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所得保障を考える・メモ

立岩 真也 2004/12/19
第10回障害者政策研究全国集会



  制度の不合理によって年金の受給権がない人がいることについては、その不当性は明らかであり、また、私はこの主題についてこれ以上のことを言えない。

  障害基礎年金も生活保護もいずれも額が低い。さてどうするかだが、とくに現下の状況での実現可能性を考えると、妙案は私にはなく、この分科会でなにか言う資格がない。それでもいくらか。

  いまの状況では荒唐無稽と思われるかもしれないが、誰もが生活できる額を得られることにする。もう少し詳しく言うと
  @基本水準を保障。*
  Aそれ以外に収入がある場合は、それをいくらかの度合いで加算しつつ、差し引いて、それ以下の(市場において得られる、相対的に低い)収入の人に分配する、そういう仕掛け。
   「例えば」以下のような具合
       0  →12万 (左は市場での収入、右は再分配分含めた受け取り)
      10万 →18万
      20万 →24万
      30万 →30万
      40万 →36万
      50万 →42万
  B障害に関わって余分に関わる費用(原則的には、介助費用もここに含まれる)はこれと別に支給する。

  私はこのような形態が正しいと考えているし、基本的には、不可能ではないとも考えている。拙著『自由の平等』(2004、岩波書店)等もそのように思って書いた。
  迂遠なようだが、そんなことは不可能であるという認識、あるいは不当であるという主張に反論すること。これが私の仕事ではある。

*@については「ベーシック・インカム」などという言葉もある。ただ、この言葉を使う人たちの場合、とくにBの意義をあまり認識していないことがある。

  ただこの体制も理想的なものであるとは言いがたい。
  市場において、その仕事がまったく金にならないことがあるとしよう。そして、そのことについて、その人になんらの非がないということはおおいにありうるだろう。つまり、仕方なくその人は稼げない。そのために(仮に私が主張するように基本的な収入があるとして、それでも)他より少なくしか得られないことについてなにか正当な理由が見出せるだろうか。基本的にはそんな理由はないだろうと私は考える。
  ただ一つ、私のように、働かないで同じだけが得られるのであれば働かずにすませようという思う人が(一定以上)いるなら、働ければ(=金が得られる労働をすれば)より多く得られるというかたちを取らざるをえない(「インセンティブ」としての報酬)。そこで、働かない人も働けない人も、得られるものは他の人より低く、つまり「最低」になってしまう(上掲の例では12万円)。
  働かない人と働けない人は違う。それはそのとおりだとは思う。働きたくても(金が得られるような仕事をしたくても)働けない人に非はない。(報酬を得られなければ)働かない人がいるために、働けない人は最低限しか受け取れなくなってしまうのであり、それは迷惑な話だとも言える。働かない人の「巻き添え」になっているとも言える。そこで、働けない人と働かない人とを分け、別々に考えるという案には一理がある。
  しかし一つに、とくに精神障害の人のことを考えると、働けないと働かないとの間の差は微妙であり、いずれかであるかを判定されたり、働くように仕向けられたりすることには危険がつきまとう。そしてもう一つ、働くに際してはそれなりの苦労もあり、時間もとられるのではあるから、その人たちが働けないあるいは働かない人より多く取ることには、この限りでの正当性もある。だから、他より低くなってしまうのはこれで仕方がないのでは、というのが今のところの私の考え。

  ただ、言うまでもないことだが、以上述べたことは、現在の格差を正当化するのではない。まったくその反対であり、格差の縮小を支持する。(このことが困難であることの一因として、徴税の単位が国家の範囲に限られている――そのために例えば高額所得者が国外に逃れることができる――ことがある。このことについては拙著『自由の平等』の序章で、ごく簡単に述べた。)

  そして、労働、生産の場にはまったく手をつけず、所得の再分配だけで行こうと考えているのでもない。例えば労働の分配(ワーク・シェアリング)がなされるべきであり、また有効であると考える。(このことについても上掲拙著、序章。)

  さて、ここから見ると

  障害基礎年金は、1級で月8万円すこし。これだけではやっていけない。だから当然、1)その額をあげるべきだという主張がある。また、2)全体の水準をあげることが困難であるとして、ある部分について金額を加えたらどうかという案がある。
  年金は他の収入源がある場合にも支給される(ここが生活保護と異なる)。これが、額を上げるようと言ってもなかなか難しい一つの要因なのかもしれない。(それに比して、上記の案は、他に収入がある場合には、その収入の額に応じて、実際に受け取る額が減額される。)
  2)生活形態(例えば親元から離れて「自立」している)からという理由によって、いくらかの上乗せを実現させることは可能か。なかなか難しいだろう。まず、ある生活の形態が他の形態に比べてより多くを受け取る正当性を得られるかである。次に、そのことを言えたとして、他と比べて他の生活をしているということをどのようにして証明するかである。

  なんといっても生活保護は重要な制度である。一つに、この制度のことに注意を払い続ける必要がある。この制度はいま厳しい状況に置かれている。だが大切な制度であり、短期的な実現可能性はともかくとして、その改善の可能性を考え、言っていく必要があると思う。まず実質的な制度の縮小が意図されている。これに反対すること。またすくなくとも現在の生活保護よりも審査、条件がゆるい制度を目指すこと。
  上掲の案と生活保護との違いは、生活保護の場合は、給付水準までの収入については、所得認定され、受け取りが増えない(生活保護の基準額に留められる)点。


UP:20041124
生活保護  ◇障害者政策研究全国集会  ◇立岩 真也
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