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連載29〜35・資料

立岩 真也 2008 『現代思想』


※「有限でもあるから控えることについて」は、手を入れた後、以下の本の第3章になりました。
◆立岩 真也 20090325 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 3360 [amazon][kinokuniya] ※ et.

◆2008/02/01 「有限でもあるから控えることについて――家族・性・市場 29」
 『現代思想』36-2(2008-2):48-60(特集:医療崩壊――生命をめぐるエコノミー)
◆2008/03/01 「有限でもあるから控えることについて・2――家族・性・市場 30」
 『現代思想』36-3(2008-3):20-31
◆2008/04/01 「有限でもあるから控えることについて・3――家族・性・市場 31」
 『現代思想』36-4(2008-4):-
◆2008/05/01 「有限でもあるから控えることについて・4――家族・性・市場 32」
 『現代思想』36-(2008-5):-
◆2008/06/01 「有限でもあるから控えることについて・5――家族・性・市場 33」
 『現代思想』36-(2008-6):-
◆2008/07/01 「有限でもあるから控えることについて・6――家族・性・市場 34」
 『現代思想』36-(2008-7):-
◆2008/08/01 「有限でもあるから控えることについて・7――家族・性・市場 35」
 『現代思想』36-(2008-8):-


■■有限でもあるから控えることについて――家族・性・市場 29
 20080201 『現代思想』36-2(2008-2):
■はっきりした早くよくわからない変化
■短絡
■老人病院批判
■寝たきり老人がいない国
■もう一つの発見

■■有限でもあるから控えることについて・2――家族・性・市場 30
 20080301 『現代思想』36-3(2008-3):
■前回の要約・他
■なおす/とどまる:本人において
■なおす/とどめる:援助者他において
■寝たきり/自立

■■有限でもあるから控えることについて・3――家族・性・市場 31
 20080401 『現代思想』36-4(2008-4):
■復習と予告
■控える本人と控えさせない家族という図
■「福祉のターミナルケア」 cf.『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)
■集会/番組/国会

■■有限でもあるから控えることについて・4――家族・性・市場 32
 20080501 『現代思想』36-5(2008-5):
■批判した人たち
■医療の経済
■結果、生ずること
■予め限られている福祉への移行
■結果、生ずること

■■有限でもあるから控えることについて・5――家族・性・市場 33
 20080601 『現代思想』36-(2008-6):

■「後期高齢者」云々
■改革に親和する認識
■調査
■「たんなる延命」

■■有限でもあるから控えることについて・6――家族・性・市場 34
 20080701 『現代思想』36-(2008-7):

■概要
■苦痛
■票の差
■職業人たち
■家族/市民
■人間学

■■有限でもあるから控えることについて・7――家族・性・市場 35
 20080801 『現代思想』36-(2008-8):

■経済的でない人々の賛同
■無駄が無駄であることを承諾したこと
■それを仕事とする人たち
■改革が節約になると言ってしまうこと
■保険として主張し実現されることの制約
■やはり基本をはっきりさせる
■ここ七回の概略



■第29回・註

★01 一九八〇年代から一九九〇年代は今も生きている人たちの多くが生きてきた時代である。ただそうであっても、もう記憶が曖昧になってしまっている部分がある。また、後になって何が起こったのかがわかるということもある。当時の言説について、天田城介氏から多くを教示していただいた。また今後の研究をCOE生存学創成拠点の研究の一環として、天田氏が指導する「老い研究会」が展開することになる。これまでの成果として仲口・有吉・堀田[2007]、田島・坂下・伊藤・野崎[2007]。またHPに資料――http://www.arsvi.com「内」を「老い」で検索していただくと見つかる――を掲載している。
★02 近年のことについて多田富雄『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』(多田[2007])。
★03 横塚晃一『母よ!殺すな』(横塚[1975→2007])。このところ頻繁にこの本に言及してきた。
★04 なおらないのになおると言われて様々された人たちがいた。だから医療に批判的だった。ではなおるのであればそのことはどう考えたらよいのか。本号に収録される山田真へのインタビューの中にもそのことが出てくる。本誌では、二〇〇三年十一月号<特集:争点としての生命> に収録された古井透「リハビリテーションの誤算」(古井[2003])、上農正剛「医療の論理、言語の論理――聴覚障害児にとってのベネフィットとは何か」(上農[2003])。私の書いたものは別の回に紹介する。
★05 会のHP内の資料(老人の専門医療を考える会[2007])他によれば、発足は一九八三年。一九八五年には第一回のシンポジウムが開催されている。
★06 「『この特別養護老人ホームというのは、なんでしょうか』/『ネタキリ老人とか、人格欠損のある方を収容する施設です』/寝たきり老人というのは一つの熟語として専門用語になっているらしいと分かったが、人格欠損は分からない。質問してみると」(有吉[1972→2003:308])。

