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私はこう考える

法制化を議論する前に、苦痛を緩和する医療や家族のケアなどを充実させるべきです。
(つけてもらったタイトル)

立岩 真也 2006/08/20
『通販生活』25-3(242・2006秋号):119 \180
(通販生活の国民投票第34回 尊厳死の法制化に賛成ですか?反対ですか?)
http://www.cataloghouse.co.jp/


*『通販生活』には「国民投票」というコーナーがあって、ある主題について賛成・反対計6人の意見が並んで、読者が自分が賛成する人に投票するとかいうものだそうです。その主題が「尊厳死(法?)」だそうで、依頼をいただきました。

*雑誌が発売されるまでここに掲載しないことになりました。2006.6.26
*雑誌が発売され、掲載させていただくことになりました。2006.8.19

 意見を言った人
  1中川翼/2永六輔/3松根敦子/4山口研一郎/5中島みち/6立岩真也

最初に送った原稿
送られてきた、わすりやすくするためになおされた原稿
さらにこちらですこしなおして再度送った原稿(これが掲載されました)2006/06/24


 
 
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■最初に送った原稿

 *これから若干の変更があるはずです。(→ありました。↓)

  「延命措置」という言葉は、このごろ最初から悪い意味の言葉になっています。でも、まずそれは、栄養の補給であり、呼吸の補助です。いくらかでも感覚があれば、おなかはすきますし、喉は渇きますし、呼吸が困難なのは苦しいです。周囲の人にはその状態はよくわからない。本人ならどうか。その時点では本人は意志をはっきり伝えられないから事前に決めておくことになっているんですが、事前には本人にも実感としてわからない。その時にはどうしたいか伝えられない。しかし事前に言ったとおりになってしまいます。
  次に、たしかに病による身体的な苦痛はとても大きな問題です。でも、ていねいな対応が大前提で、日本の医療はそれが下手ですが、それをなんとかすれば、かなり少なくできます。
  他方、意識がなくなっていれば、その状態は、本人にとって、よいこともないと言えるとしても、その状態が続いてわるいこともありません。
  すると、その当人自身にとって、早く死にたい理由はなくなってきます。
  それでもなお、治療を控えたり止めたりするのがよいと人が思うのは、苦痛を与え、効果のない処置がなされているからかもしれなません。効果が見込めないのに心臓に強い電気ショックを与え続けるとかです。それはやめてよいと思います。本人に益がないのですから。しかしそれは、今ある法律の範囲内で可能なことです。
  一つ補足します。回復に効果がないというのと、生きるのに効果がないというのは別です。回復しないからといってなんでもやめていったら、病や障害をもちながら生きている人はどうなりますか。残念ながら回復をもたらさなくても、生命・生活の維持に役立つ処置を否定する理由はありません。
  それでも、実際、遷延性意識障害、いわゆる植物状態から回復する人もいます。脳死についてはずいぶん議論があったじゃないですか。尊厳死で問題になっているのはもっとずっと死から遠い状態なのに、簡単に認めることにしようというのは変だと思います。
  それ以外に「延命」を拒否する理由があるとしたら、大きいのは、周囲に迷惑をかけたくないという理由です。それは立派な心情のようにも思います。しかしそれを周囲がそのまま受け入れたら、それは「私たちのためにありがとう、どうぞ死んでいってください」と言うのと同じじゃないでしょうか。
  私自身には、その人が決めたとおりでよいだろうという思いもあります。けれども、最低、社会の側の問題があって、それで人が「自分が決めた」とおっしゃって亡くなっていこうとされるのを、「自己決定」だからとか言って、そのまま「どうぞ」と言うのはおかしい。尊厳死に賛成する人の多くも、負担のこと、医療や福祉にかかるお金のことで決定が左右されることはよくないことを認めます。なら、どう考えたって、昨今の流れは順序が逆です。生きたいなら生きられるという条件がきちんと整えられてから、死ぬのもよしということにするべきです。
  以上、説明不足ですが、もう少し詳しくは、6月に出版された拙著『希望について』(青土社、2310円)に収めた文章に書きました。また私のホームページ(http://www.arsvi.com/)にもいろいろと情報を載せています。ご覧いただければと思います。


