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障害者運動・対・介護保険

――2000〜2003――

立岩 真也 2004 [korean Page]


 *執筆:20040203
 *この原稿は平岡公一・山井理恵編2004『介護保険とサービス供給体制――政策科学的分析』(仮題),東信堂 に収録される文章の草稿です。実際に刊行される時には違ったものになるはずです。お買い求めいたただきますよう。
 →この本は刊行されませんでした。
 *以下の文章の一部に使用されています。大幅に増補・改稿されていますのでそちらをご覧ください。

◇立岩 真也 2012/12/25 「共助・対・障害者――前世紀末からの約十五年」,安積他[2012:549-603]*
*安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p. ISBN-10: 486500002X ISBN-13: 978-4865000023 [amazon][kinokuniya] ※

『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙

 ここでは、介護保険導入後の障害者の介護施策の動向とそれとの相互関係の中で展開されてきた障害者運動の経緯を振り返る。それにしても以下は簡略な報告でしかなく、詳細な記述と分析は今後に委ねられる★01。
 記されるのは「高齢者ではない障害者」の動きということになる。むろん介護を要する高齢者も障害者だから介護を要するのであり、両者は1つを2つに割ったものであり共通しまた連続している。ただ、以下に出てくるのはつまりは知的にも元気な障害者たちであり、高齢者で介護を要する人たちの多くはそうではないから違うのだという捉え方はあり、その理解に一定の妥当性があることは認めよう。しかしそれを含めて考えても、主張されたことと実現されたことの双方について違いがあることは興味深く、そのことについて考えることは高齢者福祉について考える上でも意味のあることと考える。
 介護等の社会サービスについて、大きく2つの要素がある。1つはどれだけの介護を供給するかであり、もう1つが供給のかたちである。
 前者について。介護保険の最も基本的な問題点は単純ではっきりした問題点である。つまり、在宅で、家族に負担をかけずに暮らしていくためには、介護保険で供給される介護サービスではまったく足りないということである。
 後者について。介護保険の導入は「措置から契約へ」という流れに位置づけられた。利用者が必要とサービスの供給者を選択するかたちへの移行が唱えられ、介護保険の機構はそのような機構だとされた。
 つまり、その供給量についてはさほどのものでないまま、機構が変わったことになる。そして障害者の運動は、この2つを受けてそれを批判し、そこに介入し、そしてそれを利用して展開してきた。第1節ではまずそれを見る★02。

■■1 接近と離反

■1 量
 どこにも介護保険の制度に満足しきっている人はいないはずだが、不平不満はあまり大きく聞こえない。なにより、いったんできたからにはしばらくは変わらないと思っているということがあるだろう。ただ、これが始まる時にも、こんなものではどうしようもないという大きな声はあまりなかった。これは自助・共助の仕掛けであり、保険料の負担があるからにはこんなところが限界だと思ってしまった、あるいは思わせてしまったということがあるのかもしれない。そしてこの制度は基本的に、介護をする側から望まれたものだった。家族の負担を問題にしながら、結局はそれを受け入れた上で、少しでも楽になるならそれでよいと思っていたのかもしれない。他方に家族外から介護を得て生きようとしてきた障害者たちの運動があり、そこに出来てきたものがある。中西・上野[2003]で、中西が障害者運動の側からみた介護保険の問題点を指摘している。高齢者(福祉)の側にいる人たちと、私が見てきたその障害者運動の受け取り方と、はっきりとした違いがある。
