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政策に強い障害学も要る

立岩 真也 2005→2006

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*2005年の障害学会大会シンポジウム「障害者運動と障害学の接点――障害者自立支援法をめぐって」
 2005年9月18(日) 関西大学
 司  会:横須賀俊司 (県立広島大学)
 パネラー:岡部耕典(都立大学大学院生)/姜博久(全障連)/立岩真也(立命館大学)
『障害学研究』2号(2006)掲載。
 『障害学研究』創刊号 刊行・発売中。お買い求めください。

 今日は30分の時間を与えられていますけど、できればそれより短く終えたいと思います。もちろん、話せば長い話ではありますけども、それをやっているときりがないので。言いたいことの中身にはあまり触れないというか、そんな感じにしたいと思います。
 今回、自立支援法案に関するパンフレットといいますか、僕のホームページに掲載されているものや、僕が今まで書いてきたものを集めた冊子を作りました(『<障害者自立支援法案>関連資料』、2005年9月、1000円)。僕が今日、ここで話せない話については、できれば、この冊子を見ていただきたいと思います。値段はついています。コストがかかるということもありますが、それだけではなくて、こういうことをこれから研究していく研究者を、みな自前でとはいかないまでも、育てていくために使いたいとも思いますので。収録させていただいた皆さんの文章について、個々に承諾を求めることなく、かつ、値段のついたものを売らしてもらうというのはどうかな、という感じは僕もありますが、お許し下さい。
 この冊子にはたとえば、今年(2005年)の障害学研究会の関東部会で、DPI日本会議の事務局長をつとめておられる尾上浩二さんが、かなり長い、かなり立ち入った、かなり全体的な、詳しい話をされたものが採録されています。そしてその後、いまお話いただいた岡部さんが、かなり長い、きちんとしたコメントをつけておられる。それをつるたさんが記録しました。それが入っております。もう、それだけでも読む価値があるだろうと僕は思います。
 さっき一番目の(姜さんの)報告にもありましたが、このへんの話は介護保険導入の前後から起こっているわけです。そうすると、それをどう見るかということが当然出てきます。いま、お二人、二人目の岡部さんはかなり「官庁」というアクターを大きくみながらの報告だったと思いますが、僕はそれにかなりの部分同意します。ただ私はそこまで分析する力というか、余力はないわけですが。
 少なくとも2000年の前、90年代の終わりから今に至るところで、障害者運動というものが介護保険、あるいは介護保険的なものに対してどう対峙してきたのか。そういう文章を実はもう1年半ぐらい前に書きました。お茶の水女子大の平岡さんの編で本が出るはずが、まだ出ない(平岡公一・山井理恵編『介護保険とサービス供給体制――政策科学的分析』(仮題)、東信堂、2006年刊行予定)。そこに書いた「障害者運動・対・介護保険――2000〜2003」という文章があるんですが、本が出ないからいいだろうということで、この冊子に載っけてしまいました。ですから、本に載る前にご覧いただけます。そういうものを読んでいただく。それからこの間の報道であるとか集会であるとか、その中のアピールであるとか、そういったものを、まずきちんと読んでいただきたい、と私は、切に、思いますし、それを見ていただければ問題の概要はつかめるのではないかと思います。以上、(冊子についての)長い報告でございました。

