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ALSの本・1

医療と社会ブックガイド・44)


立岩 真也 2004/12/25 『看護教育』45-11(2004-12)
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  この11月、「ケアをひらく」シリーズの一冊として、医学書院から本を出してもらった。『ALS:不動の身体と息する機械』(449頁、2940円)。書ききれなかったことは多くある。けれど、他の私の(単著の)本は、できればどうぞくらいだが、この本は読んでほしい。前々回前回と「死/生の本」だったが、その主題にも、直接に、直線でつながっている。
  筋萎縮性側索硬化症(ALS)はこのごろテレビなどでもよくとりあげられる。全身の筋肉が徐々に動かなくなっていく病気で、今のところ原因はわからず、よく効く治療法もない。そのうち肺を動かす筋肉も弱くなり呼吸が苦しくなるから、生きていくには人工呼吸器が必要になる。全国で約6千人のALSの人がいると言われる。
  とくにこの本は、伝えたく、知ってもらいたいから書いた。また、自分でもわからず、腑に落ちず、知りたいことがあって書いた。
  知りたいことは幾つもあったが、一つには死ぬほど辛い病があるかを知りたかった。ないと言えるようにも思ったが、ただ乱暴にそう言っても仕方がないと思った。ALSは数ある病気の中でもとりわけ大変そうな病気だ。だからALSのことを知りたいと思った。
  そして、関連して、ALSの人に多く呼吸器を付けないで亡くなる人がいる。なぜか。またそれはすなおに考えれば、自死である。だがそう受け取られず、「自然な死」などとされるなら、なぜか、それでよいかを考える必要もある。
  次に、この頃ますます「中立」が言われる。「カウンセリング」でも「ガイドライン」でも、なんででも、医療者の権威主義の反対は不偏不党、中立だとされる。それが当然のことになっている。しかしそれでよいか。
  他にもある幾つかの問いの中の幾つかについては答が出たと思う。発見もあった。それを書いた。本の方を読んでいただきたい。
  ここでは、私が読んだもののいくつかを取り上げる。いつもは、ほとんど人の議論を参照せず、独善的な文章を書いている私だが、こんどのは違う。400字詰850枚の過半を引用が占めている。528の引用に通し番号がついている。私のぐねぐねした文章に読者はあまり悩まされずにすむ。これはこの本の長所の一つだ。だが、むろん自分の文章を減らすために引用を増やしたわけではない。引用すべきだと思って引用した。

