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自立支援

立岩 真也 20080115
『応用倫理学事典』,丸善 http://pub.maruzen.co.jp/


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◆加藤 尚武 他 編 20080115 『応用倫理学事典』,丸善,1100p. ISBN-10: 4621079220 ISBN-13: 978-4621079225 [amazon][kinokuniya] ※

■[自立支援] 36×67行(草稿)

  【3つの自立】障害者運動の展開を受けて社会福祉学が整理したところでは、自立に少なくとも3つの意味があるとされる。複数の意味をもつこの言葉が、そのいずれを意味するのかがよくわからないように、あるいは複数の意味を同時にもつ曖昧な語として使われていることの意味が重要である。
  まず、自立は安定した職業に就くこと、経済的に他人に依存せずに暮らすこととして、すなわち「職業自立」「経済的自立」としてある。そして、公的扶助や福祉サービスの目標は、この意味での自立が達成され、社会的支援自体が不要になることとされる。例えば生活保護の目的は「自立助長」にあると言われる。この時、この語は古典的な意味での「自助」(self-help) と互換的である。この意味の自立・自助自体に第一次的な価値を付与し、他をそれに従属させることがなされてきた。近代とその時代の社会事業の底流にそれは存在し続けてきた。
  次に自立とは「身辺自立」、「日常生活動作」の自立(「ADL自立」)を意味する。日常語としてのリハビリテーションで目指されるのがこれである。それは職業自立の前提ともされるが、経済的自立はもはや不可能だが日常生活動作において自立できる範囲があるとされる時もある。この場合にはしばしば、日常生活動作における自立が経済的自立の不可能を代補する価値とされることになる。
  これらの自立が他に優先する目標とされる時、そのいずれもが容易でない人は自立困難な人とされ、社会的支援の外側に置かれることにもなる。これらのいずれでもない自立が、1970年代に始まる障害者の「自立生活運動」で主張される。それは自己決定権の行使として一般に捉えられる。すなわち、介助など種々の手助けが必要であればそれを利用しながら、自らの人生や生活のあり方を自らによって決定し、自らが望む生活目標や生活様式を選択して生きることを自立とする。
  ただ、事実に即するなら、「自立生活」とは、親元や施設から離れ、ひとまずは一人で暮らすこと自体を指した。そのために「自立生活センター」を設立し、「自立生活プログラム」を提供し、生活を実際に可能にする介助・介護システムの確立を目指した。それを自己決定する生活への移行と言うことはできる。しかし、彼らが具体的な生活の仕方をもって自立(生活)と呼び、自己決定、自律(autonomy)、(としての自立)を最初の唯一の原則とすることに必ずしも同意しなかったことは示唆的である。従属と保護から逃れて暮らすことと、自己決定を達成すべき目標とする生活を送ること、この微妙な差異は重要である。彼らはその意義を積極的に規定せず、「正しい」生活を示そうとはしない。普通の状態を普通に実現することをあくまで要求し、同時に、普通が普通とされないことの意味を問うた。たいていの生活に確たる目標などないことを脇におき、ことが「福祉」となると、好ましく正しい状態として例えば「自立」を語ってしまうことの奇妙さの自覚がここにはある。その運動は、施設を増やすのが福祉であり、家族による保護を基本的に望ましいものとする社会にあって、それと異なることを実現しようとした点で画期的だったが、もう一つ受け取るべきは、自立だの自己決定だのをなにかたいそうなものにまつりあげないその姿勢の意味である。
  【自立支援?】このような経路を経て、自立は当の本人たちにおいても、看板として使われる肯定的な語になった。ただ、社会全般が、この3つを経て、一つ目と二つ目の重みを軽くし、三つ目についても大切にしつつ一定の距離を置くようになった、わけではまったくなかった。
  まず、高齢者の「自立支援」とは、さすがに職に就くことは求められないとして、つまりは身辺自立であり、早期リハビリテーションであり、介護予防であり、筋力トレーニングである。機能回復のない障害と異なって、脳血管障害等の場合に早期のリハビリテーションが有効なことはたしかにある。それにしても、自分の身体をなおして使えるようにすることと別の方法を用いることの損得を、本人において、きちんと測るべきだという提起はここで踏まえられているだろうか。
  そして依然として自立の主流は第一の意味での自立であり、むしろこの自立の強調は強まりもする。福祉国家を批判しそれを超えると称する主張の中で、福祉政策を切り詰め「自己責任」の原則を採ることで、福祉政策によって衰退しつつある自立・自助の精神を再建し、財政危機を解消し経済を活性化できるなどと語られる時にも、同じ意味で自立の語は用いられている。若年者、公的扶助の受給者に対する「自立支援」とは、まず、その人たちを職に就かせることを目指す行いである。むろん、現場では、政治的・財政的な目論見によってではなく、支援者の使命感や善意から、その支援は行なわれているのではあろうし、少なからず効果のあることもたしかにあろう。しかし、障害が関係する場合とそうではない場合と事情に違いはあるとしても、そんな支援をされたところで仕事はやはりない、すくなくともよい仕事がない場合がある。そしてその場合の「責任」はやはり、そして目に見える障害がある場合よりさらに、自らが負わされることになる。
  そして「障害者自立支援法」(2006年施行)である。当人たちに肯定的な語となった語を冠しているが、それは同時に、第一・第二の、より普通に受けのよい意味での自立をも指しているだろう。しかし、つまりは財政的な要請に発して作られたこの法は、すべての意味での自立をむしろ妨げることになると、多くの人に受け止められた。どんな生活が、そのための支援が、基本的に求められるのかを確認しと、なぜそれが困難なこととされてしまうのかを見定め、困難(とされるもの)を排することが、まっとうな自立支援であるはずである。


 ◇自立・自立生活(運動)independent living movement
 ◇自己決定
 ◇障害者自立支援法・2005障害者自立支援法・2006
 ◇自立生活センター
 ◇自立生活プログラム


UP:20061101 REV:
身体×世界:関連書籍  ◇立岩 真也
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