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死の決定について・5:クーゼ
(
医療と社会ブックガイド
・71)
立岩 真也
2007/05/25 『看護教育』48-05(2007-05):456-457
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/
*この回は書き足され、以下の本の第1章になりました。お買い求めください。
◆立岩 真也 2009/03/25
『唯の生』
,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209
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※ et.
この連載の第4回から第7回(2001年4〜7月号)が「死の決定について」
1
〜
4
だった。その続きとして、これからしばらく、こんどはわりあい「理論的」にこの主題を論じた本をとりあげることにする。翻訳ものが多くなる。 まず
ヘルガ・クーゼ
の『生命の神聖性説批判』。著者はオーストラリアの生命倫理学者。奥付・カバーから拾うと、「ピーター・シンガーと共に国際生命倫理学雑誌『バイオエシックス』の編集に長く携わった。モナシュ大学(オーストラリア)ヒューマンバイオエシックスセンター前所長。」「彼女の哲学者としての業績は、本訳書に集約されると考えられる。」
他に日本語訳された本が2冊ある。1冊は編書で
『尊厳死を選んだ人びと』
(1994、訳書1996、吉田純子訳、講談社)この本は、ほんのすこし、本連載の第5回でとりあげた。現在は入手できない。そして次に訳されたのが
『ケアリング――看護婦・女性・倫理』
(1997、訳書2000、竹内徹・村上弥生監訳、メディカ出版)
『生命の神聖性説批判』の訳書の発行は昨年。ただこの本は新刊というわけではまったくなく、もとは1987年に刊行された本である。なぜこの本を今、と思わないでもないが、楽に読めるのはやはりありがたいことではある。そして、この人(たち)の言っていることは、数十年、基本的には変わらないから、この本でもおおむね間に合う。それは主張が一貫しているということでもあり――私にはその一貫した熱情がどこから供給されているのか正直わかりかねるところがあるのだが――それもよいことなのかもしれない。
◇◇◇
理論的な本ではあるが、難解なところはない。むしろ、同じことが繰り返し書かれているから、言いたいことはたいへんよく伝わる。そして主張ははっきりしている。
いわゆる積極的安楽死は許容される。障害を有する新生児を死なせることも肯定される。この本ではむしろ後者の例が多く出てくる。そしてこの場合には、本人の意思をもとに、ということではないから、この本の主張は、本人の決定の尊重という筋のものではないということでもある。
では、著者はその主張をどのように行うのか。大きくは二つの、ただ結局は一つに収まるとも考えられる道筋があると思う。一つは論敵の主張を吟味・批判し、自らの方がまともであると言い、「あなたの主張を一貫させるなら、それは私たちの味方になることだ」と主張することである。一つは自らの主張をより積極的に正当化することである。前者から見ていく。
クーゼにとっての論敵は(1)「生命の神聖性原理」(SLP=the sanctity-of-life principle)を主張する人たちである。その原理とは「意図的に患者を殺すか、意図的に患者を死ぬにまかせること、そして、人の生命の延長あるいは短縮に関する決定を下すに当たりその質あるいは種類を考慮に入れることは絶対に禁止される。」(p.16)というものである。
次にクーゼは、実際にはこの原理が、この原理を採っているように見える論者によっても採用されていないことを言う。実際に採用されているのは、著者が(2)「条件付き生命の神聖性原理」(qSLP)と呼ぶものであると言う。それは「患者を意図的に殺すか、意図的に患者を死ぬにまかせること、そして、人の生命の延長か短縮に関する決定にその質あるいは種類を考慮を入れること、これらは絶対的に禁止される。しかし、死なないように処置するのを差し控えることを時として許される。」(p.31)という原理である。
さらにクーゼは、差し控えることと積極的に死に至らせることの間に基本的な違いはないことを主張する。すると、前者だけを認めるqSLPを主張する人たちも、その論を一貫させるためには、(3)より積極的な処置を(も)認めるべきである。こうなる。
これに対して反論するとしたら、どんな方向があるだろうか。3つあると思う。第一に、(1)SLPを堅持することである。第二に、(2)「しないこと」と(3)「すること」は違うと主張することである。第三に、(1)と――かなり近いかもしれないのだが――違う立場から、(3)そして(2)と別の主張をすることである。ちなみに予告しておくと、私は第三の立場に立つ。 多くなされるのは二番目の主張であるように思う。つまり、しばしば「たんなる延命処置」と呼ばれる積極的な処置をしないことは許容される場合があるが、致死性の薬物を飲んだり(飲ませたり)注射したりするのはだめだというのである。実際、日本尊厳死協会といった団体が(今のところ)主張するのもそういったことである。他の人や団体もよく同じことを言う。「けっして私(たち)は安楽死を認めているのではない。そう受け取るのは誤解であり、たいへん困ったことである。私(たち)はあくまで「自然な死」「尊厳死」を主張しているだけなのだ。」
