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アフリカのエイズに向かうNGOをすこし手伝う

立岩 真也 2008/07/31
『中央評論』60-2(264, 2008 Summer):120-127(中央大学)

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*HIV/エイズ関連のリレー連載に原稿依頼を受けて執筆

*以下の本に収録されました。是非お買い求めください。
◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2310 [amazon][kinokuniya] ※

『流儀』 (Ways)表紙


 とくにアフリカHIV/エイズのことについて、(人文社会科学系の)研究者、大学(院)生、そして教育研究機関がどんなふうに関わっていこうとしているのかについて、私が知っていることに限って、すこし書いてみる。なお、書けることは限られている。生存学創成拠点のホームページhttp://www.arsvi.comで補ってください。(「生存学」で検索すれば最初に出てくる。あとはページ内を検索してもらえれば。この文章も掲載。関連ファイルにリンクさせてある。)

■ 世界を変えた人々のことを知らせる

 エイズで世界で一日に約八〇〇〇人が亡くなっているなどと聞く。その多くが、アフリカの、とくにサハラ砂漠より南の地域の人たちだという。
 それでアフリカに行って、直接にした方がよいことをするという活動も必要ではある。とても必要である。そしてそのような活動をしている組織もある。ただ、他のこともしなければならない。というのも、問題は政治経済の問題でもあるからだ。
 ご存知、だと思うが、エイズは、今はどうしようもない病ではない。薬をうまく使えば、発症を抑えたり、症状の進行を抑えたりすることができる。問題は、薬が得られないこと、薬が買えないことである。
 そしてその薬は、それを必要としている国でも、より安く、作れないことはない。けれども薬を開発した会社だけがその薬を売れることにするなら、値段は高いままにとどまる。それで買えない。それで死んでしまう。それでは困る。
 そこで様々な動きを起こし、訴えた人たちがいた。例えば南アフリカやケニアの人たち。そしてそれが現実のいくらかを変えてきた。薬の値段が引き下げられたり、薬を作れる国・場所が増えたりした。それに製薬企業やら、各国政府やら、様々が絡む複雑な動きがあった。
 まず、その様々な出来事、経過、現実を調べて伝える必要がある。日本のマスメディアではなかなか難しい。研究者が研究すべきことであるが、研究者もとても少ない。それはよろしくない。
 ただいくつか、ないではない。この経過は、まず林達雄『エイズとの闘い――世界を変えた人々の声』(2005年、岩波書店)に書かれている。薄くて安い岩波ブックレット。以下、『看護教育』という雑誌に書いたその本の紹介から。

 「いくらかでも知っている人なら、エイズになっても、複数の薬剤を適切に使っていけば、死なずにすむことは知っている。しかしその薬の値段は高い。そしてエイズになる人が多い地域は貧しい地域である。エイズによる死者が世界で年に300万人などと聞くと、そしてそれは貧困に関わっていると聞くと、これは最もどうしようもない事態のようにも思われる。
 しかしこの本に書かれているのは、かなり短い間に事態が変わった、変わっている、変えることができるということである。依然、というかますます厳しい状況ではあるのだが、それでもやりようがあるということ、そしてその土地土地のHIV感染者本人たち――このごろはPLWHA(HIV/エイズとともに生きる人々)と言ったりする――の活動が、事態を動かそうとしたこと、実際に動かしてきたことが書かれている。
 政府が動いて、あるいは政府を動かして、米国その他に抗し、まずうまくやった国としてブラジルがあげられている。特許権が設定されている薬に似た安い薬(ジェネリック剤)を自国で作り、政府が無料で供給したのだ。その後、やられた側が反攻に出た。米国が、世界貿易機関(WTO)への加盟と特許を厳しくする法とを抱き合わせにすることに成功した。日本は米国の路線に従う。それで事態はまた厳しくなった。しかし、とりわけ南アフリカにおける闘争の成功なとがあって、事態はまた変化することになる。そこには、政策が変わるまで薬を飲まないという行動に出たザッキー・アハマットという南アフリカの男がいたりもする。また、ケニアの女性たちの活動や、ウガンダの対応などが紹介される。 まず、世界の中でいま一番知られてよいことで、しかし知られていないことが書いてあるから、この本には価値がある。そして、世の中で知られるべきことの中には苦いこともあり、むろんこの主題にもそういう部分はあるのだが、もう一つ、世界は変えられる、やり様はある、と思える。その流れを感じることができる。」

