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日本の生命倫理:回顧と展望――社会学から

(与えられた題)

立岩 真也 2005.12.11 シンポジウム「日本の生命倫理:回顧と展望」(於:熊本大学)の記録
2006.**.**(2006.03.14校正送付)

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『私的所有論  第2版』表紙   『弱くある自由へ』表紙   立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』表紙   立岩真也『良い死』表紙
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  ◇プログラム&「抄録?」

高橋 では、立岩先生、宜しくお願いいたします。

立岩 こんにちは、立岩です。今、二時半なので、三時まで、三十分で終えたいと思います。今日、先程最初の紹介にもありましたように、特定のテーマは与えられておらず、何の話をしようかなと思ったんですけれども、結局は、ある特定のイッシューに関して、「私はこう思う」という話は、これから私が言いたい中身を裏切ることになるんですが、しないというかできないということになります。

 ここでは議論の内実に立ち入れないこと
 気になっていることはあって、考えていることはあります。二通りに加藤先生は分けられたんだけれども、そのうち、そのES細胞といったちょっとこう新しめの、でもわりとそれなりの緊急度のあるテーマではなくて、もう少し古典的なというか、古典的な枠組みで一応処理されてしまうかなという話の方が、依然として気になっているというのが、私が今いる場所です。
 つまり、安楽死・尊厳死ということについて、ここ数年というか、ずっと気になってはいるんです。ただ、この話は長い話になってしまって、短く喋れといつも言われますけど、ちょっと無理です。ということで、中身的にはこれはパスせざるを得ないというふうにやっぱり思いました。この間も、ひと月前ぐらいか、ふた月前かな、長崎大学で「40分で喋れ」と言われて、本当に死ぬ思いでした。でしたので、そういう苦しいことはやめようというふうに思いました。
 ただ、会場の後ろのほうで、その死の決定を巡って私が書いてきたものであるとか、冊子にしたものであるとか、それから2000年に書いた『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(青土社)という本の中に死の決定についての文章があります。それから、去年出した『ALS』という、呼吸器をつけるとかつけないとか、外すとかっていう話が問題になっている、神経性難病についての本を持ってきましたので、今のところ私が何を考えているのかというのは、そちらを見ていただくしかないなというふうに思っております。
 それから、今、『思想』という雑誌がありますけれども、あそこと、それから筑摩書房の『Webちくま』というサイトで、連載みたいなことをやっています。後者は 「良い死」という連載ですけれども、それがうまいことまとまれば、来年なりあるいは再来年なり、僕はこういうふうに、この件に関してはこう思うということをお伝えできると思いますので、それはそちらの方でということで、勘弁してください。
 それから、ES細胞、例えば体の組織の所有権という問題が、何かそっちの方がSFチックで、安楽死とか辛気臭いこと考えているよりもいいかなっていう感じも時々するにはするんですけれども、どうも今のところそっちには関心が向いていません。さっき紹介した『弱くある自由へ』という本の中ではちょこっと身体の部分の所有権の問題について書いていて、それから、その後も少し書いたのがありますけれども、それ以降私の頭は止まっているというか、今時何が起こっているのかさえも知らないという、そのぐらいのものでございます。
 
 普及と思考の不在
 さて、そういうわけで、あらかじめ中身の話は、書いているもののほうで、っていうふうに封じてしまいました。では何の話をしようかということなんですけれども、僕は社会学をやっていて倫理学・哲学のプロパーでは全くないんですけれども、生命倫理学がここのところどうだったかなっていう、そういう雑駁な話をちょっとしてみようと思うんですね。
 それはまあ一言で言えば、学問的な展開はともかくとして、ある種大衆化したというか普及したということは事実であって、そういう意味では、一般にかなりの程度のインパクトがあるようになったということ。それをどう評価するのかということで、立場が分かれるわけですけれども、その件に関しては最後にそちらに戻ってきたいと思います。
 同時に、例えば十年ですね、この十年ぐらい。例えば加藤先生たちが先鞭をつけられた後の最近の十年、まあ働くべきは我々の世代であったはずなんですけれども、そこのところで何事かをできてきたのかなということになると、うーん、どうなんだろう、と。
 その、どうなんだろう、というのと、普及し・大衆化し、そして現実的な影響力を持ったということが、同時に起こっている。そういうことをどう考えるかっていう話がある。その話をしてみようと思います。

