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書評:田中耕一郎『障害者運動と価値形成――日英の比較から』

立岩 真也 2006/07/01 『社会福祉研究』96:91


  日本と英国の障害者運動に直接的な交流はなかった。だがその新しさも含め共通性があること、違いもありつつ同じ厄介な問題に向かってきたことを証そうとする。その試みは基本的に成功したと思う。
  そしてその手前、歴史記述そのものに大きな価値がある。「優生思想」に抗する主張・運動が英国にもあることの指摘(pp.128-129)等々、英国についての記述にも興味深い部分が多々あるが、まず日本で起こったことの記述に価値がある。評者たちも歴史を記したことがあるが(『生の技法』、藤原書店)、初版は1990年。1995年の増補改訂版でも限られた部分を追加したにとどまる。この本は博士論文(大阪府立大学、2002年)をもとに、さらにその後について補論「日英障害者運動のいま」が付されている。労働、教育そしてアクセスに関わる運動についての記述がある。「障害者福祉」に限らず社会福祉関係でいくらかでも日本の歴史にふれて教えているといった人は、当然この本に書いてあることは知らなければならない。知らなければ入手して読むしかない。
  著者は1961年生。ここに書かれている動きを、たぶん始まって10年ほど遅れて知って、実際に関わってきた人だと思う。今は北星学園大学の教員だが、施設の職員や民間組織「障害者労働センター」の職員などを経てきたと著者紹介にある。遅れて加わったが、随伴してきて、実際に見て知っていることがあることに自負もあり、事実とその意味とを伝える義務があると考えて、この本を書いたのだと思う。これも長所だ。「青い芝の会」はたまにとりあげられるようになったが、より大きな運動を展開した「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」の活動を追った文献もなかった。思うのは、もっとたくさん書いてほしいということだ。第2章「日本の障害者運動の軌跡」だけで一冊の本になってよい。それだけ書いてわかること伝わることがある。するともっと厚くなり、日本のことだけになり、本もたくさんは売れないかもしれない。しかしどんな媒体で誰が書いてもよいから、もっと書かれてほしいと思う。
  この本は、しかしただ歴史を追った本ではない。考えるべき論点の現われを確認し、何が言われたのかを知り、そして自らも考えようとした本である。その記述について、歴史の解釈について、いくらも書くことはある。だが紙数がない。ここでは一つだけ。「介助者手足論」という、多くの人にとっては初耳の「論」を巡る議論が紹介され、検討されている。関連して介助の有償/無償を巡る議論があったことが紹介され、「消費者主義」と障害者運動とのいくらか複雑な関係が検討され、さらにイギリスの運動でもそうした議論があったことが紹介されている。
  まず、繰り返すが、こうした議論があったことが記述され残されることが大切なことだ。使われているのは機関紙などの文字資料だが、著者はそうした議論が現になされた場を知っている。そして一つ誤解を正している。この議論へのごく少ない言及の中で、「手足論」は介助者をたんなる手段として使うことを主張したと扱われることがあるが、そうでないと著者は言う。この指摘はその通り。そして著者は、「障害学」の議論の流れを追い、自己決定の理念の再考、社会モデルの主張以後のインペアメントへの注目、ろう者の主張とも関連する同化/異化という構図の検討に進む。ただ、評者もこの介助を巡る議論に巻き込まれ、考えさせられてきた者なのだが、この問題はこれらの道具立てだけでは解けないと思ってきた。有償であることを、批判する側の言い分もわかりながら、主張するとしたらどう言うか。有償であることは交換でなく義務であり贈与であることと矛盾せず、むしろ全社会的な義務を是とし実現する方法だと言えばよいと評者は思い、書いてきた。これがいくらかずるい答であることは否定しない。まだ考えるべきことは残る。ただともかく、その運動が問題にしたのは社会編成の全体だったのだと言いたいのだ。たしかに体系的・論理的とは言いがたいこの国の運動から何を引き出し、加えていくか、まだすることはあり、この本はその素材を提供してくれる。そして同時に、この本における論述自体もまた検討されるべき対象としてある。

