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ALSの本・2

医療と社会ブックガイド・45)


立岩 真也 2005/01/25 『看護教育』46-01(2005-01)
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  昨年11月『ALS――不動の身体と息する機械』を医学書院から出してもらったこともあり、筋萎縮性側索硬化症=ALSについての本を紹介している。前回は本人が書いた本を紹介した。他に家族が書いたものも何冊かあるが、ここでは家族とは別に支援する側の人が書いた本を2冊とりあげる。   その前に一つ。以前にもとりあげたことのある『現代思想』(青土社)という雑誌。その1994年11月号の特集が「生存の争い」。この号ではALS関係の文章が2つ載っている。1つは前回最後でふれたALSの人、橋本みさおの「脳生とよばれてなお」。もう1つは、遅くまで維持されるという眼球の動きも止まるトータリィ・ロックトインの状態になって数年が経つALSの母がいる川口有美子の「人工呼吸器の人間的な利用」。他にも「尊厳死」という言葉の現われを検証する大谷いづみの論文等、重要な論文が掲載されている。私も、この連載の第43回(昨年11月号)でその著作を紹介した小泉義之と対談をした(「生存の争い」)。また清水哲郎『医療現場に臨む哲学II』(2000、勁草書房)の一部を検討した原稿「より苦痛な生/苦痛な生/安楽な死」を載せてもらった。詳細目次等はいつものようにホームページ。

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 さて、今回の2冊のうちの1冊は『最高のQOLへの挑戦――難病患者ベンさんの事例に学ぶ』。医学書院から1994年刊行。
 ベン・コーエンは1945年米国生まれ。74年に来日、78年に結婚、福井県に転居、焼きものの修業を始め、81年に陶芸家として独立。そして89年に症状を自覚、ALSの診断を受けた。90年に人工呼吸器を装着。92年に逝去。
 「ベンさんの事例に学ぶ会」編の本で、その構成メンバーは彼を支援した人たち、小林明子・上林澄子・福原隆子・小西輝美・伊藤三枝子・文室みどり。職業は看護・保健職、その関係の教員が主。この人たちを含め、コーエンには多くの人たちが関わることになった。そしてその人の集まり、関わりが機縁となって、1990年には日本ALS協会福井県支部が設立され、小林明子はその事務局で長い活動を始めることにもなる。拙著『ALS』の「あとがき」にも記したが、私は95年にある学会で小林の報告を聞いた。それはずいぶん興味深いものだった。それで、たしか既に1冊買い求めてあったこの本をもう1冊小林から購入したような気もするが、それは定かでない。ただその時、コーエンの焼きものの写真を絵葉書にしたもの1セットを彼女から買ったのは確かだ。
 上記した人たちだけでなく、コーエン自身の文章も含め、多くの人の書いた文章が集められ編まれたこの本は、読みものとして通して読めるというものではないかもしれない。しかし関心のある人には様々な材料を与えてくれる。彼が住んで焼きものを焼いたのは福井県宮崎村蚊寺(かだんじ)という山間の集落だったが、その自宅で彼はずっと暮らした。大きな都市ならいわゆる在宅療養も可能かもしれないが、そうでないと難しいと思える。だが少なくともコーエンは約10年前にそうして暮らした。それがともかくも可能だったことを知り、どうして可能になったのかを知る意味がある。
 そして考えてしまう部分もある。コーエンは、米国からやってきた人として、病名や呼吸器のこと等、本当のことをはっきり知ろうとし、知って大きな衝撃を受け打ちひしがれるのだがそれでも、知った。ここは私の本ではp.101・引用番号【175】に引用している。  さらに、その後どうしていくか、そのことについてもはっきりしたことを知ろうとし、自分の意志を伝えた。それを受け止め、うろたえたり、考えたりせざるをえない医師による記述もある。
 1991年5月。「在宅丸一年の記念日。彼の周囲からもれてきたのは「安楽死」。/喋れなくなったら人工呼吸器をはずせ。/主治医としての答えはノー。/その時がきたらどう対処していいか。今は考えない。先送りだ。」(p.29)拙著ではp.362・【506】に引用。
 その後、ベン・コーエンは経管栄養を固辞、苦しみながら経口栄養を維持する。1992年2月18日、胸痛発作、緊急入院。20日に逝去。
 そしてこの本には、前回著書を紹介した当時の日本ALS協会会長、松本茂の「ALS患者と人工呼吸器の問題――患者の本音」もある。短い文章にはっきり強い主張がある。「a.ひとつの危惧」「b.「自然死」という名の殺人」「c.なぜ人工呼吸器を着けない自然死が頻発するのか」「d.「いたずらな延命」とは?」。私は、大切なことが書かれていると思い、1998年の雑誌原稿で引用した。その原稿は2000年刊行の拙著『弱くある自由へ』(青土社)に収録されている。

