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立岩 真也 2008/11/30

稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也
『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』
生活書院


  私たちはどんな世界に生きているのか。これまでどんなことがあったのか。そこから、今、そしてこれから何を考えて、何をしていったらよいのか。この本を読むと、それがわかる。だから、このまえがきを飛ばして、すぐ、どちらからでもいいから、この二つの対談――というよりインタビュー――と稲場さんの文章他を読んでくれたらよい。
  以下は補足説明。

  まずすこしだけ内容についての補足。といっても、稲場さんとの話にいま加えることはない。私たちは、たくさん勉強して、知って、知らせて、考えなければならないと思う。そして、基本的な線をはっきりさせ、すぐに実現しないとしても、そちらの方に向かうことと、今の社会にある力の配置を読んで、今取って来なければならないものを取って来ることと、その両方が必要であること、それぞれを志向する者たちが互いを軽く見るなどということがあってならないこと、むしろ双方が双方を強め合うような過程が必要であり、それは実際に可能であることが言われた。
  なお、三人の著者しめし合わせた上、この本の印税はぜんぶアフリカ日本協議会に寄付することになった。具体的にはまず、立命館の客員研究員(といっても無給)も務めてもらっている小川さんがアフリカ地域エイズ・性感染症国際会議に参加するためにセネガルに行ってくるお金にあててもらうことにした。

  山田さんとの話の中の後の方で立岩が述べているのは、一番短くすれば、「体制」の問題としてことを捉えるのは正しいということだ。専門家主義に消費者主義・自己決定主義を対置しても話は終わらないというのも、その話の一部だ。設定された条件によっては解が出ないこともあるといった話はその上でのことだ。
  「現場」で、そのときそのとき出たとこ勝負でやっていくしかないという気持ちをわかりながらも、それが結論ではないだろうと、どこまでわかってやっているかは別に、よい仕事をしてきた人がそうやってこれたのは、基本がしっかりとしていたからだと立岩は思う。そして古い人たちが「体制」の問題としてことを捉えたのは、ときにたいへんに大雑把に過ぎたのではあるが、そしてその人たちは後でそのことを恥ずかしそうに語り、ときにそれを否定するような素振りを見せるのではあるが、しかし基本的には間違ってはおらず、それをさらにきちんと言うのが、その後の人たちの仕事だと立岩は考えている。みすず書房の月刊誌『みすず』で始まった連載「身体の現代」はやがて本になるはずだが、そこでもその仕事をしてみようと立岩は思っている。

  もう一つ、山田インタビューの下には本文と同じぐらいの分量の注がついている。これは本の企画を考えたときに思いついたことでもあって、この企画を持ち込んだ生活書院(後述)の編集者兼社長の橋淳さんにも文献にあたってもらったりしたのだが(例えば大熊一夫の『ルポ・精神病棟』からの引用)、やがて、立岩がいささか凝り出してしまい、次第に嵩を増していったのだった。出てくる人・文献等について、後述のホームページにさらに情報がある。それも合わせて見ていただければと思う。きりがないから立岩の収集作業は途中で終わったのだが、ともかく、この国のたった五〇年ほどの歴史はもっときちんと跡づけられるべきだし、そこから考えるべきことを考えるべきだ。あらためてそのことを思った。

  次に、かたちについての説明。この本は、立命館大学のグローバルCOEプログラム「生存学創生拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」の成果として刊行される。インタビューも立命館大学(の衣笠キャンパスの創思館という建物)で行なわれた。そのプログラムについては、一四五〜六頁下段ですこし説明している。そこに、稲場さんが働いているアフリカ日本協議会(AJF)とこの拠点との関係についても書いてある。(この文章は中央大学が出している雑誌『中央評論』の、エイズをテーマに毎回違う著者が書く連載の一回として書かれたものである。)また、山田さんの話がその企画とどう関係するかについては一五二〜三頁でふれている。この拠点が何をしているか、説明すると長くなる。あとは、とにかくなんでも載せているから、拠点のホームページhttp://www.arsvi.comをご覧ください(「生存学」で検索すると出てきます)。

