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死の決定について・6:シンガー

医療と社会ブックガイド・72)

立岩 真也 2007/06/25 『看護教育』48-06(2007-06):
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http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


*この回は書き足され、以下の本の第1章になりました。お買い求めください。
◆立岩 真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et.

  前回はヘルガ・クーゼの『生命の神聖性説批判』を紹介した。いくつもの論点を取り出し、そして残した。それらについては後で順々に考えていくことにして、まずは似たようなことを言っている人たちの本を並べてみる。
  『生と死の倫理』。著者はピーター・シンガー。1946年オーストラリア生まれ。メルボルンのモナシュ大学にずっといたが、今はプリンストン大学。多くの著作があり、その多くは邦訳されている。この本は10冊目の訳書。最初に邦訳が出たのは共著の本で『アニマル・ファクトリー――飼育工場の動物たちの今』(1980、訳書1982、現代書館)、その後も編書で『動物の権利』(1985、訳書1986、技術と人間)、『動物の解放』(1975、訳書1988、技術と人間)等が出ている。シンガーは、まず「動物の権利」論者として、知っている人に知られるようになった。
  また、近いところでは『グローバリゼーションの倫理学』(2002、訳書2005、昭和堂)、『「正義」の倫理――ジョージ・W・ブッシュの善と悪』(2004、訳書2004、昭和堂)といった本がある。世界にある大きな格差に対して、すべきことをはっきりと主張する。ブッシュの政策を強く批判する。
  こうした彼の批判、彼の主張の多くについて、私はもっともだと思う。また、彼は(脊椎動物を食べないという種類の)菜食主義者であるらしく、他方私は肉を食べ続けるだろうが、その私のほうはともかく、彼の行いはよいことではあるとしよう。そして次に、彼が人の生き死にについて語ることを見てみる。すると、その部分は、すくなくとも私にはなかなかに受け入れがたい。とするとこれはいったいどうしたことか。それともシンガーのどこかが矛盾しているか。しかし彼の述べることは、どこまでもいつも同じ明るさに包まれている。となると私がどこかでまちがっているのか。
  じつはそう思ったことはない。この人の言うことに違うところがあると思う。ただそれにしても、前回も述べたことだが、その一貫した熱情、私にはあまり楽しいと思えない明るさ、これらがどこから来るのか、わかりかねるところがある。その不思議を別とすれば、というよりむしろそれが不思議なのだが、シンガーの本はいつも、ごく普通の意味で、たいへんわかりやすい。どうしてこうわかりやすいのか、考えてしまうほどだ。
◇◇◇
  分量も多くわりあい理論的な本とも言えよう『実践の倫理』にしても、やはり動物を殺すことの是非が扱われ、貧富の差の問題が論じられ、そして人の生死の主題が平明に論じられる。初版が1979年で訳が91年に、第2版が93年で訳が99年に出ている(いずれも昭和堂)。ここでは、さらにわかりやすい本、「一般市民」向けと言ったらよいのか、『生と死の倫理』をとりあげる。訳書の帯には「オーストラリア出版協会賞受賞」とある。日本だとどんな本に対応すると言ったらよいだろうか。あまり手抜きはせず、ただ本の性格ゆえもあってか論理に荒いところはあり、しかし(あるいはゆえに)わかりやすく、読者を説得しようという姿勢で書かれている。著者の論理を、論理に内在して検討するには別の本がよいのだろうが、このような本も、どのような言い方でこの人は言いたいことを伝えようとするのか、それがわかってよいところはある。
  そのシンガーは前回取り上げたクーゼの盟友である。細かに読むと違いもあるのだろうが、ここではひとまとめに考えてもさしつかえないように思う。冒頭の「謝辞」には以下のようにある(p.12)
  「過去14年間、ヘルガ・クースと私は本書で取り上げられた広範な分野についてともに研究してきた。私たちは互いに相手から学んできたので、私たちの考えはいつしか混ざりあい、もともと私自身の考えであったものと彼女自身の考えとを区別するのが今では困難なほどである。本書と彼女の『医学における「生命の神聖性」の教え――一つの批判』とを併読すれば、私がどれぼと彼女に負っているかが誰にでもわかるだろう。」 「ヘルガとの知的な親交、そして彼女の励ましがなければ、おそらく私はこの分野の研究をとうの昔にやめていただろうし、本書が書かれることもなかっただろう。」
