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人間/動物

医療と社会ブックガイド・78)

立岩 真也 2007/12/25 『看護教育』48-(2007-12):
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


  横塚晃一『母よ!殺すな』(生活書院)を2回続けて紹介した。というより、紹介の手前のことをいくらか述べた。代わりに、その本に私が書いた「解説」をCOE生存学創成拠点のHPに掲載したから、それをご覧ください。
  そして、その前は、5〜7月号と「死の決定について・5〜7」で、ピーター・シンガー、ヘルガ・クーゼの言うことを紹介していて、途中になっていたのだった。まずそれに一つ追加情報を。
  『人命の脱神聖化』という本が出ている(晃洋書房刊)。シンガーの新しい訳書、というか、クーゼとシンガー編で2002年に出た、古いものでは1970年代発表のものも含む24篇の論文を収録したシンガーの論文集があって、そこから論文11篇とクーゼの序文を選んで訳したという本である。
  これだけ長い間、同じことを言い続けるその熱情は不思議でもあり、一貫していることが立派なことであるとすれば立派であるということにもなるだろう。言われていることは、その一部を紹介したその他の著作と同じである。『週刊読書人』掲載の堀田義太郎の書評が上記のHPに載っている。
  その人たちは人命の特権化に根拠がないと言うのだった。そしてその後、その人たちは自らが正しいと考える殺す/殺さないの区別とその理由を言う。そのように話が進む。それに対して、区別をしないという立場はあるだろうか。殺すものと殺さないものとの区別を認めない、みな殺さないことがあるだろうか。だがその前に、この場合には既に生物が前提されている。それもいけないとしたら、壊すものと壊さないものとの区別を認めない、壊さないということになるか。しかしそんなことは到底不可能であるように思われる。すると、やはり、生物と生物でないものには区別を――まだ理由はわからないのだが――付けるとするか。それで生物はすべて等しく、となるだろうか。だが、動物を殺さない人でも植物は食べている。ただ人工物をうまく作れるなら、生命を奪わないことは不可能ではないかもしれない。しかし、人間において仮にそんなことができたとして、生命の世界の全体はそうはならないだろう。人間を特権化しない立場を採るとして、それでよいのだろうか。
  このように、いったいこんなことを考えてどうするのだろうという問題が現れる。この「難問」に答えるということがどういうことなのかよくはわからないまま、考えてみるとどうなるのか。
  7月号で述べたように、その続きにあたる部分は別の文章に書くことになった。東京大学のCOE「死生学」の成果ということになるのだと思う「シリーズ 死生学」が5巻もので東京大学出版会から出るのだそうで、それに収録される原稿を依頼され、6月が締め切りだったのだが、ようやく書いて送った。この種の本は、私のような者がいるので、本になって出るまでたいがいかなりの時間がかかるのだが、そのうち出るだろう。私の文章は直接にさきにあげた人々の説を相手にしたものではないが、「人命の特別を言わず/言う」という題になった。あまりうまくいかなったその文章は、手直しして、今年結局書ききれなかった筑摩書房刊の拙著にも収録されることになるだろう。よろしかったらご覧ください。
◇◇◇
  ただそれ以前に、なぜそのことを気にするのだろうと思う。結局このことについて私はうまく言えなかったのだが、気になる。それで、やはり以前に書名だけをあげたのだが、ジョルジョ・アガンベンの『開かれ』という本がある。例えば次のような文章がある。
  「人間と動物のあいだの分割線がとりわけ人間の内部に移行するとすれば、新たな仕方で提起されなければならないのは、まさに人間――そして「ユマニスム」――という問題なのである。[…]われわれが学ばなければならないのは、これら二つの要素の分断の結果生じるものとして人間というものを考察することであり、接合の形而上的な神秘についてではなく、むしろ分離の実践的かつ政治的な神秘について探求するということなのである。もしつねに人間が絶え間のない分割と分断の場である――と同時に結果でもある――とするならば、人間とはいったい何なのか。」(pp.30-31)
  これはもっともな「問題意識」であると思う。シンガーのような人は、従来の区別が不確かなものであると言い、別の区別・境界線を提示する。そしてそれがなぜ正しいのかを言う。ただ、その手前に、話がなぜそのような話になっていくのだろうという疑問がある。むろんいちおうの説明はあるのだが、考えてみると納得はできない。このアガンベンという人も、なにかそのような所作に怪しげなところを感知していて、それで、これまで西洋の哲学その他がどのようにそこを考えて言ってきたのかを見ようというのだ。
◇◇◇
  各国で哲学者が振舞う流儀のようなものがあって、私たちは、かなり好き嫌いでどちらに付くのかを決めているように思う。