 社会学において
 ただ、その前に、社会学の近辺がどうなっているのかということをすこし。僕は生命倫理学の周辺にはもしかするといるのかもしれず、一応日本生命倫理学会の会員ではありますが、大会には多分今まで2回ぐらいしか、司会頼まれてしょうがないっていう時だけしか出たことないので、よく知っているわけでもないものですから。
 社会学でもですね、ここ10年、20年より前を見ると、かつて医療っていう領域に関する社会学っていうのはあまりなかったというのは、これは事実なんですね。それが10年、20年の間に、少なくとも量的に、調査や研究が非常に増えてきたってことは事実だろうと思います。例えば僕が20何年前に大学院にいた時っていうのは、社会学っていうと本当にいなかった。僕の周り、例えば今東大にいる市野川であるとか、あの辺がちょっと関心を持っていましたけれども、ああいう連中と「だれか他にいないかねぇ」とか言って、「なんか淋しいねぇ」とか言っていた記憶がありますけれども、それから比べたら、20年の間に随分な数の人たちがやってきた。これは生命倫理・医療倫理の拡大と同じ背景の部分もあるだろうと。
 一つはその、いわゆる高齢化があって、死ぬ前の時間というものが伸びている。我々にとってのその人のその時間というものをどう考えるか、あるいは、そのときに人が、介護なり何なりが入ってくるわけだけれども、そういうことも含めて、そういう問題が浮上したっていうこと。もちろんこれには技術の進展も絡むわけです。これは誰でもそういうこと言いますが、誰でも言うからっていって、繰り返したらいけないことはないわけで。そういう状況がある。
 そうした社会全般の変化に加えるなら、もう一つは、研究者のありようというか研究のありようというものも変わってきた。大学院の規模の拡大ということもあります。
 例えば私がいた大学院はわりあい理論的な志向っていうのが強かった。なんというかな、社会学しょってるというか、理論的な展開に寄与するんだみたいな気負いみたいなものがありました。いまだにそういうところはなくはないんですけれども、一つには、そういう何か大きな物語っていうんですか、社会学原理みたいなものを構築するっていうことに対するある種の疲れっていうか、あるいは懐疑っていいますか、そういうものが背景にあって、その中でより身近な、というより、現実にそこらに本当にあるように思える、そういうテーマに向かうっていうことがあるだろうと。
 と同時に、大学院生の裾野自体が広がって、より多様な関心の人たちが入ってくる。で、そこの中には、最初から社会学徒としてやってくるっていうのではなくて、むしろ社会人をやりながら、社会のことが気になってくるので入ってくる、そういう人。その中には、まあ、僕が今いる大学院なんかでも既にそうなんですけれども、いわゆる社会サービスであるとか医療とか看護であるとか、そういったことの中で、すでに仕事をしていて、そこの中で自分がやっている仕事の中の関心事を見つける、そういったことがあります。私はそれ自体は非常に好ましいことだと思っていますけれども。今年もこの熊本で、日本保健医療社会学会っていう学会の大会があったんですけれども、そこそこ盛会であると。まあ、そういう状況になっているんだろうと思いますね。
 では、その量的な拡大というか盛会っていうものが、どんどん新しい展開を作っていくかというと、ちょっとまだというか、今、難しいところにきているのかなという感じもします。実はこれは、その倫理的な問題と関係がなくはなくて、例えばその社会学というのは何をやってきたかというと、社会学者はわりと単純なところがありますから、様々な出来事、あるいは例えば技術を使って子どもを産みたいとか、そういった価値・欲求・欲望の出現や、技術の進展を、社会・社会性みたいなものによって説明するということをやっているわけです。つまり、そういう欲求や価値というものが、社会的に形成され、増幅されてきたということを、いろんなところについて指摘して回る。欲望の、ということだけではなく、例えばある種の病気っていうカテゴリーそのものの起源というか現われといったものを、社会性というものによって描出しようする。社会構築主義っていうことになるんですけれども、そういう立場です。それはそれで面白いんです。面白いし、大切だし、重要なアプローチでもあり、そこの中から幾多のものは生み出されてきたということも事実なんですけれども、ただそれが、ちょっとこの辺の話はややこしくなりますけれども、批判に代置されているところがある。社会科学の中で医療をやっている人っていうのは、どちらかというと、現在の医療に対してなにか批判的なスタンスみたいなものを最初から持っている。そういったときに現実に生じていることは、社会性というものを指摘することにおいて、批判をしていることに代える、批判しているつもりになるという現象なんですね。
 ところがこれは、素朴に考えてみればわかるように、我々の価値が社会的である、欲望は社会的である、ということと、欲望・価値というものが批判あるいは否定されるべきである、ということは、まったく同値ではありませんから、そういう意味で言うと、何か批判をしようとして構築ということを言って回ろうとするんだけれども、しかしそれは実は批判にはなっていない、ということは、ふつうならやっていて気付くはずなんだけれども。では、自分達は何をやっているんだろう、あるいはこれから何をやったらよいんだろう、というところでですね、ちょっと右往左往してきているのかなと。これは、実はその医療社会学とかそういった領域だけではなくて、いくつかの他の社会学のあるアプローチ、社会問題の社会学とかいわれているような社会学全般について言えることかもしれないのだけれども、今そんな状況にあるような気がします。
 では、そこからどこへ繋げていくのかっていう話があって、これはその、少なくともそういった領域の社会学をやる者たちにとっては大切なテーマなんだけれども、ここは一応生命倫理の場所であるということで、そこに立ち返って考えると、僕らの仕事仲間、若い人たちも含めて、これからの課題としてあるだろうことが示されています。次にその話に移っていきます。

