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死の決定について

立岩 真也 2006/10/15 第3回東海地区医系学生フォーラム 於:名古屋市

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■第3回東海地区医系学生フォーラム

   *以下、主催者から送ったいただいたMSワードのチラシより
   *MSワード版(48k bytes)

医療における自己決定を考えよう
――あなたは「尊厳死」を望みますか――

 今年春に問題になった、富山県射水市立病院での「人工呼吸器はずし」。これを契機に、国もガイドライン作りにのりだすかもしれません。
 終末期医療をどうするか、という問題も「コスト」の問題を抜きには語れません。
「尊厳死」を認めるべきかどうか、それを法律やガイドラインという形で国が決めるべきかどうか。
 今回の「事件」を考える中で、医療における自己決定の問題を、みなで考えていきたいと思います。多くの方の参加をお待ちしています。

日時:2006年10月15日(日)14:00〜16:45 
場所:ウィルあいち 2F セミナールーム6
     ( 名古屋市東区上竪杉町1番地 )
講師:立岩真也 氏(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
    障害者の問題などから、医療問題、特に尊厳死や安楽死の問題にアプローチしている社会学者。著書に「生の技法」「私的所有論」「弱くある自由へ」「自由の平等」「ALS」「希望について」など
   中澤明子 氏(レット・ミー・ディサイド運動、東海支部)
    特別養護老人ホームせんねん村(愛知県西尾市)施設長
   東野督子 氏(日本赤十字豊田看護大学講師)

参加費:学生無料、社会人500円(資料代)
定 員:50名
申込み:メールまたはFAXにて申込み(当日参加も可)
対 象:医療や福祉について学んでいる学生さん
主 催:東海医系学生フォーラム実行委員会
伊藤光保(伊藤医院医師)、大岩恵祐(三重大学医学部医学科学生)、亀井克典(川名病院医師)、北本明子(三重大学大学院看護学学生)、小林香里(愛知医科大学看護学部学生)、白井裕子(愛知医科大学看護学部)、杉浦裕(杉浦医院医師)、水谷聖子(日本赤十字豊田看護大学)、山瀬ちさと(愛知医科大学看護学部学生)

問合せ:NPO法人医療と保健と福祉の市民ネットワーク東海(MHW)
TEL 052-931-3315

≪ 会場案内 ≫

ウィルあいち http://www.will.pref.aichi.jp/main01/main01_v.html

地下鉄「市役所」駅 2番出口より東へ徒歩約10分
名鉄瀬戸線「東大手」駅 南へ徒歩約8分
基幹バス「市役所」下車 東へ徒歩約10分
市バス幹名駅1「市政資料館南」下車 北へ徒歩約5分


問い合わせ・お申込みは、
NPO法人医療と保健と福祉の市民ネットワーク東海(MHW)事務局
〒461-0005 名古屋市東区東桜2-18-3,702
TEL&FAX:052−931−3315
E-mail:mhw@npo-jp.net

★お申し込みは・・・
 お名前、ご所属、ご連絡先などをお書き添えの上、上記FAXまたはE-mail まで
 お送りください。当日参加も可能です。


 

  *最初にいただいた情報より

東海医系学生フォーラム

日時:10月15日、午後2時から5時くらい
場所:名古屋市内、未定
内容:射水市民病院の問題から医療における自己決定を考える
   メイン講演 1時間
   看護士の立場から、市民の立場から、各20から30分、
   司会は医師が行う予定
   1時間くらい、小グループでのフリー討論か、全体での質疑応答