 介護保険が導入された前後にあったのは、合理的な理由があると思えない65歳という境より下の年齢でひとまずこの制度に入らなかった自分たちも近いうちにこの制度に巻き込まれてしまうのではないかという強い警戒感だった。実際そのような方向を考えているらしいことが当時の厚生省の方からも伝わってきた。またすぐに一体化とはならないにしても、介護保険のような制度が他にも波及していくことに対する危惧があった。
 その危惧、警戒感は当然のものだった。まったくそれでは足りなかったからである。もっとも重い等級と判定されても1日2〜3時間しか利用できない、そして十分に重度で長時間の介護を必要とする人の多くもその判定基準ではその2〜3時間の等級と判定されないことが確実だった。この基準がそのまま適用されるなら、それは端的に介護そして生活の水準の引き下げを意味した。この制度は、長い時間その人のもとにいて、その要請・必要に応じて介護するという型を想定していない。在宅のサービスは短時間でなされるものであり、その仕事が終ったら介護者は次の仕事場に向かう。だから、移動の時間もかかり、仕事を複雑に配置する必要もあり、そのための人も手間も必要になる。実際に介護の単価も、事務的な経費や移動のための時間等を含んで経営が成り立つように設定されている。在宅で長時間の介助を要する人、介助を使いながら様々な活動をしていこうという人はそれではどうしようもない。国会の付帯決議に介護の水準を下げることのないようにと記されたとしても不安は残る。また、かりに獲得してきたものについては維持されるとしても、新たに獲得することは困難になるかもしれない。
 そして介護保険は一つ一つのことが定まった制度である。状態は等級に分けられ、それに応じてサービスの水準が決まる。それまでの各自治体の制度の多くは、個々に交渉して作り上げられ、積み上げられてきたもので、その力関係や偶然的な事情に左右された制度ではあったものの、個々の状態に応じた細かな定まった規定はなく、よく言えば弾力的な運用がなされうるものだった。それが介護保険のように一人ひとりの状態が等級に分けられ、それに応じて供給量が決められることになる。それも実質的な切り下げにつながり、使い勝手の悪さにつながっていく可能性がある。そしていったん制度化されてしまえば、それは大きな制度だから、その変更は容易でないと思われた。そこでそのようなものに包摂されることには反対せざるをえなかった。
 介護保険をそのまま受け入れられないのははっきりしているとして、ではどうするか。こうした過程の中で、別の合理的な機構を対置するという方向が一つ考えられた。介護保険と違う、しかも政策側に受け入れ可能な対案などそう考えつくことができないのだが、それでも考えてみようとした。
 一つには、本人に費用が支払われ、その本人が介護者に渡すという直接支給(direct payment)の方式の提案があった。これは代替的な機構の提案だが、その背後には本人が管理することによって、時間あたりの単価を抑え、そして事務的な経費を――その部分を自分で管理し自前で行うことにより――少なくして介護を利用し、そのことをもって政策・財政側を説得しようという意図が――時間の査定に基いて供給が規定され、その分が支払われるという機構である限り、支払い方式を変えるだけではその実現に困難は残るのだが――あったはずだ★03。
 繰り返すが、利用者の側にとって譲れないのはなにより介助の時間、量であり、約30年をかけてようやく獲得してきたもの――いくつかの制度を組み合わせたとき最大1日24時間の公的な介護サービスを利用することがいくつかの地域では可能になっていた――を放棄することはまったく許容できないことだった。もしこの部分を切り捨て縮減して介護保険に吸収、あるいは介護保険的な制度に変えようとしたなら、強硬で強大な反対運動が確実に起こっただろう。もしそうなれば、それは介護保険(的なもの)に対する強い批判が存在することを社会に知らせることになったのだろうが、かつてと異なり厚生(労働)省と運動側との継続的な折衝・交渉の場は存在し、官庁の側も学習の機会はあったから、実際には大きな騒ぎが起こり社会の注目を集めるということにはならなかった。

