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抗する側に道理はある

立岩 真也 2004/04/05
『われら自身の声』20-1:6-7(DPI日本会議


  *この文章は、注を付した上で『希望について』(青土社)に収録されました。買っていただけたらうれしいです。


 ◆この問題については既にいくつもの組織の見解が示されている。DPI日本会議からも出ている。それらはおおむね反対論か強い慎重論をとっている。私はそれに同意見で異論がない。つけ足すことはほとんど何もない。つまりいまの介護保険への統合には賛成できない。その制度では暮らすには足りないからだ。別の制度をつけ足せばよいとも言われるが、本当にそれが後退を帰結しないことが明らかになるまで、その案に乗る必要はない。いま制度の変更に乗らなければ制度が後退してしまうという話もそのまま受け入れない方がよい。以下、いくつか言うまでもないことを確認し、いくつかの論点について付記する。

 ◆この国の障害者運動は、ともかくいくつかの地域で、最も多く介助を要する人でも、一人で、地域で、暮らせる制度・仕組みを作ってきた。これは、一定以上の人口を抱えている国としては世界的にも例のないことだと思う。それほど大きな勢力ではなかった運動が現在を作ってきた。生きている人たちの、もう亡くなった人たちの、どれほどの運動、交渉の積み重ねがあったか。これは偉大な成果だと掛け値なしに言える。これからの運動もここから出発するのだし、ここから自信を得て動いていくはずだ。

 ◆さて、その道のりはとても困難ではあったが、後退することはなかった。しかしそのうち供給の規準を設定するという動きが現れるだろうとは予想されていた。また2000年の介護保険の登場の時にも統合論があった。そして今回の動き。これはあまりに急だが、予想されていなかったことではない。運動の側は何もしてこなかったのではない。何をしてきたかを後にあげる文章に少し書いたが、一つに可能なところまで制度を拡大してきた。これは上限・規準の設定を言わせるものでもあるが、しかし、ここまでは必要であり、また供給も可能であることを、現実によって知らせることでもあった。この場所から言っていく、後退する必要がないという自負がそこで得られた。

 ◆ただ相手はたしかに既成の、巨大な制度である。どう言っていくか難しくはある。ただ私は、障害者の必要は高齢者と違うという言い方はあまりしたくない。介護保険そのものを変えるのが難しいから、高齢者は高齢者で介護保険、障害者は障害者という言い方になりがちな事情はわかる。だが、例えば障害者には「社会参加」の必要があるが高齢者はそうでないとは言えない。基本的には、介護保険の方が間違っていると言うしかない。どれだけの人がそれを本気で聞いてくれるかは心配だ。しかし現在の介護保険に満足できない人も相当いるのだから、そこには届くはずだ。

 ◆そして、やはり基本的には、財源がないなどと冗談にでも言うな、と言うことだ。一人ひとりが生きるために必要なものがあり、その水準をそこそこに揃えることは社会の義務だと考える。次にそのために一人ひとりで異なる手立てがいる。それを分配すること、分配するために徴収することが社会的義務になる(拙著『自由の平等』、岩波書店)。私は、極論すれば、政府は他のことはしなくてよいと考える。そして介助はそうした手立ての最も大きなものの一つである。むろんこの考えに賛同しない人もいる。しかし少なくとも「特別扱い」という誤解を解くことはできる。誰でも必要なものをほぼ同じだけは得てもよい、そのために必要なものが個々で違うというだけのことだ。憲法が好きな人は、そこに書いてあるではないかと、憲法を引き合いに出してもよい。それを盾にして裁判を起こすという手もあるだろう。

 ◆そして実際、必要な予算規模は、数字を眺めて見ても、たかがしれている。ただ再考してよい部分もないではない。現在の介護保険では短時間の訪問介護を巡回して行なうことが前提になっている。だから月30万円以上のお金も1日2〜3時間にしかならない。その時間単価をそのまま積算し24時間にすればそれはたしかに相当の額になる。だが長時間の滞在型の場合には計算も異なってきてよい。このところ障害者の運動は利用者であるとともに供給者になろうとし、運動体は介護保険の事業者になることによって(以前に比べれば)潤ってきたところがある。ただ、どちらを優先するかとなれば当然利用者側の利害だから、お金の使い方の変更のことは考えてよいだろう。

 ◆サービス供給に規準があるのは当然、と言われる。たくさんいると言いさえすればたくさん取れるならきりがない、不公平が生ずるではないか。こう言われるともっともな気がする。しかし医療保険は出来高払いである。そして介助には医療よりむしろ利用が膨張しにくい性質がある。1日は24時間でそれ以上長くはならない。多くの人にとって介助は必要だが多いほどうれしいというものではない(拙著『弱くある自由へ』、青土社、292-297頁)。

 ◆紙数が尽きた。ホームページに情報を掲載している。またここ数年間を簡単に追った「障害者運動・対・介護保険――200〜2003」という文章が、そのうち出るだろう平岡公一・山井理恵編『介護保険とサービス供給体制――政策科学的分析』(東信堂)に収録される。その草稿もホームページにある。また、岡部耕典の「支援費支給制度における「給付」をめぐる一考察――ヘルパー規準額(上限枠)設定問題」を手がかりに」が有益。これが掲載されている『社会政策研究』第4号(東信堂)は当方より発送できる。(2200字 了:20040406)

■この文章への言及

◇立岩 真也 2020/06/08 「制度を使う・1――新書のための連載・5」,『eS』013


UP:20040406
障害者と政策  ◇介助(介護)  ◇DPI日本会議  ◇立岩 真也
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