  「英米系」の哲学は、普通の意味で、論理的、あるいは平明である。ときに瑣末とも感じられる論理の操作に付き合うのに疲労することはあるが、いちおう話は順序よく進むのではあり、だからこそ、結局は説明されないその前提が見えやすいとか、論理の階段のこの段から次の段にはたして行けるのか不明だといったことを言うことは比較的に容易である。そして、私の場合には、その論にどうもおかしなところがあるのではないかと思うものだから、さらにもう一つ加えれば、しかし同時に、その説に――あまり明るい気分で、というのてはないのだが――否定しがたいところもあって、それで、読書の快楽といったものからは遠いところで、それらを読んでみるというところはある。
  他方、たとえば『開かれ』という本はずいぶん違った書かれ方をしている。そしてそれ以前に、なにか別のことを言いたい、つまり、さきの人たちがよいものとして示す別のもの――それが私にはたいして新しい別のものとは思えないのだが――とは別のものを肯定したいように見える。もうすこし具体的に言えば、一方の人たちが「まともな」人のあり方をよしとする(そこでそれに近いがゆえにある動物たちを救うべきだとし、ある人を救わなくてよいとする)のに対して、もっと「へんな人」(のあり方)を肯定しようとしているようだ。そして私は、それはよいことだと思う。また、構築されてきた「人間」そのものを吟味しようとする姿勢もよいと思う。
  ただ、一つ一つの文章に足をとられるということもあるのだが、どうも基本的なところでわからないという感じがあって、それをどう言ったらよいのかと思う。私は、普通にしか、というか私たち、あるいは私が考えてきたようにしか、ものを考えられない。その人たちは、私(たち)かよいと思ったものと同じもの、あるいは似たものを見ているようであり、そして別様に言っているように思えるのだが、それらが私(たち)に何を加えてくれるのか、わからない。
  そのわからなさについては次回ということにして、予め私の「立ち位置」を言ってみる。そこでもとに戻り、前2回とりあげた横塚の本の「解説」からすこし長く引用させてもらう(pp.419-420)。
  「価値を与えられないものから別の価値を見出すのとも、価値を反転させるのともすこし違う。最も虐げられたり苦難の状況に置かれるものが、その苦難によって肯定されるべきなのだという話とも異なる。健常に価値を与えてしまうことを事実として認めつつ、しかしそれは、名前のないしかし具体的な存在・身体・生存を凌駕することはないと言う。
  これは間違っていないと思う。1970年前後にあって、障害者の運動に残り、継がれたものは、その騒々しくも冴えない動きから受け取るべきは、そのぐらいのものではないかと思うぐらいだ。それは、例えばイタリアやフランスの哲学者たちでそんなことを主張したいように見える人たちの主張さえもが、どこか中途半端な感じがするのと比べて、単純だが、はっきりしている。同じようなことを言いたいとしても、なにか苦労して、なにか難しい言葉とともに、そのことを言おうとするのに対して、直截である。そのあまりに単純な居直りの具合が、それでよいのか、という感じはしないでもない。一度聞いたフレーズを繰り返せばよい。労が少なすぎる気はする。しかし、基本的には、それでよいのだろう。
  ただそのこと自体は、誰かが代理する必要なく、本人が、横塚が言ってきたし、示してきた。その上で、遺された者たちがするべきことは、二者択一の罠にはまらないようにしながら、しかたなく、しかしいくらは楽しみながら、こずるく、ちまちまと、こまごまと考えていくことだと思う。」


[表紙写真を載せた本]
◆Agamben, Giorgio 2002 L'aperto: L'uomo e l'animale, Torino, Bollati Boringhieri=20040715 岡田 温司・多賀 健太郎 訳,『開かれ――人間と動物』,平凡社,208p. ISBN-10: 458270249X ISBN-13: 978-4582702491 2520 [amazon][kinokuniya] ※ b

横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな』,生活書院,432p. ISBN9784903690148 10桁ISBN4903690148 2500+ [amazon] ※
◆Kuhse, Helga & Singer, Peter eds. 2002 Unsanctifying Human Life: Essays on Ethics, Blackwell=20070710 浅井 篤・村上 弥生・山内 友三郎 監訳,『人命の脱神聖化』,晃洋書房,227p. ISBN-10: 477101860X ISBN-13: 978-4771018600 2835 (原著:論文24 訳書:論文12 訳書の表記では著者:シンガー) [amazon] ※

◆堀田 義太郎 20071005 「(書評)ピーター・シンガー著 『人命の脱神聖化』」,『週刊読書人』2007-10-5


UP:20071102 REV:1104(誤字訂正)
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