  私はこの本の書評を『週刊読書人』から依頼されて1998年に書いている。字数の制約がきつく難儀した。多くの主題が取り上げられていて、検討・批判は様々可能だが、その一つでもそれなりに行おうと思ったら、すぐ長くなってしまう。何も中身は書けなかった。
  「様々な事例がとりあげられる。そして、「人命をすべて平等の価値を持つものとして扱え」の代わりに「人命の価値が多様であることを認めよ」、等、五つの古い戒律に五つの新しい――ただ、私にはそう新しいと思えない――戒律が対置される。[…]
  ある程度の常識の範囲内で筆者は語る。筆者と読者の共通性によって読者は筆者に感応し、その時に本書は説得の書であり納得の書となる。自分では考えないし、物議をかもしそうなことは言わないが、都合のよい選択肢を支持するそれなりに著名でもある論者が一人いるという安心がその人を呼び寄せてしまうといった怠惰は拒絶しなければならない。[…]基本的なところから[…]検討がなされるべきである。それは筆者の思考が、現実の私達の思考でもあるからである。」
◇◇◇
  第一に、シンガーは伝統の破壊者として自らを規定する。前回のクーゼも同じように言っていた。
  それはきまり文句のようなものでもある。この件に限らず、とくに死については同じ語り方がよくなされる。ここでは「生命尊重」という「伝統」に反旗が翻される。他方では、「たんなる延命」に向かってしまう「近代医療」に対する批判が、中身としては同じことを言う。そして、いずれについても、つねに既にある「常識」が、「新たに」槍玉に上げられるのだが、実際にはその批判・反省の行い自体が既にもう何十年と繰り返されているという具合になっている。例えば、死について何を考えたら考えることになるのかわからないまま、「私たちは死について考えることを怠ってきたから(今日から)考えましょう」という言葉が毎日繰り返されるのである。
  しかし今あるもの、そして/あるいは昔からある(とされている)ものの破壊は、現在や伝統に安住する多くの人を敵をまわすことにならないか。そうかもしれず、シンガーたちもあえてそれを引き受け、それを楽しんでいるようだ。
  ただ、なんでもありという「ラディカル」な人たちがいてくれると、今度は、そこまでは行かないものはすべてかなり穏便なものとして受け止められ、受け入れられることになるかもしれない。例えばシンガーたちは「(積極的)安楽死」を認めるのだが、そうすると、そこまで行かない「尊厳死」の許容は穏健な中庸な立場に見えてくるといったことがある。それも認めない人はよほど偏屈な人間だということになるのである。
  そして第二に、このことを書評で述べたのだが、彼らの主張は、たんに新規で、そして変わった主張ではない。そして彼らは、自らそのことを述べ、それを自説の正しさを示すものとする。そして中庸な人を自らに引き寄せるのだ。「既に人は<人間の質>による対応の違いを認めている。それをはっきりと確認しよう。私たちが幾度も確認してあげよう。すると行くべき道は、今まで思われていたのと違う。」こんな構成になっている。たんに新しいものを新たに持ち込もうという(話を繰り返し語る)話にはなっていない。
  それは、一つに論理として語られる。今回のシンガーの「一般市民向け」の本より、前回のクーゼの本のほうで言われる。基本はわかりやすい話だ。人工呼吸器を付けたら生きてしまうから、呼吸器を付けないと決めることは、人工呼吸器療法の「不開始」などと言われるが、それは自ら死を決めることと違うだろうか。あるいは、今度は呼吸器を外したら呼吸はできなくなるからやはり死ぬのだが、それを外すのは「治療停止」であるとされ、安楽死ではなく尊厳死であると言われ、さらには「自然死」であると言われたりもするのだが、やはりそれは、死なせること、あるいは自ら死ぬことと違わないのではないか。
  他方、シンガーのこの本は人々の現実に訴える。こんな具合だ。
  「オランダで安楽死が公然とおこなわれるようになった話の始まりは、よくある状況からである。すなわち、さまざまな能力を失った老女が、ナーシング・ホームで暮らしながら死にたいと思っているような状況である。ナーシング・ホームで働いたことのある人なら、誰でもそのような患者を知っている。そのような場合、医師はたいてい患者が肺炎にかかるのを待つ。」(p.181)(続く)

 [表紙写真を載せた本]
◆Singer, Peter 1994 Rethinking Life & Death, The Text Publishing Company, Melbourne=19980225 樫 則章 訳,『生と死の倫理――伝統的倫理の崩壊』,昭和堂,330p. ISBN-10: 481229715X ISBN-13: 978-4812297155 2415 [amazon][kinokuniya] ※ b 0p/d01 d/be


UP:20070425 REV:(誤字訂正)0426
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