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『母よ!殺すな』

医療と社会ブックガイド・76)

立岩 真也 2007/10/25 『看護教育』48-10(2007-10):
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横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな』,生活書院

『母よ!殺すな』表紙

  前回もお知らせしたが、横塚晃一著『母よ!殺すな』が生活書院から再刊された。
  長いこと入手できない状態にあったのだが、これは「20世紀の偉人による不朽の名著」だ。といっても知らないという人の方が多いのだろうが、それは残念なことであり、不勉強と言うべきであって、少なからぬ人たちが再刊を待っていた。ここ2年ほどの間に3つの出版社が再刊を希望していることを聞いた。私の方でも、もっと以前、約10年前、雑誌の編集者から「解説書いて文庫で出してもらったら」みたいなことを言われて、「なるほど」と思い、それからだいぶ後、「岩波文庫、いいかも」と思って、岩波書店に提案してみたこともある。これは結果として実現はせず、今回、この本に深い思い入れのある編集者であり、昨年新たに生活書院を立ち上げた高橋淳さんが編集にあたった。
  横塚は1935年、埼玉県生まれ。脳性まひの人だった。1978年、42歳の若さで、ガンで亡くなった。
  私はこの本の解説を書かせていただいたのだが、そこからまず、なんにも知らないという人のための説明の部分を一部略して少し。
◇◇◇
  「横塚は「青い芝の会」(「日本脳性マヒ者協会『青い芝の会』」)という組織で活動した。東京で始まったその組織は以前からあったが、そして「政治的主張」もそれなりにしていたのだが、基本的にはおとなしい性格のものだった。本書に記される、横塚らの「『青い芝の会』神奈川県連合会」の活動によってその性格は変容していき、1970年代以降の障害者運動を牽引する一つの流れとなった。横塚はその「全国連合会」の会長を、亡くなる年まで三期連続して務めた。また一九七六年に結成された「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」の最初の代表幹事でもあった。
  その変容の画期をなすのは、1970年、横浜での障害をもつ子を母親が殺した事件に際してなされた減刑嘆願の運動への反対の運動だった。「母よ!殺すな」という題もここから来ている。家族は、子ども思いのよい家族だとしても、時にだからこそ、よくないことがある。横塚の文章の一つひとつは短い。そして口述筆記だったという。にもかかわらずなのか、だからなのか、強く、すっとする部分がある。
  「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならない」(p.27)
  では代わりに施設があればよいか。いやそれは相手方がもう言ったことだ。施設がもっと整えられていればよかったのに、と言われた。いやそういうことではないだろうと、横塚たちは言った。基本的に、その頃ようやく始まった施設で暮らさせようとする動きに反対した。
  例えばそのようにまとめれば、「自立生活(運動)」と呼ばれるものは、具体的・即物的には、「家と施設から出ること」(のための運動)であったのだが、この会の活動はその先駆だとも言える。そして時をおかず、優生保護法の改定に反対する運動に関わる。そして養護学校の義務化に反対しもする。みな説明しなければならないのだが、いずれも長くなる。
  そしてその人たちは、まじめで一所懸命な家族や施設やリハビリテーションや医療や福祉や教育を批判したし、あまり素性の正しくない人たちと徒党を組んでいるようにも思われていたので――これは誤解に近いところがある――きちんとした社会福祉の本などにはあまり出てこない。」
  なんでも残せばよいというものでもないが、知っておくべきことを、忘れる・忘れたふりをする・知らない、いずれもよくないと思って、少し調べた。そして以前紹介した安積純子他『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(1990年、増補改訂版1995年、藤原書店)の第7章「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」に少し記した。
  ちなみに「はやく・ゆっくり」は、ほんとかなと思うぐらいよくできた横塚の遺言である。そしてその遺言は、彼の死後、彼が入院していた病院での介護記録を、商業出版の本ではありえないことだが、ただたんたんと並べた自費出版の本『はやく ゆっくり――横塚晃一最後の闘い』(1979年、介護ノート編集委員会編・発行)の題にもなっている。
