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<公共>から零れるもの★01

第59回公共哲学京都フォーラム「ジェンダーと公共世界」
立岩 真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 2005.03.20

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■■報告記録
第59回公共哲学京都フォーラム「ジェンダーと公共世界」
講師 立岩 真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
日時 2005年3月20日(日)

 *以下は、意味の通じにくいところなど、いくらか補ったりしたが、基本的には当日の報告を記録したものそのまま(400字約35枚)。フォーラムの時にうかがった話では、他の報告や討議の記録など編集した上で、東京大学出版会から公刊されるという。

 *結局公刊されなかったようです。以下の著書に収録されました。お買い求めください。

◆立岩 真也・村上 潔 20111205 『家族性分業論前哨』,生活書院,360p. ISBN-10: 4903690865 ISBN-13: 978-4903690865 2200+110 [amazon][kinokuniya] ※ w02,f04

『家族性分業論前哨』』表紙
はじめに――変更について

 参考書類のようなかたちでお配りしたものが3種類あります。一つはメモで、「家族・性・資本――素描」というもので、プログラムに記されている題名のとおり、当初はその話をしようかと思っていました。もう一つで、メモで要約されているそのもとの本体の一部に当たるもので、一昨年の『思想』という雑誌に載った同じ題の文章(立岩[2004])です。ここに来る段階ではこの話をしようかと思ったのですが、やめました。その理由はこれから申し上げます。
 それから「分配と支援の未来」は、ふと思いついて、これも、と思ったものです。今回の主題に関係がなくはないのですが、私の仕事、というよりむしろ私たちの仕事の紹介・広告としてもってきました。今、私は立命館大学の先端総合学術研究科という名前の大学院の「公共」という名前のついたテーマ領域の教員をしています。そこで大学院生の皆さんとこういう仕事をしていきたいということが書いてあります。あくまでも科研費の申請書類(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm)で、仕事することはたくさんありますから私にお金を下さいという文章ですから、誇大広告のようなことがたくさん書いてあります★02。その部分は差し引いていただければと思います。
 このような文章が3つありますが、これから40分は特にそれを追うというかたちではなく、アドリブで話をさせていただきます。
 昨日から今日午前にかけて話を聞いていて――私はもともとわりあい挙動不審な人間で、決められた場所にいたりいなかったりしますし、わりあい短気な人間でもあるのですが――なにかけっこうフラストレーションがたまっています。なぜか。まず、昨日から一つ一つの報告の中身には、かなり重要な論点がたくさんあったように思います。しかし、それが必ずしも生かされないという率直な感想を持ちました。次に、この場で言葉として流通している「公共」について。これは、ものを考える枠組みの問題だと思いますが、「公共」という言葉をめぐる事態のとらえ方に疑問を感じました。以上、二つのことがあります。そのように思いましたので、話の組み立てを変えてみようと考えたのです。