 この本を書いた林さんは医師で、日本ボランティアセンターの代表(1993〜1995年)等を勤め、いまは「アフリカ日本協議会(AJF)」という組織の代表他をしている人だ。こないだAJF(上野の方に事務所がある)に寄った時、山田玲司の「真剣バトルトーク・コミック」[amazon]『絶望に効くクスリ』第11巻(小学館、2007年、もとは『週刊ヤングサンデー』連載)に出ているのを教えてもらった。

■ 遠いところのことはしなくてよい、ことはない

 私はそのアフリカ日本協議会=AJFという組織を、いまその事務局長をしている斉藤龍一郎さんから知らされて、知った。大きな組織ではないが、いろいろなことをしていて、そのわりあい大きな部分としてエイズに関わる活動がある。
 私自身は、アフリカに(行きたいとは思うが)行ったこともない。どの国がどこにあるのかもおぼつかない。それでもその活動は大切なことだと思った。いちおう会員ではある。
 ただ、斉藤さんと知り合いで、彼が時々声をかけてくれなければ、ほんとに何もしなかっただろうと思う。斉藤さんは、脳性まひの人の介助の仕事を長いことをしてきた。それは無償の仕事だった。私は、いまは「ケア」とか呼ばれるそういう仕事についてもものを書いてきた。一九九〇年に初版が出た『生の技法』 という本が最初だったのだが、そこでは(今でも)、その仕事にお金を払う――ただしそのお金は「社会」が出す――というかたちがよいと私は主張している。斉藤さんはそこのところに疑問を感じて、それで書評のようなものを書いてくれたことがあった。そんなことがあって知り合った。また、私の同業者で、やはりつきあいの長い市野川容孝さん(社会学、東京大学に勤務)が、同じ人の介助をやっているといったことがわかったりもした。そんなこんなで、間遠ではあったのだがつきあいがあった。さきの林さんのブックレットのことも、どういうかたちでこの話を世間に知らせたらよいだろうというような相談をして、それで市野川さんが出版社の方に打診して、それで、というだんどりでことが運んだのだった。
 その以前だと、2002年、林さんが、ジョハネスバーグ(ヨハネスバーグ)サミット(当時の首相は小泉純一郎氏)の日本政府代表団顧問団のメンバーになったことがあって、その年の8月、総理大臣宛に「日本政府に世界エイズ・結核・マラリア対策基金への拠出資金の増加を求める」という要請を行なったことがある。その本文は、要するに金を出せということだ。その理由を述べる部分など関係する文書もHPに載っている。

 「日本政府に世界エイズ・結核・マラリア対策基金への拠出資金の増加を求める
 日本国総理大臣 小泉 純一郎 殿
 バルセロナで開かれた世界エイズ会議で、現代世界が直面しているエイズ危機の重大さが改めて指摘され、また、全てのHIV感染者がエイズ治療を受けることのできるようにすることは私たち全員の責務、ことに世界各国の政治的指導者の指導力が問われる課題であることが確認されたことを踏まえ、以下、要請します。
要 請
1.世界エイズ・結核・マラリア対策基金(以下、「世界基金」とする。)に、拠出を確約した2億米ドルを早急に拠出することを求める。
2.この2億
米ドルに加えて、今年度内に、3億米ドルの拠出を求める。
3.世界基金には最低限の予算として年間100億米ドルが必要であるとされており、この基金の活動が継続する限りにおいて、年間で上述の5億米ドルを下回らない金額の拠出を継続することを求める。
4.日本政府は世界基金の活動において主導的な役割を果たす、ということを改めて確認し、他の先進諸国に対しても世界経済に占めるウェイトに応じた相応の資金拠出を積極的に行うよう、強く呼びかけることを要請する。」

 その時、この要請を政府・総理大臣に出すことに賛同してくれるよう呼びかける、その呼びかけ人に加わってくれないかと言われ、はいと返事した。なにかメッセージを書けと言われたので、以下のような文章を送った。したのはそれだけだ。

 「この事態に対してできることをするのは、言葉そのままの意味での、あるいは強い意味での、義務である。つまり、それはただ善意によってなされることでなく、私たちが否応なくすべきことであって、こんなことにこそ、政府に集められた税金が使われるべきなのである。それを、してもよいがしなくてもよい選択の対象であると、拠出をためらうことのできることだと、錯認してはならない。」

