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『希望について』表紙 희망에 대해서

 다테이와 신야 2006/07/10 『희망에 대해서』,青土社,320p.
 ISBN:4791762797 \2310

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다테이와 신야 20060710 『희망에 대해서』,青土社,320p. ISBN-10: 4791762797 ISBN-13: 978-4791762798 2310 [amazon][kinokuniya] ※,

 青土社:http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B4%F5%CB%BE%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6

 *6月25日(日)~新宿紀伊国屋本店でブックフェア

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 (著者割引価格で出版社より購入した本です。)
 送料と振込み手数料などいれるとほとんど安くなりませんが、他の本・冊子といっしょだと
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 第1次発送:6月16日(ただし5冊限り→在庫なし)、第2次発送23日
 *既発表の文章を集めた本ですが、注についてはかなりたくさん書き足しています。

 *この本への言及(↓)
 *各々書かれていることがどのように位置づくのか(2006.7作成)

はじまる前に(全文)

 ここ数年の間の文章を集めて並べた。これまでの本では『弱くある自由へ』が既発表の文章を集めた本だが、今回は新聞に掲載された文章などごく短いものも含め収録した。そんな本はどうか、とある方に言われ、どうしたものかと考えていて、ちょうどテレビに日比野克彦が出ていて、そういう本もよいかなと思った。短いものは説明不足だが、お前の文章はとにかく長い、と言われもするから、短いからよいということもあるかもしれない。
 すべてが原稿依頼をいただいて書いた(あるいは話して、文章にしていただき、それにこちらで手を入れた)文章だが、その範囲内で、書きたいこと、書いた方がよいと思ったことを書いてはきた。暗い話もしなければならない時にはしなければならないのだが、惰性で暗いのはいやだと思う。ものは考えよう、とは思わないが、考えようがあることもある。
 まったくどこから読んでいただいてもかまわない。主題は様々。すべての主題について、もっとまともなことを書きたいと思っている。ただそのためには時間がかかるだろう。今のところの粗い粗筋を記しておいてもよいかもしれないと考えた。少なくとも幾つかの主題については、そのうち、うんざりされるようなものを書きたいと思う。また、既発表の文章は幾つかあるものの、今回は省いた主題もある。そのうち別にまとめることがあるかもしれない。
 それにしても、こうして並べてみると、同じことが幾度も繰り返されていて、くどい。書いた時には、なにかしらの使命感のようなものもあり、あの新聞を読む人はこの新聞は読まないだろうからといった理由もあった。出た本のことを広く知ってもらおう、宣伝を方々でしようという気持ちもあった。それがひとところに並ぶとくどくなる。一生に一度、正しいことを一回だけ言うというのが美しい、とも思う。しかし、まず私がそうなのだが、けっこう人は読み飛ばしたりもするものだから、繰り返し書いてよいこともあると思うようになった。
 そして、その時々に書いたものを、文献表示の仕方以外まったく変更しないことにした。その時々に、締切に追われ、厳しく字数を制約されつつ言うべきことを詰め込もうとして書いた文章をなおしていくと別のものになる。違うように言った方がよいと今は思うところはあるが、そのままにした。代わりに、新たに注を付したところがある。その場合には◆01のように示してある。それに対してもとからあった注は★01のようになっている。次に、本文や注に新たに加えた部分については〔〕で括った。

 青土社でこの本を担当してくださったのは水木康文さん。もとの文章の執筆・掲載にあたってはとても多くの人のお世話になった。そしてこの本は文部科学省科学研究費・基盤C・一二六一〇一七二(二〇〇〇~二〇〇三年度)、基盤B・一六三三〇一一一(二〇〇四~二〇〇七年度)の成果でもある。水木さんとみなさま、ありがとうございました。