  今度の生活書院版には追悼文のいくつかも収められている。横塚のガンは早目に対処すればどうしようもないものではなかったという。彼は生活保護を使って暮らしていたのだが、生活保護受給者への医療体制の不備が彼の早すぎる死にか関わっていたはずだと、追悼文で寺田良一が書いている。
  順序が前後したが、この本がすずさわ書店から発行されたのは1975年、横塚の死後1981年に同じ出版社から増補版が出された。初版から32年後、今回の生活書院版が出たということだ。編集者の高橋さんが集め掲載の許可をとるといった手続きをとり、いま記した追悼文も含め様々な文章を追加した。原一男監督の最初の作品ということになる伝説の映画『さようならCP』のシナリオも収録された。
  だんだんと中味が増えて本が厚くなっていく様子を傍で見ていて、私などは途中でなんだかもったいなくなって、これなら2冊本ができるよ、と思ったりもした。これでこの値段で商売になるのかわからないのだが、初版よりずっと厚い本になった。
◇◇◇
  初版、増補版はえらくあっさりした装丁のものだったが、今回のはけっこう凝っていて、表紙には横塚の写真が使われている。脳性まひ者なら誰でもかっこいい、ということにはもちろんならないのだが、横塚はかっこよい。
  私が知っていた写真はさきにあげた『はやく・ゆっくり』に載っていた写真だけだった。上半身の写真で、「優生保護法改悪阻止」みたいなゼッケンをつけていて、そしてこれは脳性まひから来るものだが、顔が傾いている。『現代思想』が「身体障害者」という特集をしたことがあり(1998年2月号)、そこに市野川容孝との対談が一つ、「1970年」という原稿が一つ載っているのだが、対談のところで横塚の写真がほしいと言われたので、それを使わせてもらった。その対談と原稿とそして写真は、拙著『弱くある自由へ』(1990年、青土社)に収められた。
  それ以外を知らなかったのだが、今回高橋さんが何枚も借り出してきて、掲載許可をとって、収録されている。その1枚がトリミングされ表紙の写真になっている。
  それらの写真がよいのである。
青い芝の会の人たちの集合写真もある。それは神奈川の人たちの写真であり、全国にはまたいろいろといたのではあるが、この会は最も大きな時にも小さな組織だった。役員たちの写真、というより総勢こんなものという具合だ。
  それらが人々に強い印象を与えるのはなぜなのか。一つには、これは皆が感じることで、たぶん顔の筋肉のコントロール(のできなさ)の具合の関係だと思うのだが、笑うと、脳性まひの人たちはだいたい、はっきりとおおげさな笑い顔になる。ほんとに笑いたいのかわからない気もするのだが、そういう笑い顔になると、本人もほんとに笑っている気持ちになる(なってしまう)ような気もする。
  そして、顔もふくめ、ひんまがっている。私の本に使わせてもらった写真はそんな感じになっているのだが、れはひねた、すねた、斜に構えた感じにもみえ、寂しい感じもあり、なにかしら陰翳のようなものが映されているようでもある。そしてそんなのとも違う、そっくり返り、ひきつり、ふるえ、などなどがある。
  それは要するに、過去、出生のあたりで、一時的に脳に酸素が行かなくなった結果、脳の一部が働かなくなった状態が固定した結果であるにすぎないのではある。それ以上でも以下でもないのではある。そうなのだが、それらの像・写真は、なんだか濃すぎる感じがあり、なにかしら疲れる感じとともに、というかそれを感じさせるのと同じものが、なにかかっこよい感じを与えるのだ。それがどこから来るのかはよくわからないし、わかってどうなるものでもないようにも思うから、私はそれ以上考えないのたが。
  そして、その人たち――私の一回りほど上の人たち――は今からいったら普段着っぽくない白いシャツ、紺のズボンみたいないでたちなのだが、しかし当時洋服といったらそんなものだった。「昭和回顧」ものの番組に1970年前後のデモの映像など時々出るが、あの人たちもそういういでたちである。それは「対抗文化」っぽくない。しかし同時期にいたことはいた「対抗」的ないでたちの人たちが多くなんだか恥ずかしいのに比して、横塚たちは恥ずかしくない。そんなこともまた、深読みしてもしょうがいなと思いつつ、思う。
  さて、こんなことを書いていると中味に入れない。次回に続く。

横塚 晃一 20070910 『母よ!殺すな』,生活書院

◆立岩 真也 2007/11/25 「『母よ!殺すな』・2」(医療と社会ブックガイド・77)
『看護教育』48-11(2007-11):-(医学書院)[了:20070928]


UP:20070831 REV:0928
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