■2 仕組み
 もう一つの、関係を契約として捉え、利用者が選択できるものにしようという流れについて。この主張自体は障害者自身の運動の中で現われてきた。「自立生活運動」の中で実際にその機構を提案し作っていくのは1980年代に入ってからだが、主張自体は遡れば1970年からあった。障害者の運動は、利用者側に選択の余地がないから供給者が利用者を気にする必要がなく質も向上しない、だから他のものを購入するときと同様に選べるようにしようという消費者運動でもあった。その後、1990年代になって中央官庁の方がそのようなことを言い出した★04。需要の絶対量の増加に対応するために、制度が存在しない部分で大きな役割を果たしてきた非営利民間の活動を含め、供給者を広くとった方がよい、広くとらざえるをえないという事情もあった。
 それまでは民間の自発的な活動と公的なサービスとは切れていた。つまり一方に公的なサービスとしてなされる部分があり、他方では、自己負担(家族負担)で利用料や会費を払って利用し、運営される民間非営利の(また営利の)組織・活動があった。その中の非営利の組織の多くは、事務局員も介護者も家族に別の収入源があって、その活動で生活を支える必要のない人が多数を占めることによって活動が可能だったのだが、むろんそれには限界がある。そして家族に依存せず、また依存できない障害者の組織においては条件はより厳しい。従来、ホームヘルプサービスについては実施主体である市町村がその事業を委託する組織が限られており、ごく少数の例外を除けば、障害者中心の組織がその委託先となることはなかった。介護者と利用者との媒介・調整を一つの事業とする自立生活センターは、生活保護の他人介護加算(利用者本人への現金給付)を、また(多くの自治体では制度的にはホームヘルプサービスの一部に位置づけられる)介護人派遣事業がある場合にはその制度により支給される介護費用の一部を運営にまわすことはできるにしても、それだけでは組織として運営していくのは難しい。それで交渉がなされ、東京都のように自治体が介護サービスを行う組織に対する財政的な援助を行った地域ではその活動はより容易になり拡大していったが、それ以外の地域ではやはり困難だった★05。
 それに比して、介護保険は、比較した場合の時間あたりの単価をみても、そう大きな規模で展開しなくても、大きな収入を得ようとするのでなければ、事業所を運営していけるだけのものを得ることができる。そして2003年からの支援費制度では、介護保険そのものが65歳未満にも適用されるのではないが、事業者との契約という方式については共通の方式が導入されることが次第に明らかになってきた。そこで、サービス利用者の意に沿うサービスを得るため/提供するため、そしてそうした事業を行う組織を運営し経営を維持していくため、自らが介護保険の事業者になる、あるいはそうした事業者を各地に増やしていこうという動きが出てくる。それは、非営利・営利のさまざまな事業者が事業を始め地歩を得て新規の参入が難しくなる前に、自らの位置を確保しておこうという動きでもあった。
 そしてそれは、供給について先行し資金的にもまた知識・経験においてもより有利な位置にある組織による、これからその事業を行うとする組織・人への支援活動としてなされた。地域間の大きな格差を縮小し、全国的なものにすることは以前からの課題だったのだが、介護保険の導入はそれを現実的なものにする機会とも捉えられ、また2003年からの制度変更を見込んだ活動を展開しようともしたのである。そこで、全国障害者介護保障協議会、全国自立生活センター協議会、DPI日本会議等が関わり、「2003年までに要介助当事者によるヘルパー指定事業者を全国300箇所に」という標語のもと、事業者の立ち上げと運営を支援する全国組織「自薦ヘルパー(支援費支給方式)推進協会」が2000年に設立された。この組織は、介護保険の介護をただ供給するだけでなく、自立生活運動の理念を共有し、障害をもつ本人が組織の運営を担うという自立生活センターの組織形態を有した事業者の設立を手助けする組織である。東京などの当事者団体のヘルパー委託事業や介護保険事業での収益などを集めて初年度予算3000万円で発足、その事業者になることを希望する人たちに運営方法についての通学と通信の両方を併用する研修のシステムを作り研修を実施し、各地での立ち上げ資金の助成も開始した。
 次に、これと並行して、利用者個人に対し、自分が選んだ人を介護者として簡単に登録できる仕組みを作り出した。すべての地域で介護保険の利用者だけを見込んだ事業所を立ち上げるのは難しい。しかし利用者は点々と存在する。そこでやはり2000年、「介護保険ヘルパー広域自薦登録保障協会」を立ち上げ、登録ヘルパーと呼ばれる仕組みを介護保険のもとでも実現しようとする活動を始めた。すなわち、全国の介護保険指定事業者を運営する障害者団体、上記した活動により設立される組織と提携し、介護保険を利用できる個々人に自分で確保した介護者を介護保険のヘルパーとして組織に登録してもらうという機構を作ったのである。介助者、介助時間帯や給与を自分で決め、介助者・利用者の登録をすれば、その日から介護保険の自薦介助サービスが利用可能になる。介助者は1〜3級ヘルパー、介護福祉士、看護婦のいずれかである必要があるとされたため、ヘルパー研修未受講者は3級研修などを受講する必要がでてくるが、受講料を広域協会が助成、また協会自らも研修を行いこの費用も助成した。2000年4月に東京事務所が開設され関東圏での利用が可能になった。同年7月には大阪事務所の活動が始まり近畿圏での利用が利用可能に、2001年には、九州・四国・中国・中部の一部の県で事業開始、2002年度には全国ほとんどの県で利用が可能になった。またこのシステムへの参加を自立生活センター(CIL)等介助サービス実施組織にも呼びかけた。対象地域のCIL等で介護保険対象者に介護サービスを行おうとする場合、研修を受けた介護者を介護保険の事業者に登録するとともに、コーディネイトの実質はその(事業者でない)CIL等の組織が行い、その組織はその費用を事業者から受け取るかたちをとった。
 事業者となる条件の緩和に関係する問題に資格の問題がある。あまり知られていないがこれは過去幾度も問題になってきた。そもそも自立生活と称される動きの中で、介護者はその利用者との関係の中で介護の活動に入ってきたのだし、自立生活センターによる介護者の派遣でも、その組織と利用者自身が介護者にすべきこと/すべきでないことを教えてきた。それが一定の資格を要するとなると、今までの介護者を使えないことになる。また、介護者が一定の資格をとること研修等を受けることを受け入れるとして、それを得るための講習を受ける時間と費用とを誰がどのように負担するのかという問題が現われ、それをめぐる交渉と双方の妥協が繰り返されてきた歴史がある。またその教育のあり方の問題も絡み、前述のように講習自体を自前で行うこともなされるようになった★06。
 以上、介護保険は障害者運動の主張でもあった契約を謳い、また供給者――この場に立つことによって利用者が利益を得ることが最終的な目的とされる――にとっては利益をもたらしうるものだったが、得られるサービスの少なさから否定される他ないものだったことを述べた。次節では基本的に同じ事態が、別の名前の制度において繰り返されたこと、あるいは新たに生じさせられようとしたことを見る。