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 もう1冊は1996年、豊浦保子『生命のコミュニケーション』。豊浦は長く日本ALS協会近畿ブロックの活動に携わってきた。他に支援する側の人としては、水町真知子が近畿ブロックの活動を紹介する文章を寄せている。豊浦と水町はその後も長く近畿ブロックで活動し、ALSの人たちの支援を行なっている。
 その彼女たちが関わってきた人たちが、実名でまた匿名で出てくる。豊浦の文章の中にその人たち自身の語った言葉、書いた文章からの引用が多くある。20人以上のALSの本人が出てくる。
 例えば第4章「新しい生を創造的に前向きに生きる」に登場するのは、他の人にも知られ、本人の文章や活動を紹介する文章を他でも読める人たちである。そうした人たちは実名で登場する。
 しかしうまくいかないことも多い。支えようとする側の思いが伝わらないこと、届けられないこともある。医療・福祉の側の不条理な対応もある。本人や周囲の混乱が最後まで収まらないこともある。それで書き手も怒り悲しむ。その無念が伝わる。そうした事例では多くの人は仮名で登場する。
 両方が現実だ。その差異がどこから来るのかを考えることも必要になる。例えば家族の支えの有無は大きいだろう。しかし、ではその事実確認で終わってよいのか。ただしみじみとしたいから本を読むのでなければ、読み解くという態勢が必要なことがある。  私はこの本を何度か、付箋紙をつけて読んだ。その時々に手元にあった紙を使ったので、色とりどりのが40枚ほど貼ってある。また自分のための引用集を作った。多く、逡巡や葛藤が生じているきびしい場面が選ばれ引用された。
 それをホームページに本の紹介として載せていたことに、現在近畿ブロックを務める大川達から、代表者として強い批判が寄せられ、ファイルを削除したことがある。このことについて拙著の序章に記した(p.17)。もちろん、公刊された本からの一部引用と公開は一般には制約されない。ただ、知らせることと知らせたくないことの間のときに微妙な境界があり、それに関わる強い感情が直截に向けられ、それでひどく動揺したし沈みもした。人の話を使って人のことを書いている者たちは、こんなところに身を置かざるをえない。ただ、ときにかなり立ち入ったところがやはり大切なのではあり、公刊され公開されている以上は、その前後の文脈を述べた上で、また、なぜある部分を引用するのか、そして筆者自身の考え、立場がどこにあるかを示した上で、使うことはやめない方がよいとは思ったし、思う。今度の本でも21か所で引用させてもらった。
 例えば、上記した大川達が人工呼吸器を付けることにした経緯が記されている文章がある。けっして一つの思いが貫かれているわけでない。逡巡があり、一度宣言したことが取り下げられる。しかしそのことこそが大切だと思い、引用した(p.170・【261】)。
 前回紹介した人では川口武久も出てくる。彼の最期についていくらかでもわかるのは、死の5日前に書かれ、結果として遺書になった手紙がこの本に収録されているからである(p.85-87)。もしこの部分がなかったら、その手紙を直接に読んだ少数の人を除けば、知られることはなかった。
 この最後の手紙は、「人工的な延命」の拒否、「自然な死」という彼の公式の信条と、生き続けたい思いとの葛藤が、蓄積されていく疲労と苦痛の中で、死の直前まで続いていたことを示している。幾度でも同じことを言うが、こんなところを見ないで、ものを言っても仕方がないと思う。川口の著作の文章を連ねた私の本の2つの章の最後に置いたのは川口のこの手紙だった(p.256・【394】)。


◆ベンさんの事例に学ぶ会 編 19940515 『最高のQOLへの挑戦――難病患者ベンさんの事例に学ぶ』,医学書院,141p. ISBN: 4260341499 [amazon][kinokuniya] ※ als. n02.
◆豊浦 保子 19960722 『生命のコミュニケーション――筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の記録』,東方出版,198p.,ISBN:4-88591-489-2 1262 [amazon][kinokuniya] ※ als. n02.


UP:20041208 REV:
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