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患者の自己決定権

「生きて当然」な環境を

立岩 真也 2005/04/26
『朝日新聞』2005/04/26朝刊:34(大阪本社版)
オピニオン面 視点・関西スクエアから


  *題・見出しは編集部による。
   「患者の自己決定権」は横組、
   「「生きて当然」な環境を」は縦組

【前文】
 難病や末期の重病患者の治療をやめることは許されるのか。患者の「自己決定権」を考えさせる判決が相次ぎ、尊厳死法制定の動きも出てきている。社会学者の立岩真也・立命館大教授に聞いた。

【本文】
 この2月に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の息子の人工呼吸器を停止させ死亡させた母親に、息子の意向をくんだとする嘱託殺人罪の判決が出ました。3月には、患者の気管内チューブを抜き、筋弛緩剤を投与して死なせた医師に殺人罪の判決が下されました。一方で、尊厳死の法制化を求める動きも活発になっています。
 ALSは全身の筋肉が動かなくなる難病で、進行すると自力呼吸できなくなるため、人工呼吸器を装着するかどうかの選択を迫られます。しかし、約7割の患者は呼吸器をつけずに亡くなっています。家族の重い介護負担を思いやり、動かない体を悲観して、装着を断念し、死を選ぶからです。
 こうしたとき周囲の人たちは、あくまで中立を保ち、正確な情報を提供するだけで、あとは患者本人に判断を委ねるべきだとされています。しかし、人の生き死ににかかわる局面で「あなたの自己決定に任せます」と言うのは、おかしいのではないでしょうか。この社会は、人の生を前提とし、人を生かすように営まれているはずです。人が死にたいと言ったとき、「私は中立です。あなたのご自由に」とは言わないでしょう。「こうすれば生きられる、生きるほうがいい」と言うでしょう。実際、人工呼吸器をつけて何十年と生きているALS患者は多いし、社会生活を楽しんでいる人もいる。
 重い状態の患者でも、「治療をやめて死なせてほしい」と言っても、100%死にたいということはまずない。同時に生きたいという気持ちがあります。死を思いとどまり、後に「生きていてよかった」という患者は多いのです。
 「家族や周囲に負担をかけている自分がみじめで耐えられないから、死なせてほしい」という患者もいます。が、それは、そう思わせる社会状況があるからです。
 いわゆる植物状態でも回復の可能性はある。またこの状態は本人には想像するしかなく、そうなったら自分は死ぬという判断には、そうした生命は生きるに値しないという価値観が含まれています。 尊厳死は死の迫った末期患者のみに認めると言われますが、残された短い時間、痛みや苦しみを和らげることは技術的にもかなりできます。新たな法律を作ってまで、死を早める必要はないのです。
 尊厳死法制定の前に、医療や介護をより充実させ、生きて当然と思える環境を整えるべきです。そのための人的・物的資源が足りないわけではない。とんでもないコストがかかるのではありません。「質の悪い生」に代わるのは「自己決定による死」ではなく、「質の良い生」であるはずです。 (インタビュー・池田洋一郎)

【略歴】
 たていわ・しんや 60年生まれ。
生命倫理や福祉に関する著作も多
い。著書「私的所有論」「ALS
不動の身体と息する機械」など。


UP:20050501 REV:
『ALS 不動の身体と息する機械』
安楽死・尊厳死 2005  ◇立岩 真也
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