■第30回・註

★01 医療経済(学)に関わる本は様々あり、よい本もあり、知らないことを記してくれている本もある。それでもまだいくらも調べておいてよいことがある。例えば高価な人工透析の費用を負担できず多くの人が亡くなっていた時期があり、その自己負担をなくそうという運動があり、それが実現したことがあった。一九七〇年前後のことだ。有吉[2008]でその歴史の収集・叙述が始められている。今も安くはないその装置の価格のことをどう考えたらよいのかといったことも含め、様々に調べ考えるべきことがある。新しいものを追ってなにごとかを言おうというのもわるくはない。ただ、現在につながる様々なことの多くは既に起こっている。
★02 植村[2008]は、歯(歯根)を取り出し、そこに穴をあけてレンズをとりつけ、それを眼球として埋め込むという手術を受けたスティーブ・ジョンソン症候群の人や医師に話を聞いて書かれた。このたしかにびっくりする手術を受けて、そしてたしかに成功した人がいる。長いあいだ見えていた人が見えなくなって、そしてまた、様々な制約付きではあるが、見えるようになった。それはおおむねよいことであった。ただそれは、おおおむねそうだということで、様々なことはあった。ではその様々を洗い出し、数え上げて整理すると、その人は手術をやめただろうか。たぶんやはり受けただろう。では数え上げることには意味がないか。そうでもないはずだ。なかなかすっきりした話にはならないとしても、様々な行ないの、様々な人にとっての得失について調べて、考えることはなされてよい。
 そして、なおらないこと、もう起こってしまったよくないこと、それをどうしたらよいのか。十分な答などというものがあらかじめないことがわかった上で、このことに関わる私たちの営為についてを知るということはなされてよい。(そう簡単に)もとには戻らない、消し去ることのできないことがあった時、人はどんなことをするのか。それにしたって一様ではない。もちろん自分のこの状態は、あるいは過去に起こったことは、わるくはないのだと思えた方がよいこと、そして思えることもあるにはある。しかしむろんそんなことばかりではない。その時に人は何をするか。自分のせいにしたり、人のせいにしたり、妖怪のせいにしたりする、等々。それはどのようによく、どのようにうまくいかないところを残すのか。山口[2008]が考えてみている。
★03 こうしたことを捉えた次のような文章もある。引用文中の青梅慶友病院の院長は本文でその著書を引用する大塚宣夫である。次回、二木の著作からは、「無駄な延命治療」が彼の国々でなされていないことについての基本的には肯定的な言及と、「福祉のターミナルケア」論争における石井らの主張を擁護している部分を引用、紹介する予定。やはりなかなかに事態は複雑なのでもあるし、また整理すればそれほどでもない。
 「たとえ早期からリハビリテーションを徹底して行っても、歩行が自立する老人、つまり狭義の「寝たきり」状態を脱する老人は三分の一しか減らせないというのが、冷厳な事実である[…]。
 もう一つの評価の視点は、他人の介助を受ければ、最大限どこまでの動作ができるかということである。[…]私自身の脳卒中早期リハビリテーションの経験でも、発症後早期の「寝たきり老人」のうち約九割は介助をすれば起こしたり、座らせたり、歩かせることができる。それに対して、重篤な心臓疾患や肺疾患などがあり、全身状態が不安定なために医学的な理由から絶対安静を必要とする老人は、一割にすぎない。
 『寝たきりゼロをめざして』という、厚生省の特別研究の報告書の中でも、老人医療で有名な東京の青梅慶友病院の実践例として、自力では起きたり、歩けない慢性疾患・障害老人のうち、介助をすれば起きたり、歩ける老人が九割だと報告されている[…]
 大熊由紀子(朝日新聞)が先駆的に明らかにしてきたように、北欧諸国には、「介護の必要なお年寄り」はいるが、「寝たきり老人」がほとんどいないというのは、この意味においてなのである。[…]
 そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。」(二木[1991:136-138])
★04 田島[2006]が、十全に、というわけではないにしても、こうした仕組みについて、調査し考察している。例えばそこでは、「障害受容」という言葉が本文に記したように供給側にとって都合よく使えてしまう言葉であるがゆえに、かえって自らはこの語を使わないようにしているといった作業療法士の言葉がとりあげられてもいる。
 ちなみに「障害受容」の「概念」には、そこに生じている不利益・不便を自らに発するものと思って悲観することをやめ、それを社会の問題として捉えようという障害学で言うところの「社会モデル」的な視点はきちんと入っている。このように、これらの様々なものは、なかなかによくできたものなのである。問題は、それがどのような場に置かれたときにどのような使われ方をするのかである。
 吉村[2008]では、精神保健福祉の領域において近年使われるようになった様々なツール(例えばその人の状態について質問しながら記入していってその人の状態を把握しようというアセスメント道具一式)の使用法についての調査・考察がなされている。吉村は現今の状況に批判的だが、ではかつてのその場その場での出来事としてあり個人芸としてなされたソーシャルワークを回顧し礼賛しているかというとそういうわけでもない。そんな道具があってはいけないとは言っていない。ただ、それがどのような場でどのように使われてしまうのか、どのような効果を生じさせるのか、それは冷静に見ておこうというのである。
★05 関係者各々にある異なった傾向・利害を取り出し並べた上でものを考えるべきであることは立岩[2000a]で述べ、いくらかの記述を行ってみている。福祉や医療の直接の供給者と利用者とその費用を支払う側と、各々を取り出し、各々の利害の共通性と差異とをふまえて考えるべきことを言い、考えるとどうなるかを述べた。そうした当然のことがあまりなされず、それをふまえてものが言われることがあまりないことはよくないことだと思う。
★06 七〇年代から本が出ていることを前回紹介はしたが、多くの書籍が刊行されるのは一九九〇年代になる。『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究 第2版』(厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課[1990])、『「寝たきり」老人はつくられる――寝たきり大国からの"脱"処方箋』(青木信雄・橋本美知子編[1991])、『寝たきり老人ゼロ作戦』(山口昇[1992])、『「寝たきり」をつくらない福祉――福祉とは何かを問いつづけて』(児島美都子[1993]、講演集でとくにこの主題を論じた本というわけではない)、『医療と福祉の新時代――「寝たきり老人」はゼロにできる』(岡本祐三[1993])、等々。関連する厚生省の通知を集めたものとして厚生省老人保健福祉局老人保健課[1998]。近年もおびただしい数の本が出ている。そのほとんどは寝たきり予防、介護予防についての本である。それらとはずいぶん違う本として『寝たきり少女の喘嗚(こえ)が聞こえる』(山口ヒロミ[1995])といった本もある。
★07 いくつかの事典に執筆した「自立」「自立生活」の語の解説はホームページで読むことができる。すこし長い文章として立岩[1999]がある。
★08 三好春樹の講演記録に以下のような部分がある。
 「私は寝たきり老人が日本に多いっていうのは、決して悪いことではない、いや、それ自体は悪いことなんだけど、マイナスだけで捉える必要はないと思います。というのは、まず寝たきりになっても栄養が行き届くっていう豊かさがないと、寝たきり老人なんていな<いんですよ。脳卒中になって生き長られえる国っていうのは、世界で数えるくらいしかないんですからね。[…]さらにその上、他人に依存しても生きてゆけるという文化を持っているところでなければならない。これ西洋じゃ無理なんです。[…]
 この二つの条件を満たしている国が日本だけなんです。[…]老人の寝たきりをいかに克服していくのかっていう方法論も、この二つを武器にする他ない。一つは豊かさ、もう一つは相互依存です。[…]
 年取った時というのは、長生きした者の特権ですから、援助してもらってありがとうと言えばいいんです。そういう文化をいまだに持っているんですからね。これを使って寝たきりの問題を何とか解決していこうということです。ですから、外国に対して恥ずかしいから寝たきりを減らそうなんていう発想では困るんです。」(三好[1994:9-11])
 この後にはいつものように『朝日新聞』的なものの批判が続くのだが、それはそれとして、そして(本文に記したように、西洋・対・日本という)話がおおざっぱだといった言いがかりをつけられなくはないとしても、ここで言おうとしていることは受け入れてよいことだ。三好は、よく知られているように、寝たきり(寝たせきり)を起こすための知恵を説いて回っている人だが、自らの行ないに対する距離のとり方は心得ている。

