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不肖継承

立岩 真也 2008
世織書房(予定)


  *栗原彬先生の立教大学→明治大学退職を記念して刊行される冊子(の予定であったのが世織書房から本になって出るそうです)のための原稿

  どのような近さと遠さがあるのか。共感と距離感と、それをうまく言えない。比べて私はひねこびているということか。人を信じていないということか。ただ、そんなに悪ぶっても仕方がない。私が学恩を受けた人たちから何を受け取り、その上でなお、どのようにものを書いたりしてきたのか。そのことはもっときちんと言わねばならないと思う。だが、それはまた別の機会にしよう。そういえば昨年、見田宗介(真木悠介)先生にインタビューをという企画をある雑誌からいただいた。この時も何を聞けばよいのだろうと考え、結局、実現することはなかった。簡単なようでもあり、難しいようにも思う。そのうち、ということにさせていただく。と言いながら、すこし。
  御著書の読者であるだけだった私が先生にお会いしたのは、この冊子に文書を寄せているはずの石川准市野川容孝と同じく、『思想』の二〇〇〇年一月号「アイデンティティの政治学――身体・他者・公共圏」、二月号「生命圏の政治学――生命・身体・社会圏」にその「成果」がまとめられた研究会でだった。私はその特集に「選好・生産・国境――分配の制約について」という文章を書かせてもらった。二月号の方に掲載され、一度で終わらず、次の号に後半が掲載されており、その一部は、拙著『希望について』(青土社、二〇〇六)に載っている。今は、何を言っても、「人が足りない、金が足りない」と言われる。だから、生命の話をしようとするなら、あるいはその話をする前に、金の話をせねばならない。しよう。そんな文章である。
  例えばそんな文章を書くことが、私なりの引き継ぎ方ということなのかもしれないと思う。私の前の人たちが、私に「気持ち」を与えた。それはまったくよいもので、そして正しいものだと、私は思っている。そして、だからやっていこうとも、やっていけるとも思ってきた。抗するべきものに抗すればよいと思ったし、そうすることにした。その上で、その先を、あるいはその手前を考えること、そんなことをしたい、と私は思ってきたのだと思う。
◇◇◇
  さて、昨年、私たちは、来年度(二〇〇七年度)に大きめの研究費の申請をせよと言われた。私は立命館大学の大学院の先端総合学術研究科という意味不明な名称の職場に勤めているのだが、そこは学部をもたない大学院で、当たろうが当たらなかろうが――普通に考えれば、当たらない――そんな申請をすることは半ば私たちの宿命なのである。それでいったい何を「研究」するつもりなのか、それははっきりしていた。大学院生の約半数は関係することが大きな理由の一つでもあった。だが、誰にその「代表」になっていただくかが問題だった。それで私たちは夏前から、もう何か月も考えあぐねていたのだったが、なかなか思いつけず、困っていたのだった。そして十一月だったか、その申請の関係で、すこし大阪大学に用があって、同僚の天田城介さんと松原洋子さんと出かけたその帰り、電車の中で、天田さんが、「栗原先生はどうでしょう」、と言ったのだ。「そうだった、栗原先生がいらっしゃるではないか、よいではないか」ということに、突然話はまとまって、私たちはそれからとても浮き浮きとした気分になったのだった。先生の勤め先のことが気にかかったのだが、やはり同僚の西成彦さんに確認してもらったところ問題はないということで、さらによかった、となった。
  結局、代表は、立命館の専任の教員がよく、そしてそんなに立派でなくてよく偉くもなくてもよく人格者でなくてもよいということになり、そういうことだったらもっと早く言ってくれよと思ったのだが、私がその申請の代表ということになった。そして、今年の一月から二月、約一月、書類書きをしていた。そんなわけで時間がとれず、依頼をいただいたこの文章も書けず、ということだったのだ。
  ただ先生には、特別招聘教授――といってもすこしも学校法人立命館から厚遇されたりはしないのだが――として、この企画の「事業推進担当者」の一人になっていただいた。私たちの研究科は二〇〇六年度が四年目なのだが、その開設のはじめから、毎年、先生には集中講義を担当していただいてきて、ここの「変」な大学院生たちのことを気にかけていただきもし、また大学院生たちも先生を慕ってきた。その先生に、まだ私たちと付き合っていただくことになったのである。
  以下、その申請書類の一部を、順序を変えたりして、掲載させていただく。これもまた、私(たち)の前の人たちの行ったこと・考えたことを引き継ぐ仕事ではあるのだろうと、これがせいぜい私(たち)が引き継げる、そのやり方かな、と思う。私たちは、もう癖のようなもので、引いたり、退いたり、深く信じなかったり、斜にかまえたりしがちなのだが、そんな様子を見ると、先生は苦笑されるかもしれない。しかし、それなりに真面目にはやろうと思っている。お金が来なければ来ないなりに、(さ来年度以降)来たら来たなりに、なにかしようと思っている。そしてこの企画の一環として、この秋にでも、先生の例年の集中講義にかこつけて、なにかお話をしていただける機会を、とも思う。その節はどうぞよろしくと、この場を借りてお願いし、さてその恥かしい書類の一部を。
