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死の決定について・7:シンガー(続)

医療と社会ブックガイド・73)

立岩 真也 2007/07/25 『看護教育』48-7(2007-7):
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http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


*この回は書き足され、以下の本の第1章になりました。お買い求めください。
◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et.

良い死   唯の生

 安楽死や尊厳死と呼ばれるものに関わり、ピーター・シンガーという人の本を取り上げている。その人は、本人が死にたくないと言っている反自発的な行いについては反対しつつ、新生児を殺すことなど非自発的なものの一部も含め、死ぬ/死なせる行いに賛成なのだが、なぜどのように賛成しているのか。この世にある賛成のパターンの数がそうあるわけではないから、私自身にはそう思い入れのないこの人の言うことをすこし丁寧に見ても無駄にはならないと思って、すこし長くなっている。
 そして前回も紹介したが、彼にはブッシュ批判の本などもある。人工妊娠中絶はじめなんでも反対という保守派とは立場を異にするという意味では当然と思われるかもしれないが、彼は、世界に存在する格差の是正を「ラディカル」に訴える人でもあり、動物の権利を主張する人でもある――2000年代に入っての翻訳ではパオラ・カヴァリエリ、ピーター・シンガー編『大型類人猿の権利宣言』(原著1993、訳2001、昭和堂)。とすると、この人(たち)の言うことを考えることは、この世に文句を言うとして、社会の変革を主張するとして、どのような方向・言い方がよいのかという問題を考えることでもあると思う。
◇◇◇
 この件について予想を言っておく。ここでの主題をどう考えるかは意外に大切なはずであり、ここでの態度の分岐はかなり大きな意味をもつはずだ。
 いっこうに実現はしないのだが、貧困が解消されるべきことについて、今どき(というより昔から)正面からその考えは間違っていると言う人はいない。違いはその実現の道筋についてであり、もしその社会の成員が「まとも」な人間たちであるのなら、「自由」な社会においてはやがて貧困の問題他は解消されていくと言うか、そのようには言わず、もっと積極的な対応が必要だと主張するかという違いであり、しかもほとんどの場合には「ある程度」の対応は必要だと言われるのだから、違いは程度問題となる。その意味では、現在の米国の政策についていくらでも批判が言えそれは当たっているとしても、基本的な対立・争点はそこにないかもしれない。
 いや、もっと正確に言えば、程度問題はばかにできず、程度問題こそ本質的な問題なのであり、それをどのように言うかが重要なのだ。そしてこの時、実は、大切なことは、どうしたって見栄えのしない場面、死にかけている人、健康な類人猿よりしっかりしていない人間たちを巡って存在するのかもしれない。そしてそのことが、総論として反論されない「海外援助」のあり方などにも関わる。このように考えられると思う。
 このことに関わって、美馬達哉の著書『<病>のスペクタクル』(人文書院)が出たのでお知らせしておく。まず、SARS、インヘルエンザ、ES細胞、等々、近年話題になったできごとがどのように話題になったのか、よく整理されていて、有益で、それだけでお役立ちの本なのだが、それらの出来事を筆者がどのように捉えようとしているのか、この世をどのように見ようとしているのか、著者の「気持ち」はむしろこの本の最後、アガンベンの著作に言及しつつ書かれている「アウシュヴィッツの「回教徒」」とも題される「あとがきにかえて」にある。この部分をさきに読んだ方がよい。この世の肝心なことはこの辺りにあるはずだと、私も思う。(ちなみにシンガーの祖父母4人のうち3人は強制収容所で殺されており、しばしばそのことは彼が紹介される際に言及されるのだが、ここでも問題は、あの悲惨をどのように捉えるかである。)
 加えてもう一つ――この契機についてもその美馬の本に記されているのだが――死ぬ殺すというこの話は、動物と人間との境界という話に滑っていく。つまり、ある人たちと同じぐらいの知的能力のある動物を生かすべきだ、他方、同等より低い人間については殺してもよいという話につながる。たしかに言われると辻褄が合っているようにも思われるのだが、同時に、こんな話でよいのだろうかとも思える。どうもこの辺が大切であるようだ。となるとこのことについてデリダが何か言っているらしく、それも読まねばならないのだろうか、ということになる。機会があったら紹介しよう。また、第52回(2005年4月号)で紹介した三島亜紀子の『児童虐待と動物虐待』(2005、青弓社)という奇妙な本も、この辺りの居心地の悪さに関わっている本である。
