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介護保険的なもの・対・障害者の運動 5

―知ってることは力になる・30―

立岩真也 200306
『こちら”ちくま”』36:



*『月刊総合ケア』に載ったものを少しだけ変えて続けて載せてもらっています。
 □予告〜□公的・在宅サービスだけで暮らす(前々々々回)
 □生活保護他人介護加算(略)
 □介護人派遣事業/ホームヘルプ〜□情報が制度を拡大させた(前々々回)
 □供給・利用のかたちを変えた〜□介護保険には乗れない(前々回)
 □事業者にはなっておく〜□1月に起こったこと(前回)

■支援費制度の位置

  この制度がどんなものか、どんな問題が起こったか、起こっているかについては様々な解説もあり、ホームページにも少し情報があるからここでは略す。私はこの変更について、何を謳っていようと、サービスの実質・量については何も言われていないのだから、基本的な問題をなんら改善するものではないことを述べてきた。「ノーマライゼーション」という言葉をまじめに受け取れば、それは住みたい場所で社会から支援を得て暮らせることを実現することを意味するのだが、そんなことは考えられていない。
  ただ「措置から契約」へというかたちの変更は、うまくそれを使えればだが、使い道はあった。
  この変更は財政側にとっては不利益なことではない。とくに供給組織を自らで揃えられないなら、民間に委ねるしかない。自ら公務員を雇うよりも安くなるならその方がよい。そのようなかたちの民間への「委託」はこれまで一貫して続いてきたことであり、今に始まったことではない。ではそれはただ行政側の都合によるものなのかと言えばそうとも言えない。これは当事者の側が主張してきた方向でもあり、それをいくらかは受けたものでもある。もちろん契約だとか選択だとか言われても、選択肢が実際に存在しなければ何の意味もないし、また、選択・決定を支える機構が必要なのだし――この点でも「生活支援事業」に国は支出しないという方針は支持されない――また責任の所在が曖昧になることはあってならないのだが、以上の(現実には存在しない)条件があればうまく使える。その部分の期待はあった。
  前回述べたように、介護保険の前から、そして介護保険の制度の下で、実際に自分たちが主体になって供給組織を作っていこうという動きがあった。利用者に選ばれた人、組織が活動できるという原則は、しばしば利用者保護のためとは言えない理由から利用者側に利益をもたらさない制約が課せられ半端なものなってしまうのだが、それでも基本的には使える。その方向は今後も追求されるだろう。大きな問題は、この供給の形の変更とは別のところに起こった。

■介護保険への吸収という意図

  介護保険との関係でサービスの量・基準が問題にされることが近いうちにあるだろうことは想定されていた。しかし、支援費制度の導入は基本的には(中途半端な)形の変更であるから、支援費制度の4月実施を前に1月になって量の問題が浮上することは想定されていなかった。(ただ昨年秋以来、厚労省側の意向で折衝の場がもたれていなかったから、それが予兆だったとは言える。)
  今回のことは、基本的には、障害者の介助制度を介護保険の方に近づけ、吸収しようとする動きのもとにある――だから、形が介護保険に似ている支援費制度への移行もその過程の一部とも捉えられる。実際、介護保険との合体を見越して上限を設定するのだと厚労省の幹部が職員に昨年から言っていたとも聞く。そしてこれは、現状にとくに問題を感じていたというより、介助は介護保険で行くという「上」からの既定の路線があり、それに合わせようとしたということだろう。どれだけの介助サービスが実際に必要とされているかを知らず、それで多くの人が生きていけていることの現実もわからず、あるいは気にすることなく、介護保険的には常識的な上限を設定しようとした。
  そしてこれは介護保険料を徴収する年齢を引き下げるという動きと関連してもいるだろう。最初から払える人は払うべきものとすべきだったと私は考えるが、実際には介護保険はご存知のように40歳以上からの徴収になった。厚労省は、ともかくまず始め、後で徐々に年齢を引き下げようと考えていたのだろう。ただ引き下げると、払うだけで受け取る機会がない層が生ずる、だから高齢者でない障害者も受け取れる制度にしようという発想もあった。
  介護保険は、少なくとも「在宅」の人に限れば、家族の介助があった上でその負担をいくらか軽減するものであり、またそんなものでしかなかった。介護保険以前、高齢者の在宅福祉サービスは全般に貧弱で、さらに地域によっては非常に貧弱な地域があったから、全体として増えはした。しかし家族に頼らず自宅で暮らしていけるものではない。訪問介護だけを使うと、最も多く使える人でも1日2〜3時間にしかならない。
  介護保険との統合になぜそのまま乗れなかったかは前回にも述べた。全国一律の制度は格差の是正を課題にしてきた人たちにとってはわるくない。また年齢で区分する根拠は見つからない。しかし実際のところがわかるにつれて乗るのをやめた。理由は簡単で、つまりまったく足りないものであり、端的に水準の切り下げを意味したからだった。今回明らかになったのはこの水準に合わせようとする動きだった。それは到底受け入れられるものではなかったから、大きな反発が起こった。