 生命倫理の学会で発表されていること
 生命倫理っていう場所は、さっきも申しあげたように、私は見られていないわけですけれども、今年何週間か前、久しぶりに学会の大会にまいりました。また学会の雑誌も届けていただいています。それで、ここ十年とか多かったのはどういうのかなといったときに、これは、一つは、リサーチですよね。学生さんたちがどういう意識を持っているであるとか、あるいはお医者さんたち・看護師さんたちが、こういうケースの場合どういうふうにするというふうに思っているというような、リサーチをある程度数量化したり、ある程度質的にレポートしたりするというような調査が多かったし、多い状態というのは続いているんじゃないかなと、そんなふうに見えます。
 それにも多分、いろんな理由はあるんだろうとは思う。ただ、一つは、さっき社会学の中で、むしろ社会学のプロパーじゃない人たちが社会学っていうところに来てくださって、勉強しているっていうことと、少し関係がある・共通性のある部分がある。例えば、今までであれば看護学であるとか、あるいは社会福祉のある領域であるとか、そういったところで教員であるとかあるいは大学院生であるとか、そういったことをなさっていた人たちが来ている。もっとありていに言えば、僕も数年前まで信州の医療技術短期大学部という組織におりましたので、その実情がわかるわけですけれども、組織の改組やら何やらあって、結局その学位であるとか論文数であるとか学会報告の数であるとか、そういったものを必要とする、あるのが望ましいという御時世がここ十数年続いているんだと思います。そこの中で、とにかく何かやる、もちろん看護学会でも報告するんだけれども、それだけでは足りない。ありていにいえばそういうところがありまして、そういった中で、実は保健医療社会学会というのもちょっとそういう感じがあるんですけれども、生命倫理学会なり医学哲学・倫理学会なりっていうのも、発表の場として利用されてきているという感じはしています。
 もちろん、このこと自体は、なんら悪いことではないわけです。ただ、そこの中で、もともと日本の学会っていうのは、中堅あるいはベテランといいますか、一番ちゃんとものを言わなきゃいけない人たちは学会に出てこないで、うちにいるというか。私もそうですけれど、頼まれ原稿で忙しいということで、学会で話をしない、その間に、さきに述べたような研究報告が増えている、ということが、学会大会・学会報というものを見た場合の、ここ10年15年、おおまかな趨勢であると、そういう気がするのです。

