・電話で、書類送検の可能性があり、そうなった場合にコメントを求める可能性があるとの連絡あり。
・2005/05/18 14時頃、電話あり。
・下に引用するメイル2通送信。
・その後電話あり。
◆2005/05/18 14:36
Re: 道立羽幌病院の件について
佐々様
立岩です。以下とりいそぎ
報道をみるかぎり不明の点、疑問の点がたいへん多くあり*、
その解明のためにも書類送検は当然のことだと思う。
これがいちばん短いコメントです。
あと、写真使用かまいません。
*
例えば
呼吸器をつけても「あと一、二時間」
(北海道新聞05/14夕p.13、朝日新聞05/14夕p.15)という認識と
呼吸器をつけると「(家族の)負担」になる
という説明(北海道新聞05/14夕 p.1)
とは整合しない。
:
呼吸器をつけての生存が長くなる→負担になるという認識のはず
それと
1、2時間という認識とは整合しない。
また、1、2時間であるならそのぐらいは(呼吸器をつけたまま)待てるではないか?
患者の状態について
脳死状態 の判定はできないが、そう説明したという。
これは、判定するための装置がなかったといった問題であるというより
端的に脳死状態ではなかったと考えるのが当然だろう。
心臓は動いていた。
呼びかけると涙を流した(東京読売05/17p.33)
あやまった(あるいは嘘の)説明をしたと考えられる。
また、家族の負担になるからはずすという説明もあるが、これは
許容できない。
苦しんでいるから、という説明もあるが、脳死状態であれば、すくなくとも
意識を失っている状態であれば苦しくはないはず。
(他方、意識があったとしら→苦しかったかどうかは不明。また呼吸器を
はずされる方が苦しかったはず。)
☆
消極的安楽死として報じられているようだが、
呼吸器をはずすにせよ、あるいは(積極的安楽死とされる)別の処置をするにせよ
行えば確実に死をもたらすという点では変わりがない
前者の方が後者より問題が(ずっと)小さいとはいえない。
立岩 真也
◆2005/05/18 14:56
Re2: 道立羽幌病院の件について
佐々様
2つめです。
「いわゆる」消極的安楽死について
判例(1995横浜地裁)が許容する要件*をみたさず
その点でも、検察は送検せざるをえなかった。
(cf.北海道新聞05/30p.30)
*
1)耐え難い苦痛がある場合という条件を
(その時に意識がなかったら)満たさない
2)患者の意思がある場合、あるいは推定できる場合
この条件も満たさない
3)十分な情報を提供
この条件も満たさない
☆
あと、呼吸器取り外しに関して
取り外した母親が嘱託殺人罪に問われたケースはあります。
http://www.arsvi.com/d/et-2005s.htm
とりあえず以上で終わりです。
立岩 真也
◆電話で話したこと
ガイドラインが必要だというコメントが多いようだ。報道もそういう論調のよう。病院によって医師によってあまりに対応が違って困るということはあるので、たしかに必要なのかもしれない。しかし、問題はどのようなガイドラインになるかである。だから、ただ作ったほうがよい、と言えばすむわけではない。
呼吸器を外せば死に至る、のと、例えば薬を飲ませて死に至らせるのと、同じではないとは思うが、しかしとても大きな違いがあるとも思えない。私は、前者を「消極的安楽死」とし、より問題が少ないものとする認識・主張には同意しない。
もう外した方がよいのでは、という気持ちにはわかるところがある。しかし、そう長い時間生きられないなら、急ぐことはない。待っていればよいはずだ。また意識がないのであれば、苦しくはないのだから、苦しいのがかわいそうだからという理由も、本人に即せばなりたたない。となると、生きる時間が長引いて、周囲の負担が増えるからという理由が残る。しかしこの理由で人の生き死にが決まることには反対。
だいたいそんなことを言ったのではないかと。
◆cf.2006/06/19 立岩 真也
道立羽幌病院での事件についてのコメント
毎日新聞社の取材に