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書評:小林亜津子『看護のための生命倫理』

立岩 真也 2004/12/03 『週刊読書人』2565:4
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*小林 亜津子 20041120 『看護のための生命倫理』,ナカニシヤ出版,260p. ISBN: 4888489092 2520 [amazon][kinokuniya][kinokuniya] ※ n04.be.

  学校で教える時に使う本として書かれた。看護のための、となっているのは、用途を限定した方がかえって売れるという販売戦略によるのだろうが、医療関連の専門学校や大学で倫理学、生命倫理の科目を教科書あるいは副読本として使える本がほしくなるのはわかる。実際、そのような動機があって書き始められたという。
  次にこの本は、看護なら看護という職業を遂行するにあたって遵守すべき方針、規則、そうした意味での倫理を列挙した本ではない。いずれもことの是非が問われてしまっている主題が次々に扱われる。安楽死、減数(減胎)手術、医学実験・治療実験、ヒト・クローン、宗教上の理由による治療拒否、がんの告知、等々。その個々の主題についてはよくまとめられている。
  読者に対して問いが出され、それに対する筆者の見解は書かれておらず、それについては読者(学生)が考えてみましょうという形がとられる。自身の見解は、それはそれとして別に書くことにし、今回の本ではあえてそれを出さないようにしたという。この本は講義で使える本がないから書かれた。たしかにちょうどよいものはなかなかないように思う。より親切ですぐに教科書として使えるようなものがあってよいということなのだろう。しかしすこし条件を緩めれば、いままでに出された本の多くがそんな本であったような気もまたする。複数の主題が列挙され、それぞれについて争われている争点が示されるという本である。
  あとは読者が討論したり考えたりしようという。その材料を提供しよう、提供することに徹しようという。ただその立場は、不可能な立場ではないにせよ、自らが見込むより有効でないことがありうると思った。むろん、何が争点なのかという争いがあり、論点の列挙の仕方が議論を限定してしまう、またある方向に導いてしまうことがあるという誰もが知っていることもあるのだが、ここでは別のことを記す。
  例えば討論について。討論したり、考えたりすることはきっとよいことではある。論を組み立て、理屈を言うことがうまくできない人が多いとも思うから、大切なことだ。また、学生に考えてみてもらうと、その人たちは意外とよく考える。しかし、と思ってしまうところがある。もし考えてしまうなら、あるところまでは行かないと、論を絞っていかないと、何かについて何か言ってみたりすることは、無意味、というよりほとんど害悪でしかようなことがあるように、私は、思う。にもかかわらず、いちおう学んだ、あるいは考えた、ということになる。それは困ったものであることがあると、私は思う。
  本書の筆者がそんな状況を是認しているというのではない。むしろ、賛否の論理がそう単純でない各々の主題を論じる際の筋道を示そうとしている。著者は誠実で、よく論点を追っている。とすると今度は、どんなにやさしく書こうとしても、実際にはかなり複雑な論理の運びになる。加えて複数の立場が同等に扱われ並列されていくと、かえって理解が難しくなることがある。すると、演技でもよいから、相手の立場はそれとしてきちんと説明しながらも、自らを立場を明確にした方が争点を示すことができ、かえって読み手に考えてもらうことができるのかもしれない。つまり筆者自身が戦った方が、読み手はその戦いの裁定者として、あるいは自らその戦いに巻き込まれてしまって、よく問題を考えることができることがあるかもしれない。


UP:20041117
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