 既定のものとしての現実への浸透
 他方、医療の現場であるとかあるいは政策であるとかいうものが、どういうふうに動いてきたのかっていうと、これは、第一報告で浅井さんにしていただいたわけですけれども、現実としてはご報告なさったような状況が普及しつつあるということです。これは一つには、いわゆるインフォームド・コンセントっていうふうに括って括れるような、大雑把に言えば括れるような体制っていうものが、かつて自明のものでなかったものが自明のものであるようになってきたということが、ここしばらくのことだったと思うんですね。これについて人々が何事かを考えたのかどうか、これはちょっとよくわからないところがあります。むしろそれは、あらかじめ、「どうやら御時世はそっちの方になびいているようである」と、「かつてはそうではなかったんだけれども、どうやらこれからはこういうことであるらしい」と。ちっともそのことについて私は腐すつもりはなくて、基本的にそれはそれでけっこうだと思うんですけれども、学会で何が検討され何が論じられているかということとは別に、ある種の規定路線としての医療倫理・生命倫理というものを受領し普及する、というようなことが、出来事として十数年の間に起こったんではないだろうかというふうに、まあその「回顧と展望」の回顧っていうことでいえば、あるんだろうというふうに思うわけですね。
 では、そのことをどう考えるか。これは、どこを見るかによってだいぶ違ってくることだと思います。先程も浅井さんの報告の中にもあったように、それから僕も、今京都に住んでおりますけれども、そういったところで倫理委員会みたいなものに関わってなくはないですけれども、そういったことの中で、例えば実験ですね。その中の被検者の同意云々ということでいえば、いまだ遅々たる部分はあるにしても、進歩といいますか前進は認められる。その部分について言えば、率直に評価してよい部分だろうと思います。と同時に起こっていることっていうのが、またこれでようやく、最初の「私が気になっていること」というところに帰ってくるわけですけれども、私は、けりがついちゃったんじゃないのっていうふうに思われているかもしれない、死に関わる決定という辺りに考えていくだけのものがまだ残っているだろう、というふうに考える者です。どういうふうに残っているのか、ではそれをどう考えるのか、ということは先程紹介させていただいたものの中で、ぼつぼつとやっているという感じなんですが。