 
 
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■送られてきた、わすりやすくするためになおされた原稿

  この頃「延命措置」という言葉が最初から悪い意味で使われています。がんなどの病気で死が迫った患者が、人工呼吸器をつけられたりチューブを通して栄養補給を施されたりすることは「不自然で人間らしくない」と思われています。しかし、延命措置には人の体を楽にする側面があることを忘れてはいけません。少しでも意識がある場合、呼吸がしにくいと苦しいし、お腹もすくし、喉も渇きます。延命措置はこのような苦しさを和らげているんです。
  死が間近に迫ったときに、患者本人は延命措置についてどうしてほしいかをはっきり伝えられない。だから、健康なときに決めておこうというのがリビング・ウィルの考え方です。しかし延命措置が自分にとって辛いのか、そうでないのか、健康なときには実感としてはわかりません。延命措置が実は辛くはないのに、健康なときに宣言したことで、措置をやめられてしまうことだってありうるわけです。
  強調しておきたいのは、病状の回復に効果がない処置でも、生きるのには効果があるということです。病や障害を持ち回復の見込みがなくても、人工呼吸器などの処置を受けながら生きている人はいます。病状を回復させない処置だからとやめることを認めたら、その方々はどうなりますか。生命・生活の維持に役立っている処置を否定し中止する理由は何もありません。
  病気の末期だけではなく、植物状態(遷延性意識障害)になった場合も尊厳死を認めるべきという意見もありますが、植物状態とは生命維持に必要な脳幹部分は生きている状態です。脳のすべての機能が死んでしまういわゆる脳死とは別もので、意識が回復した例もあります。脳死についてはずいぶんと慎重な議論があったのに、脳死よりもずっと死から遠い状態の人たちに対して、簡単に死を認めるのは変です。
  尊厳死を望む理由には、病による身体的な苦痛があるでしょう。確かにこれは大きな問題です。患者の身体的・精神的苦痛をケアする緩和医療が日本ではまだまだ発達していません。だからといって、患者の苦痛を緩和する努力を十分にせずに尊厳死を語るのは、順序が逆のような気がします。
  また、意識がない状態ならば、患者は自分が受けている措置がどんなものかわからないし、苦痛も感じません。この状態を続けることが良いとも言い切れませんが、苦痛はないのですから悪いとも言えません。
  それでも、延命措置をやめた方がいいと思う人がいるとしたら、効果が見込めないのに心臓に強い電気ショックを与え続けるといった措置をされるケースがあるからかもしれません。このような苦痛を与えるだけの措置はもちろん止めたほうがいい。でも、それは今の法律の範囲内で可能なことです。
  尊厳死を望む理由としてはもうひとつ、末期の状態が長引くことで家族など周囲に経済的・精神的な負担をかけたくないという思いがあるでしょう。しかし、その患者の心情を周囲が受け入れることは、「私たちのためにありがとう。どうぞ死んでください」と言うのと同じです。「自己決定だからどうぞ」と言うことを法律で認めるのは、どう考えてもおかしい。
  延命措置を続けるか否か。私自身にも、患者本人が決めた通りにしてよいだろうという思いもあります。しかしそれは、緩和医療やホスピス、家族に対する経済的・精神的援助など、社会的条件が整った上での話です。生きたいという思いを少しでも持っている人が、必ず生きられる社会的な環境や条件が整ったときにのみ、尊厳死は実現されるべきことです。簡単に法制化やルール作りがされるのは、私は反対です。


 
 
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■さらにこちらですこしなおして再度送った原稿(これが掲載されました) 2006/06/24
 *書店の店頭販売が9月15日ということで、その日以降に掲載することになりました。(2006.8)
 *掲載しました。(2006.9.15)

