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この後に書こうと思うことについて

良い死・17

立岩 真也 2006 『Webちくま』
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全体の目次
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 *以下は草稿
 *『Webちくま』に掲載されしだい、ここでの本文の掲載を停止します。

考えたらよいこと

  『思想』に書いた原稿などといっしょにして本にしてもらうつもりで書いてきたこの連載を、そろそろ終わらせ、まとめの作業に入ろうと考えていたのだが、そうもいかないように思うようになった。
  これまで間違ったことを書いてきたとは思わない。また、拙著『ALS』やその前後に書いたいくつかの文章で、「身体障害系」の人たちに即しては、言うべきことはそれなりに言ったと思う。そこでは、「意志」や「決定」の問題として問題は存在している、存在してしまっている。そしてその意志や決定に現実に作用している事情も――ALSの場合は、身体がまったく動かず、すくなくとも言語による送信が途絶えてしまう状況というものがいったいどうなのだろうという問題は残り、そのことは気になることとしてさらに考えねばということがあったのではあるが――比較的はっきりしている。できること/できないことについてこれまで私が書いてきたことが、ほぼそのままその決定に関わっている。ただ、それとは少し異なる部分、もっと微妙なところが残るようには思う。この件について、この間ずっと大きく関わってきたのは高齢の人たちのことだ。その「ターミナルケア」「看取り」について語られてきた。長生きして、そして本人ももうよいと言うなら、もうよいではないかという気持ちと、そうでもないだろうと思える気持ちがあって、とくに前者の傾きについて。基本は、これまで述べてきたことだと思うものの、加わることがあるかもしれない。そしてがんを患った人たちもいる。それらの人々にもちろん同じところはずいぶんとあるのは間違いないのだが、まったく同じでもない。
  知ったらよいことと考えたらよいことがある。
  一つめについて。カレン・クインランの事件について、香川知晶の本『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(勁草書房、2006年)が出た。あの出来事がなんであったのか、考えることができるようになりつつある。その内容についてはまた別に検討したいと思うのだが、「あとがき」に次のような文章がある。
  「生命倫理として問題となっている事柄の多くは、過去の歴史を振り返るだけでは対応しきれない切実さと緊急性を備えている。求められているのは、明確な方向を指し示す議論といえる。必要なのは悠長な歴史談義ではなく、わかりやすい断定であり、そうした緊急性に応えるきっぱりとした結論を提示してみせる「生命倫理学者」は日本でも育ちつつある。だが、それにしても、明確でわかりやい結論が元気よく出されれば、それで十分というわけにはいかないだろう。そうした元気よさには、時として、事実による裏づけと粘り強い思考、つまりは知恵が欠けているように見えることがないとはいえない。しかも、少し調べてみればとてもいえそうにもないことを平気でいいきるのは、痛切な緊急性をもつ生命倫理的な問題の場合には、たんなる迷惑をこえた害をもたらしかねない。そうした恐れを避けるには、問題から距離をとり、生命倫理なるものや自己の立場を相対化する努力も同時にするほかないだろう。歴史的な検討が必要だというのは、そうした意味においてである。
  最近、ある優れた科学史家がさる研究会で生命倫理の問題を取り上げ、丹念な歴史的分析を介して現状批判に説き及ぶ報告を行ったとき、もうそうした細かなことをいうのはやめて、大局的な立場に立って(つまり、批判はやめて)行動しましょうといった類の反応が若手の「生命倫理学者」から出されたという話を友人から聞いて驚いたことがある。歴史のもつ意味についても、今や、あからさまにいわなければならない時代なのかもしれない。」(pp.389-390)
  私自身は、いま引いた本の筆者もそのように考えていると思うのだが、知ることと考えることの両方が必要だと思っている。その両方ともが十分であると思えない。次に、その後者について。