◇◇◇
  「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ
  《問》世界最高水準の優れた研究基盤や特色ある学問分野の開拓を通じた独創的、画期的な研究基盤を前提に、拠点としてどのような人材育成や研究活動を行うのか、それによりどのような拠点を形成するのかなどの拠点形成計画の構想・目的・必要性について記入してください。
  《答》【構想】様々な身体の状態を有する人、状態を経て生きていく人たちの生の様式・技法を知り、人々のこれからの生き方を構想し、あるべき社会・世界を実現する手立てを示す。
  【目的】人は様々な異なりのもとで生きてきたし、生きている。人がみな同じなのであれば、人はみな同じだけ働くことができ、交換は起こるとしても、贈与の必要はない。また、人がみな同じなら、他者を欲することもないかもしれない、同時に、敵対の理由も見つけにくいかもしれない。しかし人は異なる。人とその身体は不可避に変化する。だから私たちは「周縁」的なものが珍しいからそれを問題にしようとするのではない。普遍的な現実を主題にする。むしろ、多くの学問が数少ない「普通」の人を相手にしてきたのだ。
  もちろん病人や障害者を対象にする医学や福祉学はある。ただ、それは治療し援助する学問だから見えるものが限られる。はるかに多くの現実がある。同じ人が技術に期待しつつ技術を疎ましいとも思う。身体を厭わしく思うが大切にも思う。援助を得ながらもそれと別の生がある。自ら得たものがある。援助する人・学問・実践・制度と援助される人との連帯・協力があると同時に、摩擦・対立がある。それらがしっかりと捉えられ考えられることはなかった。そこで私たちが本格的に学的に追究する。その上で、未来の生のあり方、支援のあり方を構想する。
  そこで、第一に、その歴史と現在とを知り、考える。障老病異を巡って起こり語られてきた、膨大に知られるべき事実があり資料もある。だが、その集積はどこでも本格的にはなされていない。実践的な諸学においては自らの仕事に直接に関係する範囲の情報だけが集められてきたためでもある。またその含意が十分に深く検討されることはなかった。多くの学術論文は、事実の記述をいくらか行い、その後少し考察を行うと終わってしまう。共同作業・共同研究によって集めるべきものを集めきり、それを土台にして、本格的な考察がなされるべきである。
  第二に、差異と変容とを経験している人たちやその人たちとともにいる人たちが学問に参加し、学問を利用し作っていく場と回路を作る。誰もが「本人」の参画はよいことだと言うが、その仕組みは実際に作られていない。また、専門家はときに望まれないことをし、望まれることをしない。その人たちも、それではいけない、何かをせねばと思うのだが、何をしたらよいかわからない。だから両者をともに含み、繋ぐ回路・機構を作る。
  第三に、このままの世界では生き難い人たちがどうやって生きていくかを考え、示す。世界的には知られていない経緯があって、この国は、その一部においてではあるが、重度の障害・難病の人が、他の国々より生きていられる国になった。それを無駄で過剰なこととだけ捉えることができるだろうか。他方に、同時に、はるかに困難な状況におかれている人たちが世界に多くいる。そうした人々の皆が生きていける仕組みを作ることは不可能ではないはずだ。
  【必要性】人がそうして生きているから、生きていた方がよいから、どうして生きてきたかを知ること、どのようにして生きていくかを考え、示すことは必要である。それは当たり前のことだが、その当たり前のことがなされていないから、この研究と研究拠点は独自の存在意義を有する。そのために様々な学問分野のすべてが有効であり必要であるが、たんにみなを足し合わせ混ぜ合わせればよいのではない。大切なことはそれぞれがどこまでのことができるか、できないのか、すべきなのか、すべきでないのか、それを考えることである。だから自らの領域だけにとどまろうとしない人たちが一つの拠点に集まり、研究を進める意義があり必要がある。そして、既に大学院に集まり、これからやってくる、多数の、様々な出自・多様な属性の人たちとともにそれは行われなければならず、その人たちを世界のどこででも通用する研究者とする必要がある。
  《問》本拠点が我が国のCOEとしてどのような重要性・発展性があるのか、いかに優れたもの、または、ユニークであるかについて、国際的な水準から見た現状等を具体的かつ明確に記入してください。
  《答》◇「生命倫理学」の拠点はある(米国ヘイスティング・センター等)。病はよくないから、なおす。では、なおらず、もっとわるくなったらどうするか。それは本人が決めることだ。煎じつめれば生命倫理学はそう言ってきた。それはよい知恵である。しかし世界にあるものはそれだけか。なおることを切望しているが、その手立ては今はない、何も決められないが生きている。それは迷妄であるのか。そうは思われないなら、その生を別様に捉えられるということである。