 *5行減らすために変更を加えた原稿


 
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 *最初に送付した原稿

  日本と英国の障害者運動に直接的な交流はなかった。だがその新しさも含め共通性があること、それぞれ違いもありつつ同じ厄介な問題に向かってきたことを証そうとする。その試みは基本的に成功したと思う。
  そしてその手前、歴史記述そのものに大きな価値がある。「優生思想」に抗する主張・運動が英国にもあることの指摘(pp.128-129)等々、英国についての記述にも興味深い部分が多々あるが、まず日本で起こったことの記述に価値がある。評者たちも歴史について書いたことがあるが(『生の技法』、藤原書店)、初版は1990年、1995年に出た増補・改訂版でも限られた部分を追加したにとどまる。この本は博士論文(大阪府立大学、2002年)をもとに、さらにその後について補論「日英障害者運動のいま」が付されている。労働、教育そしてアクセスに関わる運動についての記述がある。学校などで「障害者福祉」に限らず社会福祉関係でいくらかでも日本の歴史にふれて教えているといった人は、当然この本に書いてあることは知らなければならない。知らなければ入手して読むしかない。
  著者は1961年生。ここに書かれている動きを、たぶん始まって10年ほど遅れて知って、実際に関わってきた人だと思う。今は北星学園大学の教員だが、施設の職員や民間組織「障害者労働センター」の職員などを経てきたと著者紹介にある。遅れて加わったが、随伴してきたこと、実際に見て知っていることがあることに自負もあり、事実とその意味とを伝える義務があると考えて、この本を書いたのだと思う。これも長所だ。「青い芝の会」はたまにとりあげられるようになったが、より大きな運動を展開した「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」の活動を追った文献もなかった。思うのは、もっとたくさん書いてほしいということだ。第2章「日本の障害者運動の軌跡」だけで一冊の本になってよい。それだけ書いてわかること伝わることもあると思う。するともっと厚くなり、日本のことだけになり、本もたくさんは売れないかもしれない。しかし誰が書いてもよいし、どんな媒体でもいいから、もっと書かれてほしいと思う。
  この本は、しかしただ歴史を追いかけた本ではない。考えるべき論点の現われを確認し、何が言われたのかを追い、そして自らも考えようとした本である。その記述について、歴史の解釈について、いくらも書くことはある。だが紙数がない。ここでは一つだけ。「介助者手足論」という、多くの人にとっては初耳の「論」を巡る議論が紹介され、検討されている。関連して介助の有償/無償を巡る議論があったことが紹介され、「消費者主義」と障害者運動とのいくらか複雑な関係が検討され、さらにイギリスの運動においてもそうした議論があったことが紹介されている。
  まず、繰り返しになるが、こうした議論があったことが記述され残されることが大切なことだ。使われているのは機関紙などの文字資料だが、筆者はそうした議論が現になされた場を知っている。そして一つ誤解を正している。この議論へのごく少ない言及の中で、「手足論」は介助者をたんなる手段として使うことを主張したと扱われることがあるが、そうでないことを著者は言う。この指摘はその通り。そして筆者は、「障害学」の議論の流れを追い、自己決定の理念の再考、社会モデルの主張以後のインペアメントへの注目、ろう者の主張とも関連する同化/異化という構図の検討に進む。ただ、私もこの介助を巡る議論に巻き込まれ、考えさせられてきた者なのだが、この問題はこれらの道具立てだけでは解けないと思ってきた。有償であることを、批判する側が言うこともわかりながら、主張するとしたらどう言ったらよいのか。有償であることは交換でなく義務であり贈与であることと矛盾しない、むしろそれは全社会的な義務を是とし実現する方法だと言えばよいと私は思い、書いてきた。この答がいくらかずるい答であることは否定しない。まだ考えるべきことは残っている。ただともかく、その運動が問題にしたのは社会編成の全体だったのだと言いたいのである。たしかに体系的・論理的とは言いがたいこの国の運動から何を引き出し、加えていくか、まだすることはあり、この本はその素材を提供してくれる。そして同時に、この本における論述自体もまた検討されるべき対象としてある。

*目次・引用等をホームページhttp://www.arsvi.com/→「立岩」→◇「書評」に掲載してある。

◇田中 耕一郎 20051120 『障害者運動と価値形成――日英の比較から』,現代書館,331p. ISBN: 4768434509 3360 [amazon][kinokuniya] d d00h※,


UP:20060528 REV:0624,0823(発行日記載) 
UP:20080830 REV:20080831 0901,11, 1101, 21, 1211, 17, 20090211, 0303,0802, 1105, 20110526, 0814, 0909
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