 ただその前に、お配りしたものの経緯について補足しておきます。1990年に上野千鶴子さんが『家父長制と資本制』という本(上野[1990])を書かれ、あれはかなり受けました。私自身も、彼女が主張していることに同感できるところは多々あるわけですが、しかし、あの本でなされている話に関しては、正直言って私には全然分からなかったという感があるのです。それをどう解くか、どう言い直すか、それが、しばらくの間、私の関心事でした。
 私は80年代半ばから後半にかけて、障害を持っている人たちの社会運動や生活について気リサーチをして、90年に共著の本を書いたのですが(安積他[1990])、その中で家族や介護の問題についていろいろと考えることになったという経緯があります。そんなわけで、私は介護の話だったらけっこう長くやっているので、最近この主題について話し出された人たちよりは、きちんとしたことが言えるという自信はあるのですが、そういうところも含めて、性分業や家族について言われていることについて、だいぶ言葉を足したり、しっかり組み合わせをしたりしないとだめなのではないかと思ったわけです。
 それで、90年代初めごろから学会誌に幾つか論文を書いたり、学会報告などしてきて(立岩[1991]〜[1996])、その時点で多分、本1冊分ぐらいになったのですが、10年ほどほうっておいたのです。その時にまとめてしまわず、しばらくほうっておいてもよかったかなとも最近少し思ってもいます。つまり、それからまた考えを足す部分もやはりあったということです。その再開の第一歩がお配りした『思想』の論文になるかと思います。
 こうした議論の布置が分かっている人、このテーマについて何が問題なのかをずっと考えてきて、次にどこへ行ったらよいのかという関心を持たれる方には、話もしまた議論もしたいと思います。しかし、この場がそうした関心によって設定されている場ではないとすれば、これはこれで読んでいただければよいかな、と。そこでここでお話するのはやめようと思ったのです。
 この論文に書いたことについては、これからどんどん足していって、また長いのを書くのかとひんしゅくを買うでしょうが、1〜2年後に一つの本にするなりして、考えたことを提示したいと思います★03。論文を書いてもどうも読んでもらえず、本にしてようやく読んでもらえることが私の経験上けっこうあるので、何かまとまったものを書くしかないのかなと思っています。
 さて、その私自身がよい仕事ができているのか、それはわかりませんが、少なくともこういうことを考えなくてはいけないという確信はあり、その話をしたくはあるのですが、率直に言って場が違うかなと思いました。では、何をお話しするかということですが、一つは、この場で語られたにもかかわらず、聞かれなかったと私には思われた――そう思ったるのは私だけではなく、これまで報告された、また発言された多くの人がそう感じたと思います――話があり、もう一つ、同時に、この場で語られたことを受け取る代わりに繰り返し表明された枠組みではやはりうまくいかないのではないかということです。そしてこの二つはたぶん、相互に連関しているのだと思います。
 もう少し具体的に言います。一つは、「私」についてです。またそれに「公共性」が対置されたりすることについてです。つまり、人間の人間に対する在り方、人間の私に対する在り方、私の私の身体に対する在り方、他者に対する在り方、社会に対する在り方、そういった水準において、昨日来、語られたことが一つです。例えば「公共心が大切だ」という言い方があります。そのとおりであるでしょう。しかしそれは何を意味するかです。
 もう一つは、社会がどのように分かれており、また相互に連関し合っているのかについて、我々はどういうことを考えられるのか、考えるべきであるのかという問題です。私はこの社会諸領域の編成の問題を、1980年代から90年代にかけて、自分の仕事の延長上にある大きな主題であると考えてきました★04。例えば家族という社会領域と、それ以外の領域との環境をどう考えるかということです。この話の方を先にしようかと思ったのですが、その前に、大切であるけれども短くしか話せない、たぶんうまく話せないという話をしたい。つまり、ある種の人の価値、価値観、意識といったものをめぐるような在り方について、前半お話ししたいと思います。

1 私から

 […]

[補]「依存」「ケア」について

 私と他者との関係の問題として現れる具体的な問題にすこしだけ触れておこうと思います。これはそれ自体として固有に論じられるべきであり、これ自体についてきちんとしたものが書かれるべきだと思うのですが、昨日来問題になっている依存という問題です。
 […]

2 社会領域の編成

 これで前半は終わりです。後半ですが、これは社会領域の編成という問題にかかわってきます。私は、問題は、昨日来ときどき問題にされたような問題だとは思っていません。つまり言葉の定義などだとは思っていません。言葉の定義は、きちんとすれば、ある人はこの言葉をこう使い、この人はこう使うということが相互に了解できていれば、あとはどちらでもよいのです。おそらく問題はそういうことではないと思いました。
 「私」にも問題がある、「公」にも問題がある、だから「公共」、というお話は、つまり、まずは二つあって、それにはよいことも悪いこともあるというところから始まります。Aにはよいことも悪いこともある。Bにもよいことも悪いこともある。だから、悪いところはAから差っ引いて、よいところを取ってくる。Bからも悪いところを差っ引いて、よいところを取ってくる。それを合わせるか、掛け算するかはわかりませんが、そうすると、Cというよいものが出てくる。そういう構造の話です★06。
 これは正しいのです。よいことはよいことで、悪いことは悪いことですから、よいことをすることはよいことで、悪いことをしないことは、よいことです。そういう意味においてこれは自明に正しい。けれども内容がないですね。常に必ず正しいのですが、同時に無内容であるという議論になるような構造になってしまっていると、私は率直に感じました。
 では、どうするか。これはもっと簡単なことです。[…]




