HOME > Tateiwa >

不動の身体と息する機械との生

―知ってることは力になる・34―

立岩真也 200409 『こちら”ちくま”』34: 発行:自立支援センター・ちくま


  続きものを続けるとなると、「介護保険的なもの・対・障害者の運動 9」ということになるはずですが、休ませてもらいます。障害者の介助・介護の制度がどうなるかはどうも見えにくい情勢です。介護保険制度の改訂は来年4月。普通に考えるとこの時期では制度を大きく変えるのはもう無理のはず。いまの支援費の制度を介護保険的なものの方にシフトさせていこうという方向で厚労省は考えているようです。つまり、基準を作り、ケアマネージャーを介在させ、介助の必要を査定して、供給量を規制しようということです。それと合わせ、様々な変更を含む案が出されつつあるのですが、いつものことながら、ひどく急な話で、もっときちんと考えてからにしようよ、といつも思います。政策側は早くに決めてしまいたいようで、油断できない状況ですが、また事態は膠着もしていて、どうなるか。http://www.arsvi.comには寄せられた情報を掲載していきますので、注視してください。


  さて、今回は本の紹介というか宣伝です。この11月に『ALS:不動の身体と息する機械』という本を医学書院という出版社から出してもらいました。筋萎縮性側索硬化症=ALSのことは、テレビなどでこのごろ時々とりあげられるからご存知の人も多いと思います。全身の筋肉が動かなくなっていく、今のところ治療法のない病気です。呼吸も苦しくなっていくので、呼吸を続けるためには人工呼吸器を付けることになります。けれど実際にはかなり多くの人が付けることなく亡くなっていくと言われます。それは、今どきの言葉でいうと「選択」「自己決定」だから(それでよい、仕方ない)、ということになります。しかし、そういうことでよいのだろうか、と私はまず思います。ただ同時に、意識は残るが、からだがまったく動かなくなっていくのはやはり辛いだろうなとも思います。さて、どう考えたらよいのか。起こっているのはどういうことなのか。
  じつは今年もう一冊、ALSについて、同じことが気になって書かれた本が出ています。植竹日奈・伊藤道哉・北村弥生・田中恵美子・玉井真理子・土屋葉・武藤香織『「人工呼吸器をつけますか?」――ALS・告知・選択』(メディカ出版、182p.、1890円)です。植竹さんは中信松本病院の医療ソーシャルワーカーですし、玉井さんと武藤さんは信州大学の教員です。こちらの本は各地での聞き取り調査をもとに書かれました。私もこの調査にはすこし関わったのですが、こちらの本に書くことにはなりませんでした。私は聞き取りには参加できなかったので、ALSの人たちが本やホームページに書いてきた文章を使って書こうと思ったのですが、書くべきこと、引用すべき文章の量がすぐに多くなってしまい、とても皆で書く本の1章では収まりがつかないと思ったのです。そこで私の書いたものを1冊の本にしてしまいました。449頁。厚いです。そのわりには2940円(税込)と安いです。では、中味を。
  いろんなことが書いてあります。早く亡くなる病気だと言われてきたし今でも言われるが、実際にはそうでもない。しかし今でもすぐに亡くなるように言われる。なぜか。そして、なおることへの期待とそれが今のところかなえられていないことについて。次に、この深刻な病のことを知らせることは、これまで、また今、どうなっているのか。どう考えられているのか。どう考えたらよいのか。そしてALSであることの辛さとは具体的にどんなものなのか。それは、どうにもならないものか、それともそうでないのか。そして呼吸を付けるとか付けないとか、外すとか外さないとか。等。それらについて、実際にALSになった人たちが書いてきた文章をたくさん集めて、そこからの引用を並べ、そして私自身も考えて、書きました。
  この主題は「安楽死」の主題に関わります。一つ、現代の医療は「機械的な延命」「たんなる延命」を行なっており、だから、それに対して「人間的な死」「自然な死」を言わなければならない、と言われることがあります。むろんこの認識、主張はある程度もっともなのですが、そのまま受け取ってよいのだろうか。以前から私はそのことが気になってきました。今度の本では、その認識、主張がいくつかの点で違うことを言えたと思います。まず、少なくともALSの人たちについては、生きられるはずの長い時間を残して多くの人が亡くなってきたのだから、今までずっと、医療は、また社会は、言われているほど「延命」に熱心ではなかったということ。次に、機械と生きる生に対して自然な生を対置することも、機械と生きる生に対して自然な死を対置させることもおかしいということ。つまり機械が必要なら使いながら、よく生きていけばよいというだけのことではないかということです。
  そしてもう一つこの間言われているのは、生死は本人が決めることだから、周囲の人たち、直接には医療者たちは「中立」であるべきであり、「正確な情報」を本人に提供することに徹するべきだということです。簡単に言い切ってしまうと、それは違う、と私はこの本で書いています。植竹さんたちの本の題では、「人工呼吸器をつけますか?」と誰かが聞いているのですが、私は、「つけましょう」ぐらい言うべきだ、と書いているわけです。私は、その人自身が決めるということが大切であることを認めつつ、しかしそのことは周囲が中立であるべきことを意味せず、その人が生きる方に向けてその人に言えばよいのだと、またそれが実際に可能であるように、すべきことをすべきなのだと書きました。むろん、こんなことを、実際に病の状態に置かれていない人、そして自らは何ほどのこともその人のためにしないだろう人たちがほんとうにそんなことを言えるのだろうか、無責任ではないかという気はします。けれども、それでもそう言えるだろうと、私はこの本に書きました。御一読いただければありがたいです。
  さらに御協力のお願い。私のホームページを経由してアマゾンから注文していただけると、購入額の3〜6.5%が、アフリカのエイズの人のための活動をしている日本のNGOに寄付されます。説明はホームページの方に書いてありますが、『ALS』の本を紹介している場所のamazonのマークから『ALS』を買うと、6.5%、190円ほどが寄付されます。どうせ、オンライン書店で本を買うのなら、どうか、こちらを御利用くださいますようお願いいたします。


UP:20041110
自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也
TOP HOME (http://www.arsvi.com)