◇◇◇

  文献表に出てくる文献は約600点。学術論文はほとんど使っていない。このリストもホームページに掲載してあるが、それと別に、ALSに関わる単行本だけのファイルもある。40冊ほどの単行本が手元にある。その多くはALSの人自身によって書かれたものである。自費出版のものなどまだ他にもある。手を尽くせばもっと集めることができただろう。しかしこの度はこの辺りにとどまった。私が入手できた本の多くも絶版になってしまっている。闘病記専門の古書店「パラメディカ」(ネットで注文できる)で買ったりした。
  ALSになると、指にしても眼球にしても体を動かすのが大変で時間がかかる。だが、他のことをするのはさらに難しいあるいは不可能で、考えたり書いたりに多くの時間を費やすこともできる。まずそれを読むことだと思った。
  知っている人は知っていることだが、その本の何冊かは静山社から出されている。この出版社を始めたのが松岡幸雄で、彼は後述の川口の本を出したのがきっかけでこの世界にのめりこみ、日本ALS協会の事務局長として手弁当で仕事をし、貧乏して、1997年に58歳でガンでなくなる。会社を引き継いだのが妻で同時通訳者をしてきた松岡佑子で、夫の死後読んだ「ハリーポッター」の翻訳権をとり、出版した。以後のことはご存知だと思う。それまでの何千倍なのか何万倍なのか、静山社の本は売れることにはなったのだが、静山社のホームページのトップにはALS協会へのリンクがあり、以前出版されたALSの人たちの本も紹介され販売されている。
  川口武久は(多分世界中の)ALSの人の中でも最も多くの文字を記した人だと思う。彼が書いた本は4冊、表紙写真をあげた『しんぼう』(1983)。『続しんぼう――生きて生かされ歩む』(1985)。これも静山社。そして『ひとり居て一人で思う独り言――筋萎縮性側索硬化症と闘う』(1989、一粒社)また、小説として『菊化石――筋萎縮性側索硬化症との日々』(1993、創風社、1529円)。いま買えるのは1冊目と最後の小説だけのようだ。
  1冊目の本には1973年に発症、4年後の77年にALSと知った経緯、その後のことが書かれ、82年に「ホスピス」のつもりで松山ベテル病院に入院したあたりまでが書かれている。さらにその後の本と合わせて読むと、また他の文字資料を合わせて読むと、1994年になくなるまで、当初自らが思っていたより長い時間を生きたその間に考えたことや行なったことを追うことができる。
  私はそこにとても大切なことがあると思った。それで、今度の私の本は全部で12章あるのだが、その第6章と第7章、2つの章全部を、川口の本からの引用と、そこに書かれていることから言えることを記すことに充てた。
  彼は進行の遅い方の人で、人工呼吸器を付けなくては生きていけなくなるまでの時間が、本人の予想に反し、長かった。その間ずっと考えた。彼は、自分の言ったことを自分で否定し、しかも否定する方に理があることがわかっていて、それを願う思いがあって、しかし自分の言うことを通した。
  具体的にしよう。彼が自分で言ったこととは「人工的な延命」の拒否である。彼は生きるのを拒否し、そしてその拒否がおかしいことがわかり、また自らも生きたいと思い、しかしやはり拒否して、呼吸器を付けずに呼吸不全でなくなった。彼の文章を読んで思うのは、わたしたちは、いったい何がわかってものを考え、言っているのだろうかということである。
  本人のあり方に他人が介入できるのは、その人の意識が不明であったり病んでいる時だと言われる。しかし彼ははっきりものを言い、意識は錯乱していない。ならば、本人の言うその通りにというのが昨今の流れだし、また、川口自身がそのことを記している。
  だが、川口が書いた最後の本は小説だったのだが、その主人公は、呼吸器を付けないと言いながら、意識のない時に呼吸器を付けられ、そしてそれを肯定することになる。これはどういうことだろう。こんなことを考えないことには、考えたことにならない。私はそう思い、川口の文章を追っていった。

◇◇◇

  「日本ALS協会」で静山社の元社長が働いたことをさきに記したが、川口はその最初の会長だった。ALSの人が書いた本は『しんぼう』以前にもあったのだが、川口が本を出そうと思ったのには、同じALSの人たちがつながりを作れたらよいという思いがあった。それで本を取り上げてもらおうとしたし、そのかいもあって、取り上げられ、それが大きな役割を果たしたことを幾人もの人が記している。そんなことがきっかけにもなって、1986年に日本ALS協会(JALSA)が設立された。川口は、1年だけだったがその会長をつとめた。
  そしてその後、2003年までの長い間会長を務めたのは秋田県大潟村の松本茂だった。1983年に発症、87年、ALS協会の会長に就任した年に気管切開、89年に人工呼吸器装着。その著書が『悪妻とのたたかい』で、やはり静山社から刊行された。これは川口の本とはまた趣が変わっていて、簡単に言ってしまえば、明るい。彼はあっさりと――と自身が言うより複雑なものがあったらしいことも、その本に収録された別の人の文章からはうかがわれるのだが――呼吸器を付ける。これは川口と松本の二人の間の性格の違い――それはあるだろう――というだけでない違いで、それをどう解したらよいのかを考えてみることもできる。
  そして、とくに役職者を並べようというつもりはないのだが、もう一人。松本に代わり2003年から東京都の橋本みさおがALS協会の会長をしている。彼女の、正確には彼女の介助者たちの集まりから始まった「さくら会」のホームページに彼女の文章が多く載っている。それを読んで、これはすごい、と1999年に思ったことも、ALSのことを調べねばと思った理由の一つだ。彼女の文章は前の二人の男たちと違ってまたおもしろく、そして重要だ。今度の本で川口の文章の次に多く引用しているのは橋本の文章からである。


川口 武久 1983 『しんぼう――死を見つめて生きる』,静山社,270p. \1325 [amazon][kinokuniya]

松本 茂 19950901 『悪妻とのたたかい』
 静山社,318p. ISBN:4-915512-32-0 1800 [amazon][kinokuniya] ※


UP:20041103 REV:1109(誤字訂正)20100914
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