■言及

◆ 立岩真也 2012/09 「もらったものについて・9」『そよ風のように街に出よう』83
 「西のこと
 その〔2011年の愛知大学での〕障害学会の大会の時のことだ。私はすっかり出無精になってしまっていて、学会とかほぼ出られてないのだが、そのときにはその白石さんに話してもらったそのセッションの司会ということでその日だけ出た。そしたら、その大会の会場は愛知大学で名古屋で、そこに大野萌子さんが赤堀政夫さんとともにいらしていた。赤堀さん・島田事件のことを御存知ないとなるとこれは(たいへん)困ったことなのだが、解説は略(いつものようにこの文章全体をHPに掲載して、そこから関連ページにリンクさせてある)。大野さんはずっと赤堀さんの再審請求・奪還の活動に関わってきた人であり、ご自身もこないだ怪我されたということだが、解放後の赤堀さんの生活を介助者として支えてもいる。全国「精神病」者集団(一九七四〜)の結成以来のメンバーである。実はお会いするのは初めてではなく、二〇〇六年の十月、「東海地区医系学生フォーラム」というところで話をさせていただいた時、やはり赤堀さんといっしょに来られていて、驚いた。赤堀さんは静かなただずまいの方だった。お目にかかることがあるとは思っていなかったので感激した。大野さんは、その「フォーラム」に呼ばれた私を含む幾人かがひとしきり話した後、「がーっ」と話をして、おおこの人があの大野さんか、と私は思ったのだった。(テーマは「医療における自己決定を考えよう――あなたは「尊厳死」を望みますか」というのだった→この話はまた後で。)
 私たちは、この「病」者集団の途中からのメンバーで、その活動に関わってきた山本真理(筆名:長野英子)さんに公開インタビューというのをしている。これは昨年〔2011年〕の十月八日のことで、事前に決まっていて、山本さんにはわざわざ京都にきていただいて、長々と話をうかがったのだが、その一週間前の十月一日の大野さんとの遭遇は偶然で、しかしこの機会をと思ってしまったものだから、そしてそこには「「病」者集団」の、より若い、といってもそれほどではない安原壮一さんと、たぶん本当に若い桐原尚之さん(彼は今年からこちらの大学院生になってしまった)もいたから――この二人のどちらかがボイスレコーダーをもっていた――お願いして、三人で、きゅうきょ、会員控室みたいなところで――さっき記した特別セッション(のための打ち合わせ)が始まるまでということであわただしかったのだが――インタビューということになった。
 それで聞いたのは、やはり、名古屋からだいたい大阪あたりまでの地域でも、精神障害者たちの、そしてそれにすこし先んじての医療者たちの動きがあったということだ。大野さんが保護室を「占拠」して(一九七二年)、入院している人たちの待遇改善を要求したことついては彼女が二〇〇六年に書き、たしか掲載依頼の連絡をいただいてこちらのサイトに掲載させてもらっている「保護室占拠 NO.1」で知ってはいたが、それが名古屋市立大学の付属病院で、その占拠がそこの医師かどうかはよくわからなかったがとにかく名古屋あたりで反保安処分の運動をやっていた人たちに見込まれ、大野さんはそこに入っていく。そして一九七四年に「「病」者集団」結成。第二回・第三回大会は京都で、第四回大会は名古屋で開催されている。名古屋(の大野さん宅)はたまり場、会議の時の宿泊場所になり、さらに大阪にも暮らす場が作られる。そこで障害事件が起こり、起こした方の鈴木国男(以下故人のみ敬称略というのはいかにも変だが、そうさせていただく)――――が留置場に放置され、亡くなる。場が作られ、そして争いが起こることに、自らの位置をどこに置くか、医療・医療者たちとの関係をどうしていくかが絡んでいる――鈴木が仲間を刺したのもそのことに関わっていたという。
 私は一九七九年から一九九五年まで十六年東京にいて、なんとなくその時期の東京近辺の雰囲気はわかる。大学(学園)闘争(紛争)は、東京大学医学部での学生の不当処分がきっかけになったということになっているということもあり――この辺のことは稲場雅紀・山田真・立岩『流儀』(生活書院、二〇〇八)の山田さんの話、及び私が付けた註を読んでください――、またその流れで所謂「赤レンガ病棟」「占拠」が起こり、そこが「刑法改正・保安処分に反対する百人委員会」といった組織の事務局を担ったこともある。そこの人たちと、私がいた文学部の自治会(学友会)とは関係があった。そこでのことだって、わからない部分はいろいろとあるのだが、「占拠」はサンケイ新聞が告発キャンペーンをやったり国会でも取り上げられたりしたし、占拠した側が書いた本もそれを告発した側の本もある。比べても、関西のことはもっとわからない。ただ、行きがかりのようなことで、精神医療改革のことを調べかけたことがあって(『現代思想』の連載で、すこし始め途中でたんに止まっている――二〇一〇年十月号から二〇一二年十二月号までの計十四回が「社会派のゆく先」)、いくらかでも見ていくと関西の部分の力・影響が大きいことは感じる。日本精神神経学会における「造反」が始まったのは一九六九年の金沢での大会だとされるのが、それを「煽動」したのは、京大出身(→洛南病院・他)の小澤勲らだった。名古屋を関西と言ってよいのかわからないけれど、二〇〇六年に私を名古屋に呼んでくれたのも、後での飲み会で知ったことだが、ずっとその地で地道にやってきた医師他の小グループで、その人たちが「若い世代に」ということで企画をやっているのだった〔→立岩[2006/10/15]〕。(ついでに加えると、一緒にインタビューした安原さんに初めて会ったのは、二〇〇五年十月のことで、仙台での「ハートインみやぎ二〇〇五」という企画に二人が呼ばれた時。その仙台での企画も、やはり終わった後の飲み会で知ったことだが、東北大学で「造反」した浅野弘毅さんらが続けてきたものだという。)
 精神医療の場合は専門職の「自己批判」みたいなものとして始まった、こうした医療者たちの運動についてはいまあげた雑誌などでいくらか――しかしほとんど断片的にだ――知れることはあるのだが、今で言う「当事者運動」の始まりのところは、個々の事件については書かれたものを読んだことはあるが、わからない。それが今回、大野さんに話を聞いて、そのつながり方がいくらかつかめたように思った。造反組の医療者たちに「そそのかされて」と言ってわるければ、「期待されて」という部分もある。しかしいつまでも一緒に?、ということにもならず、時には厳しい対立が起こることにもなる。だから書かれにくいということもあるだろう。行動第一で、いちいち書いていられないということもあっただろう。」

◆立岩真也 編 2014/12/31 『身体の現代(準)―試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』Kyoto Books
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UP:20060725 REV:0905, 20120610, 20141229
安楽死・尊厳死 2006  ◇安楽死・尊厳死  ◇立岩 真也
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