 さて、支援法はどうなのかということなんですけど。全体的に話すということはそもそも無理なので、一点だけ言っておきます。
 もちろん今回のことに関しては決定プロセスの問題が問題にされ、自己負担が問題にされてきたわけですけど、そしてそれでよいのですが、それだけで言いつくせるかということがあります。これは横須賀さんとこないだ話したときも同じ話になって、横須賀さんもそのようにお考えだったんですけど。
 自己負担の問題を含みつつ、やっぱりいちばん気になることは、何だかんだ言って今まできまった基準がなかった制度に、基準を作ろうとしているということですね。これは法案そのものの表には出てこない。これから決まることだと思います。しかし自己負担も一つの手段として使いながら、この人にはこれだけしかあげられないという仕組みになる、なりつつあるということです。これがいちばん基本的な問題だろう、社会サービスとしてのですね。
 それに対して、それをどう考えるのかというのが、いちばん切実であり大きな問題だと思います。もちろん、一つには、長時間のサービスを必要とする人たちにとって死活問題だということがあります。もちろん。ただもしかすると、その点に関しては、人の生き死にという問題になれば、表立ってそれを切り詰めるというのは、さすがにあこぎだという話になるかもしれないし、そこさえもどうなるかちょっとわからない。 そのあたりにいちばん危機感をもっているのは、介護保障協議会ですね。ここの人たちもう長いこと、この主題に関して分析と運動をやってきました。
 ただ、たくさん介助がいるという人もさることながら、たとえば知的障害、あるいは精神障害に関して、その人にどれだけいるっていうことを決めるということ自体の危うさというか、危なさというか、そこが問題だと思います。
 生き死にに関わるというと、人はそれなりに納得する部分があるんだけども、遊びに外出したいであるとか、その他もろもろ、さまざまなことに人手がいるという場合になるとどうか。そして、必要性が傍目にはよくわからない、見てもわからない、身体的なことではない部分で、つらいから介助が必要だといったときに、判定するということは、そういう部分に立ち入ることになり、ほんとうに必要なのかとか、ほんとうに辛いのかを詮索し判定することになります。そういう流れになっているわけですね。それにどういうふうに対するのかということが、少なくとも社会サービスをめぐっては最大の問題であり、そしてそれに対抗して何を言うかを考えるべき問題であり、ということなんだろうなと。この一点だけ申し上げておきます。これはこれで終わり。

 そしてもう一つ、今回のテーマが障害者運動ということですから、それに関しても一点だけ申し上げておけば、これも今回、いろんな意味で、運動自体が変わってきた、変わらざるをえなかった、これから変わるだろうということを予示するといいますか、既にそれを示していると思います。そのことは、これまでのお二方の話にも出てきた2003年の上限問題があったときに、どこが運動のイニシアティブをとったのか、もったのか、ということですね。DPI日本会議や全国自立生活センター協議会は、それなりに力をつけてきた組織ではあるけども、それでも全体からみれば、まあマイナーな組織だったといえると思います。それが少なくとも2003年の前後から、今に至るまで、かなりその役割を大きくしてきた。これは確かだと思うんですね。それに対して、旧来の大きな組織である日身連であるとか、全家連であるとか、育成会であるとか、このような旧来の組織が、この話にどこまで乗るか、あるいはそるか、というかたちで動きが複雑にもなってきた、という状況だと思うんです。それがどう、これから動いていくのか。あるいは動かすべきかということが、かなり大きな意味をもってくるだろう。これは一つ、言えることだと思います。
 また、運動の手法としてのロビイングが、今回かなり積極的に使われた。これをどう考えるか、ということもあります。そういうことも含めながら、運動自体が変わってきたし、変わらざるをえない。でもそれは肯定的に評価しうる、少なくとも私から見れば、まともなことを言ってきた人たちが前面に出てきた。出ざるをえないような状況になってきた、ということが言えると思います。
 今回の選挙、こういう具合になったわけですが。じゃあこれからどうなるかということで言えば、いわゆる革新勢力っていうものがいくつかに分かれた中で、小選挙区制という前提のもとで、こういう次第になっているということも含めてですね、障害者運動の再編ということと、政党も、あるいは社会運動も、あるいは、どういう社会を目指すのかということに関する、大きな方向が再編されざるをえないだろうし、されないとろくなことにはならないだろうというふうに思います。
 僕は、もうほっとけばいいかな、という気もしてはいます。10年や20年たつとですね、そのうちみんなが本当に困って、その時に…。だからもうそれまでほっとけば、という気持ちもあるんです。ですが、それはいくらなんでも無責任だとすると、今のうちからそういうことは言っておかなきゃいけない、考えておかないと、とは思っています。

 そういうことで、支援法って何なの?、何が気になっているの?という話が一つ。それから、それをめぐって、運動は確かに変わってきた、アクターが変わってきた。それとおそらく相関しつつ連関しつつ、政治的な布置自体も変わらざるをえないだろうし、変わらないとあまりいいことはないだろうなと思う。それをもう一つ申し上げました。