■第31回・註

★01 竹中は日本赤十字病院外科部長で自らががんの手術を受けたその体験他を『医者が癌にかかったとき』(竹中[1991])、『癌にかかった医者の選択――残りのいのちは自分で決める』(竹中[1992])、『続・医者が癌にかかったとき』(竹中[1995])、『がんの常識』(竹内[1997b])等に書いた。引用したのはその3冊目の著書から。
★02 例えば私には記憶がない。この種のこと全般についてできることなら知りたくないと思っていることもあるかもしれない。しばらく経ってから、九八年あるいは九九年に、誰かから報告書と『社会保険旬報』のコピーを送っていただいたのではないかと思う。その後、向井[2003]での記述(後で引用)も読んで、気にはなっていたのだが、すこし調べてみたのはそれからずいぶん後のことだ。
★03 海外調査については『週刊医学界新聞』が本文にあげた記事の続報として連載、また広井の『看護学雑誌』での連載で紹介された。海外調査については報告書の参考資料2(白石[1997])。そして竹内[1997a][1997b]でその感想が述べられている。一部を引用する。
 「[聞き手]先生は、厚生省の外郭団体である長寿社会開発センターの「福祉のターミナルケア研究会」に参加されているそうですが、どういう活動をされているのですか。
 [竹中][…]帯広の「とよころ荘」という養護老人ホームをケア訪問したのですが、ここは、老人ホームでありながら、入所者ががんの末期になったり、死期が迫ったりしても、病院に送ったりせず、嘱託医の協力を得ながら、そのままターミナルケアを行っているのです。今まで医師がやっていた最期の看取りに、過度に医師が関与するのではなく、あるところまできたら、医師は、治るか治らないかの見極めだけをきちんとして、あとはそれほど医療がタッチせずに自然に任せるのがいいのではないかと私は思いました。個人の考え方にもよりますが、八〇すぎた人で一〇%くらいしか治る可能性のない治療を強いてやる必要はないでしょう。公的介護保険など、医療よりも介護の方でみるという方向に世の中動いていますので、老人ホームでのターミナルケアの取り組みは重要だと思います。
 […]同じ研究会で、今年一月には、イギリスとスウェーデンのターミナル事情を視察してきましたが、ここでも「医療での死」から「自然な死」への方向転換を実感できました。末期がん患者では苦痛を与える治療行為は行わず、自然の成りゆきに任せているのです。
 私は、治せないがんが見つかったときが人間の天寿だと思っています。」(竹中[1997a])
 「イギリスで見学したセントオズワルド・ホスピスは、日本のホスピスと同じくがん患者が主な対象であるが、日本のホスピスとは基本的なところで相違点がいくつか感じられた。[…]
 このホスピスは「死に場所」というより、これ以上の治療は望めないほど理想的な「在宅死を支える患者のための施設」であり、日本のホスピスが手にできないでいる終末医療のシステムをみごとに機能させていた。
 もう一つの違いは末期がん患者に対する医療態度だ。[…]イギリスのホスピスでの末期がん患者に対する緩和ケアのノウハウを見ると、日本よりはるかに医学的な考察が行われている。」(竹中[1997b:204-206])
★04 著書(滝上[1995])に横内との対談が収録されている。
 「五年前にデンマークに行ったときに、私は大変なカルチャー・ショックを受けました。「延命治療は国民のコンセンサスの中にない」という説明を受けたことです。では仮に延命治療を願い出た患者や家族に対しては医療の反応は如何かという私の質問に対して、「延命治療はしない方向で話し合う」という返事がかえってきたことです。/その代わりに、福祉は手厚い。」(滝上の発言、横内・滝上[1995:249])
 「デンマークでは、医師の方から積極的に延命治療をしない方向で話し合うようですが、延命治療をしないことに国民的合意が成立しているのであれば、それでよいでしょう。ただ、現在の日本でそれと同じことをするとすれば、かなり問題です。延命治療をしないことが、必ずしも国民のコンセンサスが得られているとは考えにくいし、日本人の倫理観では、延命治療を希望する患者は家族に、それを思いとどまらせるように説得することが許される、とは思えません。」(滝上の発言、横内・滝上[1995:250])
 「ヨーロッパ諸国では高齢化に伴う医療費の高騰から、医療サービスの制限を強化していますが、とりわけ末期に顕著です。ヨーロッパのある国の医師から、ヒトが末期にあるか否かは判別できるし、末期ならば治療は控えると聞いたことがあります。私は、治療して治らなかったばあいに、すなわちヒトの死の後でしか、末期であったのか否かは判別できないと思うのですが。」(滝上の発言、横内・滝上[1995:254])
 「北欧諸国の痴呆の高齢者のためのグループホームはよく情報が入りますが、そこで住めなくなった高齢者はどこに行くのかは知らされていない。また、グループホームでの医療がどうなっているかも日本に情報が入りませんね。痴呆の高齢者は急性疾患にかからない、ということはありませんからね。
 北欧の福祉を日本に紹介してくる人々の中には、意図的な情報操作があるのではないでしょうか。」(滝上の発言、横内・滝上[1995:260-261])
★05 一月のフォーラムでも「横内氏の「みなし末期」批判を基調講演(横内[1998a]と同趣旨)とし、開催のよびかけ文においても、「終末期でない状態にまで終末期を拡大解釈し」と、我々の批判の基軸を明らかにしている。私の論文も横内氏の「みなし末期」論を基礎にしながら論理を展開した。もし本気で「医療を否定していない」というのなら、誤解・曲解を言う前に、広井氏は「みなし末期」を明確に肯定している共著者の竹中氏と見解が同じであるのかどうか、末期の定義を改変する意図があるか否かを明らかにすべきである」(石井[1998b(上):14])
 「みなし末期」という語は横内の言葉であり、一九九五年の滝上との対談(横内・滝上[1995]→註(4))、横内[1996][1997]等で説明されている。また著書『「顧客」としての高齢者ケア』でも高齢者への医療の打ち切り・非開始、尊厳死についての記述がある(横内[2001:4-5,101-102 etc.])。
★06 報告書の「冒頭部の論文が「死は医療のものか?」との見出しで始まる。そして、これまでの「メディカル・タームで語られるターミナルケア」から「ノン・メディカルな、つまり医学的な介入の必要性の薄い……長期ケアないし『生活モデル』の延長線上にあるような、いわば『福祉のターミナルケア』が非常に大きな位置を占める」と問題提起をしてから、「『政策としてのターミナルケア』の課題」の検討に入っていく。[…]これまで死が医療用語だけで語られてきたとの指摘はもっともである。産むのも死ぬのも病院まかせの現代人は、自分で生死の演出などとうの昔に投げ捨てているから、老人病院の悲惨な現実は聞き飽きるほど知っているのに、ではどうしたらいいのかわからないので困っているのである。せいぜい、「ぼっくりと死にたいねえ」と井戸端会議で言い合う程度では解決の糸口にならない。一般市民はそのレベルで、でも以前よりは少しぶつぶつ不安を口にし、悲鳴をあげながらどうしたら政策参加できるか悩み始めたところなのだが、報告書の方は一気に「ターミナルケアの経済評価」へと飛んでき、どうしたら終末医療にかけるお金を減らせるかという方向づけを試みる。
 ガン末期の父親に退院を勧めるために使われたことばがふとよみがえった。
 「お父さんはそろそろ畳の上の大往生の時期ですよ。幸せに逝かせてあげて下さい」
 真に受けて退院させたとたん、大往生直前の憔悴し切った人はよみがえって歩きだしてしまったのは余談だが、死をどこでどう迎えるのか、自分や家族の意思を保障するにはどうしたら・u桙「いのか。そちらは手つかずのまま、人のいい現場の職員をコマンドに仕立てあげながら進行させていく「政治的事態」はしっかり見据える必要があるだろう。」(向井[2003:67-68])
★07 山本孝史は、二〇〇七年に議員立法で制定された「がん対策基本法」の成立などに関わり、著書に『議員立法』(山本[1998])『救える「いのち」のために――日本のがん医療への提言』(山本[2008])等があり、二〇〇七年にがんで亡くなった。山本のメールマガジンに尊厳死立法化の動きとこの時の論争にごく短く言及した文章(山本[2006])がある。