  2005年の12月11日に熊本大学でシンポジウム「日本の生命倫理:回顧と展望」があって、呼んでいただいた。そこで「日本の生命倫理:回顧と展望――社会学から」という題を与えられて、30分、話をした。その直前に求められて送った「抄録」の終わりは以下のようになっている。
  「こないだ(11月26日)あった東京大学のCOE「死生学の構築」関連の催し「ケアと自己決定」の際にも言ってみたのだが[…]もう少し、哲学・倫理学の人が、例えば安楽死・尊厳死について、「理論的」に詰める仕事をした方がよいのではないかということだ。現状はこれこれで、となれば、「事前指示書」も必要でしょう、と、では皆で作りましょう、といった動きはある。哲学者・倫理学者の「社会参加」はきっとよいことではあるだろう。しかし、きちんとものを最初から考えることが哲学・倫理学のよいところであり、また慌しくもずるずると動いてしまっているこの世にあって求められていることでもあるのだと思う。」
  その東京大学でのシンポジウムの記録は2006年の11月に冊子になっているし、私の報告の部分はウェブでも読んでいただける。その場は、哲学者・倫理学者としては、川本隆史、清水哲郎が報告者、鷲田清一がコメンテーター、哲学者・倫理学者でない人たちとしては、報告者が私、コメンテーターとして上野千鶴子だった。司会は熊野純彦。そこで、冊子の方では「位置取りについて――障害者運動の」という題にした話を、そのような話をせよとのことだったので、した。
  まず、一つ、ケアを肯定的に麗しく語ってしまうことがいけないとは言わないとしても、そのように語ってもらわなくてもよい、言われたことをしてくれさえすればよいということもあることをわかっておいた方がよいことを、もう一つ、それと連続して自己決定を強く主張する人たちが、同時に容易に死の自己決定を肯定しないこと、このことこそを考えるべきであることを、両方とも幾度も言ってきたことなのだが、話した。そして討論であったか質疑応答であったかの中で、一人で決めるのでなければ、関係者、「当事者」の合意で、とか、そのような話で終わらせてよいのかと述べて――この問いに答えようとするなら、既に議論は本題に入っているのだが――次のように続けた。
  「社会学者は社会学者なりに、どういう社会であるから、どういう価値が、どういう言説が流通し、容易に受容されるのか、ということを言うわけだけれども、哲学・倫理学的にその人その人が有している価値判断の内実といいますか、そういうものを批判的に吟味する、その上で当人に言葉を投げ返していく、そういう営みが必要なんじゃないかなって自分で思ってもいるし、そういったことを哲学・倫理学に期待したいと思っています。哲学・倫理学は、きちんと哲学・倫理学をしてほしいということです。」
  そして、その次の月、熊本大学。
  「既にその倫理的な問題っていうのが終わっていて、そういう現場としての流れ・趨勢というものがそれでよいのだとすれば、今言った回顧といったものは、こういうふうに進んできた、これからさらにその方向で、ということになるやもしれません。
  しかし、私は必ずしもそうは思わない。安楽死といわれたり尊厳死といわれたりするような事象っていうものを、実際にどういうふうに倫理的に哲学的に考えることができるのか、ということについての考察というものが、少なくとも私には終わったように思われないと思うわけです。[…]「是非論」、古色蒼然とした是非論について、十分な頭を使ってきたのかというと、現実というか事の流れは、先程申し上げたような状況であったわけで、そこの中で現実は流れたけれども、その流れていく現実というものを、哲学的・倫理学的に掘り下げて考えるというような仕事が、十分になされてきているとは私には思えない。私の立場からというか、気がかりなことから言えば、ここのところが、つまり、まったくその素朴な意味での、哲学的・倫理学的な討究ですとか考察というものが、以前に増してというか、必要とされているんだけれども、薄い状況が続いている。先程言った社会的諸条件の中で、調査や既定の原則の現実への移入の方に大勢は移ってきた。それはそれとしてこれからも続くだろうし、それはそれでけっこうなことなんだろうとは思います。しかしながら、オーソドックスな意味での、哲学的・倫理学的な討究・検証といったものが、むしろこれからなされるべきことではないだろうか。もちろん、これは先程加藤先生がおっしゃったような、ES細胞とか体の組織の利用といった問題にも及ぶわけですけれども、それだけではなく、答えが出たかなという感じがしないでもないような領域についても言えるんではないかと。今日はそのことだけ申し上げに来たようなしだいです。