こんな具合である。生命倫理学者の中にもそのように主張する人はいる。そのうち紹介しようと思う
ダニエル・キャラハン(カラハン)
の主張はそのようなものである。その人の本を紹介するときにこの論点についてすこし考えてみよう。ちなみに私は、この点についてはクーゼに近い。二つは大きく違わないことがあることを認める。ただ私の場合には、その上での論の方向が違う。このことも予告しておこう。このことは拙著
『ALS』
(2004、医学書院)で、また
『現代思想』32-14(2004-11)
掲載の「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」でも述べている。
◇◇◇
クーゼの言うように、することとしないことが違わないことがあることを認めたとしよう。しかし、死なないためのことを行わないにせよ、死ぬためのことを行うにせよ、なぜ、どんな場合になされるべきなのか、なされてよいのか。
もちろんクーゼもこの論点があることはわかっている。ここまでのところでは、実際には人々も死を認めているし行っていると(それをすなおに延長すれば認めないとされることも認めるべきだと)言われたのだが、たんに皆が認めている(認めるはず)だからというより、積極的に言った方がよいだろう。言われることが一貫していないこと、矛盾があることを指摘し、そのことを批判しているのだから、より整合的な理由・基準を提出すべきであるということにもなる。これは(1)SLPの主張が成立しないことを、たんにあなたもその主張を実際にはしていないではないかと言うだけでなく、論理として示すということでもある。こうして、ただ相手の主張を使い、逆手にとって、自らの論の正当性を言うだけでなく、もう一つ、自らの主張をより積極的に示すことが要請される。すこし長く引用する(pp.19-20)。
「人の生命は神聖である、あるいは(無限に)価値があるが故に、それを奪うことは悪であるという答えは、一見もっともらしいが、同語反復に近いので納得のいくものではないだろう。その答えは、単に、生命を奪うことによって失われるものに価値があると断言しているのに過ぎない。人の生命を奪うことがなぜ悪であるかに関するいっそうもっともな答えは、こうであろう。すなわち、人の生命は非常に特別な種類の生命であるが故に、それを奪うことは悪である。このように、生命を奪うことが悪であるのは、
人
の生命には絶対的な価値があるということが事実だとして、その事実のせいである。
しかしまた、この答えは、人の生命に特別な意義を与えるのは何かと問うことができるが故に、納得のいくものではない。ここで、人の生命が神聖なのは、それが羽根のない二足動物の形態をとるからだとか、あるいは、それが
ホモ・サピエンス
に属すると認定できるからだとか答えても、十分ではないだろう。言い換えれば、人の生命を奪うことが悪いということが、「種差別主義(speciesism)[…]――つまり、人の生命を、それが人のものであるという理由だけに基づいて、その他の有意味な点で違いがない人以外の生命とは異なった扱いをすることを、道徳的に正当化しうるとする見解――に基づくものであってはならない。
あるいは、その答えは、人は理性的に目的を持つ道徳的存在者であり、希望、野心、選好、人生の目的、理想等を持つが故に、人の生命は神聖性を持つということになるかもしれない。[…]人の生命は、人の生命
であるが故に
、神聖性を持つと言っているわけではなく、むしろ、理性的であること、選好を満足させること、理想を抱くことなどが神聖性を持つといっているということである。」
これは本の最初の部分だが、第5章でより詳しくこのことが言われる。HPに引用したのでご覧ください。さて、この議論でよいか。よいと思わない。(続く)
[表紙写真を載せた本]
◆Kuhse, Helga 1987
The Sanctity-of-Life Doctorine in Medicine : A Critique
, Oxford Univ. Press. 230p.=20060610 飯田 亘之・石川 悦久・小野谷 加奈恵・片桐 茂博・水野俊誠 訳,
『生命の神聖性説批判』
,東信堂,346p. ISBN-10: 4887136811 ISBN-13: 978-4887136816 4830
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※ b d01
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UP:20070402 REV:(誤字訂正)
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