 なんとなく「海外援助」は、善意、自発性、せいぜい義務「感」によってなされるものだという感覚がある。それに比べて、国内については、まがりなりにも、暮らしていけるだけのものを得られるのは人の権利であり、それを保持するのは義務だということになる。さて、この違いを正当化する理由があるかだ。いろいろ考えてもない、というのが答になる。そのことを私は言っている。ちなみに、これは「学問的」には「グローバル・ジャスティス」を巡って議論されることでもあって、人によって言うことが違うのだが、正解は今述べたとおりだ。嫌だろうともったいなかろろうと、すべきことはしなければならん、ということになる。

■ 政策に関わるNGO、と大学

 このNGOは現地で活動するというタイプの組織ではない。情報を集め、日本語にするとよいものは日本語にし、紙媒介やウェブで流通させるといった活動がその一つにある。そしてさきの要請のように、政府のしていることしていないことをチェックし、そして意見するといった活動を行なってきた。もちろん現地での直接の支援活動は大切ではある。ただそれだけではないということだ。
 「政府」と一言で言っても、その中はいろいろである。なにかはしようと思っていることもある。たんに知らないということもある。外交についてだと、とくにアフリカなどについては手薄になってしまっている。政府・議会に対する働きかけをロビイングと言うが、そんな活動をする組織が必要である。また政府も何もしないわけにはいかないから、NGOに何かをしてもらうこともある。それは安上がりの民間委託ということにもなるのだが、NGOの側も資金源は限られているし、そうした仕事を受けることがある。そしてそのことで一定の影響力を与えられる場面もないではない。
 そんなタイプのNPO・NGOは日本には少ないのだが、必要だ。そしてそういう組織に協力する教育・研究機関もあったらいい。そんなことを思ってきた。
 とはいえ、私自身は、他の仕事でいつも目一杯。ホームページに関連情報を掲載するぐらいのことしかできなかった。ただ、こういう方面の研究をしようかという院生がしばらくいたこともあって、また資金調達のためにというもくろみもあって、冊子を作ることにした。
 さきほど紹介した林さんの本はとてもコンパクトなものだった。安く買えて、早くわかってもらうというのが目的だったから、それでよいのだが、部数は少なくてよいから、もうすこし詳しいものがあってもよいということにもなった。
 そこで、林さんのブックレットが出たのと同じ2005年、AJFが集めてきた資料をまとめて冊子にした。この年に第1部から第3部まで3冊をつくった。その後、2007年に第4部を作った。『貧しい国々でのエイズ治療実現へのあゆみ――アフリカ諸国でのPLWHAの当事者運動、エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争』 というたいへん長いタイトルのもので、第3部までの合本版が1500円、第4部が500円(PLWHA=HIV/エイズと生きる人)。
 この冊子は、4つ合わせるとけっこう厚いものになり、手前味噌ではあるが、とてもおもしろい。それぞれの紹介はHPを見ていただくのがよい。ここでは第2部「先進国・途上国をつなぐPLWHA自身の声と活動」についてだけざっと紹介しておく。第1章「ザッキー・アハマットという生き方」。第2章「南ア以外の国の状況」。ザッキー・アハマットは南アフリカの有名なPLWHAの活動家。いっときノーベル平和賞かという噂があったりもした。さらに林さんの本にも出てくるケニア、ナイジェリア、モザンビークの人たちの言葉や組織の行動が詳しく紹介されている。第3章「ARVを巡る先進国での争い」。アフリカ日本協議会の事務局員・稲場雅紀「シアトルWТO閣僚会議で表面化したエイズ治療薬と知的所有権の問題」。あの時にあったことが記憶の片隅か彼方かに追いやられてしまってはまずいわけで、この報告を掲載。また高橋慎一・堀田義太郎「エイズ危機における米国患者運動の軌跡」は米国内での当人たちの運動を紹介している。さらに、米国の女性のロースクールの院生が「国境なき医師団」と協力しつながら、製薬会社および自らが属するエール大学とやりあって、特許権の不行使を実現させた過程を報道した記事も収録した。第4章は「途上国でのエイズ治療の可能性を開く――ブラジルの挑戦」。