  二〇〇七年七月二九日に行われた稲場さんへのインタビューは、かなりの部分を削った上で、青土社の月刊誌『現代思想』の二〇〇七年九月号(特集:社会の貧困/貧困の社会)に「アフリカの貧困と向き合う」という題で掲載された。また二〇〇七年一二月二三日に行われた山田さんへのインタビューは、やはり分量を減らした上で、『現代思想』の二〇〇八年二月号(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)に「告発の流儀――医療と患者の間」という題で掲載された。この二つの特集号は、重要な文章がたくさん収録されているから、そしてまだ買えるはずだから、買って読んでいただきたい。そしてこの雑誌の編集者である栗原一樹さんは、二度とも京都に来ていただいた。話に加わっていただいた。名前に栗原とあるのはその栗原さんだ。
  そしてやはりこの二度とも、立命館大学大学院・先端総合学術研究科の大学院生が参加して、話を聞き、質問などしてくれた。A〜Hはそれらの人々である。録音を聞いて名前がわかった人とわからなかった人がいて、全員からの承諾をとれなかったために、今回は、名前を記さないことになった。また、これら、「せんたんけん」と略称されている大学院の院生でもあり、また「生存学創生拠点」のメンバーでもある人たちは、研究し、論文を書き、ホームページに掲載されている様々なファイル(ページ)を作ってくれている人たちでもある。最後の 文献表 で▼の印のある論文や資料はその一部であり、これからも増えていくはずであり、充実していくはずだ。

  始まって実質一年半(五年間を与えられている)というこのCOEは、費用対効果を測ってみるなら、相対的に、よくやっていると立岩は思う。税金を使わせてもらっているわけで、お金を有効に使いたいと思ってやっている。ただこの本を値段のついた本として出したのは、経費節減が主な理由というわけではない。私たちは無料で提供できるしすべきものは、音にもできるし拡大文字にもできるかたち、つまりホームページを主な媒体として使っていく。同時に、まとまったもの、初めから終わりまで読んでほしいもの、できたら手元においてもらって何度か読んでほしいものは本にする。そして大学の図書館に送ったり研究者仲間に配って終わってしまう無料の報告書より、本屋に並ぶ(かもしれない)、すくなくとも本屋で注文できる本の方が多くの人に届くと思う。そこでこの本を出版してもらうことにした。

  そして本書は、生活書院から刊行される。書店で売られる本としてはこの本が最初だが、既に本拠点が刊行している冊子の発行に際して、また二〇〇九年の初めには創刊号が出ることになっている雑誌『ars vivendi』(仮題、これも書店で買えるものとして出される)でも、お世話になっている。まずそれは、この出版社が、横塚晃一の『母よ!殺すな』といった優れた本を出している――立岩はこの本の解説を書かせてもらった――からだが、加えて、この出版社の本はすべて、書字が不便な人のためにテキストデータを提供しているからだ(→本書巻末)。それは当然のことである――ただ、私たちが二〇〇八年一一月までに把握できている限りでは、こうして出されている本は七六冊だけで、本書を含めそのうち三〇冊が生活書院の本である――とともに、私たちの拠点が行なう大きく三つ【集積と考究】【学問の組換】【連帯と構築】(山田さんの話は一つめに主に関わり、稲場さんのは三つめに深く関わる)の二番目の――様々な身体の当の人たちが実際に教育・研究に参画し研究を担っていける仕組を作っていこうという――企画において私たちが研究し実現しようとすることの一部でもある。

  短い期間の間に作業をどんどん進めてくれた生活書院・橋さんに感謝する。その会社と(ごくわずかな数の)社員のためにもこの本が売れることを願っている。

■稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30 『流儀』,生活書院


UP:20081122 REV:(誤字訂正)
『流儀』  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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