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死/生の本・3

医療と社会ブックガイド・47)

立岩 真也 2005/03/25 『看護教育』46-03(2005-03)
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/


 ※加筆の上、以下の本に収録しました。

立岩 真也 2017/08/16 『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』Kyoto Books \800 →Gumroad

立岩真也『生死の語り行い・2――私の良い死を見つめる本 etc.』表紙

 「死/生の本」1と2の後、3回続けて「ALSの本」を紹介したのだが、もとに戻す。とはいえ別々のことを書いているのではない。つながっている。というより、つながってしまっている。
 「尊厳死法」といったものを作ろうという動きがあるらしく、そんなことも気になり、ホームページのファイルを整理した。「安楽死」というファイルは、なぜだか、私のHPでトップページに次いで、また他のファイルを引き離して、アクセスの多いファイルで、最近は月に10000件を超える。手を入れたのはそこからリンクされる年代別のファイル。
 次に、連載をもう一つ始めさせてもらうことにした。筑摩書房のHP内の『Webちくま』に載せてもらう(トップページの上方、「ち」から入ってください)。だからインターネットで読める。同じ人が書くから、というだけでなく下記する事情からも、内容はこの連載に連続したものになる。最初の回から「尊厳死法」を取り上げる。読んでください。
 前回紹介した拙著『ALS』にも書いたが、昨年、この連載をまとめて本にしようと思った。その時にはそのまま順序通りに並べればよいと思ったのだが、考えなおし、再構成し中身を増やし、主題別に分けて、出してもらおうと思った。筑摩書房のHPでの連載はその作業の一部でもある。そのうち、ちくま新書として出されるはず。だがこの予定変更にともない、出るのはしばらく先になる。  そして、あわただしい出来事の方は筑摩書房の連載の方に書き、こちらは、しばらく呑気に、「文化」的に、本を紹介していく。
 どんな筋の話になるか、あてはない。ALSや尊厳死・安楽死に関する文章がいくつも載った『現代思想』の昨年11月号(特集:生存の争い)での小泉義之――「死/生の本」の第2回は実際には小泉義之の本の紹介だった――と私の対談「生存の争い」でも同じことを言っているが、私は、死について何を言ったらよいのか、すこしもわからないのだ。
 いろいろ読んでも、やはり何もでてこない、かもしれない。けれど、たいしたことではないが、気になっていることが一つあるにはあって、それを気にしつつ読んでいこうと思う。しばしば、近代・現代において、人は死を隠してきた、遠ざけてきたと言われる。そしてそれはいけないことだとされる。これから、もっと死を知り、語らねばならないとされる。「死/生の本」の第1回で紹介したゴーラーの本もアリエスの本も基本的にそんな話だった。あるいはそんな話の一部分に位置づけることができる。それらは私たちの社会が死を遠ざけ、隠そうとしているという理解をしていた。それはたぶん間違いではない。しかし、なんだかわかりよすぎる話のような気がする。またいきぎよくない私としては、「いさぎよい死」のようなものにつながってしまうとすると、心配になる。

◇◇◇

 さてこんなことを述べて、ようやく「死/生の本・2」の続きに入っていく。
 ノルベルト・エリアス(Elias, Norbert、1897〜1990)というブレスラウ(現ポーランド)生まれのユダヤ系ドイツ人の社会学者がいて、多くの著作があり、その多くが翻訳され、現在入手できる。主著に『文明化の過程』(1969、邦訳、法政大学出版局、上1977、下1978、2004新装版上・下)という大著があるのだが、この書名のとおり、エリアスは歴史を「文明化の過程」だと言う。ごくごく簡単にすると、社会的な交流が増すにつれ、人々は野蛮にはやっていけないようになり、自らの感情を抑制し、人間関係を調節するようになってきた、社会はだんだんと上品になってきたのだと言う。
 もちろん、すぐさま、前世紀から今世紀の戦争を想起し、それは違うのではないかという疑問が起こる。ここは大切な疑問だが、ここでは略。奥村隆『エリアス・暴力への問い』(2001、勁草書房)等をご覧いただきたい。もう一つの疑問は、昔の人たちがそんなに野蛮な人たちだったのだろうかという疑問である。これを問題にしてきたのが、ハンス・ペーター・デュルという、1943年、ドイツ生まれの人だ。この人もとてもたくさんの本を書いていて、その多くの訳書がエリアスの本と同様、法政大学出版局から出されている。彼はその中で幾度もエリアスは間違っていると書いている。というか、その著作の大きな部分を占めるのは「文明化の過程の神話」というシリーズであり、彼は執拗にエリアスの歴史理解を批判するのだ。ここではそのシリーズ第1作、『裸体とはじらいの文化史』を、今回の主題を直接に扱ったものではないのだが、そのうちこの連載でとりあげようと思う「感情」という主題に関わる本でもあるから、あげておく。
 エリアスの肩をもつ人は、デュルの批判は言いがかりだと反応する。たしかにひとまずヨーロッパに限れば、その中世が相当に野蛮な時代であったということは言えそうだ。ただ、社会一般が「文明化」されていくという筋の話を、もしエリアスがしているとすれば、それは受け入れ難い。デュルのように羞恥は「本能」だと言うかどうかはともかく、人と人との「距離」をめぐる規範はどこにでもあると考えた方がよいと思う。
 そしてどちらが正しいかよりも大切な問題は、この後の話にも関係するのだが、野蛮な態度/文明化された態度とはいったい、どんな基準で分けられる何であるのかである。長くなるのでここまでにするが、その問いが、死と向き合う/死から遠ざかるというわかったようなわからないような区別の問題とも関わりそうなことはわかっていただけると思う。

