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介護保険的なもの・対・障害者の運動 4

―知ってることは力になる・29―

立岩真也 200310
『こちら”ちくま”』34:



*『月刊総合ケア』に載ったものを少しだけ変えて続けて載せてもらっています。
 □予告〜□公的・在宅サービスだけで暮らす(前々々回)
 □生活保護他人介護加算(略)
 □介護人派遣事業/ホームヘルプ〜□情報が制度を拡大させた(前々回)
 □供給・利用のかたちを変えた〜□介護保険には乗れない(前回)

事業者にはなっておく

  前回、介護保険がまったく不十分なものであることを述べた。ただ一つ、利用者がサービスの提供組織を選べるというかたちになっているところは、自分たちが主張しまた実際に行なってきた方向と近いところがあった。
  ときどき間違える人がいるので確認しておくが、公的・社会的な責任があるということと、直接のサービス供給主体として民間組織が参加することとは矛盾しない。むしろ利用者側が選ぶことができることによって、選択肢が実際にあればの話だが、よりよいサービスが得られる可能性はある。そしてむろん、実際に提供者が出てこないときには政治は何もしなくてよいということではない。現われてこなければ自ら供給すべきだし、それ以前に供給主体が現われてくるだけの条件を設定する義務が社会・政治の側にはある。
  政府が「措置から契約へ」といったことを言い出す前から、障害者の側は自分が選んだ人・組織を使えることを主張してきた。たいてい違うことを言う二者がなぜ同じことを言うことになったのかについては、拙著『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(青土社、2000年)261頁以下に記したので関心のある方は読んでもらいたいのだが、政策側の事情の一つは単純で、財源を所与とすれば、需要の拡大に対応しきれず民間の参入を促すしかないということだった。一方は、自分たちがよい暮らしをしたいから主張した。背後にあるものは同じでない。ただかたちの上では一致した、あるいは一致するように見えた。
  介護保険では、これまでより自らが供給組織=事業者になるのは容易になっている。そして周囲にも介護保険のサービスの利用者はいる。そして先に述べたように巡回型を想定していることもあり事務的な費用が高めになっていて、組織の収入をこれまでより多く得ることができる。そして障害者福祉サービスも、すぐに介護保険に吸収されはしないとしても、事業者との契約という方式が導入されるだろうことがわかってもきた。
 そこで、サービス利用者の意に沿うサービスを提供するため、またそうした事業を行う組織を運営し経営を維持していくため、自らが介護保険の事業者になろうとする動き、事業者を各地に増やしていこうという動きが現われた。それは、他の非営利・営利の事業者が事業を始め地歩を得てしまい新規の参入が難しくなる前に、自らの位置を確保しておこうという動きでもあった。
  そのために、サービスを以前から行ない資金的にもまた知識・経験においてもより有利な位置にある組織による、これからその事業を行おうとする組織・人への支援活動が行われた。「2003年までに要介助当事者によるヘルパー指定事業者を全国300箇所に」というスローガンを掲げ、事業者の立ち上げと運営を支援する全国組織「自薦ヘルパー(支援費支給方式)推進協会」が2000年に設立された。この組織は、介護保険の介護をただ供給するだけでなく、自立生活運動の理念を共有し、障害をもつ本人が組織の運営を担うという自立生活センターの組織形態を有した事業者の設立を手助けする組織である。東京などの当事者団体のヘルパー委託事業や介護保険事業での収益などを集めて発足、事業者になるのを希望する人たちに運営方法を学べる研修システムを作り研修を実施し、各地での立ち上げ資金の助成も始めた。
  次に、これと並行して、利用者個人に対し、自分が選んだ人を介助者として簡単に登録できる仕組みを作り出した。すべての地域で介護保険の利用者だけを見込んだ事業所を立ち上げるのは難しい。しかし利用者は点々と存在する。そこでやはり2000年、「介護保険ヘルパー広域自薦登録保障協会」を立ち上げ、さきに紹介した自薦登録ヘルパーと呼ばれる仕組みを介護保険のもとでも実現しようとする活動を始めた。
  これらはかたちの変化への対応である。それは自分たちのやってきた方向と共通するものがあったから、それに乗った方が得策だという判断があってのことだった。しかし述べたように、大きな問題は量にあった。これがどうなるのか、介護保険の側に吸収されてしまったらかなわない。障害者の側は危機感をもっていた。ただ、「支援費制度」に移行する2003年度からその布石を打って来るだろうとは思っていなかった。おそらくは厚生労働省の直接の担当者たちも思っていなかった。しかしそれが今年の1月に発覚したのだった。

1月に起こったこと

  いまの介護保険の水準を超えた制度があること、それは長い時間をかけて、介助を必要とする側の運動によって作られてきたものであることをはじめの方で述べた。いくつかの地域ではいくつかの制度を組み合わせることによって、最大24時間の介助を必要とする人が家族の介助によらずに自宅で暮らすことができるようになってきた。それは、各地域での個別の運動とそれを支援する全国的な活動が実現してきたのだが、同時にその運動は中央官庁との折衝・交渉も欠かすことはなかった。その過程で厚生省は、1992年には「1週間当たり延べ週18時間を上限として」という規定(82年社老99号)を事実上撤回し、「ニーズがあるにもかかわらず制限を行なっている……要綱等を定めている市町村は、早急に改正する必要がある」とした(厚生省老人福祉計画課「ホームヘルプ事業運営の手引き」、より長い紹介は安積純子他『生の技法』、藤原書店、p.245)。交渉を重ねる中で障害者福祉の担当者は状況を理解するようになり、利用者側と厚生省、現在の厚生労働省がともにサービス水準の低い自治体に対し、より多くのサービスを提供するべきことを言うという位置関係になってきた。ここしばらく、ほぼその方向で事態は推移してきた。
  ところが1月9日、ホームヘルプサービスの供給に上限を設けるという情報が流れた。1人1日換算で4時間以上の利用については国庫からの支出を行なわないという基準を設定し、それを市町村等に伝えるという方針だったことがわかった。それ以上の必要については各市町村に委ねるというのだが、国の予算は出ないなら、これが実質的な上限になってしまうだろう。それからしばらくどんなことが起こったかについてはホームページ(http://www.arsvi.com→立岩→この文章の題)をご覧いただきたい。DPI日本会議、全国自立生活センター協議会(JIL)、全国公的介護保障要求者組合、全国障害者介護保障協議会による支援費制度全国緊急行動委員会、そして日本身体障害者団体連合会(日身連)、日本障害者協議会(JD)、全日本手をつなぐ育成会が交渉団体となり、連日、厚生労働省の前に、16日には1000人、集まり、交渉を行なった。新聞も『毎日新聞』が継続的に追及したのをはじめ、各新聞や放送局が報道した。また『新潟日報』『毎日新聞』『朝日新聞』『神戸新聞』が厚生労働省を批判する社説を出し、NHK教育の番組でも取り上げられた。1月27日、上限は作らない、現状サービスは原則確保、今後のことは利用当事者を入れた検討委員で再検討といった線で、ひとまず事態は収まった。だが、とりあえずしのいだ、と言う方が当たっている。この問題だけでなく、「地域生活支援事業」の一般財源化等々、多くの問題が残された。(続く)


◇2003/04/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 1――知ってることは力になる・26」
 『こちら”ちくま”』32:
◇2003/06/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 2――知ってることは力になる・27」
 『こちら”ちくま”』33
◇2003/08/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 3――知ってることは力になる・28」
 『こちら”ちくま”』34


UP:20030923
支援費・ホームヘルプサービス上限問題  ◇障害者(児)の地域生活支援の在り方に関する検討会  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也
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