■ COE

 そして記録を辿ってみると、林さんの本が出て、冊子の第1〜3部を出した同じ2005年の11月、林さんに大学(院)に来て話してもらっている。ただ、私のいる研究科――私は先端総合学術研究科という意味不明な名称の、学部にくっついていない大学院だけの大学院にいる――に、この種のことを専門に研究している人はおらず、大学院生にもその研究をという人はその後はいなかったから、誰かやってくるまで、こんなことを時々やっていくのかなという感じだった。
 そんなことをしているうちに、大学教員界隈では知られているものだが、国が数を限ったところにわりあい大きめのお金を出してなにか(研究を)させようというグローバルCOE(「卓越した研究拠点」だそうだ)プログラムというものに応募しなければならないことになった。それで「生存学創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ」という企画を考えた。その全体についてはそのHPを見ていただくのがよいのだが、その企画の一部に「連帯と構築」という項目がある。文部科学省・日本学術振興会に提出した計画書のその項目の一部の説明として、次のようにある。

 「医療援助等に直接に関わる組織とともに世界規模での政策転換・推進を目指す組織に着目する。アフリカのエイズの問題に関わってきたNGOの代表を特別招聘教授に迎えた。さらにアジア、アフリカ等の研究機関・研究者、NGOの活動との連携を強化し研究を遂行。国際医療保険の構想等、国境を越えた機構の可能性を研究、財源論を含め国際的な社会サービス供給システムの提案を行う。」

 大言壮語ということはなろうが、それでもできるところからできることをしていこうと思う。「グローバル」という言葉が冠されているから――その一つ前のは「21世紀COE」というものだった――というのではなく、当然のこととして、国内に起こっていることに限らなければならないことはない。そして、世界でなにがえらいことになっているかといえば、それはエイズである。こういう単純な発想だ。
 そんなふうに思ったから、COEの選考の前から、2007年の4月から林さんに特別招聘教授というものになってもらった。なんだか偉そうだが、月5万円、賞与等々なにもなし、という役である。気持ちとしては、林さん個人というより、AJFといっしょにやれることをやろうということでお願いした。そんな計画を作って書類を書いて出して、その年の5月末に面接試験(ヒアリング)を受けた。結果、当たって、昨年の7月頃から始まっている。
 全体としては着々と様々な仕事を進めているが、この部分はこれからという感じではある。ただ、今はまずはアフリカ関連の情報を斉藤さんたちに集めて掲載してもらっている。と書いた後、今そうして作ってもらったファイルを調べてみたら、国別、テーマ別、その他計116ファイル、すべて文字だけのファイルで合わせて9メガバイト強という量になっている。だいたい0.5メガバイト程度(400字×600枚強)で、それなりに分量のある単行本1冊の文字量になるから、既に20冊分の情報量があるということである。この5月は「アフリカ開発会議(TICAD)」関連のニュースがあったりしたものだから、この月のそのファイル(これだけで本1冊分の分量がある)へのアクセス数は、HPにある1万強のファイルの中で第3位になった。私は、多くの主題について、「分析」の手前の基本的なデータを集めて公開することが、研究機関によってなされるべきだと考えている。そしてそれがあまりなされていないのが残念だと思っている。まだ本格的に始めて1年経っていないこの作業の意義はとても大きいと思う。
 そして、昨年7月にはCOEの企画として、AJFの事務局員をしている稲場雅紀さんに、私が聞き手になって公開インタビューをした。その一部は『現代思想』という雑誌の2007年9月号(特集:社会の貧困/貧困の社会)
に掲載された。さらにその「完全版」が、林さんとともに特別招聘教授になってもらった栗原彬さん(社会学)の講義とのカップリングで、冊子『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』に収録され、さらに山田真さん(小児科医)へのインタビュー他を合わせたが今年中に公刊されるはずだ。そこで稲場さんは、アフリカについて語り、またロビイングなどによって政策に関わっていくNPO・NGOが別のタイプの組織と同時に存在することの意義を語っている。
 それにしても「研究」する人がもっといたらよい。世界のどこにいたってよいのだが、大学院生になって(後期課程から入学も可)、こちらで仕事をしてもらってもよい。南アフリカに派遣、ぐらいのことはできるはずだ。ご検討ください。

◆稲場 雅紀・山田 真・立岩 真也 2008/11/30 『流儀――アフリカと世界に向い我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p. ISBN:10 490369030X ISBN:13 9784903690308 2310 [amazon][kinokuniya] ※


UP:20080601 REV::
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