  この頃「延命措置」という言葉は最初から悪い意味で使われてしまっています。がんなどの病気で死が迫った患者が、人工呼吸器をつけられたりチューブを通して栄養補給を施されたりすることは「不自然で人間らしくない」と思われています。しかし、延命措置には人の体を楽にする側面があることを忘れてはいけません。少しでも意識がある場合、呼吸がしにくいと苦しいし、お腹もすくし、喉も渇きます。延命措置はこのような苦しさを和らげているんです。
  死が間近に迫ったときに、患者本人は延命措置についてどうしてほしいかをはっきり伝えられない。だから、健康なときに決めておこうというのがリビング・ウィルの考え方です。しかし延命措置が自分にとって辛いのか、そうでないのか、健康なときには実感としてはわかりません。延命措置が実は辛くはないのに、健康なときに宣言したことで、措置をやめられてしまうことだってありうるわけです。
  強調しておきたいのは、病状の回復に効果がない処置でも、生きるのには役立つことはあるということです。病や障害を持ち回復の見込みはなくても、人工呼吸器を使ったりして生きている人はいます。病状を回復させない処置だからとやめることを認めたら、その人たちはどうなりますか。生命・生活の維持に役立っている処置を否定し中止する理由は何もありません。
  病気の末期だけではなく、植物状態(遷延性意識障害)になった場合も尊厳死を認めるべきという意見もありますが、植物状態とは生命維持に必要な脳幹部分は生きている状態です。脳のすべての機能が死んでしまういわゆる脳死とは別もので、意識が回復した例もあります。脳死についてはずいぶんと慎重な議論があったのに、脳死よりもずっと死から遠い状態の人たちに対して、簡単に死を認めるのは変です。
  尊厳死を望む理由には、病による身体的な苦痛があるでしょう。確かにこれは大きな問題です。患者の身体的・精神的苦痛をケアする緩和医療が日本ではまだまだ発達していません。だからといって、患者の苦痛を緩和する努力を十分にせずに尊厳死を語るのは、順序が逆だと思います。
  また、意識がない状態ならば、患者は自分が受けている措置がどんなものかわからないし、苦痛も感じません。この状態を続けることが良いとも言い切れませんが、苦痛はないのですから悪いとも言えません。
  それでも、延命措置をやめた方がいいと思う人がいるとしたら、効果が見込めないのに心臓に強い電気ショックを与え続けるといった措置をされるケースがあるからかもしれません。このような苦痛を与えるだけの措置はもちろん止めたほうがいい。でも、今の法律でも、そんな処置をしなければならないなどと決まってはいません。
  尊厳死を望む理由としてはもうひとつ、末期の状態が長引くことで家族など周囲に経済的・精神的な負担をかけたくないという思いがあるでしょう。しかし、その患者の心情を周囲が受け入れることは、「私たちのためにありがとう。どうぞ死んでください」と言うのと同じです。「自己決定だからどうぞ」と言うことを法律で認めるのは、どう考えてもおかしい。
  私自身にも、本人が死生を決めた通りにしたらよいという思いはあります。しかしそれは、身体の苦痛の緩和をきちんとし、本人や家族の経済的・精神的負担を軽くする社会的条件が整った上での話です。生きたいという思いを少しでも持っている人が、必ず生きられる社会的な環境や条件が整ってようやく、では選んでくださいと言えるかもしれないということです。いま法制化やルール作りがされるのに、私は反対です。

(タイトル)
法制化を議論する前に、
苦痛を緩和する医療や
家族のケアなどを
充実させるべきです。

(小見出し)
健康なときと末期状態では
延命措置の受け止め方が違う。

(本文19W×79L)


UP:20060613 REV:0625,26 0819,20,30 0915
安楽死・尊厳死  ◇安楽死・尊厳死 2006
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