■■2 支援費制度

■1 移行
 「障害者福祉」制度は、2003年度からの「支援費制度」に移行した。それは基本的には供給形態の部分的な変更であり、そして、介護保険的な形態の方を向こうとしたものだったが、それはさしあたり中途までしか実現されず、そしてこれまでに獲得されたものが混合され、さらにそれが制度のメニューに記載されることにより、結果としてその普及、普遍化という効果をある程度生じさせるものだった。
 この制度は、上記の直接支払いのあり方を一部とりいれる余地を含ませながら、実際には事業者に支払われる「代理受領方式」を基本とした。この制度で「身体介護」「家事援助」「移動介護」「日常生活支援」の4種類が立てられたのは、諸力の折衷あるいは妥協として捉えられるかもしれない。つまり、「身体中心」「家事援助」は、1時間あたりの単価にしても介護保険のサービスに近いものである。けれども、供給量の設定、そのための査定の機構は規定されなかった。次に、「移動介護」は「ガイドヘルプ」に対応するもので、障害者の運動が移動の権利を求めて視覚障害者の外出の同行に限られた制度からその範囲と量を拡大させてきたものである。これは介護保険にはない――介護保険では高齢者は移動しない人間であるかのように扱われている。そして「日常生活支援」という4つめのものが、各地の運動によって獲得されてきた「全身性障害者介護人派遣事業」に対応する。そのようにして、ひとまずこれまでの獲得物は残された、あるいは折衷された。
 介護保険のサービスを受けている人でも支援費制度のサービスを受けられる。今までも,例えば介護保険からの(例外的な)給付の対象とされた筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった難病で在宅で生活する人が、介護保険の訪問介護を受けながら、しかしこの病では24時間の介護が必要であるにもかかわらず介護保険では2時間ほどしか使えないのだから、東京都などで都の制度としての全身性障害者介護人派遣事業を利用しながら暮らしてきた。しかしそれは全国でごくわずかの人だけのことだった。それが、総体として量的な改善を指示するものではなく実施は市町村に委ねられるのではあるが、しかし制度のメニューには上記したものが並べられることによって、いくらか新規に実施されやすくなったために、自治体に実施させ、最大限活用しようという動きは出てくる。
 そして、この部分についても自由化の度合いが高くなったことにより、事業への参入がより容易になった。介護保険の事業者として事業を展開してきた組織が、支援費制度のもとでの事業も行なえることになった。このことにも伴い、他の組織や民間企業が参入をためらうような部分について事業体を作って、介護サービスの供給を行なうところが現れた。
 今回の支援費制度への移行においては、日常生活支援と移動介護だけを行う事業者について介護福祉士を置くことは必須としないといったところで収まったが、さらに深刻な問題は、吸引等、いわゆる医療行為とされる行為を、その家族は毎日行っているのだが、派遣される介護者はできないとされるという問題である。それに対し、どんな事業者から提供される場合でも一定の技術を有する介護者なら行えることを制度として認めさせようという運動と、現在でも法的に禁じられているとは解せないのだから、この種の介護を行なう事業者がそれを積極的に引き受けていくという動きと、両方が起こった。ALSの患者団体による厚生労働大臣宛の署名を集める活動がなされ、ヘルパーによる行為の解釈について一定の前進を得るとともに、他の事業者がなかなか提供しようしないこの種の介護を切実に必要とする人・家族が、自ら事業者となり組織を運営し必要な介護を提供していくことを始めた。そこでは介護保険外の制度も最大限に使い、吸引等いわゆる「医療行為」を含むサービスが提供されている★07。

■2 「上限問題」
 同時に、この制度は、介護保険の問題として指摘されたのと同様、量の改善を意図するものではなかった。当初はこのことについてはただ言及されないと思われていた。だが2003年1月9日、ホームヘルプサービスの供給に上限を設けるという情報が流れた。1人1日換算で4時間以上の利用については国庫からの支出を行なわないという基準を設定し、それを市町村等に伝えるという方針だったことがわかった。それ以上の必要については各市町村に委ねるというのだが、国の予算が出なければこれが実質的な上限になってしまうだろう。それに対して大きな反対運動が起こった。当時の報道や反対運動側からの文書等についてはホームページに掲載した。この出来事については岡部耕典の行き届いた記述・考察がある(岡部[2004])から、詳細はそれに譲り、以下やはりごく簡単に記す。
 この動きはそれまで積み上げてきたものを壊すものだった。運動の側は、厚生労働省でもとくに直接折衝にあたる職員に状況を理解させ、サービスの拡大を支持する発言を引き出し、それを自治体との交渉においても利用してきた。このことを知らないか、あるいは知って無視するか、両方があったはずだが、上限の設定は省庁内で上から指示された方針とされ、利用者側には知らされずに決まった。むろんいずれは知られることだったが、その時の反対についての予想は十分でなかったようだ。起こったのは大きな反対だった。それは、さきに介護保険開始の時に吸収をはかろうとしたら起こったかもしれないと述べた「強硬で強大な反対運動」が現実のものになったということでもある。
 DPI日本会議、全国自立生活センター協議会(JIL)、全国公的介護保障要求者組合、全国障害者介護保障協議会による支援費制度全国緊急行動委員会、そして日本身体障害者団体連合会(日身連)、日本障害者協議会(JD)、全日本手をつなぐ育成会(育成会)が交渉団体となり、連日、16日には1000人、厚生労働省の前に人が集まり、交渉を行なった。
 新聞も『毎日新聞』が継続的に追及したのをはじめ、各新聞や放送局が報道した。また『新潟日報』『毎日新聞』『朝日新聞』『神戸新聞』が厚生労働省を批判する社説を出し、NHK教育の番組でも取り上げられた。1月27日、上限は作らない、現状サービスは原則確保、今後のことは利用当事者を入れた「障害者(児)の地域生活支援の在り方に関する検討会」で再検討といった線で、ひとまず事態は収まった。だがこれは問題が「解決」したことを意味しない。反対した側から見れば、とりあえず最悪の事態をしのいだ、と言う方が当たっている。この問題だけでなく、「地域生活支援事業」の一般財源化等々、多くの問題が残された。
 事前に情報が伝わらず、支援費制度への移行は量の問題に手をつけないまま形態の一部を変えるだけのものと受け取られていたから、この出来事は不意打ちだった。しかし同時にそれは、以前より予想、懸念されていたことでもあった。つまりこれまでの運動は、可能なところで、直接交渉により実質的な拡大を実現させてきた。そこに一律の「客観的」な規準があったわけではなく、地域による格差があったのもまた事実ではある。運動は、各地で制度を作らせ、拡大しようとしてきたのだが、しかし、さきに述べたように、同時に懸念があった。この状態がいつまでも続くだろうか、財政が問題にされ、「公平性」が理由にされ、規準を設定しようという動きが現れるだろう、具体的にはそれは介護保険との関係において現れるだろう、それにどのようにか対応せねばならないという意識はあった。何もかも足りないが、うまく働きかけ交渉すれば獲得は可能であり拡大は可能であるという輝かしい動きがいつか妨げられ、介護保険への吸収はいったん避けられたにしても――そしてそれは障害者の側の運動の成果というわけではない――厳しい時期が訪れるだろうと予感されていた。これがこの時期についに、同時に不意に、現れた。