  医学部にも哲学者・倫理学者の一人ぐらいいるという状況にはなりつつあるのかもしれません。それ自体はよいことだと思います。ただ、そこでただ普通に過ごすならば、そこで働いている医療者・医学者がたいへんであることがわかり、その人たちやその人たちの組織のためになにかしようということになるのだろうと。それもけっこうです。しかし、そうした現場をきちんと知りながら、それと同時に、ものごとを最初から考え、考えていくのが哲学・倫理学の仕事なのだろうと思うのです。」
  こうして2005年の終わりに、私は3度同じことを繰り返し述べている。書いたあるいは話したとおりで、哲学者は哲学をきちんとしましょうというただそれだけのことなのだが、そこには、ここしばらく哲学・倫理学が「使える」(あるいは「使われる」)哲学・倫理学の方に流れているという認識がある。
  もちろん、使えるのであればそれは本当によいことである。そして使われることもいけないというのでもないだろう。私自身もそうしたもの、病院の倫理委員会といったものに関わっている。このことについてはまた書くことがあるだろうが、それはそれで悩ましく気が重いことだ。ただ必要なことでもあるのだろうとは思う。そして、「現場」の様々なたいへんさを聞いて、わかった気もした上で、なお何が言えるのかというところが勝負どころ、ということでもあるのだろう。
  2000年だったか、「臨床哲学の可能性」という研究会で清水哲郎に初めて会って、そのとき、彼はメンバーだった神経難病関係の厚生労働省の研究班に誘ってくれた。しばらく入れてもらった。その研究費と、その研究費による調査は、さきの私の本にというより、調査のために動くことができなかった私以外のメンバーによってまとめられた本(植竹日奈他『「人工呼吸器をつけますか?」――ALS・告知・選択』(メディカ出版、2004年)の方に生かされることになった。
  知っている人も多いと思うが、清水は長いこと北海道にある病院に関わってきて、そこで起こる様々な事態への対処の仕方を考え、ガイドラインを作ったりするのに関わってきた。そして、その研究班が行なうこともそんな性格のことであり、そして、問題になっているのは、人口呼吸器をつける、つけない、とか、外す、外さないといったことだ。定かには覚えていないが、私は彼に、この主題はそうすっきりきれいな話にはならず、けっこう泥にまみれるようなこともあるだろうが、といったことを言われたと思う。そして私は、そうですね、といった受け応えをしたのかもしれない。たしかに厄介ではある。ただそのことは、本来は、いまの趨勢にそのまま乗ることを意味しないし、また、曖昧なことしか言えないことも意味しない。すくなくとも清水は、論として批判可能な論、つまり筋のわかる論を示しているし、だから私も、「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」という文章で、批判することもできた。ただ、いま医療の現場や政策に呼応して、と言ったらよいのか、それらとともに歩んできている議論はそうした場面を通りこして動いていないかということだ。というか、議論と言えるものがあるだろうかということだ。
  すると、議論ができないのではないが、その力はあるのだが、そんな場面での議論は終わっているからしないのだと言われるかもしれない。ただそれは間違っていると私は思うし、そう言い張る人は間違っていないと言えていないと思うし、言えないと思う。そのことをこれまで言ってきたつもりだ。ただこの辺りをもう少し補強しておいた方がよいように思う。たしかに、すくなくとも翻訳されている欧米の議論においては、死を巡る多くのことがしてよいことになっている。ピーター・シンガー、ヘルガ・クーゼ、ジェイムズ・レイチェルズ、そしてロナルド・ドゥオーキンといった人たちの論については訳書が出ていて日本語で読むこともできる。いちおう取り上げるのがよいかもしれない。
  そして「わが国」にも、基本的な議論をしようという人がいないわけではない。最近の論文では、井上達夫編『公共性の法哲学』(2006年、ナカニシヤ出版)所収の奥田純一郎「死の公共性と自己決定権の限界」があり、また『現代思想』2006年12月号(特集:自立を強いられる社会)所収の堀田義太郎「決定不可能なものへの倫理――「死の自己決定」をめぐって」がある。これらについては後で触れることにしよう。

