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書評:仲正昌樹『自己再想像の<法>――生権力と自己決定の狭間で』

立岩 真也 2005/04/ 『週刊読書人』2584:4
http://www.dokushojin.co.jp/50422.html



  この本の意義はなにより、二〇〇三年金沢地裁での判決を「「医療行為」に際して「治療」以外の目的を含んだ「臨床試験」を行うに際して、「被験者である患者」に対するICが不可欠であるという”常識”が原則として認められた点では画期的判決であった」(一〇三頁、IC=インフォームド・コンセント)と著者が振り返る金沢大学医学部附属病院無断臨床試験訴訟をとりあげているところにある。この事件については同じ出版社から『「人体実験」と患者の人格権』(二〇〇三年)が出ている。私もまた、裁判で争われ、原告が勝利すべきだったと考える。
  言うまでもないこのことを言った上で幾つか。著者は『群像』での竹田青嗣と大澤真幸の対談も引き(引用された部分しか読んでいないが、ここにはたぶん著者の誤解がある)「(生)権力」と「自由(自己決定)」とを二つ置く。生権力に取り込まれる時の(よきものとしての)自由の困難を言う。同時に、ただ権力を否定しても仕方がないと言う慎重さはある。そしてD・コーネルを引いて「自己再想像」を言う。時に少しお節介でもそれを支援するのがよいと言う。筋はわかる。たしかに当人において自らをどうしたいのかがわからず、これから考えよう、そのために知りたい、助けがほしい場合はある。金沢での裁判をこう解することもできよう。
  しかし第一にむろん、規範を受容しない/する、力に影響されていない/いると、よし/あしとは対応しない。本人の意志を大切にすべきでないと言っているのではない。大切にすべきだろう。ただ一つ、決定の中には受容の決定も入る。一つ、無自覚な追従もそれ自体としてはよからぬことではないかもしれない。自身を(再)想像すること(を可能にすること)を肯定した上でも、何をなぜ優位に置くかという問いは残る。
  第二に、各自が自由にと言うだけではいかなる状態も特定されない。ある対象に対するAの自由はBの自由を侵害するかもしれない。何についてのどこまでの自由、決定か。むろん著者は、この論点を知っていて、近代社会の答の出し方を紹介する(四−六頁)。しかしもちろん問題はその妥当性そのものである。例えば著者は風疹にかかった時に妊娠して生まれた子についての訴訟に幾度か言及している(一五四、二〇四頁、等)。たしかに生まれるかもしれぬ子は間違いなく自己に関わる。しかし自分に(深く)関わることは自らの決定できる範囲だとできるだろうか。それは近代社会の解によっても是認されないのではないか。これらはこれまで論じられてこなかったわけでない主題でもある。言及するなら論じてほしかった。
  そうして論じると何が残るだろう。とても素朴な言葉を使えば、つまりその意味がすぐに問われる言葉を使えば、その人を害することはいけないという規範が残らないか。金沢での事件にしても、やはり問題を感じるのは、副作用を抑える薬を試すために、副作用が顕著に出るほどの量の抗癌剤を飲ませられた疑いがあることに対してではないか。事実関係の調査・認定に限界があり、判決ではふれられなかったとしても、またそれを主要な争点にするのが原告にとって得策でなかったのも当然だったにしても、である。
  自らを作り決めることを信じるが信じ切らない。決定の前に肯定されるべきものがある。安楽死のことが気になっているからでもあるが、そう言えばよいのではと、この本も読んでも、思った。


仲正 昌樹 20050120 『自己再想像の〈法〉――生権力と自己決定の狭間で』,御茶の水書房,256p. ISBN: 4275003608 2730 [kinokuniya] ※,

 第1章 私的領域における「法」
 第2章 医事法における「公/私」の境界線の曖昧さ――人体の公的管理と自己決定権の狭間で
 第3章 「人体実験」とインフォームド・コンセントの法理――金沢大学医学部附属病院無断臨床試験訴訟を素材として
 第4章 医事訴訟におけるQOLと「自己決定」――金沢大学医学部附属病院無断臨床試験訴訟を起点として
 第5章 「自由」と「暴力」

 第3章 「人体実験」とインフォームド・コンセントの法理――金沢大学医学部附属病院無断臨床試験訴訟を素材として
 「二〇〇三年二月十七日、金沢地方裁判所は、金沢大学医学部附属病院の元患者が起こしていた、抗癌剤の比較臨床試験に対するインフォームド・コンセントをめぐる訴訟で、原告側の主張を認め、病院を管理する国に対し一六五万円の損害賠償を命じる判決を下した(被告側は控訴している)。賠償金の額こそ小さかったものの、「医療行為」に際して「治療」以外の目的を含んだ「臨床試験」を行うに際して、「被験者である患者」に対するICが不可欠であるという”常識”が原則として認められた点では画期的判決であったと言える。」(103)
 風疹による妊娠について。「患者が自らの、あるいは家族の生活に対して重大な帰結をもらたす「自己決定権」を適切に行使できなかった、という論理を取っている。」「患者が自らの「生活の質」について熟慮する機会を損なった責任がとわれているわけである」(154)。
 204から205にほぼ同じ内容の記述がある。
 第4章 医事訴訟におけるQOLと「自己決定」――金沢大学医学部附属病院無断臨床試験訴訟を起点として
 「自分でも何が侵害されたのか分からない中で、「状況把握」するには、周囲の「環境」の中にいる「他者」たちと、対話・交渉する必要があるが、それは通常、「心の問題」であり、「法外」の領域と考えられる。「イマジナリーな領域への権利」論というのは、”自己決定”して「権利主体」としての自らの立場を主張するようになる”以前の段階”をも、何らかの形で準・法的に保護していこうとする構想である。」(p.223)


UP:20050329 REV:
仲正 昌樹  ◇書評・本の紹介 by 立岩  ◇立岩 真也
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