■■3 状況と今後

■1 状況
 こうした一連の動きは何を意味するのか。立ち入った検証が必要でもあり、時間が経過しないとわからない部分もある。他方、政策側にしても、よく考えた上で戦略的に振舞っているとも思えないところがあり、あまり深読みしても仕方がないようにも思える。
 まず行政、とくに財政の側においては、「身体障害者福祉」固有の問題としてこれが問題にされたとはあまり見えない。むしろそれは介護保険の見直しの一部に組み込まれている。そしてこの間の事態の変化も、その方向に促すものと理解されることになった。
 まず言われるのは、介護保険でのサービス利用の増加、支出の拡大である――「予想以上」だったと言われるが、それは予想が間違っていたということだ。財源不足が懸念され、保険料を払う人の年齢を現在の40歳から引き下げようという意向があり、そのためには若い人でも介護保険のサービスを受けられるようにした方が納得を得られやすいとされた。保険料徴収年齢を20歳に引き下げたいとの意向は、厚生労働省が上限案をひとまず取り下げた昨年1月28日の3日後、1月31日の新聞に既に載っている。以後この種の議論は各所で反復されることになる。このことを含んだ既定の路線があり、量的な上限を設定した上での支援費制度の導入自体もその一環だったという解釈もありうる。
 ただこのような介護保険の運営側からの都合だけであったのでもなさそうだ。統合するにせよしないにせよ、かたちとして整ったもの――と施策側からは見えるもの――の方にもっていこうという動きはあった。例えば介護保険開始の前後、やはり反対にあって実現はしなかったものの、ケアマネジメントを導入しようとしたことがあった。これは介護保険にケアマネジメントが置かれたのだから「障害者福祉」においてもそれを置かなければという、そしてその際にいくらか「障害者福祉」に固有のものを、その「専門職」の仕事を、という思いがあって、中央官庁の障害者福祉関連の部局で検討されるようになったようだ★08。官庁の中でも、高齢者と別の制度という方に向かう傾向と、統合に行こうとする傾向と双方があり、将来的な介護保険への吸収のためであるのか、あるいはそれを懸念してのことであるかは分かれるものの、双方ともが介護保険のような機構の導入に向かってしまう。行政側、あるいは従来の供給側の発想としては、それで当然であり、なぜそこに問題があるのか飲み込めないといったものであったはずだ。そしてそれは、利用量の増大が現実になれば、さらに当然のこととして主張されることにもなる。そして財源論から、介護保険との統合の方に傾くことになる。
 運動は各地に突出した部分を作り、広げてきた。その事実が存在し、そしてその積み重ねによって、裾野もまた広がるとも考えられたし、また重度の障害があって、介護を多く必要とする人の地域での生活こそが主要な目標でもあったから、それは当然のことである。支援費制度への移行は、従来の発想と機構とを本質的に変更するものではなかったが、こうして運動が獲得してきた部分がメニューの中には示されることにはなる。今まで気がつかなかった人もサービスがあることに気がついて使ってみようと思う。それで供給は増えることになる。行政・財政側が拡大を意図したとは考えられない。ただ上限を設定しようとしたのだから、その可能性が気にはかかってはいたかもしれない。さらに2003年1月の騒動にもある種の宣伝効果があったのかもしれない。実際、2003年度、516億円の予算に対してホームヘルプサービス等について約100億円の不足の見込みが伝えられた。それで厚生労働省は一時ホームヘルプサービス単価等の改訂案を示した。これは反対に会って白紙撤回となった(12月17日)が、財源の確保が困難であり、それへの対応が必要であることが強調される。するとその財源が問題だということになり、その財源は介護保険だということになる。「上限問題」の後に設置された上述の「検討会」では9月に介護保険との統合が話題として出ている。
 他方、「福祉推進」を謳う自治体の首長の側にも財源の確保のためには介護保険に乗るのがよいという論調が出てきた。2003年2月には「改革派」の知事たちが障害者福祉を考える催し「アメニティフォーラムinしが」のシンポジウムに集まった。参加したのは、滋賀・国松善次、三重・北川正恭、宮城・浅野史郎、千葉・堂本暁子、鳥取・片山善博、岩手・増田寛也、熊本・潮谷義子。4月からの支援費制度導入を踏まえ、2005年の介護保険見直しで、障害者を対象に加えることを7知事がそろって主張した(ただ片山知事は本来税金を充てるべきと述べたという)。中央官庁の動きとこうした知事たちの主張との間の直接の関係はないとしよう。ただ、このままでは障害者関係予算の維持は難しいといった情報は提供されているはずであり、地方財政の観点からはこの方向を受け入れた方がよいという判断はあるだろう。これらの議論においても、また「障害者福祉」の政策側からなされている議論全般でも、現行の介護保険における問題点をある程度自覚しながらも、「いいとこどり」すればよいという話になっている。つまり、介護保険と別の制度も存続させ、それを併用すればよいと言われる。