■第32回・註

★01 わりあいこのことをはっきりと率直に語っているのは、山崎摩耶(日本看護協会理事、当時)である。
 「今日は福祉関係の方もお見えですか?別に福祉関係の方に苦言を呈するつもりはないのですが、私は医療看護の介入しないターミナルケアというのはありえないと思っております。昨今は「福祉のターミナルケア」とかという論文をお書きの方もいまして、「おいおいおい、ちょっと待ってよ」と言いたい感じがあります。
 特養も全国調査をいろいろ見ますと、半数が自分のところでターミナルを看取れます、と答えていますが、半数が最後は病院に運ぶと答えています。
 先ほど申しましたように、特養のナースの配置数が非常に少ないのではないでしょうか。そうすると特養で、二四時間看護婦がいないところで、どうやって誰がターミナルケアを看るのでしょうか。福祉だけでターミナルケアが出来るのでしょうか。
 ですから、特養に訪問看護婦が二四時間ターミナルケアに外から看護を提供しに行く、という仕組みどうですか?私は真面目に考えておりまして、これは施設間で相対契約をすればいい話ですし、介護保険下では特定施設ですから、有料老人ホーム、ケア付き住宅、ケアハウス等はそういう仕組みが既に出来ております。」(山崎[2001])
★02 「平成八年、私は当時の橋本内閣が六大行政改革を行ったときに、経済審議会の「医療・福祉作業部会」の座長に選出されました。そして一〇月九日、医療・福祉における一二項目の聖域に大きく踏み込んだ抜本的な改善案を建議いたしました。
 医療については、第一番目に重大な課題として、中央社会保険医療協議会(中医協)のメンバー構成が日本医師会に偏っていることの是正を求めました。[…]
 福祉については、第一番目に重大な課題として、日本の医療制度と福祉制度の双方を歪めている「社会的入院」の解消を指摘しました。また、介護保険制度がスタートして以来、多くの民間事業者が活躍していますが、一方で不祥事が多発していることも事実です。総理への建議書の最後では、福祉の民営化にあたり消費者保護の方針を強く訴えました。[…]
 総理に改善書を提出してから、一〇年が経ちました。当時、厚生労働省(当時は厚生省)は自分らの既得権益を侵害されたとしか理解せず、まったく動いてくれませんでし。それが今日となって、そのほとんどが実践に移されていることは、私にとって深い感慨があります。」(滝上[2006:252-253])
★03 保険であれば、一般会計とは別に予算が組まれることになるから、財務省からの制約はいくらか弱い。だから制度の安定性が担保できる、だから保険がよいとも主張されるのだが、そこには官庁の利害も関係し、権益が云々されるのでもある。とくによいことがないとしても、毎年、財務省に伺いを立て折衝するのはつらいことではある。こうした官庁、官庁に働く人たちを支持するのか批判的であるのかで、立場は分かれることもある。
★04 「いまも「終末の儀式」は多くの病院で繰り返されているはずだ。医療経済から言っても、旧弊な「延命至上主義」から抜け出ることが必要だ。」(和田[2005:135])
 和田が、デンマークについて、そこに「寝たきり老人」がいないことを肯定的に記していることについては第29回・2月号で紹介した。その本には、「痴呆のような自立できない人だけが施設ケアの対象になるようだ。」(和田[1991:246])と、比較的あっさりとした記述もある。
★05 「私自身も、一九九二年に、「これからのあるべき在宅ケアを考える場合」には「広義の文化的問題、あるいは価値観に属する問題を再検討しなければならない」と問題提起し、その一つとして「単なる延命治療の再検討をあげたことがある。/しかし」(二木[2000:160])
 本文に掲げたのはここに続く部分である。ここで二木自身が言及しているのは、大塚[1990]、坂井[1991]を参照して書かれている以下の文章。
 「第二は、在宅障害老人に対する単なる「延命」のための医療の再検討である。
 わが国は世界に冠たる「延命医療」の国であるから、在宅の寝たきり老人の状態が悪化した場合には、病院のICU(集中治療室)に入れられることも少なくない。このことの「再検討」とか「制限」などというと、「医療費の抑制」とか「患者の人権無視」といった非難をたちどころに浴びせられる可能性がある。
 しかし、ここで考えなければらならないことは、多くの医療・福祉関係者が理想化している北欧諸国や西欧諸国の在宅ケアや施設ケアでは、原則として延命医療は行われていないことである。
 この点に関しては、有名な老人病院である青梅慶友病院院長の大塚宣夫先生の著書『老後・昨日、今日・明日』[…]がもっとも参考になる。同書によると、大塚先生はヨーロッパ諸国を訪ねて「次の二点の真偽」を確かめたかったそうである。「第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる『寝たきり老人』が極めて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為がほとんどなされていないということ」(一一四頁)。そして結論は、二つともその通りであったとのことである。
 あるいは、ドイツの老人ホームを実地調査した『ドイツ人の老後』(坂井洲二著[…])によると、ドイツでは人々がホームに入る時期を遅らせ、死期が近づいた状態になってはじめて入る人が増えてきたため、「三〇〇人収容の老人ホームで一年間に三〇〇人も亡くなった」例さえあるという(一〇八頁)。わが国でこんなホームがあったら、たちどころに「悪徳ホーム」と批判されるであろう。
 […]わが国では、ヨーロッパ諸国の在国ケアや施設ケアという、なぜか「寝かせきり」老人がいないことに象徴されるケアの水準の高さのみが強調される。しかし、単なる延命のための医療を行っていないという選択もきちんと理解すべきである。
 誤解のないようにいうと、私は障害老人に対する単なる延命のための医療を一律禁止すべきだ、といっているのではない。しかし、事実として、延命治療よりもそれ以前のケアを優先・選択する「価値観」「文化」を持っている国があることを見落とすべきではない。
 そして、わが国でも、今後は同じような「選択」が必要になるであろう。デンマークの福祉に詳しい有名な有料老人ホーム経営者は、「わが国で、一方ではデンマークやスウェーデン並みのケア、他方で効果の非常に疑問な末期の延命医療を無制限に行うとなると、どんな立場の政府でも、その財政負担に耐えられない」といわれている。」(二木[1992:142-144])
 医師であり医療機関の内情をよく知る二木は、唱えられる改革案、なされる改革が様々に非現実的であることを実証的に指摘してきた人だ。急激な改革がよい結果をもたらさないことを言うことは、とくに「現場」で苦労している人たちに支持されてきた。
★06 それが実現するに至る過程については、この制度を推進する側にいた大熊由紀子が回顧して書いている長い連載(大熊[2004-])等があるが、それらも資料・史料として、きちんとした記述・分析がなされるとよいと思う。
★07 他方、デンマークで人工呼吸器をつけて暮らす人たちやその人たちを支える仕組みについて大熊由紀子はいくつも記事を書き、デンマークの筋ジストロフィーの人の書いた本(Krog[1993=1994])の訳書の監修もしている。そうして人が生きていることと、生きるためのことが行なわれないことと、両方ともが事実であるとして、そのことが当地においてどのように辻褄があっているのか、わからない。筋ジストロフィーの人たちは「衰弱」していないということが関係しているのだろうか。
★08 横内はずっとこのことを述べてきた。
 「北欧諸国では延命治療はやらないということですが、それは単に延命治療の放棄ということに止まりません。疾患の治癒の可能性までも放棄しているのではないでしょうか。
 よく北欧の高齢者事情を紹介した本では、老人ホームにおいて、徐々に衰弱し、食事もとれなくなり、水もとれなくなり、静かに息をひきとります。これが「みなし末期」です。一見、老衰に似ていますが、全く違います。衰弱し食事も水もとれなくなった原因は、多く脱水か急性疾患にありますから、その原因を取り除けば元気な姿に戻ります。実際、点滴一本だけで回復する場合もよくみられるはずです。決して、老衰死ではありません。
 つまり、北欧では、食事をとれなくなった状態を意図的に末期とみなして治療しないという、国民の合意が成立しているのです。私は、末期には三つあるといいましたが、第一の「老化の末期」、第二の「生命の末期」に対して、これを第三の「みなし末期」と呼んでいます。日本では、「生命にとっての末期」にどのような医療をとるかという問題でさえも社会的合意は得られていません。まして、「みなし末期」については、議論さえ始まっていない。北欧と日本との、老人医療に対する価値観の落差は、我々の予想をはるかに越えているのです。」(横内の発言、横内・滝上[1995:264])
 同じ対談における滝内の発言は前回に引用した。滝上は 三冊目の単著『「終のすみか」は有料老人ホーム』では、介護保険に懐疑的な記述をしつつ、北欧の福祉とそれを支持する人たちについて肯定的に語ってもいる。
 「私が、北欧諸国の介護と、そこに住む高齢者を、この自分の目でみたくて現地を訪れたのは、平成二年のことです。訪問を強力に支援してくれたのは、大熊由紀子さんと現在は神戸市看護大学教授をしている医師の岡本祐三さんでした。」(滝上[1998:77])
 だが、公的介護保険の開始後、二〇〇一年に『週刊東洋経済』に掲載された文章(滝上[2001])、また四冊目のそして最後の――滝上は二〇〇七年に亡くなった――著書(滝上[2006])では、厚生労働省の官僚に対する辛辣な言葉が随所にあり、「北欧派」に対する批判がある。
 「朝日新聞の社説は、長年にわたり歯の浮くようなデンマーク神話を増幅させながら、介護保険推進の世論をリードしてきた。訪問介護の混乱が誰の目にも見えてきた昨年九月一五日の敬老の日には、デンマークでは施設をなくしてしまい、多数が在宅でケアスタッフによって「食事の介助」を受けている。国際的には、デンマークのような方向が当たり前、と訪問介護を一段と強調した。
 これでは、誰もがデンマークでは手厚い医療と介護があるために家族が同居していなくても家で死ねる、と思い込むのも無理はない。しかし、事実はそうではない。」(滝上[2001])
 「なぜ厚生労働省は、市場規模の予測を極端に低く見積もるという過ちを犯したのか。
 […]高根の花に見える北欧の福祉を日本でも実現できると説き明かし、デンマーク神話の端緒を開いた『デンマークに学ぶ豊かな老後』(岡本祐三著、九〇年、朝日新聞社)はこう語る。
 「訪問看護婦、ホームヘルパー、補助器具支給などの各種社会資源について、その項目だけみて、日本で「デンマークなみ」の老人ケアを実現しようとしたら、いわば「最低限度」の必要分として、「四兆円強かかるだろう」という結果になった。」
 すなわち、四兆円強から施設介護の費用を除くと、在宅ケアは同じく年間約二兆円となる。そして「わずかな金額ではありませんか」と付け加えた。理想の福祉国がわずかな金額で維持できるはずはない、という矛盾にはまったく気づかなかったようである。筆者が前作で指摘したように、実際はデンマークのヘルパーは家事援助が主体であり、医療は不完全であるために高齢者が要介護である期間が相当に短いから、「わずかな金額」ですむのである。」(滝上[2001]、ここでの前作は滝上[1998])
 そして公的介護保険は失敗したと断ずる。滝上の批判と対案をここに紹介することはできないが、基本的には保険の形を批判し税を財源とすることを主張する。定額の徴収は所得格差を考えるとよくないとし、消費税を財源とすることを主張する。(私は、批判については受け入れ、代案にはあまり賛成しない。)
 そして訪問介護で充実を図るのには限界があり、費用がかかるわりに、その労働が細切れになるために労働者に渡らないことを言う。そして、滝上は有料老人ホームの経営者でもあったのだが、施設がやはり必要であるという(滝上[2006:72-74])。(ここでも私は、指摘されている問題はその通りであることを認めた上で、どうしたものかと考える。)
■第33回・註