 それと障害学ということとの関わりですけども。僕は別に、障害学であろうと何であろうと、「学」っていうものが、ものを調べものを考えるという営みというものが、どういう意匠や名称を使おうと、なされればいいと、そこの中で何がなされるかということだと思います。ただまあ、ここは障害学会だから、障害学との関係でお話します。これも今のおニ方が、明示的に、あるいは暗に報告の中に含まれたことだと思うけども。
 もちろん何をやったっていいわけですよ、研究っていうのはね。何やったっていいと僕は思います。ですけどもやっぱり、いま起こっている政策をめぐる、マクロな、と限らないとしてもそういうものも含む部分の研究は、少なくとも必要であり、不可欠です。
 そこに話をもっていける力というのを、われわれはまだ持っていない。そういった研究が、少なくともまだ少ないとは言える。そこはやっぱり考えどころですね。みんながみんなそんな研究をやったら気持ち悪いわけだし、そんなことはさらさら希望していないし、そうはならないはずです。けれども、少なくともそういうことに関して、もっと、されるべきことが山ほどあるだろう。誰かやってくれないかな、ということを僕は、今日に始まったことではなくて、ずっと思っています。で、そのことに関して、ちょっと話を二つに分けて申し上げます。
 一つは「記録する」ということの意味です。今回、また別の冊子で、1970年代80年代の関西の運動に関する冊子を作りました。まあ、昔話といえば昔話です。でも昔話も大切は大切で、やっておかなきゃいけないと思います。さっきも誰かと話したんだけど、人は生きてる間にしか話は聞けないんだから、とにかく生きてる間に、っていう意味でも。もう35年ぐらいたっているんだから。70年代80年代のことは押さえておかないといけない。それはそうです。今日の大谷さんの報告なんかも、ある部分を切り取ってきちんと精査しようというお仕事の一部だと思う。
 同時に、やっぱり今、ここ数年起こってきたことが何なのか、たとえばそういうことをちゃんと書いたものが、われわれが手にとれる範囲でどれだけあるだろうか、ということですよ。少なくとも私が知る限りにおいては、いま横に座っている岡部さんが『社会政策研究』に書いてくださった、2003年の上限問題をめぐる分析ですね。これはいい論文ですけれども。それはある。でもそれ以外に、そうたくさんはないわけです。これは大きな欠落だと思います。
 さっき、まだ出版されていないから冊子の方に載せちゃったという文章に、僕の調べがつかなかったので、ごくごく短くしか書いてないんだけども、こういうことを書きました。たとえば今回起こっている出来事は、けっして意外な出来事ではないわけです。90年代の半ば、障害者運動はとにかくサービスの量を増やし、サービスがある地域を増やしていこうっていうことをやっていました。そういうことをやってくる中で、そこの運動の先端にいた人たちは、やがてこれは終わる、というか、これに対する反動が来るということは確実に認識していました。
 つまり、いま確固たる基準はないなかで、とにかく、やれるところ、出せるところから出させるということをやってきた。しかしそれがいつまでも続かない。どっかで枠をかけるという動きが出てくるだろう。そこに対応していかなきゃいけない、ということですね。それは感じていたわけです。
 その流れでたとえば90年代終わり、介護保険に組み込まれるか否かということに関する議論もあった。そんなに大きな議論ではなかったけど、私はそれを近くで見知ってはいます。例えばそういうものがありました。そして2000年を経て2005年に至る中で、介護保険との関係ですね。それをどう捉えるか。あるいはむこうがどう言ってきているか。それにどう応えるか。そして2003年の上限の問題があり、介護保険統合の問題があり、そして今に至っている。その間いろんなことが起こっているし、いろんなことを人は考えてきたわけですよ。政策側ももちろん動いてきた。そういったことに関する記録、まずファクト、事実ですよね。何がどう動いてきたのか。それを最低でも、おさえておかないと。やっぱり闘う、という言葉はどうだかわかりませんが、闘えないわけですよ。
 なおかつ、運動サイドは日々忙しいわけです。で、今日ぼくがここにいるのも、メインストリーム協会の佐藤さんがあまりの忙しさに体を壊してしまって、一時期死にかけて、それで代打で僕はここに座っている。運動の人たちはほんとに忙しい。体を壊してやってるわけです。で、だから、振り返っている時間がないんですね。日々起こっていることを記録して何かしていくための時間が欲しいけど、時間がない。
 比べれば、研究者は暇です。明らかに(会場笑)。だから暇な研究者はそのことぐらいすべきだ、というのが一つあります。だから昔のことは昔のこと、今のことは今、今といっても、もう何年もたっていることが山積してるわけです。それはやっておかなきゃいけないだろう。これは研究と言えるかどうかわかりません。研究の手前の事実の集積かもしれません。しかしそれさえもなされていないんだとすれば、それはやっておくべきだし、僕はそれも研究といっていいだろうと考えています。
 それからもう一つ、そういったチマチマしたことをしながら、しかしやっぱりものを考えていく、ってことが必要であり、迫られていると思うわけですね。
 では何を考えるかということだけども、それは山ほどあるわけです。たとえばサービスに対して基準を設定するという話。これは、明白な悪だとは言いきれないわけですよ。ただ「有限な財がある。そうすれば、それをどうやって割るかが問題だ」とと言われたときにどう答えるか。「優先順位をつけなきゃいけない。だから基準が必要なんだ」と、官庁の人であれなんであれ言ってくる。それはいくつかの前提を認めていけば、それなりにもっともな話なんですね。
 しかしながら、その、今起こっている、そういったロジックを使いながら出てくる話にそのまま乗れるかというと、それは乗れない、と私は思います。それは、さっき言ったように、その結果、何が起こるかですね。精神障害・知的障害の人を含めて、というか、そっちがきつくなるかもしれないですけども。今までなかったから、比べてどうかという話はおいたとしても、厳しい。
 そうしたら、それに対して何が言えるか、っていうことですよね。たとえば先ほども姜さんがおっしゃったけど、「財源がないから」という話じゃないだろう、と。「全体が限られているから」っていう話じゃないだろう。僕もそう思います。じゃ、そのことをどういうふうに言うか。限られているというが、なんかそれは話をずらされているっていう気が、直観的にする。でもそれを、では、どういうふうに言っていくか、ということですよ。
 そしてまた、人はもらえればたくさんもらいたいんだから、言い値のとおりに、あるいは使ったとおりに、出来高払いにしても、事前申告にしても、たくさん使ってしまうだろう。そうすると、そこのところで枠をはめないことには、過剰な供給というのは起こるだろう、それはかえって不公平だ、という話がある。それに対して何をどう言っていくかということですよね。もちろん、実際に、どれだけどういうふうにそんな制約が必要なのかということがある。そして、それをめぐって、今までおこなわれてきたさまざまな制限であるとか制約であるとかといったものが、何を効果してきたのか。それは政策論議ではなくて、マイクロな、日々の介護サービスの現場においてなされてきた様々なことに関わります。暗に陽に、明文化されたり明文化されなかったりしてきた、そういった制約というものが何であったのかという研究も含めて、そういった実証的な研究も含めて、それとともに、「そうせざるをえないでしょう?」っていう大きな勢力に対して、どういうふうにものを言っていくのか。そういったことを考えていくのも含めて、どうものを言っていっていくかというのも大切だし、それを障害学がやるなら、「やれよ」というか、「やりましょうよ」といいますか、そういうふうに思います。