■2 今後
 今後事態がどのように推移するかは、書いている時点(2004年1月)でわからない。少なくとも私の知る限りの障害者団体は賛成していない。ただこのままでは財源が確保できないといった言われ方がされるから、議論自体を拒否するのも難しいように思われる。厚労省障害保健福祉部は、8団体(前出の日身連、JD、DPI、育成会の他、日本盲人会連合(日盲連)、全日本ろうあ連盟、全国脊髄損傷者連合会合(脊損連)、全国精神障害者家族会連合会(全家連))に介護保険に関する「勉強会」を継続的に行なうことを呼びかけ、2004年1月29日にはその最初の回があった。
 2003年の1月、誰の目にもはっきりと見えたのは、ここ十年ほどの間に進行してきた運動側の配置の変化である。つまり旧来の団体との比較では、批判派であり少数派でしかなかった運動体(このとき「行動委員会」に連なった諸団体)が主導権をとり、旧来の大規模な組織と折衝しつつ、後者もその方針に乗るというかたちになった。そして、これらの勢力が交渉の前面に出ることは、ときにそれらが妥協の主体にもなりうるということであり、これらの組織がさらに原則的な批判派から批判されうる存在ともなったことを意味した。この意味でも運動体は厳しい立場に自らを置かざるをえないことになった。上記の「勉強会」についても、障害者の団体でなく、障害者の家族の団体の方が参加することの正当性がどこにあるかが問われて当然であり、また実際に問われてもいる。
 むろん、介護保険と別の制度との並存を認めるか認めないか、それが具体的にどのようなものになるか等でまったく事態は変わってくるのだが、例えば介護保険の規準とそれに基づくアセスメントを受け入れたとして、それがなされ、それで決定された量にさらに上乗せを行なうといったことが可能なのか。(むろん自治体が独自に行なうのはかまわないと国は言うだろうが、国からの支出がなければその実現はきわめて難しい。)ヘルパーの資格の問題、自己負担の問題、等々もある。少なくとも既存の制度が存在し、事態の改善に結びつきそうにない身体障害者の団体は、賛成することにはならないだろう。
 ただやっかいなのは、世の中では介護保険的なものの方が当たり前になっているということだ。これに対して障害者の側は二つのことを言ってきた。一つ、高齢者が必要とするものと障害者が必要なものとは違うと言った。一つ、高齢者に対する介護保険の発想が間違っているのであり、むしろ、障害者に対するサービス(のあるべき方向)に合せるべきだと言った。新聞などで短く報道される時には前者が言われる。しかし、これは基本的には間違っているだろう。例えば、障害者には「社会参加」の必要があるが、高齢者はそうでないとは言えない。同じ状況に置かれた二人の一方が高齢者だから水準が低くてよい理由はない。だから正論は後者の方である。介護保険の水準をあげるべきなのである。しかし、介護保険は巨大な制度として既に存在し、さらにいま言われているのは供給の増大をどう抑えるかである。このときに介護保険の方が過小な制度なのだと言い、自らの主張を通していくことは困難に思える。2003年1月の出来事について、利用者側の肩を持ちつつもなにか及び腰の報道機関の姿勢にもそれは現われていた。現在、この議論に巻き込まれてしまった人たちの鬱々とした感じはここに存している。
 それでも、限られた年代の人たちからのごくわずかな保険料を半分の財源として始めたこと自体が間違っていると言わなければならない。財政的に不可能ではないかと言われ、多くの人は非現実的だと思っているのかもしれないが、可能であり現実的であることを言うことになる★09。
 まず家族やあるいはボランティアがしてきた介助を「社会化」し、公的な制度のもとに置くことにしても、それは担い手が変わるだけで、社会的な負担は増えもしないが減りもしない。次に、高齢化で介助を必要とする人が増える、少子化で介助する人は少なくなると言う。少子・高齢化は事実だとしよう。しかし、ごくごく簡単に言い切ってしまえば、働ける人は現在も余っており、将来も足りないということはない。そして介護サービスという財は、より多く欲せられる財、供給されれば供給されただけ消費される財でなく、医療保険と同様に、むしろ医療保険よりも正当な理由によって、査定は必要なく実際の利用に応じた支給でかまわないのだと言うことになる。そしてこのことを言う際には、利用者でありかつ供給者という自らが今までとってきた戦略との整合性が問題になり、場合によってはこの部分について再考を迫られることになるかもしれない★10。これらのことを、さらにそれに加えて言うべきことを言わなければならないだろう。介護制度を要求してきた側は、もう少し既成事実として各所での制度を作ってからと思っていただろう。しかし表舞台に上がらせられてしまった。となれば、一つには、正面からの論議が避けられない。
 そしてまた具体的なこと、例えば現在の介護保険の機構では、短時間の訪問介護を巡回して行なうことが前提になっている。だから月30万円以上のお金も1日2〜3時間にしかならない。その時間単価をそのまま積算し24時間にすればそれはたしかに相当の額になるが、長時間の滞在型の場合には、計算も異なってくることも言えるだろう。
 それにしても、そうした議論がどこまでできるか、また通じるかが案じられ、やはり暗い気分は拭いきれない。現実がどの辺りに落ち着くかわからない。ただ一つ、繰り返すが、この数十年の介護の水準を引き上げていく動きはとても大きなものだった。ある人たちはそのために誇張でなく人生を賭してきたのだし、それでようやく地域で生きていける人が現れてきて暮らしている。その人たちは引き下がれないし、引き下がらないだろう。そのことが、この困難な場所からの前進を実現させる可能性を示している。