 哲学・倫理学をしてほしいこと
 現実の中では、少なくとも以前より、今の時流の中で、前だったらなんだかんだ言って苦し紛れであったり、良いのかなと疑ったりしつつつも継続されていた治療といいますか延命といいますか、もっといまどきの言葉でいえば「たんなる延命」といいますか。そういったことをしなくて済むようになってきた。しなくてよくなりつつあります。「救命」をしないことに医療の現場が抵抗感みたいなものを持たなくて済むようになっている。そんな状況が実際に医療に携わっている人たちの中に、もう出てきている、という感じがします。私は社会学者であるにもかかわらず、ここずっと長いこと社会調査みたいなのはしたことなくて、強いて言えばALS の本を書いたときにいろいろな人の言葉は拾いましたけれども、何十%がどうであるのかといった調査を私はしておりません。ただ、大まかにいってそういう趨勢がある、と言えるだろうと思います。
 そうしますと、「じゃあ」っていうことになります。基本的にそれでよいんだと、既にその倫理的な問題っていうのが終わっていて、そういう現場としての流れ・趨勢というものがそれでよいのだとすれば、今言った回顧といったものは、こういうふうに進んできた、これかさらにその方向で、ということになるやもしれません。
 しかし、私は必ずしもそうは思わない。安楽死といわれたり尊厳死といわれたりするような事象っていうものを、実際にどういうふうに倫理的に哲学的に考えることができるのか、ということについての考察というものが、少なくとも私には終わったように思われないと思うわけです。しかし、その中で現実にここ十数年の間に、我々の世代ですね、一番頭を使わなきゃいけなかった我々の世代というものが、いわゆるその「是非論」、古色蒼然とした是非論について、十分な頭を使ってきたのかというと、現実というか事の流れは、先程申し上げたような状況であったわけで、そこの中で現実は流れたけれども、その流れていく現実というものを、哲学的・倫理学的に掘り下げて考えるというような仕事が、十分になされてきているとは私には思えない。私の立場からというか、気がかりなことから言えば、ここのところが、つまり、まったくその素朴な意味での、哲学的・倫理学的な討究ですとか考察というものが、以前に増してというか、必要とされているんだけれども、薄い状況が続いている。先程言った社会的諸条件の中で、調査や既定の原則の現実への移入の方に大勢は移ってきた。それはそれとしてこれからも続くだろうし、それはそれでけっこうなことなんだろうとは思います。しかしながら、オーソドックスな意味での、哲学的・倫理学的な討究・検証といったものが、むしろこれからなされるべきことではないだろうか。もちろん、これは先程加藤先生がおっしゃったような、ES細胞とか体の組織の利用といった問題にも及ぶわけですけれども、それだけではなく、答えが出たかなという感じがしないでもないような領域についても言えるんではないかと。今日はそのことだけ申し上げに来たようなしだいです。
  医学部にも哲学者・倫理学者の一人ぐらいいるという状況にはなりつつあるのかもしれません。それ自体はよいことだと思います。ただ、そこでただ普通に過ごすならば、そこで働いている医療者・医学者がたいへんであることがわかり、その人たちやその人たちの組織のためになにかしようということになるのだろうと。それもけっこうです。しかし、そうした現場をきちんと知りながら、それと同時に、ものごとを最初から考え、考えていくのが哲学・倫理学の仕事なのだろうと思うのです。
 
