HOME > Tateiwa >

香川知晶『死ぬ権利』・3

医療と社会ブックガイド・89)

立岩 真也 2008/12/25 『看護教育』49-(2008-12):
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


  香川はカレン・クインラン事件の過程を詳しく跡付けるとともに、この事件に関わりながら、行く道に様々がありえた生命倫理(学)が、大きくは一つの方向に収斂するようになったと述べる。
  「問題は医療技術のコントロールからいかにして個人の死を奪還するかという点にあった。このテーマに対して、米国の生命倫理は個人の自律を徹底的に主張することで、事例の個別的な事情を救い上げようとした。」(p.360)
  第一文について。そのように事態が捉えられていたこと、語られたのはその通りなのだろう。この間の推移についての第一の理解は、医療による支配が存在していたが、この裁判等によって、医療が医療者のものから「市民」のものになったというものである。ただ、存在していた事態がそれだけであるかと言えばそうでない。
  香川自身、この事件において医療における主導権が医療者の手から離れたのとするデイヴィッド・ロスマンの解釈を批判している(pp.21-28)。私は、連載第1回でロスマンの本『医療倫理の夜明け』(原著1991、翻訳2000、晶文社)と、香川『生命倫理の成立』(2000、勁草書房)を取り上げ、その論述にかなり類似したところがあると述べたのだが、ここで香川は理解に差異があることを示しているのだ。
  既に「差し控え」は行なわれていた(p.222)。しかし医療者は訴追を恐れていた。だからこの判決は歓迎されるものだった。たいへん立派な、献身的な活動してしてきた医療者であっても、あるいはあるからこそ、毎日、あまりにたくさんの「終末期」の人を見てくると、もうよいのではと思うことはおおいにありそうなことだし、実際多くある。医療は常に延命の側にいるとは限らない。それはすくなくとも一面的な見方だ。
  その上で、やはり主導権が移動したという言い方はできよう。しかしその移動も、医療者側にとっては負担の軽減であるとも言える。面倒なことを自分で決めなくてすむのはよいこと、すくなくとも楽なことではある。
  こうして、医療を専門家から市民へというこの事件・裁判の見方、この時代にあった変化の捉え方は、すくなくとも不正確だと言える。(このことについてより詳しくは、拙著『良い死』序章、『唯の生』第3章「有限でもあるから控えることについて」。)
  次に、以上にも関わり、技術・対・人間という第二の捉え方はどうか。この部分について香川の書き方はすこし微妙だ。前々回でも引いた「医療施設での死[…]そこに見られる漠たる不安[…]現代医学の生み出すモンスター」(p.344)といった表現は、その時代に言われたことであるとともに著者の見方でもあるようにも読める。ただ、ここにある不安・恐怖を、人間性を侵害する技術に由来するとだけ捉えるのは違うように思う。以後、バイオエシックスは、様々に新しい技術を許容し肯定するのでもある。(「自然な死」について『良い死』第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」。)
◇◇◇
  だから、医療者への批判、技術への抵抗というところから見るだけでは十分でない。むしろ、前回に引用した判決文他にはっきりと書かれていることは、ベッドに横たわっている人間に対する否定的な感情・認識である。
  以前紹介したシンガーたちの議論は、この第三の要因を基点に構成される。つまり、そこに横たわる人は「有資格者」ではないというのである。この本を読んできて、やはり私には、人の「質」に関わる価値・判断が、この事件でも大きな位置を占めていると思える。
  そしてもう一つ、第四のものが、最初の引用にあった「自律」である。これは今あげた第三の意味でも使われるが、そこではそれは特定の人間のあり様についての評価であるのに対して、ここでは、どのような自らのあり様をよしとするのか、それを判断し決定する主体のあり方――を尊重するべきであることを――を指している。
  この「自律」は、カレン・クインランの場合には――自身をどうするのかについての自身の決定としてそれを捉えるのであれば――無理がある。けれども、それが採用された。どうしてそれが可能であったかと言えば、皆が、ゆえに本人も、確実に、そのように横たわっている状態を、その生を止めるべき状態と判断する(第三点)はずであるとされたからである。
  このように二つは組み合わさる。また、第四のものとした「自律」がなぜ最重要とされるかを考えてていくと、第三のものとした価値が関わっていることがわかる。
  これらは、この社会においてまったく新しいものではない。ずっとあってきたものだ。忌避や恐怖は、ある程度はどこにでもあるものなのかもしれない。ただここでは、それは「正しい」ものとされる。そしてバイオエシックスは、学問ではあるのだから、たしかに様々を疑ったりするのではあるが、しかし、結局は、この信仰に内属するものであって、その堅固な土台の上に構築されたものである。このことをずっと私は思ってきたのだが、この本は、実証的にそのことを示している。
  だから、ここに示された装置は新しいものではないと、むしろ近代(の米国のような)社会において正統なものであったと私は考える。その上で、この時期が、「延命技術」の進展によって、延命する人たちが現われ、増えてきた時期であったという事情が加わって、この学が確立し、発展を遂げていくことになる。そんな筋が見える。たしかにそこには専門家の権威や科学技術を懐疑し批判してよいという時代の気分が関わったのでもあろう。しかしそれが中心にあったとは思われないということだ。
◇◇◇
  「生命科学・医学を社会的観点から吟味するという生命倫理の役割は、規制の倫理、原則アプローチ、最小限倫理といった組み合わせを唯一の選択肢とするわけではない。その意味では、現実に米国で成立し、展開された生命倫理は、成立期以前の「アンソロジーの時代に伏在していた多くの可能性のひとつを実現したものにすぎず、そこから抜け落ちた視点があると見ることもできる。」(p.363)
  このように香川は述べ、そしてレオン・カスが中心となって「科学史、心理学、人類学、哲学、社会学、経済学、政治学、法学など多様な研究者を集めた2週間にわたるシンポジウム」をもとに1975年に出された報告書に言及する。
  「ここで注目されるのは、報告書が、[…]新しい技術自体の評価や目的、人間の本性の理解、選択されるべき価値といった哲学的問いの重要性を強調している点である。そうした問いを研究し、答えを与えることは難しい。しかし、人間とは何であり、何であるべきかという問いを問うことなしには、個々の技術評価は十分なものとはなりえない。それがカスを中心に報告書をまとめた生命科学と社会政策委員会の確信だった。
  ここには、生命倫理がまだ形をとっていなかった時代における問題意識を見ることができる。新しい段階を迎えつつある生物学や医学の研究が予測させる未来社会への懸念、それは生物医学研究の意味とともに、人間の条件や社会のあり方を根本的に問いなおそうとする志向を呼び起こすものであった。」(p.365)
  もう基本は出来上がっているのだから、あとは応用問題を解けばよい、ということにしないで、もとのところから考えていった方がよくはないかと香川は言うのだ。そのやり方として、よく人々が持ち出す、諸学の連携、学際的活動、文化的・文明的視点の導入といったものがどれほど役に立つかとなると、すこし私は懐疑的ではあるけれども、基本的には同じように思う。そしてそれは徒らに問いを引き延ばすことではないと思う。そう手間とらず、さっそく考えることもできる。
  例えばその「植物状態」について。私は、まったく何も感じていないという状態があるとして、その状態にいる人について、その生命を維持するべきであると主張する立場には立たないことになる。しかしまず、実際にその人がどんな状態にあるのか、わかりようがないところがある。そして回復・改善はときにある。そして、現にその状態にいる当人にとってわるいことは起こっていない。とすれば、基本的には、「延命」を続ければよいと考える。
  すると、そんな考えもあるとして、どうするかはやはり自分が(予め)決めることだろうと、当然、言われる。そこでそれにどのように応えるか、考えて言うことになる。あるいはまた、費用対効果を無視するべきではないと言われるだろう。それもまたもっとも、その通りだと認めた上で、やはりなにごとかを言うことになる。そんなふうにして、さきにあげた2冊の本を書いた(いずれも2008、筑摩書房刊)。