■註
★01 このことについて、報道他をいくらかHPに掲載している。http://www.arsvi.com「内を検索」で「老い」など。
★02 国会でこの本が取り上げられ、そのことが以下のように報道された。
 「後期高齢者(長寿)医療制度を担当する厚生労働省の職員が、自ら執筆した解説書の中で、死期の近づいたお年寄りの医療費が非常に高額として終末期医療を「抑制する仕組み」が重要と記していたことが分かった。二三日の衆院厚生労働委員会で長妻昭議員(民主)が指摘した。制度導入の本音の一端が浮かんだ形だ。
 解説書を書いたのは高齢者医療企画室長補佐。今年二月刊行の「高齢者の医療の確保に関する法律の解説」(法研)で、七五歳以上への医療費が「三日で五〇〇万円もかかるケースがある」としたうえで、「後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が一時間でも一分でも生かしてほしいといろいろ治療がされる」「家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が負担しなければならないと、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある」などと記述、医療費抑制を訴えている。
 また、補佐は今年一月に金沢市内で開かれた一般向けフォーラムで講演し、独立型の保険とした理由について「医療費が際限なく上がっていく痛みを後期高齢者が自ら自分の感覚で感じ取っていただくことにした」とも発言していた。」(「後期高齢者医療制度――終末期の「抑制」重要 厚労省本音」(『毎日新聞』二〇〇八年四月二四日、記事を書いたのは野倉恵)
 言及されている箇所、「W新しい高齢者医療制度」「29後期高齢者医療制度の給付」「(10)後期高齢者の診療報酬体系」「A後期高齢者の診療報酬体系の必要性」の全文を引用する。
 「年齢別に見ると、一番医療費がかかっているのが後期高齢者であるから、この部分の医療費を適正化していかなければならない。特に、終末期医療の評価とホスピスケアの普及が大切である。実際、高額な医療給付費を見ると、例えば、三日で五〇〇万円、一週間で一〇〇〇万円もかかっているケースがある。
 そうしたケースは、終末期医療に多くある。後期高齢者が亡くなりそうになり、家族が一時間でも、一分でも生かしてほしいと要望して、いろいろな治療がされる。それが、かさむと五〇〇万円とか一〇〇〇万円の金額になってしまう。その金額は、税金である公費と他の保険者からの負担金で負担する。どちらも若人が中心になって負担しているものである。
 家族の感情から発生した医療費をあまねく若人が支援金として負担しなければならないということになると、若人の負担の意欲が薄らぐ可能性がある。それを抑制する仕組みを検討するのが終末期医療の評価の問題である。
 また、後期高齢者の場合は、高額な医療費を使っても亡くなられる事例が多い状況がある。癌で苦しまれている方を含めてホスピスケアで、できるだけ心豊かに亡くなるまでの期間を過ごしてもらう仕組みが必要である。単純に医療費だけの側面だけではなく、その方の幸せの側面からも考えていく必要がある。」(土佐編著[318-319])
★03 人口に占める高齢者の割合が、どれだけ高かろうと一定であれば、ある年齢以上の支払いを無料にしようと、全世代から求めようと、一人あたりの負担は――早くに亡くなる人とそうでない人との間の負担の差は生じるとして――おおまかには同じであり、そして同じでしかない。ただ、多産の時代から少産の時代へという一度だけの変動に伴って、費用を「現役世代」からの徴収でまかなう場合に、その負担が時期によって異なるということはある。つまり、いま高齢者である人たち(がかつて負った)負担よりも今あるいはこれから払う人たちの負担の方がずっと多くなり、それは公平でないから、別の負担の方がよいと言える場合がある。これは簡単な計算でわかることだ。そしてそもそも、年齢によって負担を求める求めないの区別をすることは正当なことではない。そしてこの立場から、年齢によって別立ての制度を設定することの正当性もまた認められないことになる。
 次回に書くけれども、どうすればよいかの基本はまったく単純である。この社会において多くを持つ人たちが多くを払い、少なく持つ人たちが少なく払えばよいのである。すると所得の再分配の問題と医療・福祉といった社会サービスの供給の問題とは別であるなどと言われることがあるのだが、別のものだと考える方が間違っている。このことを――十全に説明しているのではないが――記したこの頃の文章として立岩[2008a][2000b]。
★04 その報告書が末期医療に関するケアの在り方の検討会[1988]。これら調査についての情報はhttp://www.arsvi.com→「「終末期」関係調査・研究」
★05 その報告書が末期医療に関する意識調査等検討会[1998]。最初の意識調査についての報告書等があるのか、今のところわからない。第二回調査の報告書の中でこのときの調査結果が紹介されてはいる。
★06 その報告書が終末期医療に関する調査等検討会[2004]。これら調査についての言及として、例えば以下。  「厚生労働省のパンフレットでは、「単なる延命治療を望まない人も約七割」と書いてありますが、これは正しい表現ではないことです。質問の内容は「痛みを伴い、治る見込みがないだけでな<133<く、死期が追っていると告げられた場合、単なる延命だけのための治療をどう考えますか」というものです。高齢者の場合、痛みが伴わない末期も少なくありませんし、慢性の病気の場合、死期が追っているかどうかの判断も難しいのです。どこからを末期というのかということも問題ですが、はなはだしい研究では、死亡一年前からを末期とみなすようなひどいものもありました。」(今井[2002:136])  「日本では、厚生省が一九九三年に全国の成人男女三〇〇〇人に対し「末期医療に対するアンケート調査」を行っています。その結果は、単に延命を図る治療は希望しない者が多く、また、「積極的安楽死」を希望する者は少ない、ということでした。  時代と共に医学・医療の発展や進歩だけでなく、医療全体を取り巻く環境が大きく変化していることから、国民の医療に対する意識が変化していくであろうことが考えられます。  末期医療に関しては、幾度か同様の調査が行われました。しかし、結果は九三年のものと大きくは変わらず、日本においては「積極的安楽死」はなじまない状況が確認されています。」(真部[2007:123-124])

