言語的・文化的少数派という存在は知られるようになったとして、ではその人たちはどうして生きていったらよいか。思想する相手を知らないまま思想が語られることがある。すると思想も弱くなり空疎になる。上農正剛『たったひとりのクレオール――聴覚障害児教育における言語論と障害認識』(ポット出版)から考えることがたくさんある。
医療に人が取り込まれることは言われてきた。ただそれだけでない。放逐される。そして両者は、また「尊厳死」も、別のことではない。いま広範に起こっていて、多くの人が既に巻き込まれている事態について向井承子『患者追放――行き場を失う老人たち』(筑摩書房)。
こんな具合に、読めば知らないでもないような気がするが、一度は書かれなければならないことがたくさんある。『現代思想』十一月号、特集「争点としての生命」(青土社)に身体や生命や医療に関わる現代史を辿る小難しくなく重要な論文が幾本も掲載された。