このHP経由で購入すると寄付されます


■表紙写真を載せた本

◆香川 知晶 20061010 『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』,勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][kinokuniya] ※, be.d01.et.

■言及した文献

◆Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=20000310 酒井忠昭監訳,『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』,晶文社,371+46p. ISBN:4-7949-6432-3 [amazon][kinokuniya][bk1] ※ be.
◆香川 知晶 20000905 『生命倫理の成立――人体実験・臓器移植・治療停止』,勁草書房,15+242+20p. ISBN:4-326-15348-2 2800 [amazon][kinokuniya][bk1] ※
◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 2940 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,
◆立岩 真也 2008/**/** 『唯の生』,筑摩書房 ※ d01.et.,



◆立岩 真也 2008/10/25 「香川知晶『死ぬ権利』・1」(医療と社会ブックガイド・87),『看護教育』48-(2008-10):-(医学書院),
◆立岩 真也 2008/11/25 「香川知晶『死ぬ権利』・2」(医療と社会ブックガイド・88),『看護教育』48-(2008-11):-(医学書院),


UP:20080920 REV:(誤字訂正)
安楽死・尊厳死:米国  ◇医療と社会ブックガイド  ◇医学書院の本より  ◇書評・本の紹介 by 立岩
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
TOP HOME (http://www.arsvi.com)