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同じ問題であることについて
立岩 真也
20071007
”脳死”、安楽死、終末期医療を考える公開シンポジウム
―4月「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」発表に続く
「同調査・検討会年度内立ち上げ」(厚労省)への勉強・監視を― 於:東京
・1 「尊厳死」のことについては、様々に書いてきたので、略。
今年中には、筑摩書房から
著書
を刊行予定。
・2 脳死が問題なのであれば、もちろん、尊厳死も問題である。
:そうなったら死ぬことにするその状態は「死」ではないとは言えよう。
他方、脳死は、「死」の状態であるか否かが問われている。
その限りでは違うようにみえる。
しかし、生命維持のためのことをしないかどうかが問われているという点では
2つは同じ。
そして、多くの場合、脳死の状態の方が「重い」。
そして、その状態において、生命維持の停止が認めがたいのであれば
当然、尊厳死が問題になる状態についても認めがたいことになる。
…この自明なことがどこまで認識されているかという問題。
・3 にもかかわらず、脳死については、それなりの細々した議論がなされた
のに、尊厳死については、あまりそのようでないように思える。
脳死について強い疑義を申し立てた人が、尊厳死についてはさほどでない
のはなぜか。
・尊厳死については「選択」の問題とされるからだろうか。しかし、
脳死の場合についても、本人の意思・選択の問題と、
この状態で何をする/しないとは別のことだとも言われていたはずだ。
まず2を確認し、3が不思議であることをわかってもらう。
その上で、いくらか、時間があれば、続ける。
UP:20071002 REV:
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安楽死・尊厳死
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臓器移植・脳死
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立岩 真也
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