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香川知晶『死ぬ権利』・1

医療と社会ブックガイド・87)

立岩 真也 2008/10/25 『看護教育』49-(2008-10):
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


  じつは、もう8年目の半ばを超えてしまっている本連載の第1回(本誌2001年1月号)で、同じ著者の、単著としては第1作ということになる『生命倫理の成立――人体実験・臓器移植・治療停止』(2000、勁草書房)を、ディヴィド・ロスマン『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』(原著1991、訳書2000、晶文社)とともに紹介したのだった。それらの本は、今回の本より前の時期、医学者による人体実験の告発を一つのきっかけとしてかたちを作っていくイオエシックスの成立のあたりを追ったもので、それも、その現地にいて、現場に立ち会ったわけではない私たちには、貴重な本だった。
  そして今度の本は、主に、1975年に始まるカレン・クインラン事件を追う。それはとても有名な事件だということになっているのだが、しかし、本当はどれだけの人が知っているだろう。当時何冊かの本が出たのだが、みな絶版になっている。そしてそれらは、おおむね、事件の顛末(あるいは途中までの経過)を伝えるものであり、それはそれで大切ではある。だだ、その事件ゆえに、とは言えないとしても、それと連動して、米国において、「生命倫理(学)」と訳されることになる「バイオエシックス」が大きなものになり、制度化されていく過程がある。それを描き、そのことの意味を考えることはとても大切なことである。この本ではそのことがなされている。
  その必要性について著者自身が「あとがき」で述べている。
  「緊急性に応えるきっぱりとした結論を提示してみせる「生命倫理学者」は日本でも育ちつつある。だが、それにしても、明確でわかりやい結論が元気よく出されれば、それで十分というわけにはいかないだろう。そうした元気よさには、時として、事実による裏づけと粘り強い思考、つまりは知恵が欠けているように見えることがないとはいえない。しかも、少し調べてみればとてもいえそうにもないことを平気でいいきるのは、痛切な緊急性をもつ生命倫理的な問題の場合には、たんなる迷惑をこえた害をもたらしかねない。そうした恐れを避けるには、問題から距離をとり、生命倫理なるものや自己の立場を相対化する努力も同時にするほかないだろう。歴史的な検討が必要だというのは、そうした意味においてである。
  最近、ある優れた科学史家がさる研究会で生命倫理の問題を取り上げ、丹念な歴史的分析を介して現状批判に説き及ぶ報告を行ったとき、もうそうした細かなことをいうのはやめて、大局的な立場に立って(つまり、批判はやめて)行動しましょうといった類の反応が若手の「生命倫理学者」から出されたという話を友人たら聞いて驚いたことがある。歴史のもつ意味についても、今や、あからさまにいわなければならない時代なのかもしれない。」(香川[2006:389-390])
◇◇◇
  この9月に私は、単著では6冊目になる、『良い死』なる題の本を筑摩書房から出してもらった。安楽死・尊厳死・治療停止…について、つまりは、香川のこの本の主題について書いた本だ。その序章で、上掲した香川の本の「あとがき」の同じ箇所を、拙著ではもう少し長く、引用している。
  今あるものがそれでよいものなら、そうに決まっているのであれば、それができあがるまでの過程を知ることは必ずしも必要ではない。しかしそうは思わないのであれば、話は違ってくる。私も思わない人の一人であり、香川に同意する。今度の私の本(実は、書いていったら3冊になって、それはその1冊目なのだが)は、自分で決める、自然な、利他的でもある死について考えてみましたというものなのだが、もちろん同時に、人々がどのようにものを言ってきたのかを知ることが必要だ。
  この本に記されているのはクインラン事件(あるいはカレン事件)だけではない。この事件を追う第T部「カレン・クインラン事件」の10章の後、全体の約3分の1を占める第2部「生命の倫理の転回」では、サイケヴィッチ事件、ブーヴィア事件、ベビー・ドゥ事件、ナンシー・クルーザン事件といった、よく言及される、しかしある程度以上は法学関係の論文にしか書かれず、そしてそれらの論文では多くの場合に裁判・判決のことしかわからない事件について、かなりの知識を得ることができるし、これらの事件を通して、この30年ほどの米国の流れがわかり、その意味でもこの本は有用である。さらにごく短くではあるが、19世紀から20世紀の英米における安楽死論が紹介されている箇所(pp.113-119)がある。また「死ぬ権利」という言葉を早くから用いていたジョブセ・フレッチャーの主張についての紹介もある(pp.161-164)
  クインラン裁判だけをとっても、幾つかの要素がある。第T部を紹介するだけでも長くなる。実際に読んでみるしかない。ということにしてようと考えたのだが、なかなかに入り組んだこの本に取り組んでもらうためにも、幾つかポイントと思うところを紹介したらよいと思った。よって、この本の紹介も1回で終わらないことになる。
◇◇◇