 
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■文献

 *◆は第29・30・31・32・33・34回の文献表にあげたもの

天田 城介 20080301 「死の贈与のエコノミーと犠牲の構造――老い衰えゆく人びとの生存という戦術」,『現代思想』36-3(2008-3):82-101
天本 宏 1999 「高齢者にとってよい医療とは」,嶺・天本・木下編[1999:89-102]*
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◆――――― 2008 「人工腎臓をめぐる分配と選択」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2007年度博士予備論文 2008b1
◆有吉 佐和子 19720610 『恍惚の人』,新潮社,312p. ASIN: B000J95OE4 690 [amazon] ※→2003 『恍惚の人』(改版)新潮社,新潮文庫,437p. ISBN:9784101132181(4101132186).\629(税込\660) [amazon]
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◆――――― 19980501 「みなし末期という現実――広井氏への回答」,『社会保険旬報』1983(1998.5.1):14-19,1984(1998.5.11):36-29,1985(1998.5.21):32-35 http://www.sekishinkai.org/ishii/opinion_tc02.htm
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寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究 001-054
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◆真部 昌子 20070711 『私たちの終わり方――延命治療と尊厳死のはざまで』,学習研究社,学研新書12,226p. ISBN-10: 4054034756 ISBN-13: 978-4054034754 756 [amazon][kinokuniya] ※ d01 et
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◆大熊 一夫 1973 『ルポ・精神病棟』,朝日新聞社→1981 朝日文庫,241p. 480円 <262> ※ m,
◆――――― 19860531 『あなたの「老い」をだれがみる』,朝日新聞社,朝日ノンフィクション,261p. ISBN-10: 4022555408 ISBN-13: 978-4022555403 1100 [amazon][kinokuniya]→199003 朝日新聞社,朝日文庫,307p. ISBN-10: 4022605898 ISBN-13: 978-4022605894 480.[amazon][kinokuniya] ※,
◆――――― 19880131 『ルポ 老人病棟』,朝日新聞社,322p. ISBN-10: 4022558164 ISBN-13: 978-4022558169 1200 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06→19920301 朝日新聞社,朝日文庫,384p. ISBN-10: 4022606967 ISBN-13: 978-4022606969 612 [amazon][kinokuniya] ※,
◆大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][kinokuniya] ※ a06,
◆――――― 2004- 「物語・介護保険」、『月刊・介護保険情報』 http://www.yuki-enishi.com/kaiho/,
・200406「「日本型福祉」が生んだ「日本型悲劇」――物語・介護保険・4」、『月刊・介護保険情報』2004年6月号.
http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-04.html
・200503 「「悪徳」老人病院からの脱出――物語・介護保険・12」、『月刊・介護保険情報』2005年3月号.http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-12.html
◆太田 典礼 19730615 『安楽死のすすめ』,三一書房,三一新書,223p. ISBN: 4380730077 683(400) [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.
◇大津 秀一 20070110 『「死学」――安らかな終末を、緩和医療のすすめ』,小学館,320p. ISBN-10: 4093876118 ISBN-13: 978-4093876117 1575 [amazon][kinokuniya] ※ b d01.t02
大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][kinokuniya] ※ a06,
◆――――― 2004 「大往生・終いの住処としての施設」,新福監修[2004]
◆大塚 宣夫・黒川 由紀子・桑田 美代子・草壁 孝治 20020820 「座談会」,黒川編[2002:207-239]
◆老人の専門医療を考える会 2007 「老人の専門医療を考える会 四半世紀の歩み」http://ro-sen.jp/tokai/nenpyo.html、『老人の専門医療を考える会』http://ro-sen.jp/
◇Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=20000310 酒井忠昭監訳,『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』,晶文社,371+46p. ISBN:4-7949-6432-3 [kinokuniya][amazon][bk1] ※
◆坂井 洲二 19911010 『ドイツ人の老後』,法政大学出版局,291p. ASIN: 4588050745 2415 [amazon][kinokuniya] ※ a06
澤田 愛子 19960410 『末期医療からみたいのち――死と希望の人間学』,朱鷺書房,269p. ISBN-10: 4886025110 ISBN-13: 978-4886025111 1800 [amazon][kinokuniya] ※ d01
◆新福 尚武 監修 20040521 『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』,老人病院情報センター ,223p. ISBN-10: 4990198301 ISBN-13: 978-4990198305 2100 [amazon][kinokuniya] b a06
白石 正明 197711 「福祉のターミナルケア」に関する海外調査」,長寿社会開発センター[1997:71-77]
◆白木 克典・荒岡 茂・石井 暎禧 20020601 「死亡高齢者の医療費は本当に高いのか――入院医療費の年齢階層分析・1〜2」,『病院』61-6別冊(2002.6.1), 61-7別冊(2002.7.1) http://www.sekishinkai.org/ishii/hp617-1.htm http://www.sekishinkai.org/ishii/hp617-2.htm 『病院』61-7:http://www.igaku-shoin.co.jp/prd/00118/0011849.html
◆終末期医療に関する調査等検討会 20040703 「終末期医療に関する調査等検討会報告書――今後の終末期医療の在り方について」http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/s0723-8.html→終末期医療に関する調査等検討会編[2005:1-125]*
◆終末期医療に関する調査等検討会 編 20050115 『今後の終末期医療の在り方』,中央法規出版,229p. ISBN-10: 4805845775 ISBN-13: 978-4805845776 2310 [amazon] ※ b d01 t02
◆多田 富雄 20071210 『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』,青土社,172p. ISBN-10: 4791763629 ISBN-13: 978-4791763627 1260 [amazon] ※ b r02
◆田島 明子 200608 『障害受容――リハビリテーションにおける使用法』,<分配と支援の未来>刊行委員会,1000
◆田島 明子・坂下 正幸・伊藤 実知子・野崎 泰伸 20070916-17 「1970年代のリハビリテーション雑誌のなかの「寝たきり老人」言説」
,障害学会第4回大会 於:立命館大学 http://www.arsvi.com/2000/0709ta2.htm
竹中 文良 19910325 『医者が癌にかかったとき』,文藝春秋,293p. ASIN: 4163450602 1400 [amazon][kinokuniya][kinokuniya] ※ c09→19940510 文藝春秋,文春文庫,333p. ASIN: 4167343029 500 [amazon][kinokuniya][kinokuniya] ※,
◆――――― 19920825 『癌にかかった医者の選択――残りのいのちは自分で決める』,法研,225p. ASIN: 4879540072 1600 [amazon][kinokuniya][kinokuniya] ※, c09
◆――――― 19951030 『続・医者が癌にかかったとき』,文藝春秋,267p. ASIN: 4163507701 1500 [amazon][kinokuniya] ※, c09
◆――――― 1997a(199703) 「『医』と『死』――21世紀の「医」を考える・3」(インタビュー),『鉄門だより』(5521)1997年3月号
◆――――― 1997b(19970520) 『がんの常識』,講談社新書,221p. ASIN: 4061493566 693 [amazon][kinokuniya] ※, b c09 ts2008
◆――――― 1997c(199711) 「「福祉のターミナルケア」の課題と展望」,長寿社会開発センター[1997:1-3]
◇竹中 治(研究班長)他 1989 『昭和63年度厚生科学研究特別研究事業・寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究・研究報告書』、厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課[1990]
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◆――――― 19981201 『「終のすみか」は有料老人ホーム』,講談社,278p. ISBN-10: 4062093308 ISBN-13: 978-4062093309 [amazon] ※ b a06
◆――――― 20010210 「(続)介護保険はなぜ失敗したか――21世紀の社会保障制度とは」,『週刊東洋経済』5677:78-81
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田中 多聞 19760120『寝たきり老人は起ち上がれる――自立と看護の実際』,社会保険出版社 204p 1200 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1970/7601tt.htm
◆田尾 雅夫・西村 周三・ 藤田 綾子 編 20030410 『超高齢社会と向き合う』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815804621 2940 [amazon][kinokuniya] ※, b a06
◆立岩 真也 1999 「自己決定する自立――なにより、でないが、とても、大切なもの」、石川・長瀬編[1999:79-107]
◆――――― 2000a 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000b:221-354]
◆――――― 2000b 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術」,青土社
◆――――― 20010730 「なおすことについて」,野口・大村編[2001:171-196]
◆――――― 20020201- 「生存の争い――医療の現代史のために」,『現代思想』30-02(2002-02):150-170 ※資料
◆――――― 2002 「ないにこしたことはない、か・1」,石川・倉本編[2002:47-87]
◆――――― 20030300 「障害者運動・対・介護保険――2000〜2002」,平岡公一(研究代表者)『高齢者福祉における自治体行政と公私関係の変容に関する社会学的研究』,文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書(研究課題番号12410050):79-88
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◆――――― 20041101 「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」、『現代思想』32-14:85-97(特集:生存の争い) ◆――――― 20050531 「書評:広井良典『生命の政治学――福祉国家・エコロジー・生命倫理』」,『福祉社会学研究』2
◆――――― 20050710 「障害者自立支援法、やり直すべし――にあたり、遠回りで即効性のないこと幾つか」,『精神医療』39:26-33→20060210 岡崎 伸郎+岩尾 俊一郎 編 20060210 『「障害者自立支援法」時代を生き抜くために』,批評社,メンタルヘルス・ライブラリー15,176p. 1900+ ISBN4-8265-0436-5 C3047 pp.43-54 [amazon][kinokuniya] ※,
◆――――― 20080410 「有限性という常套句をどう受けるか」,上野・大熊・大沢・神野・副田編[2008:163-180]
◆――――― 2008**** 「楽観してよいはずだ」,上野・中西編[2008]
◆――――― 2008a 『良い死』、筑摩書房(近刊)
◆――――― 2008b 『唯の生』、筑摩書房(近刊)
◆土佐 和男 編著 20080200 『高齢者の医療の確保に関する法律の解説――付・高齢者の医療の確保に関する法律』,法研,461p. ISBN-10: 487954714X ISBN-13: 978-4879547149 4725 [amazon][kinokuniya] ※ d01.a06.,
植村 要 2008 「改良型歯根部利用人工角膜――手術を受けた人、手術をした医師、技術開発、三つの歴史の交点として」、立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文
植村 和正 20031220 「終末期医療」,日本老年医学会編[2003:222-225]
◆――――― 2004 「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」」,『日本老年医学会雑誌』41-1:45-47
◆――――― 200606 「高齢者の終末期医療」,『学術の動向』2006年06月号(日本学術会議、特集 終末期医療――医療・倫理・法の現段階)
 http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/pdf/200606/0606_2733.pdf
◆上野 千鶴子・中西 正司 編 2008 『ニーズ中心の福祉社会へ――当事者主権の次世代福祉戦略』、医学書院(近刊)
◆上野 千鶴子・大熊 由紀子・大沢 真理・神野 直彦・副田 義也 編 20080410 『ケアという思想』,岩波書店,ケアその思想と実践1,249p. ISBN-10: 4000281216 ISBN-13: 978-4000281218 2310 [amazon][kinokuniya] ※ c04.
上農 正剛 20031101 「医療の論理、言語の論理――聴覚障害児にとってのベネフィットとは何か」,『現代思想』31-13(2003-11):166-179
和田 努 198208 『老人で儲ける悪徳病院』,エール出版社,187p. ASIN:B000J7FAQS [amazon] ※,
◆――――― 19910901 『老人医療の現場――明日の高齢者福祉を考える』,東林出版社,288p. ISBN-10: 4795235627 ISBN-13: 978-4795235625 1800 [amazon] ※,
◆――――― 2004 「わたしはどんな活動をしてきたか?」http://wadajournal.com/profile/katsudo.htm,『医療ジャーナリスト和田努の「医療・健康・福祉」を考える CONSUMER HEALTH』http://wadajournal.com/index.htm,
◆――――― 20050723 「高齢者医療を考える」,大久保・武藤・菅原・和田[2005:129-141]
山田 真立岩 真也(聞き手) 20080201 「告発の流儀――医療と患者の間」(インタビュー),『現代思想』36-2(2008-2):120-142
山口 ヒロミ 1995 『寝たきり少女の喘嗚(こえ)が聞こえる』、自然食通信社
山口 真紀 200803 「「傷」と共にあること――事後の「傷」をめぐる実践と議論の考察」,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文
◆山口 昇 19920501 『寝たきり老人ゼロ作戦』,家の光協会,222p. ISBN-10: 4259543954 ISBN-13: 978-4259543952 1325 [amazon][kinokuniya] ※ b a06
山井 和則 1991a 『体験ルポ 世界の高齢者福祉』、岩波新書
◆――――― 19910710 「北欧の現状から対策を考える」,青木・橋本編[1991:121-143] ts2007a
◇山井 和則・斉藤 弥生 19940920 『体験ルポ 日本の高齢者福祉』,岩波新書,240p. 780 ※
山本 茂夫 198210 『新しい老後の創造――武蔵野市福祉公社の挑戦』,ミネルヴァ書房,240p. ASIN: B000J7K3GA.→2000 『新しい老後の創造――武蔵野市福祉公社の挑戦』ミネルヴァ書房,247p. ISBN-10: 4623014398 ISBN-13: 978-4623014392 [amazon],
◆――――― 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149.\1,456(税込\1,529) [amazon][kinokuniya] a06,
◆山本 孝史 1998 『議員立法――日本政治活性化への道』,第一書林
◆――――― 2006 「尊厳死法制化と独立型の高齢者医療制度との関連」,『蝸牛のつぶやき』2006/03/05号
◆――――― 2008 『救える「いのち」のために――日本のがん医療への提言』,朝日新聞社
◆山崎 摩耶 20010407 講演 http://homepage2.nifty.com/netmatsudo/yamakouen.htm 主催:地域ネット松戸
横内 正利 199609 「高齢者の終末期医療とは何か」,『imago』1996-9 特集:ターミナルケア
◆――――― 19970515 「高齢者の末期とは何か――高齢者医療への提言・2」,『Medical Tribune』30-20:47
 http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno/3020/20hp/M3020471.htm
◆――――― 1998a(19980301) 「高齢者の終末期とその周辺――みなし末期は国民に受け入れられるか」,『社会保険旬報』1976:13-19
◆――――― 1998b(19980721) 「高齢者の自己決定権とみなし末期――自己決定権の落とし穴」,『社会保険旬報』1991(1998-7-21):12-16,1992(1998-8-1):30-34
◆――――― 1998c(19981201) 「高齢者の自己決定権とみなし末期〈続報〉」,『社会保険旬報』2004(1998-12-1):12-16
◆――――― 20001202 「北欧の高齢者医療はなぜ日本に正しく伝えられないか」,『週刊東洋経済』2000-12-2
◆――――― 20010215 「日本老年医学会『立場表明』は時期尚早」,『Medical Tribune』(メディカル・トリビューン社)
◆――――― 20011004 「再論・日本老年医学会『立場表明』――高齢者医療打ち切りになる恐れあり」,『Medical Tribune』(メディカル・トリビューン社)
◆――――― 20010720 『「顧客」としての高齢者ケア』,日本放送出版協会,197p. ASIN:4140019204 914 [amazon][kinokuniya] ※.
横内 正利・滝上 宗次郎 19950625 「末期医療、尊厳死、老人福祉」(対談),滝上[1995:243-284]
◆横塚 晃一 1975 『母よ!殺すな』、すずさわ書店→1981 増補版、すずさわ書店→20070910 『母よ!殺すな』,生活書院
◆読売新聞大阪本社生活情報部 編 19981125 『いのちを見つめて――終末期医療の現場から』,ブロンズ新社,230p. ISBN-10: 489309159X ISBN-13: 978-4893091598 1600 [amazon] ※ d01.
吉村 夕里 2008 「専門職の統制力――精神障害をめぐるマクロとミクロのツール」,立命館大学大学院先端総合学術研究科2007年度博士論文