 シンガーが言っていること自体がそうおもしろいとは思えない。以前すこし読んでだいたい言いたいことはわかったと思ったし、すくなくとも私は読んで楽しめはしなかった。だから以後読まなかった。しかし、今述べたように、いつのまにか彼のような筋になってしまう話をどう考えるかという問題があり、それを考えるための材料として読まねばならないことになる。文学者や哲学者はどうかしらないけれども、社会(科)学者はそのように本を読まなければならない。そんなことが多い。
◇◇◇
 前回、『生と死の倫理――伝統的倫理の崩壊』(原著1994、訳書1998、昭和堂)から引用した。高齢者の施設では、以前から治療しないことはよく行なわれていた、だから、という話だった。そしてそれを認めるなら、もっと「積極的」な行いも、考えれば両者はそう違わないのだから、堂々と正式に認めればよいではないか。こういう筋になる。『生と死の倫理』は「一般市民」向けの本だから、「もうみんなやってるでしょ」という言い方がいくらか強めにはなっているかもしれないが、他でも基本的には同じだ。前々回紹介した、シンガーの弟子で同僚のクーゼの『生命の神聖性説批判』(原著1987、訳書2006、東信堂)は専門書ということになろうが、同じことを専門書のように書いてあったのだった。そしてシンガーの主著ということになるのだろうか、『実践の倫理』(原著1979、訳書1991、昭和堂)その改訂版である『実践の倫理 新版』(原著1993、訳書1999、昭和堂)でも同じような書かれ方は随所にある。例えば以下。なお、新版で「胎児を殺すことが多くの社会で認められている」という箇所は、初版では「我々には胎児を殺すつもりがある」(p.194)となっている。
 「妊娠後期の胎児となる可能性が高い場合、妊婦が胎児を殺すことが多くの社会で認められている。また、成長した胎児と新生児とを分ける境界線は決定的な道徳的分岐を示すというものではないのだから、なぜ、障害があるとわかっている新生児を殺すほうが悪いことであるのか理解し難い。」(新版、p.243)
 このごろよくなされる話も、これと似たところがある。もう「現場」ではなされている、それが非公認のままでは「裁判沙汰」にならないとも限らないから、公認してもらおうというのである。ただシンガーたちの場合は、現在なされていることとまだ認められていないことと、二つは考えてみれば同じなのであるから、認められていないことも認めようという拡張の主張になっている。そしてこの人たちは哲学者であるから、実は同じであるというつなぎが、理屈でつながっている。前々回のクーゼの本ではその部分にかなりの紙数が割かれていた。
 その理屈についてはこれから検討しよう。その上でないとどちらが言えるかわからないのだが、その人たちの乗れないという人が思っていることは二つのいずれかのはずである。
 一つには、同じだとされるものの間にやはり違いはあると考えることである。つまり、治療を差し控えることと何か積極的な処置を行なうことは、それが死をもたらすことがわかった上でのことであれば同じだと言われるのだが、しかし違いはやはりあると主張することである。このように自らの論を展開する人の本もまた後で紹介しよう。では私はというと、違いはないことはない、しかしよく言われるほど決定的な違いではないと考える。その点では、クーゼやシンガーと似ている。「認めるのはあくまで尊厳死であり、安楽死はそれとはまったく別ものであり、認めていない、誤解しないでもらいたい」とよく言われる。本気でそう言っているだろうことは認めるとして、まったく別ものと言い切れないということである。
 もう一つは、クーゼやシンガーとともに、同じであること、すくなくとも大きく違わないことを認めつつ、Aを認めるならBも、と言われたら、いや本来はAもおかしいと返すことである。
 この二つがあることを押さえた上で、その手前の問題、たんに人はもうやっているからというのでなく、なぜある人たちの死が認められるべきだとシンガーは考えるのか、次にそれを――それが今回の課題のはずだった――見る。

[表紙写真を載せる本]
美馬 達哉 20070530 『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学』,人文書院,257p. ISBN-10: 4409040863 ISBN-13: 978-4409040867 2520 [amazon][kinokuniya] ※ b m/s01


UP:20070604 REV:(誤字訂正)
医療と社会ブックガイド  ◇医学書院の本より  ◇書評・本の紹介 by 立岩
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