★01 本章で言及するのは、筆者自身の文章を含め、一般的なメディアではあまり知ることのできないものが多い。ホームページhttp://www.arsvi.comで「介助・介護」のファイルからリンクされているファイルをご覧いただきたい。なおここで言及する運動・活動・生活においては「介助」の語が用いられるのが一般的だが、本稿では高齢者福祉で一般的な「介護」の語を使用することにする。また本章は2002年11月に書かれた[2003](著者による文章については、本文・注では著者名を略す)を下敷にしているが、その後にあったことについての記述を増やし、同時に、紙数の関係もあり、事実の記述以外の部分を全て略した([2003]はホームページに掲載)。
★02 以下でおもに念頭におかれる組織は運動団体では「全国障害者介護保障協議会」。この組織が厚生(労働)省との交渉にもあたった。またこの組織は情報収集・提供のため組織「障害者自立生活・介護制度相談センター」とも連携している、というより、2つは1つの運動体の2つの側面と見てよい。また、障害者自身が運営の中心となって介護サービスも含むサービスを提供する組織としての「自立生活センター」の全国組織「全国自立生活センター協議会」(cf.[1995b])も当然この間の動きに関心をもってきた。また障害者の権利擁護の活動に取り組む「DPI(障害者インターナショナル)日本会議」も発言を行ってきた。他にいくつかの活動目的別の組織が以下に出てくるが、以上そして以下は、その主張においてもまた関わっている人についても大きく重なっていることを記しておく。そして私は、こうした動きについて過半は傍観者的な観察者だったが、ときにはもう少し近くで考えたことを述べたり書いたりもしてきた。
★03 いくつかの国におけるこの方法の実際の報告としてヒューマンケア協会[1999]。
★04 多く意見が一致しない利用者側と行政の両者がなぜ同じようなこと、少なくとも同じように見えることを言うことになったのかはそれとして興味深い主題であり、利用者と直接の供給者とそして負担し支出する側の三者――それぞれの内部も一様ではないのだが――を考えるべきだとし、[2000b→2000d:356ff]で検討した。この三者の違いは、例えば後述する資格をめぐる問題にも関わってくる。
★05 これらの制度について、自立生活センターについて、センターに対する助成について、ただし1995年までに限られるが、[1995a][1995b]。自立生活プログラムと呼ばれるプログラムや相談の活動については、「市町村生活支援事業」が国の制度として(実施主体は市町村)1997年から開始され、この事業の受託団体になれば活動に財政援助が行われることになった。ただこれは介護等の直接サービスについての援助ではない。この制度については[1997]。
★06 利用者による直接の選択が不可能な場合あるいは効果的でない場合、提供されるサービス(の提供者)の品質保障のための一つの手段として資格の付与が有効で必要とされる場合はたしかにある。そして政府がそれに責任を有するとき、その自由化に慎重になるという事情は理解できなくはない。そしてもちろん、技術は必要な場面では必要であり、危険に対する対応も必要である。しかし技術水準を維持し、危険を避ける方法は資格の付与だけではないし、また現在の資格付与/剥奪のあり方が有効であるかどうかも疑わしい。さらに、供給側の利害が関わる。資格を有する人材を育成し輩出することを仕事とする教育機関やその資格を有する人たちの集まりでは自由化・緩和は歓迎されず、それはその教育や職業に関わる学問にも影響するだろう。ここでも供給者の利害は利用者の利害と一致しない可能性がある([1999][2002])。
★07 [2002-2003]の途中(第4回)からALSの人たちのことについて書いた。書き直し書き足して2004年内に1冊の本(立岩[2004b])にする。
★08 これに対して障害者運動は、英国では財政縮減の手段としてそれが使われ、現場のマネージャーは利用者と行政当局の間で板挟みになっているという事情を知り(cf.[1998]、ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998])、またケアマネジメントのあり方について当時日本で出された報告書にいくつも問題があることを知って、それに反論し、別のものを提案しようとした(中西・立岩[1998])。
 結局、介護保険におけるケアマネジメントは機械的な判定によって供給の枠が定まった上での調整の仕事でしかなかったから、ケアマネジメント自体はそう心配のしようのないものだった。また、「障害者福祉」については、要介護認定とそれにともなうサービスの配分という機構が今のところは設定されていないから、マネージャーと呼ばれる人とその職域が設定されることにならなかった。ただ、厚生労働省における検討委員会、国から試行事業の指定を受けて検討した東京都などの自治体における検討委員会の議論で、ニーズの測定と供給量の決定、専門家の介在と指導に対する強い懸念・批判が示され続けたことは、介護保険のケアマネジメントに対応するものが障害者の介護施策では設定されなかったこと自体をも含め、一定の影響を与えただろう。また、利用者個人がすべてを管理する――前述の「直接支払い」はそれによく適合する――のでなけれはどのように利用者が介護を利用するのを支援するのかという問いに対して、障害者の運動は自分たちが行なうのだと答えるのだが、それを現実のものにするためのプログラム、ハンドブック(ヒューマンケア協会[2002])の作成等に取り組み、そして実際に作り出すことにつながった。
★09 判定の基準設定のさまざまな問題点はさまざまに指摘されてきたが、こうした判定とそれに応じた基準の設定自体は当然のことと捉えるのが普通かもしれない。だが必ずそう考えなければならないだろうか。運動はその可能性を考えることにもなった。利用に応じた、あるいは申請に応じた支給を主張することは不可能ではない([2000b→2000d:292-297]第7章4節8「判定から逃れようとすること」)。ただ、供給側には多く供給したいという動機がある場合がある(医療保険についてもそうした傾向はある)から、これをどう処理するかという問題は残る。この視点から、利用者主体の供給組織というあり方について、その基本的な主張は維持しつつ、供給側の利害による利用の膨張の可能性をどのように抑えるか、その方法を工夫する必要があるかもしれない。
★10 以下について[1995a][2000a][2000c][2004a]等。