  まずその(カレン・アン・)クインラン事件について。その人は1975年4月15日に急性薬物中毒で意識を失う。同年9月12日、ニュージャージー州高等裁判所に父親が、「生命活動を維持している通常以上の手段すべての停止を許可する明示的機能を付与する判決を下す」ことを求めて提訴(p.4)。同年11月10日判決。請求が退けられる。17日、州最高裁判所に上告。1976年3月31日判決、父親を後見人として認める。同年5月22日、人工呼吸器が外される だが自力で呼吸を続ける。1985年6月11日肺炎による呼吸困難で死去。(年表はpp.29-31。)
  つまり「延命処置の停止」を求める側(原告側)と、それを受け入れられないと主張する側(被告側)がいた。その主張は裁判の過程でもいくらか変化していく。
  一つ、この本に書かれているのは、米国において(も)、「安楽死」は、第二次大戦後、ナチスの所業を想起させるわるいものとなっていたこと、被告側は、停止という行いは、安楽死の行いだと主張したことである。
  米国でニュルンベルク裁判のことを知らせる論文は1949年に出ているが、その事実はそのまま継承されたわけではない。この連載第1回でも、戦争の反省から直線的にバイオエシックスが出てきたのではないと述べているのを紹介したのだ。ただその上で、その頃、ナチスの記憶を呼びさますようなことが起こったのだという。
  「ナチスの安楽死の記憶が新たにされたばかりのところに、クインラン事件は起った。米国では、医学における人体実験をめぐるスキャンダルが世間を騒がせたばかりだった。[…]タスキーギ事件が報道されたのが一九七二年、政府の調査委員会の報告書が出たのが七三年、そして国家研究法が成立したのが七四年である。[…]健全なアメリカとは無縁な出来事として、ほとんど忘れられていたナチスの犯罪とニュルンベルク綱領も、その意義が再評価されていた。」(pp.118-119)
  被告側は、これは安楽死であり、ナチスの所業につながるものだと主張する。それに対してどう応えるのか。それはこの事件の原告側のことだけではなかった。著者は「死の権利」を早くから主張してきいたジョゼフ・フレッチャーもまた、ナチスとの違いを言おうとしていることを紹介している。その人は、ナチスのやったことは安楽死ではないと言い、そして、安楽死を肯定する(p.163)
  ただこの裁判では、原告側は別の言い方をしたのだと言う。
  「クインラン事件の原告側の主張は、それ以前に展開されていた「死ぬ権利」の主張と同じ図式、すなわち、医療テクノロジーからの人間性の回復という要求に立ちながら、その主張の枠組みう微妙にずらしたものになっている。そのずれは、通常と通常以上の区別を背景としながら、自然への回帰というレトリックによって生み出された。死ぬ権利は安楽死ではなく、治療の停止をめぐる権利として再登場した。それは、「死ぬ権利」という問題設定を、ナチスをめぐる応酬の常套的枠組みから切り離し、日常の問題として人々に意識させる結果をもたらす効果をもつものだった。」(p.164)
  まず一つ――だけでないことは次回に紹介する――、人工的な空間な技術による支配、襲侵に対する自然という図が示されたのだ。
  「現代の死に対する関心は、医療施設でのに向けられていた。それが死の言説の脱タブー化という現象をもたらした。そこに見られる漠たる不安、かては何かが違うという意識が、クインラン事件の登場によって、現代医学の生み出すモンスターという明確な表象を伴った恐怖に結びついた。こうして主張されたのが、「死ぬ権利」だった。」(p.344)


■表紙写真を載せた本

◆香川 知晶 20061010 『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』,勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][kinokuniya] ※, be.d01.et.

■言及した文献

◆Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=20000310 酒井忠昭監訳,『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』,晶文社,371+46p. ISBN:4-7949-6432-3 [amazon][kinokuniya][bk1] ※ be.
◆香川 知晶 20000905 『生命倫理の成立――人体実験・臓器移植・治療停止』,勁草書房,15+242+20p. ISBN:4-326-15348-2 2800 [amazon][kinokuniya][bk1] ※
◆立岩 真也 2008/09/05 『良い死』,筑摩書房,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 2940 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,



◆立岩 真也 2008/11/25 「香川知晶『死ぬ権利』・2」(医療と社会ブックガイド・88),『看護教育』48-(2008-11):-(医学書院),
◆立岩 真也 2008/12/25 「香川知晶『死ぬ権利』・3」(医療と社会ブックガイド・89),『看護教育』48-(2008-12):-(医学書院),


UP:200808 REV:(誤字訂正)
安楽死・尊厳死:米国  ◇医療と社会ブックガイド  ◇医学書院の本より  ◇書評・本の紹介 by 立岩
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