知ったらよいこと

  しかし、あたり前のことだが、人々は、6400円もする『ライフズ・ドミニオン――中絶と尊厳死そして個人の自由』(ドゥオーキン、原著1994年、邦訳1998年、信山社)などといった本を読んで、自らの行動指針を決めている、というわけではない。「現実」のなかでことは起こっている。そしてそれは、哲学・倫理学の込み入った議論よりときに複雑な様相を呈してもいる。
  現状を憂える人たち、それもかつての太田典礼のようなこわもての人(たち)というのではなくて、やさしい人たちがたくさんいて、話したり書いたり、それを聞いたり読んだりしてきた。そのほとんどすべてを私はそのとおりだと受けいれるのだが、同時に、そうして受けいれてしまうこと、受けいれられてしまうことを含めて、気になったり考えてみたいと思うことがある。それは、さきに香川が述べた「歴史的な検討」に近い作業にもなる。言葉や行ないがどのように配置されたのか、配置されなかったのか、それは何を示すのか。そんなことを考えることになる。
  1980年代から1990年代といえば、今も生きている人たちの多くが生きてきた時代である。ただそうであっても、もう記憶が曖昧になってしまっている部分がある。また、後になって何が起こったのかがわかるということもある。
  例えば、1980年代の終わり頃から1990年代にかけて、「寝たきり」が問題にされる。その人たちは、日本の社会、日本の病院・施設で「寝たきり」の人たちが作られていることを批判した。それはまずまったくもっともなことだった。そして、施設・病院のあり方が批判され、もっとよい暮らしができるべきだと主張された。これももっともだと思う。『病院で死ぬということ』(山崎章郎、主婦の友社、1990年)がベストセラーになり、「在宅ケア」が多く語られるようになり、そして「在宅ホスピス」といった言葉も作られる。これからそれらについて、もうすこしだけ詳しく紹介するが、そこでは当然にケアを充実させるべきことか語られる。と同時に、寝たきりの予防が語られる。そして――文献でまったく触れられない場合と触れられる場合とに分かれるのだが――高齢者のケアが充実した国々では(国々でさえも、あるいは、そうした国々であることができるために)、高齢者に対して積極的な医療・治療を行なわないことがあることが、そうした国々の状況を見に行った人たちによって発見あるいは確認される。そしてこのことを言う人たちにあるのは、「福祉国家」に隠されているものをあら捜しし、難癖をつけようといった悪意ではない。むしろ日本における「過剰な医療」が、真摯に、振り返られもするのである。
  そして1997年には、『福祉のターミナルケア』という報告書が発表された。これもまたヨーロッパ(そして日本)を調査旅行したりして、そしてまとめられた。ターミナルケアを医療の領域から福祉の領域に移すことが主張された。これに対して批判が寄せられた。医療者だけではないが、医療者から批判がなされた。むろん反論もなされた。そのやり取りはいったいなんだったのか。そして、それから約10年といったところだが、いまどき起こっていることについてはどうだろうか。これまでのところ、医療の側から「治療停止」は医療を軽視するものだといった表立った反応は聞こえてこない。何かが変わったのだろうか。それとも変わってはいないのだろうか。
  こうして行ないと言葉の堆積があり、不在がある。
  専門職の人たちなどが読む雑誌がいくつもあって、そうしたものはその世界にある了解を示すものでもあるとともに、またその人々に影響も与えただろうから、重要だが、ここでは、たんに時間の制約から――まだ、拙著『ALS』を書いた時には、『難病と在宅ケア』といった雑誌を最初から読むといったことをしたのだが――それを行なうことはできない。これからいくつかをとりあげるのは書物である。すくなくとも日本では、専門家である人たちの多くは啓蒙家でもあり、同じ人が業界・学界でのすこし込み入った話を一般向けにやさしく話す役割を果たしてきた。また、医師が自らが関わった患者のことを書く、あるいは自らが患者の立場になった(ことがある)ことを書くというスタイルの本がたくさん出されてきた。その中のあるものはずいぶんと多くの人に読まれてきた。
  それらには、かつての日本安楽死協会関係の書物にあったような強引さ、すくなくともある人々の反感を確実に引き出すような記述はない。医療から福祉へ、施設から在宅へという主張も、前者を全面的に否定するつもりではないといった但し書きを付せば、多くの人に受けいれられるだろうし、私も受けいれる。寝たきりでなくいられるのに、寝たきりにさせられていくのはいやだというのもまったくもっともだと思う。ただ、そうして作り上げられてきた今がよいのか。ひっかかるところがあるとすると、それはなぜなのか。どのようにしてそうなったのか。既に述べてきたことのいくらかを繰り返しながら、すこし見てみたいと思う。
  いくつかここまでに書き終わっていないこと、補足すべきことを残しているけれども、それは後にまわし、私としては、以上記した作業をすこし行なってから、しかし2007年のうちに、ひとまとまり、まとめることにしようと思う。


UP:20061222(校正済) REV:
安楽死・尊厳死  ◇安楽死・尊厳死 2006  ◇立岩 真也
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