■「保険」という機構

  どうなるのだろうか。今年度、委員会がもたれることになり、そこで検討されることになった。(この話はまた別に&ホームページに情報掲載しています。)
  他方、福祉推進の側にも介護保険に乗るのがよいという論調も出てきている。この2月「改革派」の知事たちが障害者福祉を考える催し「アメニティフォーラムinしが」のシンポジウムに集まった。参加したのは、滋賀・国松善次、三重・北川正恭、宮城・浅野史郎、千葉・堂本暁子、鳥取・片山善博、岩手・増田寛也、熊本・潮谷義子。4月からの支援費制度導入を踏まえ、2005年の介護保険見直しで、障害者を対象に加えることを7知事がそろって主張した(ただ片山知事は本来税金を充てるべきと述べたという)。現行の問題点を自覚しつつも、「いいとこどり」すればよいという話になっている。中央官庁の動きとこうした知事たちの主張との間に関係があるかは、すなおに受け止めればないということになろうが、知らない。
  どのように考えればよいのだろう。
  第一に、高齢者と高齢者でない人とが別の制度でなければならないという積極的な理由はない。基本的には一緒でよい。このことは認めてよい。
  ただ第二に、「保険」に基本的な疑念があることは押えておくべきだ。いま「健常」な人が将来のリスクに備えて掛け金を払うのが保険なのではないか。とすると子どもの頃からあるいは生まれながら障害をもつ人はこの機構から外れる、外されないとしてもお荷物扱いされてしまうのではないか。このような危惧が表明されてきた。
  私は、「公的」保険は、普通に人が保険という言葉から連想するリスクへの備え、自助(のための共助)のシステムではないこと、払える人は誰もが払うべきであり、受け取るべき人は誰もが受け取れるべきだという場所から出発すべきだと考える。このことをはっきりさせない限り、保険という言い方には危うさがある。そして、介護保険導入の際に繰り返されたのは「明日は我が身」という言い方だった(言い方でしかなかった)のだから、これは単なる杞憂でない。
  この懸念を取り除けるなら、第三に、残るのは実質的には目的税と一般財源のどちらがよいのかという問題になる。保険・目的税の方が安定した財源を得られるという主張がある。たしかに保険料が一定ならその収入は一定になる。ただそれは、第二点とも絡み、いったんできた枠は壊しにくいということでもありうる。また、どれだけ誰から徴収した場合にどの程度が可能になるのか、様々に試算し考える必要がある。だがそうきちんとした議論がなされているようでもなく、それは知事や議員の発言についても言える。(続く)


◇2003/04/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 1――知ってることは力になる・26」
 『こちら”ちくま”』32:
◇2003/06/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 2――知ってることは力になる・27」
 『こちら”ちくま”』33:
◇2003/08/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 3――知ってることは力になる・28」
 『こちら”ちくま”』34
◇2003/10/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 4――知ってることは力になる・29」
 『こちら”ちくま”』35


UP:20030430 REV:0522
支援費・ホームヘルプサービス上限問題  ◇障害者(児)の地域生活支援の在り方に関する検討会  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也
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