文献(*はホームページに全文を掲載)

安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』,藤原書店
平岡 公一(研究代表者) 2003 『高齢者福祉における自治体行政と公私関係の変容に関する社会学的研究』,文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書(研究課題番号12410050)
◆ヒューマンケア協会 1999 『当事者主体の介助サービスシステム――カナダ・オンタリオ州のセルフマネジドケア』,編集:鄭鐘和 発行:ヒューマンケア協会・日本財団
―――――  2000 『セルフマネジドケアハンドブック』,ヒューマンケア協会
◆ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会 1998 『障害当事者が提案する地域ケアシステム――英国コミュニティケアへの当事者の挑戦』,ヒューマンケア協会・日本財団
◆中西 正司・立岩 真也 1998 「ケアコンサルタント・モデルの提案――ケアマネジメントへの対案として」,ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998]
中西 正司・上野 千鶴子 2003 『当事者主権』,岩波新書
◆岡部 耕典 2004 「支援費支給制度における「給付」をめぐる一考察――「ヘルパー基準額(上限枠)設定問題」を手がかりに」,『社会政策研究』4
立岩 真也  1995a 「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」,安積他[1995:227-265]
◆―――――  1995b 「自立生活センターの挑戦」,安積他[1995:267-321]
◆―――――  1997 「「市町村障害者生活支援事業」を請け負う」,『ノーマライゼーション研究』1997年版年報:61-73*
◆―――――  1998 「ケアマネジメントはイギリスでどう機能しているか」,『ノーマライゼーション 障害者の福祉』18-1(1998-1):74-77*
―――――  1999 「資格職と専門性」,進藤雄三・黒田浩一郎編『医療社会学を学ぶ人のために』,世界思想社,pp.139-156
◆―――――  2000a 「選好・生産・国境――分配の制約について」(上・下),『思想』908(2000-2):65-88,909(2000-3):122-149
◆―――――  2000b 「遠離・遭遇――介助について」,『現代思想』28-4:155-179,28-5:28-38,28-6:231-243,28-7:252-277→立岩[2000d:219-353]
◆―――――  2000c 「多元性という曖昧なもの」,『社会政策研究』1:118-139
◆―――――  2000d 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』,青土社
―――――  2002 「だれにとってのなんのための、資格?」,『ばんぶう』2002-06(日本医療企画)*
―――――  2002-2003 「生存の争い――医療の現代史のために」(1〜14),『現代思想』30-2(2002-4):150-170,30-5(2002-4):51-61,30-7(2002-6):41-56,30-10(2002-8):247-261,30-11(2002-9):238-253,30-12(2002-10):54-68,30-13(2002-11):268-277,30-15(2002-12):208-215,31-1(2003-1):218-229,31-3(2003-3),31-4(2003-4):224-237,31-7(2003-6):15-29,31-10(2003-8):224-237,31-12(2003-10):26-42
―――――  2002- 「生存の争い――医療の現代史のために」,『現代思想』30-2:150-170,30-5:51-61,30-7:41-56,30-10:247-261,30-11:238-253,30-12:54-68
―――――  2003/03/00 「障害者運動・対・介護保険――2000〜2002」,平岡他[2003:79-88]*
◆―――――  2004a 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店
―――――  2004b 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院

注記:この章は2004年2月に書き終えられ、その内容を変更していない。その後の動きについては、「障害者自立支援法、やり直すべし――にあたり、遠回りで即効性のないこと幾つか」という文章を『精神医療』(批評社、2005年7月)39号に書いた。この文章は、やはり内容を変更しないまま同じ題で、岡崎伸郎・岩尾俊一郎編『「障害者自立支援法」時代を生き抜くために』(批評社、2006年2月)に再録された。また、ホームページhttp://www.arsvi.com/に関連情報を掲載している。併せてご覧いただければありがたい。


UP:20040203 REV:20070311
介助・介護(支援費制度/介護保険 …)  ◇支援費制度  ◇公的介護保険  ◇立岩 真也 
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