★01 本稿は、意味の通じにくいところなどいくらか補ったりはしたが、基本的には当日の報告の記録である。注は書き加えた。
★02 「分配と支援の未来」(基盤研究B、2004〜2007年度)。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm
★03 「家族・性・市場」と題する連載を『現代思想』で始めた(立岩[2005-])。これを書き進め、やがてまとめて、1冊にしたいと考えている。
★04 立岩[2005]――これは日本数理社会学会の学会誌『理論と方法』に寄稿した文章がもとになっている――等。ただ、この文章もまた、今回の報告と同じく、社会的諸領域と領域間の関係について考えるとおもしろい、考えるべきだとただ述べたにとどまる。今後、具体的な作業を行っていく。
★05 例えば森崎和江には『非所有の所有』(現代思潮社、1963)という著書(森崎[1963])がある。また田中美津の名はすぐに想起されるだろう。そしてその人とも関わって、例えは「優生保護法改悪阻止連絡会(阻止連)」という長く活動している組織があるのだが、その機関誌の名称は『女(わたし)のからだから』であり、いまは組織の名を「SOSHIREN 女(わたし)からだから」としている。
★06 東京大学出版会から出版された「公共哲学」のシリーズの基調もまたそうしたものであったと考える。だから、ここで話したのは、ひとつこの場についてだけのことではない。

文献

安積 純子・岡原 正幸・尾中 文哉・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店→1995 増補改訂版、藤原書店
伊田 弘行  1998 『シングル単位の社会論――ジェンダー・フリーな社会へ』,世界思想社
森崎 和江  1963 『非所有の所有』,現代思潮社
立岩 真也  1991 「愛について――近代家族論・1」,『ソシオロゴス』15:35-52
―――――  1992 「近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない」,『社会学評論』42-2:30-44
―――――  1991 「愛について――近代家族論・1」,『ソシオロゴス』15:35-52
―――――  1992 「近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない」,『社会学評論』42-2:30-44
―――――  1993a 「誰が性別分業から利益を得ているか」,関東社会学会第41回大会報告* 要旨集原稿配布原稿
―――――  1993b 「家族そして性別分業という境界 ――誰が不当な利益を利益を得ているのか」,日本社会学会第66回大会報告* 要旨集原稿配布原稿
―――――  1994a 「夫は妻の家事労働にいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」,『千葉大学文学部人文研究』23:63-121 * {01}
―――――  1994b 「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」,『Sociology Today』5:46-56 * {01}
―――――  1994c 「何が性の商品化に抵抗するか」,江原由美子編『<性の商品化>をめぐって』、勁草書房
―――――  1996 「「愛の神話」について――フェミニズムの主張を移調する」,『信州大学医療技術短期大学部紀要』21:115-126 *
―――――  1997 『私的所有論』、勁草書房
―――――  2003 「家族・性・資本――素描」,『思想』955(2003-11):196-215 {01}
―――――  2004 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店
―――――  2005 「こうもあれることのりくつをいう――境界の規範」,『社会への知――現代社会学の理論と方法』,勁草書房 ―――――  2005- 「家族・性・市場」,『現代思想』2005-10〜(連載)
上野 千鶴子 1990 『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』,岩波書店


 
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■事前に提出したメモ

 1日目の議論の流れにもよるが、いまのところ
 2003/11/05 「家族・性・資本――素描」(『思想』955(2003-11):196-215)に書いたことを
 話すつもり。以下はその文章に記したことのいくつか+補足のようなもの。
 別に、私が研究代表者になっている科学研究費の申請書類の一部を付す。
 他に仕事の計画について拙著『自由の平等』(岩波書店,2004)序章を参照のこと。

◆女性を市場から排除することについて、労働の買い手の側の利益はない*
 最も素朴に、0)人を働かせて得られるものと、その代価として払うものの間の差を大きくすること(その差を投資にまわして、生産を拡大する)が目指されているとしよう。このことを考えただけの場合には、女を排除する理由はない。
 →ではそのようなことを言ってきた人はまちがっているか?→そうでもないはず

◆3つをたててみた場合 +生産力の増大→労働力の余剰の場合
 1)格差:
 2)成長:
 3)維持:

◆専業主婦体制の析出 顕示的消費としての +統計的差別

■変容

◆変容:専業主婦体制の変容 その理由:差異〜価値を失う 消費のために

◆男女間格差の説明:
・差異がないとした場合:
 様々な説明(二重労働市場…)が不十分であること:
 雇用する側:差別の嗜好:あることもあるが、
  利得 格差の分利益を得ているという説*→そのままでは妥当しない
 労働者(男)による排除:一定の妥当性がある
 放置してもなくならないことが言えると同時に、市場における競争が
 格差を減少させる方向に働くことも言える〜リベラルの路線。

・差異があるとした場合:差はある(&差をなくすることを主張する必要はない)
 労働能力の差→位置・受け取りの差
 ただどのように結果の差異が現われるかは多様(満足な説明があるのか?)
 差が拡大する場合、縮小する場合、条件がある

◆市場の変化:規模の拡大、技術、労働力の余剰→格差の拡大
 同時に 性に関わる部分的な「平等化」→世帯間の格差の増大→
 全体としての格差の拡大を効果する

 同時に、男/女格差が残る部分もある。そして職種間(等)の差が拡大
 それに伴い、男/女格差が拡大する部分がある。

◆どうするか
 (仕事の間の差異は問わず、あるいは肯定して)訓練…等しくする→△/
 +差別禁止→△
 市場からの撤退→△/割り当て→△
 →経済のあり方を変更する必要がある。
 労働の分割+格差の縮小(:市場における+所得保障)

■「再生産労働」?をどう考えるか?

◆「不払い労働」という把握
 誰が、何について、払うべき「不払い」であると言ったのか
  何について:夫/子/……
 払い主:夫であるとした場合→ …/企業? …/
 ただこの論理はどの程度有効か。たしかに生産者を生産しているとは言える。しかしこの論点はあまり効かない。
 それは、現役の労働者については、そうたいした仕事ではないからだ。
 払われるならそれで暮らせるほどの労働をしているという主張はできない。
 とすると言うべきことは?→
 むろん以上は、それが(もっと)支払われてよいということを否定しない。
 払うべきか→払うべき/なぜ(低くしか)払われないのか/どれだけ払うのか

 生産のための生産(労働):高く払うようになる可能性はある。
  これは3)市場でなされない生存の維持 ではあるが、買手(市場→政府)が代替する可能性はある。(本人の後払いもありうる。また次の場合では前払いもある。)
 生産しない者のための労働:
 たしかに生存の維持という状態が生産される。
 しかしそれを超えたものは産出されず、
 (市場においては代価として払われるものが)払われることはない。

 なぜ安いか。
 cf.これまで言われてきたこと 「(非)自発性」「専門性」→これには限界がある。
 3)市場でなされない生存の維持:
 家族内でやりくりされるか、あるいは政府…がということになる。
 家族内で:それ自体に対して(高く)払われることはない
 政府:〜国際競争…がこの部分への支出を制限するように作用する。
 (成長に向けた(を見込んだ)政策の失敗が事態を困難にしている。)
 とすれば→その圧力を減少させる


 
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■プログラム

第五十九回公共哲学京都フォーラム
「ジェンダーと公共世界」
日時:2005年3月19日(土)20日(日)、21日(月)
場所:リーガロイヤルホテル京都3F 薔薇の間

◯3月19日(土)
 司会:林勝彦先生(NHKエンタープライズ21・エグゼクティブプロデューサー)
  9:00―9:05     開会挨拶
     矢崎勝彦(京都フォーラム事務局長)
  9:05―9:30      趣旨説明
     金泰昌先生(公共哲学共働研究所長)
  9:30―12:40  ご発題&討論 
     コーディネーター:今田高俊先生(東京工業大学大学院社会理工学研究科教授)              9:30-10:10 ご発題「公私領域分化という視点から見たフェミニズム」
     江原由美子先生(東京都立大学人文学部教授)
  10:10-11:00 討論(江原先生のご発題内容に基づく)
        10分休憩      
  11:10-11:50  ご発題「フェミニズムの公共性批判――排除と包摂のあいだで」 
     岡野八代先生(立命館大学法学部助教授)
  11:50-12:40      討論(岡野先生のご発題内容に基づく)
    
  12:40―13:40 昼食・休憩

  13:40−15:25    ご発題&討論 
    コーディネーター:今田高俊先生
  13:40-14:20   ご発題「『消去しきれない残余』とリベラル-フェミニズム
  ……


UP:2005 REV:
『家族性分業論前哨』  ◇家族  ◇立岩 真也 
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