HOME > Tateiwa >

「税制改革」がもたらしたもの

立岩真也 2008/11/29 『朝日新聞』2008-11-29朝刊・京都:31 コラム「風知草」4
購読申込→http://aspara.asahi.com/club/user/guest/choiceSubscription.do


  この間の「格差」についての議論は、生活にとても困る人がこれだけたくさん出てきてしまっていることを巡ってある。そのことはとても大切なことではあるし、まずそれをなんとかするべきであることについて異論はない。
  ただ同時に、全体をどのように考えるかということも大切だ。
  差はあってもよいという考えにも一理はある。それは、労苦は報われてよいということだ。そしてこのことは、格差を大きくする方向での税制の「改革」――前回に紹介した――の時にも言われた。
  しかし誰でもわかることだが、多くの場合、苦労の度合が五倍も十倍も違うことなどそうそうありはしない。だが実際には、誰もが知っているように、もっとずっと大きな差がついている。
  どうしてそうなるか。いろいろ理由がある。まず、スポーツとか一人の仕事を多くの人に見せられる仕事がある。ただそれは例外的だ。多くは、お金を動かしまた人を動かし、あがりをとる人だ。それ以外は既にある財を受け継いだ人たち、いくらか増やしたかもしれない人たちだ。そこに生じる差の全体を、労苦に応じた差はよいという理由では正当化できない。
  すると別の理由が示される。報酬によって「労働インセンティブ(誘因)」を得る必要があるという。高額な賞金で人を釣って、新規な「イノベイティブ(革新的)」な産業・事業を育てようというのだ。実際そんな宣伝がなされた。そんな事実がなかったわけではない。ただ冷静にこの数十年を見た時、新たに現れたものにどれほどよいものがあったか。またその中にたしかに含まれる有意義なものは、その「褒美」によって育ってきたのか。格別の稼ぎがなくても新しいことが好きな人はいる。また、意義のあることをしたい人もいる。それらは別の仕方でも育てることができる。
  バブルの後の景気後退をなんとかしようといった理由もつけられたその「改革」で実際に増えたのは、労苦には対応しない、金のやりとりで多くを得たわずかな人たちだった。(そのいくらかを今回の「危機」の中で失った人がいる。)そして、多くの働き口のない人、働くがそれに見合う収入が得られない人だった。こんなことでやっていられるかとその多くの人は思い、しかしそれでも仕方がないから、仕事を探し、職を続けざるをえない。そうした現実が生み出された。その現実が、人をやる気にさせるために差が必要だという掛け声とともに作られてしまったのである。

◆2008/10/04 「社会経験生かす大学院」
 『朝日新聞』2008-10-11朝刊・京都:31 コラム「風知草」1
◆2008/10/11 「「障老病異」個々で探究」
 『朝日新聞』2008-10-11朝刊・京都:31 コラム「風知草」2
◆2008/10/18 「良い死?」
 『朝日新聞』2008-10-18朝刊・京都:31 コラム「風知草」3
◆2008/11/08 「経済を素朴に考えてみる」
 『朝日新聞』2008-11-8朝刊・京都:31 コラム「風知草」4,
◆2008/11/29 「税金の本義」
 『朝日新聞』2008-11-29朝刊・京都:31 コラム「風知草」5
◆2008/12/13 「「税制改革」がもたらしたもの」
 『朝日新聞』2008-12-13朝刊・京都:31 コラム「風知草」6,
◆2008/12/20 「愚かでない「景気対策」」
 『朝日新聞』2008-12-20朝刊・京都:31 コラム「風知草」7,
◆2009/01/10 「前に行くために穿り返す」
 『朝日新聞』2008-1-10朝刊・京都:31 コラム「風知草」8


UP:20081210 REV:20081217
  ◇税・2008  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
TOP HOME (http://www.arsvi.com)