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不毛な『貧乏探し』超えよう

立岩 真也 2007/02/15
『朝日新聞』2007-2-15 三者三論


  私は約20年前から、障害者問題の研究を続けている。多くの障害者にとって生活保護は、暮らしを支えるための重要な制度になってきた。
  国が生活保護費の削減を狙う→メディアが「不正な受給者がいる」とキャンペーンを張る→それを口実に国が引き締め策を採る……。そういう光景を何度か見てきた。
  一部の「悪質な人」をダシにして語られる支援抑制論には警戒をした方がいい。「審査を厳格にしろ」と言いたい気持ちも分かるが、厳格化によってはじき出されてしまう「本当に保護を必要とする人」の数は一般に、それによって除外される「悪質な受給者」より、ずっと多い。
  アルバイトで働く人などが「働いている自分より生活保護を受けている人の方が多くのお金を得ているのは不当だ」と、生活保護制度や受給者を批判する場合もある。そう訴える人は、とても低い報酬で働いているわけだ。
  自分は貧乏だと思っている人が、自分より少し恵まれている人を引きずりおろす……この種の言説が増えている気がする。だが客観的に見るとそれは、経済的に「中」の人と「下」の人がそろって沈下していく結果を招いてしまう。本当は「私も一緒に助けてくれ」と言うべきなのだ。
  生活保護を考えることは、分配の問題を考えることである。私は「どのような状態にあっても人が暮らせるようにすること、暮らせるだけのお金を得られること」と「格差を小さくすること」を社会の基本にすべきだと思う。
  今の市場経済システムを前提にする限り、必ず、たくさんもうかる人とお金の足りない人が出てしまう。だから、収入の多い人から少ない人へお金を渡す、つまり所得の傾斜をなだらかにする。それが国家のなすべき仕事の基本部分だろう。生活保護はそのための重要な手段である。
  とはいえ、「貧乏な人に仕方なく渡す」という今の発想だと、不毛な「本当の貧乏」探しに足をとられる。「あいつは本当に貧乏なのか」「あいつは違うんじゃないか」……これでは話が暗くなるばかりだ。新しい所得保障のあり方を構想した方がいい。
  たとえば今、失業の機会が増え、失業保険を使えない人も増えている。次の職に就けるまでの間、所得保障を受けられた方が心強いな、と思う人たちがいる。ほかにもワーキングプアと呼ばれる人や、離婚をして経済基盤を失った人など、様々な「所得の足りない人」が現れてくる。
  ならば、生活保護の制度をベースに支援を拡充し、所得保障を必要とする幅広い人たちがより手軽に保障を得られる制度を作った方がいい。
 こう言うと、「財政事情が許さない」「私たちの取り分が減る」との反論が来る。だが、裕福な人からもっと税金を取るようにすれば、階層的に中間や下側の人たちが負担増を味わうことはないはずだ。具体的には、所得税の累進率を高めればいい。
  平等化は国家のコストを高め、管理を強めるとも言われる。だが、累進率を高める政策に多くの公務員は必要ない。貧しい人に所得保障をすることは、生活の自由度を高め、生活への管理を防ぐ政策でもある。「金持ちがお金を好き勝手に使う自由」は、確かに制約されるけれど。
  内輪もめ中の「中」と「下」の人々が「生活保障のためにお金持ちからいただこう」と発想を変えれば、そこに多数派が生まれるはずだ。露骨な言い方だが、私はまじめにそう考えている。(聞き手・塩倉裕)


UP:20070325 REV:
  ◇貧困
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