                       二〇〇六年五月 立岩真也

목차

□I 천하국가 ……11

 □1아마 지금부터 재미있게 된다 2000/11/01
 □2정체하는 자본주의를 위해서(발췌) 2001/06/25
  1소극적인 승인2강요하고 선동하는 장치3불필요하고 쓸데 없는 것을 확인
  4의미의 박탈 5알고 있지만 빠질 수 없는 것에 대해서
  6노동의 분할
 어쨌든 생각해 보는 것
 □3옳은 제도란 어떤 제도인가? 2000/04/05
 □4희망에 대해서 2004/09/01

□II 정치 ……57

 □1선택 전에 2001/07/29
 □2저항하는 측에 이치는 있다 2004/04/05
 □3선거하러 간다는 것 2004/06/18
 □4끝난 선거2004/07/16
 □5어떻게 할까,에 대해서 2005/11/00
   되어 버렸다
   어떻게 할까

□III 경계에 대해서 ……81

 □1선물의 우울 2001/12/00
 □2시민은 당연히 경계를 넘는다 2004/07/01
  시민은 국민이 아니다
  반론(1)∼ (3)에의 반론
  「현실」 (4)이는 조건
 □3쿄도렌(공동연,共同連)이 하려고 하는 것은 왜 어려운 가, 를 조금 담고 있는 광고 2005/08
 □4한계까지 즐기다2005/12/26

□IV 부족하다는 것에 대해서 ……113 cf. 자원

 □1저출산・고령화 사회는 좋은 사회 1997/11/01
 □2보통인 것을 해 나가기 위해서 (발췌) 2001/01/25
 □3선호•생산•국경――분배의 제약에 대해서 (발췌) 2000/03/05
  5「사람」에 대해서
  6생산은 어디에서 오는 것인가

□V 일한다는 것  ……138

 □1노동의 분배가 정답인 이유 2002/10
 □2백수를 만들어 내는 사회구조는 2005/04/15
 □3할 수 없다 •와 •일할 수 없다―― 장애인의 노동과 고용의 기본문제 2001/12/25
  I질문의 소재
  II할 수 있는 것 •과 •얻을 수 있는 것
  III분배로는 부족하다
  IV절반 정도 할 수 있는 사람
  V주변을 보충하는 것
  VII금지와 할당

□VI 소유에 대해서 ……173

 □1소유 2000/11/15
 □2소유와 유통 양식의 변경 2001/12/01
  막연한 불쾌
  소유에 대해서
  국경에 대해서 가능성에 대해서て
 □3유전자정보의 소유와 유통 2004/10/10
  1두 개의 선택지?
  2보유자에게 권리가 있다고 하는 주장에 대하여
  3연구•개발 측에 있다고 하는 주장에 대하여
  4변경의 곤란과 가능성
 □4서평:쟝=피에르•bow 『도둑 맞은 손의 사건――육체의 법제사』  2004/10/08
 □5존•로크 사후 300년에 2004/11/02
 □6자유는 libertarianism을 지지하지 않는다2005/09/30
  「요지」
  신체에 대한 권리와 재산에 대한 권리
  강제노동•자유를 위한 분배
  규칙의 병립 혹은 예외 취급에 대해서
  처음부터 분기•병립?
  남겨지는 논점과 보족

□VII 싸우는 것•생각하는 것 ……217

 □1신념에 대해 싸울 수 있다는 것을 믿는다 2004/07/01
 □2사회적--말의 오용에 대해 2004/12/31
 1 대략적인 것처럼 생각할 수 있다
  1당분간 반복되고 있는 것 2남한테 빌려 올 수도 없는 것 3같은 모양으로 되어 있는 것
 2 조금 착실하게 생각해 본다
  1장면을 나누는 것 2무엇이 상대화되어 왔는가:1) 「무해화(無害化)」의 한계 2) 인과로서의 사회성에 대해 3) 평가의 상대성에 대해/3 상대화하지 않아도 생각할 수 있는 것을 생각하는 것
3 보다 어려운 부분에 대해
  1보다 어려운 부분 2시/비에 대해 3사실과 규범과의 연속/불연속 4사실로서의 한계에 대해서
 □3안내와 보고
  안내 2003/07/30 보고 2004/01
 □4서평:오기노 미호 「젠더화 되는 신체」

