HOME > Tateiwa >

どうしようか、について(上)

―知ってることは力になる・39―

立岩真也 2005/12 『こちら”ちくま”』46(2005-5):


  *この文章は、注を付した上で『希望について』に収録されました。買っていただけたらうれしいです。

  選挙結果次第ではどうかなるかと思いましたが、ああいう結果になり、障害者自立支援法は通ってしまいました。ただ、具体的なところは法律ではほとんど決まっていないので、これからというところが様々あります。関心をもち続けてください。とか言わなくても、面倒くさいことに、関心をもたざるをえないと思います。関連情報については各種HPに譲ります。私のところでもすこしはフォローできればと思います。ここでは、『グラフィケーション』(富士ゼロックス)という雑誌に載った「どうしようか、について」という文章を2回に分けて掲載させてもらいます。「なってしまっている」と「どうしようか」という2つの部分からなる短文なのですが、今回は「なってしまっている」、です。私のHPの方にも載せていますので、手っ取り早く全文を読んでしまいたい方はそちらをどうぞ。

*  *  *

なってしまっている

  実際の細かいことは知らないけれど、この社会のままでは格差がもっと広がると考えるのはもっともなことだ。かつてはそのうち縮まっていくという話もあった。ただその方向での「近代化」はおおむね済んでしまっている。例えば学校に行けない人たちもいたのが、行きたければ途中までは行けるようになっている。いくらか極端な言い方になるが、「機会の平等」で実現できることはたかがしれている。(だからといってそれに意味がないと言っているのでははないことはつけ加えておこう。)
  そして他方には差を拡大させる要因があって、そしてそれを増長させるような仕組みをこの社会はとっている。とくに、たくさんの人を一度に相手にできるような仕事・製品が増えてきている。むろんこれには情報通信技術の進展が関わっている。一度に多くの客が得られるから、ごく一部にだが、お金が集まる。その供給者、供給組織は少なくともよい。その仕事に関わる決定に関わり、利益の配分に関われる人は少なくてすむ。より基本的には、古色蒼然とした話ではあるが、生産性が高まり生産力が高まって、必要なだけを生産するのにそう多くの人はいらなくなくなって既に久しい。その上にこの社会の雇用と分配の体制が加われば、職がなく金がない人が常にたくさんいるのはまったく当たり前のことである。
  このような社会は望ましいか。そうは思えない。それは、世界全体のことを考えるともっとずっとはっきりしているが、国内のことに限っても言える。しかし、多くの人にとっても好ましくないであろうに、かような状態であり、さらにその方向に進んでいるようだ。つまり損な方向をわざわざ選んでいるように見える。それはなぜか。
  よくはわからない。というか、多くのことが関わっているだろうと思う。ただその中に一つ、こんなことかあるように思う。半分より多くの人が、大勝ちはしていないもののそこそこにはやれていると思っている。先のことはわからないが、たぶんやれていけるだろうと思っている。他方、自分のことをきちんと「弱者」だと思える人、さらに他人に対してそのことを言える人は立派な人である。すこし無理しても、そうは思わないことにしようという人が多くいる。
  すると、「弱者のために」というのは自分たちのことでなく、半分より多い人たちのことではなく、少数の人たちのためのことだということになり、「優しい政治」にしても「切り捨てない」にしても、それは自分たちからの持ち出しを意味すると受け取られる。それはいやだ、というのである。「リスク」回避のための保険程度のものは認めるが、それ以外・以上のものとなると警戒する。
  もちろん、そうは思わない人もたくさんいる。このままでは本当に困るから、困らないようにしてもらいたい人もたくさんいる。しかし、小選挙区制の選挙では負けることになる。それを予想し、選挙で勝てないと思うからなのかもしれない、野党第一党もそのことをこのごろはあまり言わない。しかし代わりに言うこともまたない。それで、ではないにしても、やはり負ける。
  そして「改革」に賛成する。公務員であったり、あるいは郵便局員であったり、そういう人たちが「既得権」を有しているように見える。見えるだけでない。ある程度、例えば労働条件が厳しく不安定な未組織の労働者から見れは、それは事実である。自分たちは真ん中より受け取りは少ないかもしれないのだが、それはそれとしてがんばっている。てあるのに、楽している人、少なくともそう見える人がいる。それは公平でないと思う。それで改革に賛成し、合理化に賛成する。そしてそのつど、問題にされ指弾されるのは半分より(多くの場合はずっと)少ない人たちであり、半分より多くの人は問題にする側である。次は自分の番であったりするかもしれないが、それはわからない。たぶんだいじょうぶだと思い、同時に、なったらなったで仕方がないとも思っているのかもしれない。

どうしようか(次回)


UP:20051205
障害者自立支援法  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)