 いま話したことに少し関わらせて言うと、こればかり言うとまたちょっとまずいんだけども、一つ今回の選挙の結果を見ても、それから今回の法案に対する、社会の反応なり、マスメディアの反応にしても、やはり単純に福祉サービスはできるだけ切り詰めてっていうような勢力ではなくて、むしろ、大衆的なというか、社会のある種のマジョリティでもある普通の人たちが、しかし世の中に、いろんな意味での、かれらにとっては不公平みたいなものを見出して、それをいっこいっこ、そっちからつぶそうとする。そしてその矛先が結果としてどこに向けられるかっていうと、いちばんモノやお金をもっていそうなサイドではなくて、そうではない方向に行ってしまう。「既得権」という言葉も、そういったなかでそういうふうに用いられているっていうことですよね。それはある種の正義感、ないしその、ある意味での不公平感みたいなものに発しているわけです。そして今、いま唱えられている「改革」とやらいうものが、そうしたものをなくしてくれる、というような感覚みたいなものに、今は支えられている。
 すると、それに対して、それを汲み取るかたちで、しかし妥協せずに、つまり、その人たちがいう「公平」っていうことにおもねるのではなくて、「だからしかたがない」という言い方ではなくて、別のしかたで、「これだけはいるんだ。そのほうが社会っていうものはいいんだ」と言っていく。ということがやっぱり必要だし、そういう仕事がわれわれに求められているんじゃないだろうかという気がします。
 そういうことで、自立支援法の中身の話は、もともとできないんですけど。きちんと知っている人がちゃんとしたこと言っているわけですから、それを見て下さい。それを前提にして、いま私が「運動と学」という、その関係について、それぞれについて考えていることをお話させていただいたという次第です。以上です。

■言及

◆立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代・記録00――準備:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books

◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社


UP:20060613 REV:0615(リンク追加) 0830(誤字訂正), 20100428, 20141230, 20180806
障害者と政策  ◇障害学  ◇立岩 真也 
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