□VIII 죽지 않는 것 ……259

 □1단지 사는 것으로는 부족하다, 라고 할 때 가끔은 위험하다2002/12/15
 □2단지 사는 것만으로는 안 된다는 것은 좋지 않다2003/06/01
 □3중립이 아니라 2005/03/03
 □4초보적인 것 몇 가지 2006/04/21


문헌표 / ■색인

■著者による紹介

◆2006/05/00 「初歩的なこと幾つか――知ってることは力になる・41」
 『こちら”ちくま”』48(2006-5):[了:20060511]
◆2006/07/00 「近況/『病いの哲学』について・2の序――良い死・12」
 『Webちくま』[了:20060620]
◆2006/07/00 「希望についてとまたまた死ぬ話――知ってることは力になる・42」
 『こちら”ちくま”』49(2006-7):[了:20060708]
◆2006/08/25 「分担執筆及び単著の本」(医療と社会ブックガイド・63)
 『看護教育』47-08(2006-08):-(医学書院)[了:20060630]


 
 
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■言及・紹介

◆2012/04/04 http://mbp-hiroshima.com/eccbestone/column/4407/
◆2012/02/27 http://blog.goo.ne.jp/wamgun/e/f833f8f4f84643574600608d72045919

http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/current.html
http://saruta.exblog.jp/d2006-07-01(7.1)
http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060702(7.2)
http://d.hatena.ne.jp/merubook/20060707(7.7)
http://merubook.jugem.cc/?eid=1086(7.7)
http://d.hatena.ne.jp/thigasikawabata/20060709(7.9)
http://libro.boxerblog.com/blog/2006/07/post_a963.html(7.10)
http://ameblo.jp/hondana/entry-10014434017.html
http://horadeverdad.seesaa.net/archives/20060711.html(7.11)
http://d.hatena.ne.jp/i_orita/20060712(7.12)
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20060714/p2(7.14)
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060719(7.19)
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20060722(7.22)
◆2006/07/23 遠藤 知己 書評(「閉塞を解きほぐす思考法」)
 『希望について 』立岩真也著(青土社・2310円)
 『東京新聞』『中日新聞』「読書」/『京都新聞』2006/07/23朝刊:22
 http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2006072302.html
 本書は、独特の思考スタイルによって現代社会の閉塞(へいそく)を解きほぐす糸口を求めている。現代社会では、例えば少子高齢化と言う「問題」や市場自由主義という「原理」が語られる。ときに粗大なこれらのスローガンを、正面から批判するのは簡単ではない。歪んだ 形であれ、それらが指し示す何かがあることは否定できない。地域社会や小さなサークルといった「現場」の営みを拾い出すことで、間接的に粗大さを撃つ試みも重ねられてきたが、それだけでは行き止まりになる。現場はそれほど明るい場所ではないからだ。
 ではどうするか。「近代社会の構成の本体、内部の方に向かって」いき「それをどうしようか直載(ちょくせつ)に考えていくという、社会学の本道」を著者は選択する。自由主義も楽観主義も生命倫理も、「私のもの」と「私のことは私が決定する」こととの同一視の上に成り立っているが、どこからどこまでが私(のもの)かは 自明ではない。私的所有権と自己決定権との間には、複数の箇所い裂け目やずれが走っているのではないか。
 それらを見極めようとして、思考は横へと延び広がっていく。経験と理論を往還するというのとは違う、不思議と透明な文体によって、所有や労働をめぐる理論的考察が繰り広げられるが、一般性の平面に飛翔(ひしょう)する手前で、障害者の作業場といった具体的局域 へと差し戻される。手っ取り早い処方箋(せん)を提案するためではない。所有/労働の公正な配分を希求するために、具体の裂け目において、何を考えるべきかを考えなくてはならない。
 社会の一面的把握に依拠して粗大な「べき」が語られ、それをやめることができない。「べき」を語ることをやめ、局所の具体性の前で留まるという選択もまた、しばし別種の「べき」に陥る。唯一の途かどうかは分からないし、他にあってもいい。だが本書は、私たちを捕らえているこのジレンマに対峙 (たいじ)する一つの必然的な思考の道筋を指し示している。
 〈評者〉遠藤知己(日本女子大学助教授・社会学)
 たていわしんや 1960年生まれ。立命館大学教授、社会学。著書に『私的所有権』『自由の平等』など。
