話」になることもあるが、それだけで終わるとは限らない。私たちは、それなりに長いこと、まずは真面目に、仕事してきてはいるつもりだから、ある領域について、全体としてどこがどう煮詰まっているのか、どこが考えどころなのか、なにかおもしろいはずのところがあるとしたらそれはどんなところか、それぞれなりに感じていたり考えていたりすることはある。これからその業界でやっていこうという人も、読み手である人も、そこから得られるものはあると思う。
◇◇◇
  もう一つ、とくに私は、この雑誌には、載りにくいもの、しかし載せた方がよいと思うものが載る媒体としての意義があると思っている。学会・学界にはそれぞれの作法がある。それらをみな否定するつもりはない。ただ、時に「どうでもよい」と思うことがある。例えば私も社会学をしていて、それがそう嫌いではないが、論文を投稿すると「社会学的な貢献は?」とか「意義は?」とか言われることがあるらしい。そんなものがいつも必要だと私は思わない。どんな種類の学問だかわからないが、そんなことはどうでもよく、書かれて読まれてよいものはある。
  そして、存分に、必要なだけ書いてもらいたい、長いものを載せたい、という気持ちがある。むろん短いにこしたことはないというものもある。要するに何が言えるのか、手短にはっきりと言ってくれた方がよいという場合がある。ただいつもそうではない。
  今回掲載されたのでは、まず、堀田義太郎有馬斉安部彰的場 和子「英国レスリー・バーグ裁判から学べること――生命・医療倫理の諸原則の再検討」が長い。古い計算法で言うと400字詰90枚、文字数で36000字ほど。普通の論文の倍より長い。だが最低それぐらいは必要だったと思う。これは、脊髄小脳変性症のレスリー・バーグ(Leslie Burke)というイギリスの人が、法が人が生きられるような法になっていないと裁判を起こした、その裁判の過程について書かれたものである。他方には死なせてくれという裁判もあって、その種のものはわりあい取り上げられるのだが、こんな裁判もある。両方があるからには両方のことを知っておく必要はあるだろう。この裁判の紹介は本邦初ということになる(HPにも関連情報有)。
  そしてさらに、なにか起承転結を作ったり「おち」を作ったりするといった気の利いたことをひとまずする必要がなく、その手前の「たんなる記述」が長くならざるをえず、そしてその「べた」な記述に終始してよいのだが、であるがゆえに、「普通」の学術誌・雑誌での掲載が難しい場合がある。
  今回掲載されたものでは、西田美紀長谷川唯山本晋輔堀田義太郎の四人による「独居ALS患者の在宅移行支援」(1)から(4)。それは、あるALSの人が、病院から出て一人で暮らしていくことに関わってしまった人たちが、その人に関わった短い間に起こったことを、まずはただ記録したものである。それは短くすれば、もっと簡単に進んでよいことが、なぜかくも、先の見えない、苦難に満ちた過程になってしまったのかを記述したものである。全体に「おち」がないわけではなく、四番目の堀田の文章は、前の3つをまとめ、どうするべきか明示している。ただそれを言うためにも、不透明で焦燥に満ちた、半年に満たない時間が記述される必要があった。
  私もそのやっかいごとについて、そこに巻き込まれた著者たちから、話は聞いて、講演やシンポジウムで、そのことに言及したこともある。つまり、誰もが肯定する「連携」だとか「専門性」だとかが、実際にはなかなか機能しない、時には逆方向に機能してしまうことを言った。ただ、その粗筋だけを言うと、普通のケアマネージャー他はもっとまともな人で、そんなはずはないなどと返される。研究集会などに来る人の多くは、きちんと仕事をしている仕事に誇りももっている人だからその反応も当然なのだが、しかしやはり、それほど偶発的なことではなく、起こってしまったこと、起こりがちなことなのだ。だが関わりが薄く細部を知らない私は説得力のある説明ができなかったりする。例えばこんな時、細かな、部分によっては些細なことが延々と記される文章が必要なことがあり、そんなものを載せる媒体が必要なのだ。

■表紙写真を載せた本

◆2009/02/25 『生存学』創刊号,生活書院


UP:20090223 REV:
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