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「障害者自立支援給付法」?・2

――知ってることは力になる・37――

立岩真也 2005/06 『こちら”ちくま”』44(2005-3):6-7


  障害者自立支援法案は5月11日に国会の厚生労働委員会で審議が始まった。それに対する動きの方も、連日の国会前行動、また「5.12全国大行動」「5.18全国一斉行動デー」と続き、今後の情勢の変化に応じてまだ続くだろう。私がこれを書いているのは5月26日なのだが、本紙が出る時にはどうなっているのだろう。私のホームページにも関連のページがあるが、追い付ていけていない。「全国自立生活センター協議会(JIL)」のホームページ内「障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動」実行委員会のページがよい。ぜひ見て読んでください。この実行委員会の構成団体は「DPI日本会議」「全国自立生活センター協議会」「全国障害者介護保障協議会」「全国公的介護保障要求者組合」「ピープルファーストジャパン」「全国ピアサポートネットワーク(設立準備会)」。とくに、まずは「論点整理表 障害者自立支援法は問題点がてんこもり!」を読んでください。
  これ以上、私は何も言えず、言うことがない。ただ、『精神医療』という雑誌がこの法案の特集を組むということで原稿の依頼があり、書いて、5月9日に送りはした。前半は、主になんで今こういうことになっているのかという話で、これまで書いてきたことに重なる。以下、後半を2回に分けて、再録する。そんなことをしている間に、決まってしまわなければよいのだが。では、引用。

  □常識ある市民を相手にせねばならない・1
  一つやっかいなのは、そして疲れてしまうのは、これが予算の制約のもとでただ仕方のないこととしてなされようとしているのでなく、「人々」に――「障害者福祉」に肯定的な人々であっても、財布のことしか考えていないというような人でなくとも――に理解されてしまうということである。すべてを「政界」や「財界」の思惑のせいにできない。ことはそう単純ではない。
  この件に関係する官庁の人から、「納税者の理解が必要」という言葉が幾度も発せられる。これは、このたびの法案を通すための方便として言っているというだけでなく、どうも、その(自ら納税者の一人でもある)役人自らもそのように思っているようなところがある。たしかに「無駄使い」は悪いことに最初から決まっているのだし、「使い過ぎ」はよくないでしょうという話に「市民」「納税者」たちは、マスコミも含めて、納得しやすい。そのことについて何を言うか。
  なんていうことを悠長に書いていると、もうこのたびのことは決まってしまいそうなのだが、それでも、どう考えるか。聞いてくれそうな人に何を言うか。聞きたくない人は聞かないのだろうが、それでも何を言うか。
  もちろん、増えるとか足りないという額がせいぜい何百億とかそんな額で、たいしたことはないと言えばよいのではある。[以下しばらく前回の最後の部分と同じなので、略]
  これらはみな正しい。問題は、正しい話を通すことが難しいということ、その難しさを前提に、また「無駄使い」といった言葉に敏感な人たちにも向けて、何を言うかである。
  まず、介助などの社会サービスを利用することで求められているのは、並みの暮らしであって、それ以外のものではない。その並みの暮らしというものを、あなた(たち)はたまたま、頭そして/あるいは身体が、早目にそして/あるいは秩序立って動いていて、できてしまっているわけだが、私(たち)はそうではない。しかし、頭がどうで身体がどうであろうと、並みの暮らしはできたってよかろう、というのである。そして、むろんこの主張は所得保障に関わる主張を含んでいるのだが、さしあたりそれをここでは置くならば、実際にはさらに慎ましいことを言っているに過ぎない。稼ぎがないとか少ないとかいった部分は、とりあえず、さておき、日常の生活の遂行に関わる部分だけについては、並みにできるようにしよう。それは当然ではないか。もちろんその人は、税金や保険料を払えるだけの収入があれば、税金を払い、負担している。同じ稼ぎの人は、むろん細かく言えば控除の有無による違い等ないではないけれども、同じに負担している。
  「ノーマライゼーション」という言葉――この語がこのごろ役所で使われなくなっているのではないかという指摘もあるのだが――があって、それは受け入れようということなっていたではないか。それでも文句を言いたいという人のことがよくわからない。もちろん、さしあたり自分はサービスは不要で、その分税金を払うのはもったいないというのはわかる。そのことが言いたいのだろうか。ならばはっきりそう言ってもらった方がよい。
  そうでないとすると、やはりなにか誤解がある。「サービスにはお金を払うのが当然でしょ」といった「素朴」な言い方がどのような水準にあるのか。必要に応じた(人並みまでの)供給はすべきでない、そういう信仰をもっているということだろうか。とするとそれは価値と価値との対立ということになり、それはそれで、合意には至らなくとも、議論をすることにはなる。拙著『自由の平等』(岩波書店、2004)でそのことについて書いてはみた。そして、負担は少ない方がよいことは認めた上で、そうたいした負担にもならないことを言い、その点では安心してもらう。その上で、頭がどうであれ身体がどうであれ、したいことがそこそこにできることはよいことではないか、自分がどんな自分であれ生きていけるときまっている社会で生きている方が楽で気持ちがよいではないか、と言う。すべての人を説得したいとか、説得できるとか思わないが、少なくとも、過半の賛成は得られてよいはずだと思う。


UP:20050526 
障害者自立支援法  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
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