◆『週刊医学界新聞』 1997 「死は医療のものか――イギリス、スウェーデンのターミナルケアに学ぶ」,『週刊医学界新聞』2229(1997-2-24)http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1997dir/n2229dir/n2229_05.htm
◆――――― 1998 「高齢者終末期医療への視点――老人の専門医療を考える会シンポジウムより」,『週刊医学界新聞』2299(1998-7-27)http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2299dir/n2299_08.htm

 
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■分量の制約のために第29回に(長く)引用できなかった文章

★「「老人病院」の経営実態の多くは闇の中でした。例外的に明るみに出たのが、埼玉県にある三郷中央病院でした。
 見るに見かねて県に内部告発した職員がいたのです。
 「東京医科歯科大学出身の院長、新潟大学出身の副院長、1カ月3万円で完全看護」が売り物でした。事務職員は東京・千葉・埼玉の福祉事務所を熱心に回り病院をPRしました。集められたお年寄りの7割が東京と千葉の住民でした。
 1980年75床で開院、半年後には177床に膨れ上がりました。[…]そこでの「診療」は、たとえば、次のようなものでした。
・入院した人にはすべて「入院検査」と称して31種類の検査を受けさせ、その後も毎月「監視検査」という名で21種類の検査。/検査はやりっばなしで、検討された形跡はなし/・テレメーターによる心臓の監視の架空請求で1000万円を超える収入/口から食べられる人にも点滴が行われ、お年寄りの顔はむくんでいました。
 点滴を無意識に抜いたりするとベッドの柵に縛りつけられました。写真Aのような褥瘡、尿路感染、肺炎、……そして、平均87日で死亡退院。」(大熊[2004])

 「埼玉県三郷市に「三郷中央病院」がありました。この病院は老人を食い物にする悪徳病院でした。丹念に取材して、廃院に持ち込みました。この事件は国会問題にもなり、厚生省が老人医療を見直しするきっかけになった事件でした。私としては思い出深いスクープです。」(和田[……]○)

 「月刊誌『宝石』(昭和57年3月号)で、NHKディレクターであった和田努氏が三郷中央病院を告発したのが、老人病院の非情な処遇を取り上げた最初のものであった。/和田氏は病院関係者の研究会の席上、私立病院の管理職だった人から、悪質病院の話を聞き、病院に勤めて要る職員や退職した人、家族などから困難な事情聴取を重ね、埼玉の三郷中央病院が典型的な悪質病院であることに確信を持ち、病院の名前を明記して実態を公表することを決意し、記事にした。それに先立って、和田氏は、病院院長から「名誉毀損で訴えるぞ」などの嫌がらせを受けながら、さらに『老人でもうける悪徳病院』(エール出版)で、薬づけ検査づけの実態やお年寄りをベッドに縛り付ける看護婦の姿を詳細に伝えている。
 […]和田氏の告発を契機に、厚生省は検査づけ点滴づけの老人医療を改善するために、昭和58年老人保健法を制定した。一ジャーナリストの果たした社会的意義は大きい。」(山本[1995])