 5分余ったので追加と繰り返し
 あと5分ぐらいありますので、一つエピソードを申しあげて終わります。1997年ですから、今からもう8年ぐらい前になっちゃったわけですけれども『私的所有論』(勁草書房)という本を書いて出してもらって、そのあと最初にきた原稿の依頼が『仏教』っていう法藏舘が出している雑誌でした。その時、最初頼まれたのは出生前診断についてということでした。ただ、僕はそれについては、その『私的所有論』という本の第9章がその話になっているんですけれども、それで終わったとは思えないけれども、僕の頭ではこれぐらいまでしか考えつかなかったし、それから進んでない。出したばかりでもあるし。だから、それについて書けないし書くだけの元気がない。それで、以前から気になっていることがあって、それは安楽死の話だと言って、それについて書いていいですか、ということで、98年の頭に出たその『仏教』という雑誌の中で、安楽死について書いたのです。短い、20枚か30枚ぐらいの原稿ですけれども。ちなみに、それはさっき言った『弱くある自由へ』という本の中に収録されています。
 ちょうどその頃、筋萎縮性側索硬化症という神経性難病、ALSの人から連絡をいただきまして。97年の秋ぐらい、私的所有論云々っていう話とは全く別文脈で、どっちかっていうと福祉・介護、そっちの絡みでお話がありました。実は今年の八月に亡くなられたんですが、山梨県の山口衛さんという方としばらくメールのやり取りをしたんです。それは、県独自の介護人派遣事業を山梨県に作ろう、つきましては情報を、ということでした。私は今日はこんな話をしていますけれども、一方では、福祉サービス絡みのことについて書いたいたりもするんで、それで声をかけていただいたんだと思います。私自身はアドバイスといいますか、ほとんどできなかったんですが、制度について詳しい民間組織への橋渡しのようなことをさせていただいきました。
 そして山口さんたちの尽力でその制度が実施されることになり、98年の5月に山梨県の支部の総会で講演を依頼されました。最初はその介護サービスの派遣制度の話だけするということで、それでOKだったんですけれども、ちょうどその時、その『仏教』の原稿を書き上げたものですから、それを添付ファイルでお送りしたわけです。
 そしたら山口さんからその返信がかえってきまして、「あなたが書いたことは私が常日頃考えてきたこととほぼ一致する。あなたの見解にはほぼ同意できると私は思う。しかしこの件は非常に難しい。実際、そういう形で、自分で決めるという言い方のもとで、亡くなられた方を幾人も知っているし、それからその家族が、そのことについて今でも思い悩んでいる人がいるということも知っている。だからその話は、今回はしないでくれ」と。もちろん私もそういう話を講演でするつもりはありませんでした。
 それで、何でこういう昔の話をしているかというと、先にお話をなさった加藤先生との関わりがあるからで。ちょうどその時に、私のその本を読んで下さったのかなと思いますけれども、加藤先生が声をかけて下さって、NHKのETVで、もうなくなっちゃったんですが「未来潮流」っていう番組があって、加藤先生が3人の人、その中の一人が僕だったんですけれども、対話をする、そういう番組がありました。たしかもう一人はいま長野県の知事をなさっている方だったかなと。そんなことで加藤先生と対談をしました。ちょうどそれがパラリンピックのあった年で、パラリンピックの閉会式と重なっちゃったもんだから放映がちょっと延びて。それが延びた日に放映されたのを、実はその山口さんという方が見てくださっていた。
 その日のうちに私のところにメールが来ました。「その辺の話は厄介だから、ちょっとしないでくれっていうふうにあの時言ったけれども、今日、加藤さんとあなたとの対談をテレビで見ていて、やっぱりこの話はしてもらわなきゃいけないなっていうふうに思った。だからその時は、そういう話をしてね」ということで。それで、その5月に甲府で講演したときにその話をした、というふうな経緯がありました。その時の講演は『障害学を語る』っていう、障害学を云々っていう本が今3冊ぐらい出ているんですけれども、そのうちの2冊目の本に講演が丸ごと収録されておりますので、その時に私が何を喋ったのかということはそれを見ていただければお分かりになると思います。
 僕は、98年の時にはALSっていう病気は2、3年ぐらいで亡くなってしまうものだと思っていたんですが、調べていったら、呼吸が苦しくなったら人工呼吸器をつければ、自らがそれをつけずに「尊厳ある死」を選ばないのであれば、そうそう死ぬ病気じゃないということが分かりました。だったら時間をかけて本を書いても山口さんにお届けできると思い、それで、2004年まで引っ張って、ようやくをやっと一冊上梓することができたんです。その山口さんが体調を悪くされて今年の夏に亡くなられたのですが。
 ともかく、少なくともその人たちにとっては、このテーマは終わっていない。やっぱり今でもアクチュアルなというか、文字通り「生き死に」にかかわる問題であり続けているわけです。
 とすれば、社会学の方からだと、「何でこの人たちは死にたいとか言ってるのだろうか」、「我々の社会というのは人が死にたがるような社会なんだろうか、それともそうじゃないんだろうか」と、そういうアプローチで考えていきながら、同時に「じゃあ、どうしたらいいんだろう」という、そういう順番で考えていくわけだけれども。ただその「よいんだろうか、わるいんだろうか」ということで言えば、やはりその哲学・倫理学の本業の方々に、どうなんだろうということを、言ってみれば、バイオエシックス・生命倫理・医療倫理等の、何というかな、初発のところに戻って、さらに考えるべきことが今なおアクチュアルな問題としてあるんではないだろうか。私は私としてそれを考えていきたいと思うけれども、皆さん、いかがなんでございましょうかという話を、今日はただその話だけを話しに参ったというわけです。
 ということで、ちょうど30分経ちましたので、私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
 
 〜拍手〜
 
 高橋 じゃあそれでは、稲葉先生、宜しくお願いします。

 *討論部分については近々掲載。


UP:20060314
立岩 真也
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