http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/c62ae0230ca361260795850a686301f9(7.24)
http://kujronekob.exblog.jp/3481487/(8.1)
http://www.surume.org/column/blog/archives/2006/08/post_162.html(8.11)
http://blog.so-net.ne.jp/higetama/archive/20060823(8.23)
http://blog.sjok.cutegirl.jp/?day=20060824(8.24)
森岡 正博 20060901 「書評:立岩真也『希望について』」
 http://www.lifestudies.org/jp/shinano01.htm#tateiwa
 『論座』2006-9:314-315 http://opendoors.asahi.com/data/detail/7531.shtml
◆2006/10/28 小泉義之 「書評:立岩真也『希望について』」
 『図書新聞』2795:5
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kinobest2006/archives/2006/11/pop_1.html
◆2006/12/03 http://d.hatena.ne.jp/gogokissa/20061203
◆『週刊読書人』2006年12月22日号 二〇〇六年の思想界をふり返る「 「ネオリベ」との対峙の中で」
 座談会=岩崎稔・白石嘉治・本橋哲也
 http://canpan.info/open/news/0000001606/news_detail.html
◆本橋 哲也 2007/04/13 「〈時代を脱臼させる〉思想に学べ――書評:立岩真也『希望について』」
 『週刊金曜日』2007-4-13(650):41(きんようぶんか読書)
 「脱力系の演劇、というのがある。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの舞台とか、平田オリザさんの「静かな演劇」、岡田利規さんの「日常的会話」芝居もこの部類かもしれない。「芝居らしい」台詞を避け諧謔も真剣もワンテンポずらし、「普通のおしゃべり」や「疲れるジョーク」を連発して、伝統的な演劇手法を脱臼させる。それは芝居がかった舞台にはない真実、というか私たち自身の日常の芝居らしさを気づかせ、演劇にしかできない省察を可能にする。「芝居らしい演劇」の代表はシェイクスピアで、ハムレットが「非日常的な哲学」を延々と私たちに向かって独白する。でも『ハムレット』自体が初演当時(そして今日も)実は「芝居らしく」なく、主人公の心と頭の動きそのものが演劇として観客に共有される革新的演劇なのでは? つまりハムレット自身言うように、それは「時代を脱臼させる」演劇の試みだったのではないか。
 書評欄なのに演劇話をしたのは、立岩真也さんの思考のあり方が(すでに似たことが言われていそうだが)脱力系の思想だと思うからだ。本書には雑誌等に発表された比較的短い文章が収められており、話題は選挙、労働、介護、障害者運動、所有、少子化、安楽死、科学など多岐にわたり、「内容」は難しくない。読者が戸惑っても、詳細な注やホームページへの誘導もつけてあるので追求もできる。でもさっと読んで納得できる本でもない。文章はつねに私たち自身の思考を基本に立ち戻しながら、深く限界まで誘発するように進んでいく。いったんそうした軌跡の魅力に囚われてしまうと、それは私たちの身体をとらえて離さない。
 その独特の文体――曲がりくねって最後まで読まないと、ときには最後まで読んでも、肯定か否定か、誉めているのか貶しているのか、そのどちらでもないのか、よくわからない。たとえば――「選挙に行かないのはよくないことではない。こう言うのは、政治に失望しているから人は選挙に行かないという説を信じているからではない。この失望説は選挙に行かない人をほめすぎだ。私が言うのはもっと単純なことである。行ってどうなる、と思いながら行かざるをえないほど困ったことがない人は幸福である。行かなくてすむという状態は悪くない」。ここまで粘着的だとこちらも腰を据えざるを得ない。こういうスタイルは「脱構築的」とか言うのかもしれないが、それがしばしば行き着く政治的判断停止と立岩さんは無縁である。言うべきことははっきり言う姿勢も本書の素晴らしいところで、それも二度も三度も簡潔に、澄み切った目でこちらを射とおすように言われる。たとえば――「でも仕事を分けてくれ、それがいやなら金を、というのはもっともな要求です。金を分けろ、それがいやなら仕事を、でもよいのです。そして、所得と就労、両方いっしょでもよいし、その方がよいはずです。とにかく問題を人の心の問題と見ないことです。気持ちを入れ替え、訓練すればなんとかなるなんて話を信じないことです。繰り返しますが、そんなはずはないんです」。
 硬直した思考と身体を脱臼させる反時代的なパフォーマンス。「美しい国」「教育再生」「たしかな野党」など自己正当化の言辞が大手をふるう私たちの社会で真に必要なのも、こうした自ら力をぬくことを学ぶ、整体的思考なのではないだろうか。」
◆2008/07/23 http://ryolalaa.jugem.jp/?day=20080723
◆2011/10/23 http://blogs.dion.ne.jp/9ki1to/archives/10438873.html
◆2011/12/19 http://oh-akubi.sblo.jp/article/52157077.html#more
◆2012/01/03 http://sttoikkuma.exblog.jp/14320968/