 大熊一夫もこの病院を取材している。「本書は、『週刊朝日』昭和60年(1985年)3月22日号と同年7月19日号からどう12月20日号、および昭和61年(1986年)1月31日号に掲載された『ルポ 老人病棟・あなたの「老い」をだれが看る』をまとめたものである。」(大熊[1986:6])
 「閉鎖性の強い精神病院に閉じ込められている人々は、この世でも最も虐げられた階層である。そんな病棟の中でさらに最下層におかれているのが、いわゆる「ボケ老人」たちであることを、私は初めて知った。人生の最終楽章をこんな形で送る人々がいるのは、ひどく気になった。」(大熊 [1986:8])
 「小説『楢山節考』でおりん婆さんが捨てられたのは、人里は離れた雪山だった、しかし、現代の姥捨山(ルビ:うばすてやま)は、大都会周辺部の田んぼの中に立っていた。 首都高速を筑波の例の科学万博会場方面へ二十分ほど走り、三郷(ルビ:みさと)インタで降りてUターンし、南へ六、七キロ下ったあたり、そこに三郷中央病院はあった。[…]いったい、どんな診療が行なわれていたのか。」(大熊[1986:28-29])

 「三郷中央病院など悪徳病院の摘発をきっかけにして、昭和五十八年二月に生まれた「老人保健法」という法律のおかげで、お年寄りの患者によかったと思われる診療が十分にできにくい雰囲気になってしまった、というのである。」(大熊[  ])

 「天本さんは「お年寄りだから」という理由で、治療の手を差しのべないのは罪悪だと考えている。/こんな事件があった。/老人保険法が施行されて四ヶ月後の五十八年六月、医療費請求額三千万円のうち約一割の三百万円分が保険の審査会でバッサリ減額された。「減点通知書」にはこう書かれていた。/「特定患者収容管理料算定の症例に対する運動療法は妥当と認められません」/この患者さんは、ひらたくいえば、寝たきりで全面介護を必要とする鼻腔栄養の人であった。寝たきりになった人にはリハビリは不必要だから、そんな請求はダメだというのである。「脳軟化症の(人の)腰痛に運動療法は認められません」という通知書もあった。これに対して、天本さんは猛然と意義を唱えた。」(大熊 1996:217)

■分量の制約のために第30回に(長く)引用できなかった文章

★「なんで寝たきりはゼロにしなければいけないのか。寝たきり老人がいるのは、日本だけだなんて言いますね。朝日新聞あたりが主催するセミナーなんか行きますと、みんな暗い顔をして帰ってくるそうです。西洋は素晴らしくて、日本はだめだ、一体どうなるんだろう。[…]
 私は寝たきり老人が日本に多いっていうのは、決して悪いことではない、いや、それ自体は悪いことなんだけど、マイナスだけで捉える必要はないと思います。というのは、まず寝たきりになっても栄養が行き届くっていう豊かさがないと、寝たきり老人なんていな<0009<いんですよ。脳卒中になって生き長られえる国っていうのは、世界で数えるくらいしかないんですからね。旧共産圏だとか、発展途上国ではできないですからね。さらにその上、他人に依存しても生きてゆけるという文化を持っているところでなければならない。これ西洋じゃ無理なんです。西洋は自立してなかったら人間じゃない、っていう世界です。自立のためには必死でやりますが、一度他人に依存しちゃうと、もう生きていけないという世界ですね。依存して生きていけるというのは、東洋なんです。
 この二つの条件を満たしている国が日本だけなんです。それで寝たきりが多い。日本の悪徳みたいに言われていますが、そういう意味では老人の寝たきりをいかに克服していくのかっていう方法論も、この二つを武器にする他ない。一つは豊かさ、もう一つは相互依存です。自立というのは、人間にとっては幻想みたいなものですね。自立、自立なんていわれていますが、自立して生活している人なんか、どこにもいないんです。
 人間は一生に3回、他人に頼らなければいけ<0010<ない。子供の時、病気の時、年取った時です。最後の年取った時というのは、長生きした者の特権ですから、援助してもらってありがとうと言えばいいんです。そういう文化をいまだに持っているんですからね。これを使って寝たきりの問題を何とか解決していこうということです。ですから、外国に対して恥ずかしいから寝たきりを減らそうなんていう発想では困るんです。」(三好[1994:9-11])

■分量の制約のために第31回に(長く)引用できなかった文章

★「夫妻で尊厳死協会に入っておられた。病気についても過不足ない知識をもち、しっかりした死生観をももっておられた。手術のあとは定期健診を続け、必要に応じて入退院を繰り返していた。前々からの希望で、治療の手段が何もなくなって、衰弱が進み、いよいよという時点に達したなら、自宅で過ごしたい、とういのがお二人の一致した考え方だった。[…]<228<
 ところが、これだけ自分の考えをしっかりもった人たちでも、個人主義を貫くことは難しかった。それがこの国の現状、平均値ということだろうか。親戚が見舞いにきては、「この状態で医者にもみせず、病院にも入れないとはなにごとか」と轟々の非難が夫人に浴びせられた。夫は夫人一人の大切な人でない。結局はそれらの人々の反論に屈した。
 病人は、見覚えのある個室で目を覚ました。酸素吸入が施され、彼の体には点滴、フォーレ、心電図と複数のチューブがつながれていた。
 「どうして、こういうことなってしまうのだ?」
 弱々しいながら、腹立ちまぎれのため息がもれる。不本意な最期はただただ気の毒だった。
 いわば冠婚葬祭要員としての親戚に押し切られたかっこうで、時間をかけ熟慮した二人のプランは生かされなかった。納得のゆく終末期医療については、個人の意志だけではでうにもならない部分があるようだ。」(竹中[1995:227-228]★)

★「イギリスで見学したセントオズワルド・ホスピスは、日本のホスピスと同じくがん患者が主な対象であるが、日本のホスピスとは基本的なところで相違点がいくつか感じられた。
 私の直感だが、いくつか見たイギリスのホスピスには日本のホスピスに充満する緊張感<0204<とか使命感のような一種の「重さ」がない。[…]
 このホスピスは「死に場所」というより、これ以上の治療は望めないほど理想的な「在宅死を支える患者のための施設」であり、日本のホスピスが手にできないでいる終末医療のシステムをみごとに機能させていた。
 もう一つの違いは末期がん患者に対する医療態度だ。<0205<
 […]イギリスのホスピスでの末期がん患者に対する緩和ケアのノウハウを見ると、日本よりはるかに医学的な考察が行われている。日本では、痛みにしても病的または肉体的疼痛や精神的痛みとか苦しみはともかく、具体的に説明できない霊的痛みという表現まで出現する。それで患者の苦痛が理解できたような気になる。イギリスでの緩和ケアチームの行為を見ると、もっと具体的でフィジカルな視点から患者のニーズをとらえている。
 日本でももう一度医学的な原点に戻り、論理的な考察が必要であることを痛感した。[…]
 イギリスで感じたことの最後は、緩和ケアにおけるチーム医療についてである。」(竹中[1997b:204-206])

★ 「これからの時代においては、”長期にわたる介護の延長線上”にあるような看取りが大きく増加し、そのような場合には、狭義の医療のみならず、介護など生活面のサービス、家族への支援を含めたソーシャル・サポートといったものの重要性が非常に大きくなる。したがってこれからのターミナルケアにおいては、医療と福祉(+心理)の連携を含めたより総合的なアプローチが求められていると思われる。こうした問題意識から、筆者らは数年前、「福祉のターミナルケア」と題する国内外の調査研究をおこない、調査結果と提言を報告書としてまとめた。」(広井[2000:144])

★ 「日本でも高齢化が進展するにつれて、なぜ北欧諸国で延命治療がないのかを、財政事情や価値観や福祉国家の中身などの点から歴史的に検証していく必要がありますね。北欧は、今後の日本の医療の在り方について多くの示唆を与えてくれると思います。しかし、現状は、北欧諸国の老人福祉の情報は日本にたくさん知らされていますが、老人医療の実態、ことに末期については、何も知らされていないに等しい。
 北欧諸国の痴呆の高齢者のためのグループホームはよく情報が入りますが、そこで住めなくなった<0260<高齢者はどこに行くのかは知らされていない。また、グループホームでの医療がどうなっているかも日本に情報が入りませんね。痴呆の高齢者は急性疾患にかからない、ということはありませんからね。
 北欧の福祉を日本に紹介してくる人々の中には、意図的な情報操作があるのではないでしょうか。」(滝上・横内・滝上[1995:260-261])


UP:2008 REV:20080123,27 0228 0315,29 0417,21 0514 1004 20100315, 20130928, 1003
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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