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プライバシー

堀田 義太郎立岩 真也 2008
『応用倫理学事典』,丸善 http://pub.maruzen.co.jp/


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◆加藤 尚武 他 編 20080115 『応用倫理学事典』,丸善,1100p. ISBN-10: 4621079220 ISBN-13: 978-4621079225 [amazon][kinokuniya] ※

■[プライバシー] 36×67行(草稿)

  プライバシーは日本語の辞典では「私的・個人的(プライベート)」な領域に属することがらについて他人から干渉されない「状態」と、その状態に置かれることに対する当人の「権利」を指すとされる。しかし英語の "Privacy" には「権利」という規範的な含意はない。Privacyは第一義的には他者や社会の利害関心や注目を免れて(自由に)「一人で存在している状態(state or condition of being alone)」を指す。
  【米国におけるプライバシー権の拡張】次にどんな対象がプライバシーの状態に置かれるべきか。「私事・私生活・親密な関係」に関わるものとされるが、その対象の性質に即して五つの次元が区別されたりもする。第一に身体的・物理的なプライバシー、第二に情報的プライバシー、第三に決定と選択をめぐるプライバシー、第四に所有に関わるプライバシー、第五に関係に関わるプライバシーである(ビーチャム&チルドレス)。医療や福祉が提供する財や行為やサービスは、これらすべてに深く関与する。日本人の語感では、プライバシーというと、一般に、個人的な領域のさらに私生活にだけ関わる私秘的な部分を意味し、プライバシー権というと、その部分、とくにその部分に関する情報が保護される権利と解されているように思われるのが、この語が司法の領域で多く論じられてきた米国では、より広い意味で用いられるようになってきている。
  その経緯については香川知晶の『死ぬ権利』(勁草書房)が有益である。米国でプライバシー権が法学説として示されたのは1890年に発表された論文によってだという。その主眼は、報道機関による暴露報道や肖像権の問題にあった。この論文では、プライバシーの権利は「一人でいさせてもらう権利(the right to be let alone)」とされ、この権利の核心には保護されるべき「不可侵の人格(inviolate personality)」があるとされた。身体的なプライバシー権をめぐる判例の嚆矢とされるのは、1965年のグリズウォルド判決である。避妊器具の使用法の教唆を禁じたコネティカット州法をプライバシー権の侵害として無効としたこの判決は、既婚カップルの性的行為についての定義権と決定権をプライバシー権として憲法によって保護すべき権利として承認した。これに続くいくつかの判決を踏まえ、1973年のロウ対ウェイド判決で連邦最高裁は、一定の期間内の人工妊娠中絶を女性のプライバシー権に含めることで、憲法によって保護を受ける権利として承認した。そこでは、プライバシー権は、自己の身体に関わる決定を他者から妨げられることなく行使する権利という意味での「自律権(autonomy)」あるいは「自己決定権」として理解された。また、1976年のクインラン事件では遷延性意識障害の患者に装着された人工呼吸器の抜去をめぐって、原告側弁護士はグリズウォルド判決およびロウ判決を援用し、プライバシー権を家族による代理決定の権利を擁護する根拠として用いた。またこの事件でニュージャージー州最高裁の判決は、プライバシー権を「特定の状況下での医学的処置を断る患者の決定をも含む」ものとし、事実上、末期患者の治療拒否権(死ぬ権利)として位置づけた。
  倫理学や法学、法哲学などを中心にして、プライバシー権は従来から存在する他の法的諸権利(あるいはその複合体)に還元されるか否か、また、より高次の価値や権利によって説明されるか否かをめぐる多くの議論があるが、決着がついているとは言えない。けれども米国では、プライバシー権は憲法上の根拠をもつ権利として、ときにコモン・ローにおける自律(自己決定権)と併記されつつ、とくに治療停止の是非を巡り、上記した流れを強め、そこに定着したと言えよう。そしてとくに米国的な文脈で重要なのは、ただ他人から守られるだけでなく、政府の介入に対抗するものとしてこの権利の主張がなされ、そのことを判決が認めていることである。1965年の判決がその画期とされる。また、子どもの養育や教育などについても拡張して主張されるようになってきている。
  【論点】たしかに、他人が手を出してならない部分、さらに国家が干渉するべきでない部分はあると思われる。ただまず、そうして保護されるべき個人、個人の自由が、この干渉されない権利としてのプライバシー権によって保護されるのだろうかという問題がある。実際に、意志を表明できない人について、過去の発言等から本人の意志を推定して、さらに大多数の人ならしかじかの状態で生きていたくはないだろうという理由で、その人のプイバシー権を保護するためとして、治療の停止が認められることがあるが、それでよいのか、そのときにその人は保護されているといえるのか。これは代理決定に関わる問題でもあるのだが、では本人の意思が示されている場合には問題はないのか。こうしてここにある問題は、自己決定についてある問題、パターナリズムについてある問題と同じでものである。
  さらに、家族もまた他人ではあり、例えば子のことについて親は他の人より強い権利を有するか、有するとしてそれはなぜか、プライバシー権によって正当化できるのかという問題がある。人工妊娠中絶についても、既にこれをプライバシー権によって正当化できるのかが問題になるが、さらに子の養育・教育についてはどうか。多くの場合、相対的に近い関係の者に優先権は付与されてよいように思われる。しかしそれは<強制や干渉なく自身が自らの人格を所有し支配する権利>としてのプライバシー権によって支持されるものなのだろうか。このように考えていくと、プライバシーが重要であることは疑いないとして、その理由と、範囲と、そしてその人を害さないための方法は、再考されるべき主題としてあることがわかる。


UP:20070126 REV:
立岩 真也
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