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『母よ!殺すな』+コラムを一つ

―知ってることは力になる・48―

立岩 真也 200712 『こちら”ちくま”』55(2007-4)


  私たちにお金をちょうだい、と、東京(の日本学術振興会)に行ってしてきたプレゼン原稿を2回に渡って掲載させていただきました。今年は、そんな準備の仕事を前半にやって、それに当たったので、その<グローバルCOEプログラム・生存学創成拠点>をどんな具合にやっていくかいろいろと算段し、これまでやってきたことを続け、新しくいくつか始めといったことをしていました。まだしてます。というか、しばらく、ずっとやっていくことになります。つい最近は、資料室の場所が決まって、本を移動しました。『こちら”ちくま”』もふくめ、送っていただいている機関紙もファイルして並べています。昨日もその整理の仕事をしてもらってましたが、まだまだ終わらない、というところです。
  それ以外には、私自身は、労働についてのいつ果てるともしれぬ連載を『現代思想』で続け(12月号で27回)、他にもこまごまと書いたり話したりという具合でした。尊厳死だとか延命治療の中止だとかについて書いた暗い本を終わらせるつもりでしたが、まとめるとなるといろいろと足りないところや足したいところが出てきて、これは年を越してしまいます。
  そんなわけで自分の本というのはなかったのですが、それより重要な1冊、横塚晃一の『母よ!殺すな』の再刊が、今年、実現しました。1970年代の初めから中盤、青い芝の会の活動を率い、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)の発足に関わり、1977年、42歳の若さで亡くなった脳性まひ者・横塚晃一の本です。すずさわ書店から1975年に出版され、1981年に同じ出版社から増補版が出たのですが、長く入手できない状態で、「幻の名著」化していた本です。それに、「伝説の名画」、原一男監督の最初の作品『さようならCP』のシナリオを付し、さまざまな資料を付し、もとの3倍ぐらいの厚さになって、昨年設立された出版社・生活書院から、出ました。私、「解説」書かせてもらってます(この部分はHPで読めます)。厚いけれども安いです(2500円+税)。買いましょう。よい新年が迎えられるでしょう。
  さて、この本のことを書くとたくさん書くことがあるので、やめます。こちらの地元の『京都新聞』の夕刊の「現代のことば」というコラムを2、3月に1回書くことになりました。以下はその1回目。もうとっくに終わった参議院議員選挙のあたりに掲載された文章です。松本の人は当然この新聞読まないですし、言っとかねばと思うことを書いたので、再掲させてもらいます。
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  「削減?・分権?」、『京都新聞』2007年8月3日夕刊2面・現代のことば
  選挙の前にこれを書いているのだが、与野党の対立の構図が鮮明に、などと言われるわりに、皆が同じ話をしていると思う。つまり、とにかく無駄使いを減らします、節約します、歳出削減をしますという話をしている。もっと違うことを言えばよいのにと思う。
  節約はよい。しかし、冷静に考えれば、それで減らせる分は、また減らすべき分は、たかがしれている。そして、さらにまずいのは、そうした風潮の中で削るべきでないところが削られてしまうことだ。
  代わりに、取るものをきちんと取ればよい。私はそう思う。すると、とてもそんなことは納税者である有権者には言えないと、政党や候補者に返されるだろうか。しかしそんなこともない。これは別に書こうと思うが、課税の累進性、つまりたくさん持っている人がたくさん税を出す仕組みをきちんとさせればよいだけのことだ。多くの人が忘れているが、この国はしばらく前に累進性を緩めてしまい、そしてずっとそのままにしてきた。そんな方向を進んできたのはアメリカと日本ぐらいのものだ。さしあたり課税の仕方をもとに戻すだけでもかなりのことができる。だからそうします、とすなおに言えばよいのにと思う。
  そしてもう一つよくわからないのは、なんでも地方分権ならよいことになってしまっていることだ。
  その土地の人がよく知っていて、その土地の人が決めた方がよいことがたくさんあるのはもちろんだ。しかしだからといって、税金を小さい地域単位で徴収するのがよいことにはならない。またお金のあるなしは土地によって違う。それを補整することはその土地の中ではできない。高齢者の割合など人口の構成も違うし、産業も違う。地域間に格差が出るのは当然である。たとえば人の数がとても少ない中で、やっかいな病気を抱えて生きていくのにたくさんのお金が必要な人がいると、財政的に厳しい、お金が出せないと言われる。それでその人は死んでしまう。実際の話だ。そもそも、生活保護といった制度を地方に委ねてしまうのがよい理由などない。それはかえって地方の力を弱くする。
  もちろんそれに対してはいろいろ手を打っていると言われるのだろう。ちかごろも自分の出身地に税金を納めてよいようにするといった案が出された。わるいとは言わない。しかしめんどうだし、結局、格差がきちんと是正されることにはならない。誰もがわかることだ。
  代わりに、広くから集めて、少ないところに渡す。本来はその単位は国家でも狭すぎるのだが、とりあえずは国がその単位になる。そして建物や事業でなく人に、個人に渡す。そうしたらよいと思う。
  それは国の権限を強くしてしまうことになるだろうか。たしかに動く額は大きい。しかしそれは右から左に動くものが大きくなるというだけのことである。お金を動かすこと自体にはそう手数はかからない。簡単なきまりを作ってあとはきまりどおりにやるだけなら、行政コストはかからない。どこにどれだけ渡すかを決められる権限を小さくし、いばる人を少なくすることができる。
  この9月に「障害学会」という学会の大会がある。立命館大学(二条駅近くの朱雀キャンパス)が会場になる。その一日めの十六日に、そんなことをテーマにしたシンポジウムを行なうことになった。その詳細は、私たちの「生存学創成拠点」のホームページで見ることができる。「生存学」で検索すると最初にそのホームページが出てくる。


UP:20071206 REV:1213
自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
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