 
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■入試問題・模擬試験等での使用

◆2007 津田塾大学(学芸)国際関係学科 2007年度
 「ただいきるだけではいけないはよくない」(2003)全文
 「人生のことなど少しもわからない。ただ[…]本来は可能なのだから、できる。」
◆2007 東海高等学校
 「ただ生きるのでは足りない、はときに脆い」(2002)全文
 「いかに、は大切ではあるだろう。[…]確認していくことが一つある。」
◆2007 高崎健康福祉大学
 「ただいきるだけではいけないはよくない」(2003)全文
 「人生のことなど少しもわからない。ただ[…]本来は可能なのだから、できる。」
◆200706 駿台全国模試第1回・国語・第1問
 「ただ生きるのでは足りない、はときに脆い」(2002)全文
 「いかに、は大切ではあるだろう。[…]確認していくことが一つある。」
◆2008 岡山大学法学部後期 小論文
 「ALS(筋萎縮性側索硬化症)という[…]支配されているということである。」
◆2008 神田外国語大学 国語
◆2009 秀英予備校 国語教材
 「ただいきるだけではいけないはよくない」(2003)全文
 「人生のことなど少しもわからない。ただ[…]本来は可能なのだから、できる。」
◆2009年度 中村学園大学・短期大学部 入学試験
 「『ALS――不動の身体と息する機械』という本を…[…]尊厳死法ができても命が助かる人はいないのである。」
◆2009年度 椙山女学園大学 入学試験・国語
 「ジョン・ロック没後300年に」
◆2009年度 滋賀県立大学 入学試験問題・後期 小論文
 「ただいきるだけではいけないはよくない」(2003)全文
 「人生のことなど少しもわからない。ただ[…]本来は可能なのだから、できる。」
◆2009 学習研究社・小論文研究会テキスト『小論文問題集・分析集』
 滋賀県立大学の入試問題を収録
◆2009 学習研究社・小論文研究会テキスト『小論文問題集・分析集』
 中村学園大学・短期大学部の入試問題を収録
◆2011年度 本郷中学校入試問題
 「人生のことなど少しもわからない。ただ[…]本来は可能なのだから、できる。」
cf.◇2012/04/04 http://mbp-hiroshima.com/eccbestone/column/4407/


UP:20120625
번역:곽정란 (クァク・ジョンナン)

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