  ◇新しい学問である「障害学」は違う立場をとる。その拠点もある(英国リーズ大学等)。私たちにもその学に関わり、研究者たちと関係を有する者がいる。それは、なおらない障害については補い、受容し、さらに肯定しようとする。それももっともである。しかしなおったらそれはそれでよしとするのか。こうした問いもまだ残されている。
  ◇「社会政策」の学もあり、世界中で研究されている。経済学や政治学などが関わる。疑いなくそれらは必須である。貧富の巨大な差の克服は大切である。ただ、ともすれば絶望的になってしまう困難をどう越えていくか、まだすべきことはある。そしてその際、リスクとその回避・軽減という捉え方で十分か。これらもまた考えるべきこととしてある。
  ◇そして、生死を越える「哲学」や「宗教」も魅力的である。しかしそうたやすく達観できるものでもないなら、生にとどまって、そこにある葛藤を捉え、束の間の愉しみを持続する途を、この世で、具体的・現実的に探ろうとする。その思い・試み・行いは世界中に様々あるが、様々に分散してもいる。世界的な拠点は存在しない。その拠点になる。
  ◇まず日本で起こったこと、考えられたことを知り、知らせる。私たち自身が調べ、考えてきたことを知らせる。この国の人文社会科学は、内外の事情の紹介で半ば終わってしまい、国内のことは国内で閉じてしまってきた。事実の記録、研究の成果、発信する中身は私たちにあるが、資源がないために妨げられてきた。その状態を脱却するために、研究基盤を確立し、効率的に成果を産み出し、集積し、成果を速やかに他言語にすること、その恒常的な回路を作ることが必要である。それによってその次に進むことができる。
  ◇そしてこれはこの国のことを知らせるだけにとどまらない。世界のどこにでもあるのに従来の学によって掬われてこなかった思想・行動、主張・技法を取り出す。例えば病による共通性のもとでどのような対話が国境を越えて生み出されるのか、その対話・議論の場を具体的に設定し、ともに考える。それを世界へ発信し、世界の共有財産とする。
  《問》拠点形成計画の概要
  《答》なにより日常の継続的な研究活動に重点を置き、研究成果、とりわけ学生・研究員・PDによる研究成果を生産することを目指す。効率的に成果を産み出し集積し、成果を速やかに他言語にする。そのための研究基盤を確立し、強力な指導・支援体制を敷き、以下の研究を遂行する。
  □T【集積と考究】身体を巡り障老病異を巡り、とくに近代・現代に起こったこと、言われ考えられてきたことを集積し、全容を明らかにし、公開し、考察する。◇蓄積した資料を増補・整理、ウェブ等で公開する。重要なものは英語化。◇各国の政策、国際組織を調査、政策・活動・主張の現況を把握できる情報拠点を確立・運営する。資料も重要なものは英語化。こうして集めるべきものを集めきる。それは学生の基礎研究力をつける教育課程でもある。◇その土台の上に、諸学の成果を整理しつつ、主要な理論的争点について考究する。例:身体のどこまでを変えてよいのか。なおすこと、補うこと、そのままにすることの関係はどうなっているのか。この苦しみの状態から逃れたいことと、その私を肯定したいこととの関係はどうか。本人の意思として示されるものにどう対するのか、等。
  □U 差異と変容を経験している人・その人と共にいる人が研究に参加し、科学を利用し、学問を作る、その場と回路を作る。当事者参加は誰も反対しない標語になったが、実現されていない。また専門家たちも何を求められているかを知ろうとしている。両者を含み繋ぐ機構を作る。◇障害等を有する人の教育研究環境、とくに情報へのアクセシビリティの改善。まず本拠点の教育・研究環境を再検討・再構築し、汎用可能なものとして他に提示する。また、著作権等、社会全体の情報の所有・公開・流通のあり方を検討し、対案を示す。その必要を現に有する学生を中心に研究する。◇自然科学研究・技術開発への貢献。利用者は何が欲しいのか、欲しくないかを伝え、聞き、やりとりし、作られたものを使い、その評価をフィードバックする経路・機構を作る。◇人を相手に調査・実験・研究する社会科学・自然科学のあり方を、研究の対象となる人たちを交えて検討する。さらにより広く研究・開発の優先順位、コストと利益の配分について研究し、将来像を提起する。
  □V このままの世界では生き難い人たちがどうやって生きていくかを考え、示す。政治哲学や経済学の知見をも参照しつつ、またこれらの領域での研究を行い成果を発表しつつ、より具体的な案を提出する。◇民間の活動の強化につながる研究。現に活動に従事する学生を含め、様々な人・組織と協議し、企画を立案し実施する。組織の運営・経営に資するための研究も並行して行い、成果を社会に還元する。◇実地調査を含む歴史と現状の分析を経、基本的・理論的な考察をもとに、資源の分配、社会サービスの仕組み、供給体制・機構を立案し提示する。◇直接的な援助に関わる組織とともに政策の転換・推進を目指す組織に着目。国際医療保険の構想等、国境を越えた機構の可能性を研究、財源論を含め国際的な社会サービス供給システムの提案を行う。


UP:20070301 REV:
栗原彬
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