◇◇◇

 本題である死についてはどうか。エリアスは――とても紛らわしいが――アリエスを、1980年代の2つのエッセイを収録した『死にゆく者の孤独』の中で批判する。
 「アリエスは、記述されて残っている記録をそのまま歴史そのものとして受け取ってしまっている。[…]アリエスの資料の選択は、前もって措定された見解に基づいているのだ。つまりかれは、昔は人間は悠然と落ち着いて死んでいったものだ、との仮定の上に立って論を進めているのである。唯一現代においてのみ――とかれは強調している――死の迎え方が異なっているのだ、と。ロマン主義者の精神をもって、より良き過去の名において不信の眼差しをこめつつ、より悪しき現在を眺めるのである。[…]中世の人々がどれほど穏やかに死を待ち受けていたか、ということの証人として、アリエスは『円卓物語』のイゾルデとテュルパン大司教をひき合いに出しているが、とうてい賛成しがたい。かれは、中世叙事詩が[…]良いことずくめの理想像が描かれている作品であることを指摘していない。」(pp.19-20)
 さきにあげたデュルは、エリアスが引き合いに出す資料の意味合いを間違って理解しているとエリアスを批判するのだが、同様の批判をエリアスはアリエスに対してしているのである。
 「高度に産業化された国民国家における生活に比較すれば、かつての中世封建国家における生活は――そのような国家が今日いまだに存在するとすれば、そこでは現在も――激情に支配されやすい、暴力的なものであったし、それゆえ不安定で短い、荒々しいものだった。死は、たまらないほど苦痛に満ちたものでありうる。以前は死の苦痛を和らげる手だてがほとんどなかった」(pp.20-21)
 「文明化の過程」の論者による記述としてはいかにももっともと思える文章である。アリエスは過去に「穏やかな死」があると言ったのだが、それは過去を美化しているとエリアスは言う。
 そうかもしれない。ただ、同時に、このような争いにそれほどの意味があるだろうか、とは思えてしまう。つまり、ごく単純に、両方の契機があったのではないか。  とりわけ災厄として大規模にもたらされる死を人々が恐れていたことは確かだろう。それと同時に、宗教があってのことだろうが、他者たちの死、自らの死を受容していく営みもあっただろう。そんな当然と言えば当然すぎる像しか思い浮かばないし、それでよいのではないか。そして、このように述べるだけでは、たんに両方正しいだろうというような凡庸な話にしかならないのだが、すこし予告すると、この平凡な理解に留まって考えることが、意外に大切なのではないか。と書いておいて、次回は、近代・現代の死をエリアスがどのように捉えたのかを見ていく。


Elias, Norbert 1982 Uber die Einsamkeit der Sterbenden, Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Mein, 1985 Aging and Dying, Some Sociological Problms (Altern und Sterben, Einige soziologische Probleme), Basial Blackwell, London=19900825 中居実訳,『死にゆく者の孤独』,法政大学出版局,叢書ウニベルシタス,146p. 1854 ISBN: 4588003046 [kinokuniya] ※ * d01

Duerr, Hans Peter 1988 Nacktheit und Scham, Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Mein=19901224 藤代 幸一・三谷 尚子 訳,『裸体とはじらいの文化史――文明化の過程の神話・1』,法政大学出版局,叢書・ウニベルシタス,564p. ISBN: 4588003224 4515 [kinokuniya][amazon] ※ *


UP:20050128 REV:0204(誤字訂正)
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