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「障害者自立支援給付法」?

――知ってることは力になる・36――

立岩真也 2005 『こちら”ちくま”』43:


  前回の続きで「グランドデザイン」について・2」なのだが、この「デザイン」を受けて出された法案そのものが問題になっているから、題もそうした。
  ほっておけばこの国会で通ってしまいそうなその法案にどんなことが書いてあるか。いろいろなことが書いてある。私も詳しくない。ホームページに「障害者自立支援法?、最初っからやり直すべし!」というコーナーを作ってある。そこから法案にリンクさせているから見ることもできるのでどうぞ。
  問題の要点は何か。三つはある。まず、人の話も聞かずに、なぜそんなに急ぐのだということである。次に、「自己負担」はよしてくれということである。さらに、「認定審査会」でサービス量を審査するのも困るということである。
  やはり上記のホームページに「DPI日本会議」などから出ている要望書などを掲載、あるいはリンクしているのでそれをご覧いただきたい。DPIは世界組織「障害者インターナショナル」の略。この数年、その日本会議は大きな重要な役割を果たしている。その事務局長が長く大阪で活躍してきた(私と同じ年だということを昨年知ったのだが)尾上浩二さんで、4月2日も(私がほんのすこしだけかかわっている)「障害学研究会」の関東部会(東京)で話をしてもらった。私が中途半端に書くより、長く真面目に障害者政策に取り組んできた組織や人たちの見方を知って、考えたらよいと思う。そして賛成できるならいっしょに行動してもよい。2月15日・16日にも「障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動」があった。かなり遠いところから東京に集まった。まだ続くだろう。
  さてなぜこうなってしまっているのか。それを今まで書いてきた。2003年4月から「支援費制度」になった。この制度への変更はそう大きな変更ではないと書いたし、今でもそう思っている。しかし、多くの人に制度があって使えることを知らせることになり、利用が増えた。サービスを提供する組織を作り運営することがより容易になった。介助などで働く人が得る報酬が多くの場合にすこしよくなり、人を派遣する組織に入るお金が増えた。
  これはサービスが増える方向に働く。今まで足りなかったのだから、これはよいことである。しかし増えるのが困る人たちがいる。担当の役所は厚生労働省だが、この人たち自身が減らしたいわけではない。ただ、厚労省が要求しても、借金をかかえている政府・財務省が受けつけないので、通るような案を考えなけれはならないということである。
  支援費の制度自体には誰にどれだけという基準はない。2002年に案として示された時もそうだった。だが考えられてはいた。隠しておいて最後の段階でさっと出せば通ると楽観していたのか、制度実施直前の2003年1月、サービス供給の「上限」を設定するという案が知らされた。しかし反対にあって実現せず、この部分を含まない支援費制度が始まった。
  次に出てきたのが「公的介護保険」との統合案だった(それまでの動きも統合に向けての動きと見ることもできる)。これが浮上したのが2003年の秋。以来障害者たちがこんどはこの「統合案」への対応に追われてきたことも、この連載で述べたとおり。そしてこれも、サービス利用者の利益とはまた別の利害もからんで、実現しなかった。
  それで、2004年の秋に出されたのが「グランドデザイン」であり、それを受けてもうこの国会で通そうなどと言っている「障害者自立支援法」である。もちろん、この間障害者の側が言ってきてことや行ってきたことがそこそこに取り入れられる部分はある。身体・知的・精神という3つの障害いっしょの法律になっているのはよいという評価もある。
  ただ、つまりは、お金の問題である。この間のあわただしくうっとおしいすべての動きが、結局は、お金の事情ゆえの動きであったと見るほかない。介護保険をそこそこに維持するために(→若い人たちからも保険料を徴収するために→高齢者以外にもサービスを給付するために→「統合」する)ということもあろうし、支援費制度のもとでの予算の増大を抑えようということもある。
  「自己負担」――その「自己」が、利用者自身に限られず、家族も含まれるのも困ったことだが――の分だけ安くなるだろうという。自己負担しなければならないとなれば、サービスの利用、「使いすぎ」を控えるだろうという。そして、審査すれば使い過ぎを抑ぎ、「公平性」を保つことができるだろうという。以上である。この間の経緯には紆余曲折があり、法案にはいろいろ書いてあるが、起こっていることはとてもはっきりしている。
  そして、やっかいである。マスコミも含めて、「使い過ぎ」はよくないでしょうという話に「市民」「納税者」たちは納得しやすい。「無駄使い」は悪いことに最初から決まっている。そのことについて何を言うか。なんていうことを書いていると、もうこのたびのことは決まってしまいそうなのだが、それでも、どう考えるか。
  もちろん正しいのは、増えるとか足りないという額がせいぜい百億とかそんな額で、たいしたことはないと言うことである。また、たしかに政策運営に失敗して国に多額の借金があるのは事実だが、だから一律に予算を減らすとか増やさないという話ではないだろうと言うことである。よけいなところにお金を使っているから、それを回せばよいと言うことである。(そして私なら、税金をとるべきところからはとればよい、増やせばよいと言う。)これらはみな正しい。問題は、正しい話を通すことが難しく、その難しさを前提に、また「無駄使い」といった言葉に敏感な人たちにも向けて、何を言うかである。(続く)


了:20050325 UP:20050328
障害者自立支援法  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
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